レブロン・ジェームズ
| レブロン・ジェームズ LeBron James マイアミ・ヒート No.6 |
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| 名前 | ||||||||||||||||||||||||
| 本名 | LeBron Raymone James | |||||||||||||||||||||||
| 愛称 | "King James" "The Chosen One" "L-Train" |
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| ラテン文字 | LeBron James | |||||||||||||||||||||||
| 基本情報 | ||||||||||||||||||||||||
| 国 | ||||||||||||||||||||||||
| 誕生日 | 1984年12月30日(28歳) | |||||||||||||||||||||||
| 出身地 | オハイオ州アクロン | |||||||||||||||||||||||
| 身長 | 203cm | |||||||||||||||||||||||
| 体重 | 113kg | |||||||||||||||||||||||
| 足のサイズ | 35.0cm | |||||||||||||||||||||||
| 選手情報 | ||||||||||||||||||||||||
| ポジション | SF | |||||||||||||||||||||||
| 背番号 | 6 | |||||||||||||||||||||||
| ドラフト | 2003年 1位 | |||||||||||||||||||||||
| 経歴 | ||||||||||||||||||||||||
| 2003-2010 2010- |
クリーブランド・キャバリアーズ マイアミ・ヒート |
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レブロン・ジェームズ(LeBron James(発音 /ləˈbrɒn/;, 1984年12月30日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州アクロン出身のプロバスケットボール選手である。NBAのマイアミ・ヒートに所属。愛称は「キング」。 背番号は「6」。クリーブランド・キャバリアーズに在籍していたときは、憧れだったマイケル・ジョーダンと同じ「23」を着用していた。身長203cm、体重113kg。ポジションはスモールフォワードだが、ポイントガード、シューティングガード、パワーフォワードもこなせるオールラウンダー。現在のNBAを代表する選手の1人であり、NBA随一のスーパースター。
目次 |
生い立ちと高校時代 [編集]
レブロンはアクロンの低所得者地区で生まれた。父親は側におらず、住居を転々としながら16歳の母親と継父によって育てられた。バスケットとアメリカン・フットボールに熱中した少年時代に、レブロンはバスケットのコーチの家に居候するようになった。新しい環境でさらにバスケットの腕を磨いたレブロンは、アマチュア・アスレチック・ユニオンの大会で頭角を現すようになった。
高校はセント・ビンセント=セント・メアリー高校でプレイ。レブロンは1年目からエースとなり、20得点6.2リバウンドの成績でチームを牽引、27戦全勝で州の第3部チャンピオンに上り詰めた。
2年目には25.2得点7.2リバウンド5.8アシストとさらに成績を伸ばす。レブロンの評判はすぐに広まり、高校はこのシーズンの開幕戦をアクロン大学のアリーナで開催し、観客5000人を集め、さらに連覇が掛かった州タイトルの決勝戦では17,000人が集まり、レブロンとチームは大観衆の前で見事に優勝を果たした。またレブロンは州史上2人目となる2年生でのオハイオ州ミスター・バスケットボールに選ばれ、またUSAトゥデイ紙選出のオールUSAファーストチームにも名を連ねた。すでに全国区となっていたレブロンはNBAのスカウト陣の注目も集め、NBAのワークアウトにも招かれた。アメリカン・フットボールのワイドレシーバーとしても優秀だったレブロンは、このシーズンに州のオールファーストチームにも選ばれていたが、怪我をしてしまいバスケット一本に絞る様になった。
3年目のシーズン、チームは州の第2部に昇格したが、州タイトル3連覇は果たせなかった。レブロンは29.7得点8.3リバウンド5.7アシストの成績で、ゲータレード選出の年間最優秀選手に選ばれた。また高校生としてはケビン・ガーネット以来となるスラムマガジンの表紙を飾った。他にもスポーツ・イラストレイテッド、ESPNマガジンなど有名誌でも表紙を飾り、全米から大きな注目を集めた。
4年目のシーズン、レブロンは31.6得点9.6リバウンド4.6アシストの成績で3年連続のミスター・バスケットボール、オールUSAファーストチーム、2年連続のゲータレード年間最優秀選手に選ばれ、高校オールスターゲームであるマクドナルド・オールアメリカン・ゲームではMVPを受賞した。全米にテレビ中継された試合は高視聴率を収め、また州タイトル決勝戦では18,454人の観客を集めた。チームは40-36で勝利を収め、1年ぶりに州チャンピオンに返り咲いた。このシーズン中、レブロンの誕生日のために母親が高級車(ハマーH2)を贈ったことを、オハイオ高校体育協会が問題視し、レブロンは2試合の出場停止処分を受けている。
大学には進学せず、NBAドラフトにアーリーエントリーした。在学中にナイキと7年間で総額9,000万ドル(他にもアッパーデック(Upper Deck Company)と5年間で総額500万ドル)という契約を結ぶなど、商業的にも注目を集めていた。
NBA [編集]
キャリア初期 [編集]
セント・ビンセント=セント・メアリー高校を卒業後、レブロンは2003年のNBAドラフト全体1位でクリーブランド・キャバリアーズに指名され、18歳の若さでNBA入りした。この年のドラフトはレブロンの他にもドウェイン・ウェイド、カーメロ・アンソニーなど将来を嘱望される選手が多く、彼らを総称してレブロン世代と呼ぶこともある。
ルーキーイヤーとなった2003-04シーズン、レブロンは開幕戦で25得点6リバウンド9アシスト4スティールと前評判どおりのオールラウンドな働きをしてみせた。11月から翌年の4月までのイーストのルーキー・オブ・ザ・マンスを独占し、シーズン成績は20.9得点5.9アシスト5.5リバウンドだった。ルーキーイヤーに20得点5アシスト5リバウンド以上を達成したのは、オスカー・ロバートソン、マイケル・ジョーダンに続いて史上3人目であった。また、オールスターには出場できなかったものの、ルーキーチャレンジでは1年目選手のチーム最多の33得点を挙げた。キャバリアーズは前年より勝ち星を18勝増やし、35勝47敗の成績を残すがプレーオフ進出は叶わなかった。ルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)の投票では得点、リバウンドで新人1位の成績を残しプレイオフに出場したデンバー・ナゲッツのカーメロ・アンソニーとの争いになったが、レブロンは508ポイントを獲得(カーメロ・アンソニーは430ポイント)し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。
翌04-05シーズンにはこれまで苦手とされていたアウトサイドシュートが向上し、さらに得点力をアップ。2005年1月19日には最年少(20歳と20日)でのトリプルダブル達成、同年3月20日には最年少(20歳と80日)での1試合50得点以上を達成し、オールスターにも初出場を果たした。シーズン成績は27.2得点7.2アシスト7.4リバウンドで、オスカー・ロバートソン、ジョン・ハブリチェック、ラリー・バード、マイケル・ジョーダン以来5人目の27得点、7アシスト、7リバウンド以上達成となった。しかし、チームは42勝40敗と前年から更に勝ち星を増やすもののカンファレンス8位のニュージャージー・ネッツと同率の9位になり、プレーオフ出場はならなかった。
スーパースターへ [編集]
05-06シーズンは、レブロンにとってもチームにとっても勝負の年となった。レブロンはプロ入り3年目としてチームでの結果を求められ、チームはこのシーズン後にFAとなるレブロンと契約延長するためにも、より勝てるチーム作りをしなければならなかった。チームは補強に乗り出すが、目玉であったラリー・ヒューズは怪我でシーズンの大半を欠場し、その他の補強組も期待したほどの活躍を見せず、レブロンを取り巻くチーム状況にさして変化はなかった。しかしレブロンは自身初の決勝ブザービーターを決めるなど、これまで足りないと言われてきた勝負強さも兼ね備えるようになり、チームを勝利に導ける選手にまで成長。チームは大きく躍進を果たし、50勝32敗の成績で8年ぶりにプレーオフ進出。自身も2度目のオールスターゲーム出場で29得点6リバウンドをあげて最年少のオールスターMVPに輝き、レギュラーシーズンでは初の30得点オーバーとなる31.4得点7.0リバウンド6.4アシストという好成績を残した。またトッププレイヤーの証明であるオールNBAファーストチームに初めて名を連ね、MVP投票ではスティーブ・ナッシュに次いで2位だった。初のプレーオフでは1回戦のワシントン・ウィザーズとの第1戦で、いきなり31得点11リバウンド11アシストのトリプルダブルをたたき出す。シリーズを4勝2敗で制すると、カンファレンス準決勝ではレギュラーシーズン1位のデトロイト・ピストンズ相手に3勝2敗とリードを奪うが、そこから2連勝されて惜しくも敗退した。
06-07シーズン、チーム戦績は50勝32敗で前シーズンと変わらなかったが、プレーオフでは順調に勝ち上がり、自身初の、またチームとしては1992年以来のカンファレンス決勝に進出。前シーズンに敗れたデトロイト・ピストンズ相手に、ダブルオーバータイムまでもつれたシリーズ第5戦では48得点(オーバータイムではチームの全得点)をあげるなどのスーパースターにふさわしい活躍を見せ、4勝2敗でこのシリーズを制し、自身初の、そしてチーム史上初のNBAファイナルに進出した。夢のチャンピオンリングまであと4勝となったが、ファイナル、サンアントニオ・スパーズとの対戦ではディフェンスのスペシャリストであるブルース・ボウエンのマッチアップと、スパーズの強固なチームディフェンスの前に苦しみ、4戦全敗で敗退。ファイナル中のレブロンはフィールドゴール成功率35%と精彩を欠いた。
07-08シーズンのレブロンの活躍は華々しく、得点の分野では年2月27日のボストン・セルティックス戦で通算10000得点を達成。史上最年少の23歳59日での達成はこれまでの最年少記録のコービー・ブライアントの24歳193日を大幅に更新した。またトリプルダブル7回達成はチーム最多記録、2試合連続トリプルダブル2回達成は1988年のマジック・ジョンソン以来の快挙であった。3月5日のニューヨーク・ニックス戦では50得点10アシスト以上を記録したリーグ3人目のプレイヤーとなった。オールスターゲームでは、2回目のオールスターMVPに輝いた。このシーズンの成績は30.0得点7.9リバウンド7.2アシストとMVP級の数字を残し、自身初のリーグ得点王に輝いた。目覚しい活躍を見せたレブロンだが、一方でチームはオフの補強が上手くいかず、シーズン序盤から苦戦を強いられ、45勝37敗とレブロンがキャブス入りして以来初めて勝率を落とした。プレーオフ1回戦ではウィザーズと3シーズン連続で対戦。このシリーズではウィザーズのデショーン・スティーブンソンによるレブロンへの挑発行為が話題を集めたが、チームは4勝2敗でウィザーズを退け、カンファレンス準決勝に進出した。準決勝の対戦相手はこのシーズンリーグ首位の成績を収めたボストン・セルティックス。レブロンはセルティックスの強力ディフェンスの前に苦しみ、得点が伸び悩んだが、チームはセルティックスを追い込み、最終第7戦まで粘った。第7戦でようやく本来の姿を取り戻したレブロンは、45得点を記録してセルティックスを追い詰めたが、惜しくも勝利は逃し、2シーズン連続のファイナル進出はならなかった。
08-09シーズン、レブロンは28.4得点7.6リバウンド7.2アシストを記録し、チームもリーグトップの66勝16敗をマーク。チームをカンファレンス1位に導き初のシーズンMVPを獲得した。プレーオフに入っても絶好調を維持し、1回戦、カンファレンス準決勝を共に4勝0敗で突破するなど優勝候補の最右翼となった。しかし、一転、オーランド・マジックとのカンファレンス決勝では激戦の末、ホームでの第1戦を落とす。第2戦、2点ビハインドで迎えた残り1秒で、スローインからボールを受けたレブロンが劇的な3ポイントのブザービーターを沈め1勝1敗としたが敵地オーランドで計3敗を喫し、結果として2勝4敗でプレーオフを終えた。試合後、相手のマジックの選手の健闘を称えず無言でコートを後にし、試合後の記者会見も放棄して帰った事で批判を浴びてしまった。レブロンはこの件について「チームは負けたかもしれないが、俺は勝者だ。」などと後に語っている。
09-10シーズン、レブロンは29.7得点7.3リバウンド8.6アシストを記録、チームとしても61勝21敗で2シーズン連続でリーグ勝率1位に導き、本人も2シーズン連続でシーズンMVPを獲得した。プレイオフではカンファレンス準決勝でボストン・セルティックスに2勝4敗で敗退した。
新天地 [編集]
シーズン終了後、フリーエージェントとなった彼はキャバリアーズ、シカゴ・ブルズとも契約交渉を行っていたがマイアミ・ヒートと契約。ドラフト同期のドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュらとチームメートとなった[1]
10-11シーズン、3人のスターが集まったヒートは大きな注目を集めたが、開幕一ヶ月は勝率5割前後と低迷し大きな批判を受けた。その後もチームプレーの完成度は一進一退であったがスリーキングス個々の圧倒的な個人技で勝ち星を重ねディビジョン優勝を果たした。3人のスターが存在する為ボールをシェアすることから個人成績は低下すると予想されたが、レブロンは26.7得点・7.5リバウンド・7.0アシストとキャブス時代と変わらぬハイレベルのスタッツを記録し、新チームでもエースとしての役割を務めオールNBAファーストチームに選出された。
プレーオフも順調に勝ち上がり、自身4年ぶりとなるNBAファイナルに進出しダラス・マーベリックスと対戦。しかしファイナルを通して低調な内容に終わり、特に勝負所の4Qでの勝負弱さ、消極性にメディアからは批判が集中した。レブロンがファイナルで記録した平均17.8得点は、レギュラーシーズンの平均26.7得点からは実に8.9得点も下がっており、この落差はNBA歴代ワースト記録となってしまった。また、第5戦の試合前、風邪を押して出場していたダーク・ノビツキーをウェイドと共に茶化すような仕草がカメラに捉えられて騒動となった。結局ヒートは2勝4敗で敗退し、またしても優勝には届かなかった。オフシーズン、ヒートに移籍した経緯やファイナルで期待された活躍が出来なかった事からも、自身の評価を大きく下げると共に、NBAファンや関係者、メディアからは激しいバッシングが巻き起こった。
悲願達成 [編集]
ダラスとのファイナルでの敗戦はレブロンを謙虚にした。オフシーズン、チームにローポストゲームが出来る選手が必要と感じと自らその役を買って出てアキーム・オラジュワンの下でポストムーブのイロハを学んだ。(結果としてこの成果がシーズンの成功の鍵となる。) 11-12シーズンはロックアウトの為、レギュラーシーズンが66試合となる短縮シーズンでの開幕となった。捲土重来を目指したレブロンは27.1得点・7.9リバウンド・6.2アシスト・フィールドゴール成功率53.1%と支配力を増し通算3回目のシーズンMVPを獲得した。また、オールNBAファーストチームとオールNBAディフェンシブファーストチームにも共にリーグ最多得票数で選出された。チームはカンファレンス2位でプレイオフに入ると、ライバルチームの怪我もあり、ファイナル進出へ盤石かに見えた。しかしカンファレンス準決勝インディアナ・ペイサーズとの第1戦でインサイドの要であるクリス・ボッシュが怪我で離脱してしまう。第1戦は勝利するも、第2戦、第3戦を落としてしまう。大差で負けた第3戦ではドウェイン・ウェイドが試合中にヘッドコーチと衝突する場面もみられ、チームは第一の敗退の危機を迎える。しかし第4戦レブロンが奮起、40点18リバウンド9アシストの大活躍で敵地で貴重な勝ち星を上げ、ホームアドバンテージを取り戻しその勢いのまま4勝2敗でシリーズを突破する。カンファレンス決勝の相手はボストン・セルティックス、満身創痍であり問題ない相手と思われたがヒートの弱点であるインサイドをケビン・ガーネットに荒らされ、2勝3敗でまたもやホームアドバンテージを取られ追い詰められてしまう。しかしこのシーズンのレブロン・ジェームズは違った。負けたらプレイオフ敗退の第6戦、敵地で45点15リバウンド5アシスト、フィールドゴール成功率73%と完全にゲームを支配しチームの第二の危機を救う。このシリーズの 第5戦から復帰したボッシュの活躍もあり第7戦を辛くも制し、二年連続ファイナル出場を決めた。 もう負けることは許されないファイナル3度目の挑戦の相手は得点王ケビン・デュラント率いるオクラホマシティ・サンダー。同ポジションのリーグトッププレイヤーによる対決は盛り上がりを見せた。4勝1敗でヒートがシリーズを制するのだが、このマッチアップがシリーズの1つのキーになったことは間違いない。というのはレブロンがデュラントにディフェンスして要所で抑える場面はあっても、逆はなかった。レブロンにディフェンスで付ける選手をサンダーは持っておらず、常にミスマッチが発生しポストアップやドライブで果敢にゴールにアタックするレブロンを止められなかった。また第4戦で4Q残り3分同点で足を痙りながら決めた価千金のスリーはファイナル全体で最も記憶に残るショットになった。シリーズ通して28.6得点・10.2リバウンド・7.4アシスト・フィールドゴール成功率47.2%と攻守に渡って活躍し、最終戦ではトリプル・ダブルも記録したレブロンは満場一致でファイナルMVPに選出された。シーズンMVPとファイナルMVPを同一シーズンに受賞したのは2003年のティム・ダンカン以来、NBA歴代でも10人目の快挙である。こうしてレブロンは9年目にして悲願のNBA制覇を成し遂げたのである。
名実共にキングとして [編集]
12-13シーズン、悲願の優勝を果たし名実共にリーグNo.1選手となったレブロンは、1月16日ゴールデンステイト・ウォリアーズ戦で史上最年少で通算20000得点を達成、NBA歴代2位の連勝新記録となる27連勝、シーズン勝率1位の66勝16敗とマイアミ・ヒートのチーム記録を大きく塗り替えた。76試合に出場し、26.8点・8.0リバウンド・7.2アシスト・フィールドゴール成功率56.5%・3P成功率40%と昨シーズンよりさらに安定感を増し、通算4回目のシーズンMVPを獲得した。初の満場一致のMVPになるかとも言われたが、一人だけカーメロ・アンソニーに入れた記者がいたためこれはならなかった。これまでシーズンMVPに4回以上選出されたのは、6回のカリーム・アブドゥル・ジャバーをはじめ、5回のマイケル・ジョーダンとビル・ラッセル、4回のウィルト・チェンバレンだけで、レブロンはこの伝説的な選手達に続いて5人目の選手になった。
NFL転向? [編集]
2011-2012シーズンのNBAは、チームオーナー側と選手会の間での収益配分に関する労使交渉がまとまらず、プレシーズンゲームは全て中止となっただけでなく、当初11月始めに開幕する予定が少なくとも2週間以上遅延することが決定。このためオーナー側はチーム施設に対するロックアウトを行い、レブロンを含む選手はチームとしての練習が行えない状況となった。
この間にレブロンは、トレーニングを兼ねて高校のアメリカンフットボールの練習に参加したため、NFLへの転向が取りざたされた[2]。これを受けて、シアトル・シーホークスのピート・キャロルヘッドコーチが「NFL最低年俸でなら獲得しても良い」との意向を表明し、レブロンも「(ロックアウトで一銭も稼げない)今よりは良い」として同意[3]。しかしその後11月末にNBAの労使交渉が妥結しロックアウトが解除されたため、NFL転向話も自然消滅した。
ナショナルチーム [編集]
NBAでの1年目が終わった2004年の夏にアテネ五輪にアメリカ代表として出場したが、ベテラン重視のラリー・ブラウンHCの方針により平均14.6分と満足な出場時間を得られず5.8得点、2.6リバウンドの成績にとどまり代表チームは4大会ぶりに金メダルを逃し、現役NBA選手が参加して初めて金メダルを逃すこととなり銅メダルに終わった。
2006年に日本で開催されたバスケットボール世界選手権ではドウェイン・ウェイド、カーメロ・アンソニーと共に3人のチームキャプテンの1人に指名され[4]主力選手の1人としてプレイし、14.8得点4.8リバウンド4.1アシストの成績を残したが、代表チームはまたしても銅メダルに終わった。
2008年開催の北京オリンピックでは、全試合安定した成績を残し、スペインを破って見事金メダルを獲得した[5]。
2012年開催のロンドンオリンピックではチームキャプテンに指名され、ケビン・デュラントと共にチームを引っ張り、決勝でスペインを破り二大会連続でアメリカに金メダルをもたらした。またマイケル・ジョーダンに続いてNBAのシーズンMVP、ファイナルMVP、NBA優勝、オリンピック金メダルを一年で全て獲得した史上二人目の選手になった。
プレイスタイル [編集]
ルーキーシーズンにはポール・サイラスヘッドコーチによってポイントガードとして起用されたように[6]パスセンスに、パワーフォワード並の肉体を備えたNBA現役屈指のオールラウンダー。ナチュラルポジションはスモールフォワードとされているが、実際にはセンターを除く役割を1人でこなし、ポジションの枠に収まらない選手と言える。その能力の高さ故か、NBA選手の中でもボール保持率が非常に多く、良くも悪くもレブロンから始まりレブロンで終わるというプレイスタイルのため、得点、アシスト、リバウンド全てがチームハイという試合も珍しくない。
203cmの長身に頑強な筋肉の鎧を纏いながらも、リーグ最高峰の瞬発力をもち、毎試合高得点を叩き出す。その屈強なフィジカルを活かしたドリブルペネトレイトは相手チームの脅威であり、一度トップスピードに乗れば、複数で立ち向かう相手を吹き飛ばしながらも得点をもぎ取り、ファウルも奪っていとも簡単に3Pプレイに結び付けてしまう。ヒートでは、同期でありチームメイトでもあるウェイドとの、ファーストブレイクからのスピードを活かしたカウンターも重要な武器となっており、粘り強いチームディフェンスからボールを奪い、二人で一瞬にして相手ゴールまで駆け上がると、ショーのようなパス交換から、最後はウェイドからの優雅な弧を描くアシストパスを受け圧巻のアリウープダンクを叩き込む。デビュー時には成功率にムラがあったフェイダウェイや3Pシュート等のジャンプシュートもキャリアを積む毎に洗練されて行き、現在では40%付近の3P成功率を誇っており、攻撃のバリエーションをさらに広げ、シューターとしても脅威の存在となった。またインサイドの高さがないヒートにおいては、フィジカルの強さを活かして中央でのポストプレーも積極的にこなし、彼が敵PA内で躍動することで、相手ディフェンダーを引き付け、チームのアウトサイドシューターに十分なスペースを与え、そこにパスを供給することで多くの3Pシュートが生まれる。さらに、2012年のプレーオフを勝ち抜き、優勝を経験して円熟期を迎えたレブロンは試合運びにもより巧さ・狡猾さを身に付け、当初からの広いコートビジョンとトリッキーなテクニックと合わせて、ゲームメーカーとしてもチームオフェンスをコントロールし、ウェイドやボッシュといった強力なチームメイトを得てからは良い意味でレブロン1人の目立つ試合は減少、チーム全員、どこからでも得点の生まれるチームとなっている。一方でNBA入り以来、試合終盤などでの場面でシュートをチームメイトに託してしまう場面があることから、「勝負弱い」・「メンタルが弱い」というイメージが付いてしまっていたが(ただし、前述のようにレブロンはフォワードでありながらパスを捌き、ゲームメイクも行うプレイスタイルのため、このイメージはレブロンに対する周囲の期待が生んでしまったものという見方もできる)、上記NBA制覇までの困難な道のりの中、勝敗のかかる場面でチームがレブロンにボールを託し、レブロンもまた誰より体を張りそのボールを幾度となくリングに沈めることで、十二分にエースとしての役割を果たし、チームを悲願の優勝に導いたことで、現在ではその評価は影を潜めている。また優勝を決めた翌年2012-13年シーズンのヒート27連勝の快進撃中には、試合終盤の大事な場面におけるジャンプシュートや3Pプレイをきっちり決めるなど、現在では多くのクラッチシュートを沈めている。
キャリア初期に課題だったディフェンスも2008-09シーズンを皮切りにオールディフェンシブ1stチームの常連になるなど、現在では守備面もトップクラスの選手になった[7]。
フリースローを苦手としており、シーズン通して80%を越えたことがない。
その他 [編集]
- 集中力が高まると、爪を噛みだすという癖がある。
- 背中にはタトゥーで「Chosen 1(選ばれし者)」と彫られている。
- 試合前には解説者席の近くで両手を高々と掲げ宙に滑り止めの粉をばらまくのが恒例となっている。
- ルーキーシーズンから6年間のキャリアで1シーズン6試合以上を欠場する大怪我は今まで一度もない。
- 人気選手のためメディアへの露出は多く、いわゆるお笑い番組にも出演しており、サタデー・ナイト・ライブではコントに挑戦した。また2007年にはESPNが主催するESPY賞授賞式で、ボビー・ブラウンのコスプレで登場し、歌とダンスを披露。その年のファイナルでレブロンを散々苦しめたブルース・ボウエンを始めとする会場に訪れた著名人達を唖然とさせた。
- 交際中の相手とは結婚しており、2人の子持ち[8]。
- ニューヨーク・ヤンキースの大ファンであり、クリーブランド市のフランチャイズチームであるインディアンズがホームでヤンキースと対戦した時、ヤンキースのキャップを被って観戦したため、地元ファンから顰蹙を買った。
- 左利きであるがバスケットボールに関することは右手で行い、食事や文字を書くのは左手で行う。
- 2007年のプレーオフのさなか、チームメートのアイラ・ニューブルが始めたダルフール紛争で国際的に非難されているスーダン政府を支援している中国への抗議に対する署名を拒否したため非難を浴びた[9][10]。この署名運動には当時キャバリアーズに所属していたラリー・ヒューズ、サーシャ・パブロビッチ、ジードルナス・イルガスカスらが署名していた[11] 。
- BET2009でベストアスリート男性部門獲得。 Jay-ZのD.O.A(Death of Autotune)のPVにも出演。
- 2011年6月、米経済誌フォーブス誌が「最も稼いでいる30歳未満のセレブ」のランキングを発表し、2010年の5月からの1年間で4,800万ドル(日本円で約38億4,000万円)を稼いで3位にランクインした。[12]
- 最近はカスタムメイドの自転車で会場入りしている。
- 2012年、シーズンMVP、ファイナルMVP、NBA優勝、オリンピック金メダルの功績を認められ、スポーツ・イラストレイテッド社が贈呈するスポーツマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。(NBA選手としては史上7人目)
個人成績 [編集]
| 略称説明 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
| FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
| RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
| BPG | 平均ブロック数 | TO | 平均ターンオーバー数 | PPG | 平均得点 |
| 太字 | キャリアハイ | ||||
NBAレギュラーシーズン [編集]
| シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003–04 | CLE | 79 | 79 | 39.5 | .417 | .290 | .754 | 5.5 | 5.9 | 1.6 | 0.7 | 3.5 | 20.9 |
| 2004–05 | CLE | 80 | 80 | 42.4 | .472 | .351 | .750 | 7.4 | 7.2 | 2.2 | 0.7 | 3.3 | 27.2 |
| 2005–06 | CLE | 79 | 79 | 42.5 | .480 | .335 | .738 | 7.0 | 6.6 | 1.6 | 0.8 | 3.3 | 31.4 |
| 2006–07 | CLE | 78 | 78 | 40.9 | .476 | .319 | .698 | 6.7 | 6.0 | 1.6 | 0.7 | 3.2 | 27.3 |
| 2007–08 | CLE | 75 | 74 | 40.4 | .484 | .315 | .712 | 7.9 | 7.2 | 1.8 | 1.1 | 3.4 | 30.0 |
| 2008–09 | CLE | 81 | 81 | 37.7 | .489 | .344 | .780 | 7.6 | 7.2 | 1.7 | 1.1 | 3.0 | 28.4 |
| 2009–10 | CLE | 76 | 76 | 39.0 | .503 | .333 | .767 | 7.3 | 8.6 | 1.6 | 1.0 | 3.4 | 29.7 |
| 2010–11 | MIA | 79 | 79 | 38.8 | .510 | .330 | .759 | 7.5 | 7.0 | 1.6 | 0.6 | 3.6 | 26.7 |
| 2011–12 | MIA | 62 | 62 | 37.5 | .531 | .362 | .771 | 7.9 | 6.2 | 1.8 | 0.8 | 3.4 | 27.1 |
| Career | 689 | 688 | 39.9 | .483 | .331 | .746 | 7.2 | 6.9 | 1.7 | 0.8 | 3.3 | 27.6 |
NBAプレーオフ [編集]
| シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005–06 | CLE | 13 | 13 | 46.5 | .476 | .333 | .737 | 8.1 | 5.8 | 1.4 | 0.7 | 5.0 | 30.8 |
| 2006–07 | CLE | 20 | 20 | 44.6 | .416 | .280 | .755 | 8.0 | 8.0 | 1.7 | 0.5 | 3.3 | 25.0 |
| 2007–08 | CLE | 13 | 13 | 42.5 | .411 | .257 | .731 | 7.8 | 7.6 | 1.8 | 1.3 | 4.2 | 28.2 |
| 2008–09 | CLE | 14 | 14 | 41.4 | .510 | .333 | .749 | 9.1 | 7.3 | 1.6 | 0.9 | 2.7 | 35.3 |
| 2009–10 | CLE | 11 | 11 | 41.8 | .502 | .400 | .733 | 9.3 | 7.6 | 1.7 | 1.8 | 3.8 | 29.1 |
| 2010–11 | MIA | 21 | 21 | 43.9 | .466 | .353 | .763 | 8.4 | 5.9 | 1.7 | 1.2 | 3.1 | 23.7 |
| 2011–12 | MIA | 23 | 23 | 42.7 | .500 | .259 | .739 | 9.7 | 5.6 | 1.9 | 0.7 | 3.5 | 30.3 |
| Career | 115 | 115 | 43.4 | .469 | .312 | .745 | 8.7 | 6.7 | 1.7 | 1.0 | 3.6 | 28.5 |
1試合自己最多記録 [編集]
- 1試合最多得点:56得点(vs トロント・ラプターズ 2005年3月20日)
- 1試合最多アシスト:16個 (vs サクラメント・キングス 2013年2月26日)
- 1試合最多リバウンド:19本 (vs シャーロット・ボブキャッツ 2008年1月11日)
- 1試合最多3P成功数:8本 (vs ミルウォーキー・バックス 2009年2月20日)
- 1試合最多フリースロー成功数:24本 (vs マイアミ・ヒート 2006年3月12日)
- 1試合最多スティール:7本 (vs メンフィス・グリズリーズ 2004年12月13日)
受賞・タイトル [編集]
- 新人王:2004
- オールスターMVP:2006, 2008
- オールNBAチーム
- 1stチーム:2006, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013
- 2ndチーム:2005, 2007
- オールディフェンシブ1stチーム:2009, 2010, 2011, 2012, 2013
- オールルーキー1stチーム:2004
- オールスター出場:2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013
- 得点王:2008
- シーズンMVP:2009, 2010, 2012, 2013
- NBAファイナルMVP:2012
最年少記録 [編集]
- ドラフト1位(18歳178日)
- 1試合30得点(18歳334日)
- 1試合40得点(19歳88日)
- 新人王獲得(19歳)
- オールルーキー1stチーム(19歳)
- オールNBA2ndチーム(20歳)
- オールNBA1stチーム(21歳)
- トリプルダブル達成(20歳20日)
- シーズン通算2000得点達成(20歳102日)
- オールスターMVP獲得(21歳51日)
- シーズン平均30得点以上達成(21歳)
- 2004年2月9日-通算1000得点達成(19歳41日)
- 2004年11月27日-通算2000得点達成(19歳333日)
- 2005年3月2日-通算3000得点達成(20歳62日)
- 2005年11月13日-通算4000得点達成(20歳318日)
- 2006年1月21日-通算5000得点達成(21歳22日)
- 2006年3月29日-通算6000得点達成(21歳89日)
- 2006年12月23日-通算7000得点達成(21歳358日)
- 2007年3月14日-通算8000得点達成(22歳74日)
- 2007年12月17日-通算9000得点達成(22歳352日)
- 2008年2月27日-通算10000得点達成(23歳59日)
- 2008年11月18日-通算11000得点達成(23歳324日)
- 2009年2月3日-通算12000得点達成(24歳35日)
- 2009年10月27日-通算13000得点達成(24歳301日)
- 2010年1月2日-通算14000得点達成(25歳3日)
- 2010年3月19日-通算15000得点達成(25歳79日)
- 2010年12月23日-通算16000得点達成(25歳358日)
- 2011年3月18日-通算17000得点達成(26歳78日)
- 2012年2月3日-通算18000得点達成(27歳35日)
- 2012年4月19日-通算19000得点達成(27歳111日)
- 2013年1月16日-通算20000得点達成(28歳17日)
- 2012年6月3日-プレーオフ通算3000得点達成(27歳156日)
NBA新記録 [編集]
- 2013年2月12日-6試合連続FG60%30得点以上
脚注 [編集]
- ^ “レブロン、ヒートへの電撃移籍を発表!!!”. nba.co.jp (2010年7月9日). 2010年7月10日閲覧。
- ^ レブロンがNFL転向? 高校生とフル装備で練習 - NFL JAPAN・2011年10月6日
- ^ シーホークスHCは本気? レブロンのユニフォーム用意 - NFL JAPAN・2011年10月13日
- ^ “Carmelo Anthony Named One of Three USA World Championship Team Captains”. nba.com (2006年8月17日). 2020年7月10日閲覧。
- ^ “レブロン・ジェームズがヒート移籍 NBA2季連続MVP”. 日本経済新聞. 2010年7月10日閲覧。
- ^ スーパースター列伝第13回
- ^ “Howard, Bryant headline 2008-09 NBA All-Defensive First Team”. nba.com (2009年5月6日). 2010年7月10日閲覧。
- ^ “LeBron's girlfriend has couple's second son”. ESPN (2007年6月14日). 2010年7月10日閲覧。
- ^ “James Draws Criticism For Stand on Darfur Issue”. Yahoo.com. (2007年5月28日) 2010年7月10日閲覧。
- ^ “レブロンの行動が一部で批判されている”. 2010年7月10日閲覧。
- ^ Beck, Howard (2007年5月16日). “Cavalier Seeks Players' Support for Darfur”. ニューヨーク・タイムズ 2010年7月10日閲覧。
- ^ http://www.cinematoday.jp/page/N0033058
外部リンク [編集]
- レブロン・ジェームズ公式サイト (英語)
- NBA.com レブロン・ジェームズ (英語)
- Basketball-Reference.com (英語)
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