セバスチャン・ベッテル
| セバスチャン・ベッテル | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 同・ヘッペンハイム |
| 生年月日 | 1987年7月3日(24歳) |
| F1での経歴 | |
| 車番 | 1 |
| 所属チーム | レッドブル '09- |
| 活動時期 | 2007- |
| 過去の所属チーム | '07 BMWザウバー '07-'08 トロ・ロッソ |
| 出走回数 | 81 |
| 優勝回数 | 21 |
| 通算獲得ポイント | 773 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 36 |
| ポールポジション | 30 |
| ファステストラップ | 9 |
| F1デビュー戦 | 2007年アメリカグランプリ |
| 初勝利 | 2008年イタリアグランプリ |
| 2011年順位 | 1位 (392ポイント) |
| タイトル | 2 (2010,2011) |
| (記録は2011年最終戦ブラジルGP終了時) | |
セバスチャン・ベッテル[1](Sebastian Vettel、1987年7月3日 - )は、ドイツ・ヘッペンハイム出身のレーシングドライバー。2010年、2011年のF1ワールドチャンピオン。
史上最年少ワールドチャンピオン・史上最年少優勝をはじめ、F1において数々の最年少記録を樹立した。
目次 |
[編集] 初期の経歴
1995年にカートを始め、2002年までにドイツ・ジュニアカート選手権(2001年・2002年)、ヨーロッパICAジュニア選手権(2001年)などでチャンピオンタイトルを獲得した。
2003年にはドイツフォーミュラ・BMW選手権に、「ADAC ベルリン・ブランデンブルク」チームから参戦し、初年度は19戦中5勝でランキング2位。2年目となる2004年には20戦中18勝、ポールポジション14回、ファステストラップ13回、全戦表彰台という圧倒的な成績でチャンピオンとなった。
2005年にはF3ユーロシリーズに「ASL ミュッケ・モータースポーツ」チームから参戦し、総合ランキングで5位。ルーキーの中ではトップという上々の成績で終えたものの、この年の選手権はルイス・ハミルトンに完全に支配されたものであり、未勝利に終わった。 前年のフォーミュラ・BMWでの活躍により、9月27日にはF1のウィリアムズをテストする機会を与えられ、同チームのFW27をドライブした。その後BMWザウバーのテストにも参加している。
2006年も引き続きF3ユーロシリーズに参戦したが、7月半ばにイタリアのミサノで開催されたワールドシリーズ・バイ・ルノーに「カーリン・モータースポーツ」チームからスポット参戦し、開催された2レースともに優勝を飾った。第1レースでは首位と2位でゴールした選手にペナルティが課されたため、3位でチェッカーを受けたベッテルが繰り上がり優勝となった。第2レースはポール・トゥ・ウィンを飾っている[2]。
スパ・フランコルシャンで開催された次戦、雨の中行われた第1レースにおいて、オー・ルージュの頂上付近でクラッシュを喫し、その際に指の骨に達するほどの切傷を負った。幸い切断にはいたらなかったが、数週間はレースに出られなくなるものと思われる重傷であった。しかし、この負傷にも関わらず、翌週にはマスターズF3に出走し6位を記録している。
8月、BMWザウバーはサードドライバーのロバート・クビサをレギュラードライバーに昇格させたため、代わりのサードドライバー兼テストドライバーを探していた。BMWザウバーは当初よりベッテルを候補としていたが、ベッテルがレッドブルの契約ドライバーだったという事情もあり、BMWザウバーとレッドブルの間で交渉の結果、ベッテルはレッドブルからBMWザウバーへ2年契約で貸し出されることとなった[3]。 ベッテルは同チームのサードドライバーとして8月末の第14戦トルコGPから最終戦ブラジルGPまでの5戦で帯同し、金曜日のフリー走行に出走した。初走行となったトルコGPの金曜フリー走行でトップタイムを記録し注目を集めた[4]。
F3ユーロシリーズでは20戦中4勝をあげてランキング2位。ワールドシリーズ・バイ・ルノーでは3レースのみの参戦ながらランキング15位。同年にカーリン・モータースポーツから参戦した4人のドライバーの中では唯一優勝を記録した。
2007年は引き続きBMWザウバーのテストドライバーを務めるとともに、ワールドシリーズ・バイ・ルノーにシーズン途中まで参戦した。
[編集] F1
[編集] BMWザウバー時代
[編集] 2007年
2007年、第6戦カナダGPで大クラッシュしたロバート・クビサが、FIA医師団の判断により第7戦アメリカGPを欠場したため、代役として急遽F1に参戦することとなった。この19歳349日で参加したレースで8位に入賞し、ジェンソン・バトンの20歳67日を更新し、F1史上最年少入賞記録を樹立した。
[編集] トロ・ロッソ時代
[編集] 2007年
第8戦フランスGP以降はロバート・クビサが復帰したため出走できなかったが、デビュー戦での活躍が認められ、第11戦ハンガリーGPからスコット・スピードに代わり、トロ・ロッソのレギュラードライバーとして参戦することになった。トロ・ロッソ STR2は決して戦闘力の高いマシンではなかったが、富士スピードウェイで開催された第15戦日本GPの雨の予選では、マシン性能を考慮すると驚異的な9番グリッドを獲得し、さらに同じく雨の決勝では一時3位を走行するなど、その才能の片鱗を見せた。また、このレースでは3周にわたりラップリーダーを記録し、これは2003年第2戦マレーシアGPでのフェルナンド・アロンソの記録を更新する最年少ラップリーダー記録である。しかし、45周目に走行が困難なほどの豪雨の中で、セーフティカー先導中に前を走るマーク・ウェバーに追突してしまい、ウェバーとともにリタイアに終わった。日本GPと同じくウェットレースとなった次戦の第16戦中国GPでは前戦の汚名を返上する快走を見せ、自身とチームにとって最高位である4位を獲得した。
[編集] 2008年
2008年もトロ・ロッソから参戦。序盤は他車との接触などが目立ち、開幕戦オーストラリアGPから4戦連続リタイアと苦戦が続いたが、新車STR3が投入された雨の第6戦モナコGPでは5位入賞を果たした。その後の第9戦イギリスGPで、この年初めて予選Q3に進出して8位グリッドを獲得すると、これ以降の10戦中9戦で予選トップ10に入る活躍を見せた。
特筆すべきは、予選・決勝ともに大雨となった第14戦イタリアGPで、自身及びチーム(前身のミナルディ含む)にとって初のポールポジションを獲得。決勝レースでも2位以下が雨により混戦を繰り広げる中、安定したドライビングで首位を堅持し、ポール・トゥ・ウィンで自身初優勝を果たすとともに、トロ・ロッソに初優勝をもたらした。このレースでは、21歳72日でF1史上最年少ポールポジション、21歳73日で最年少優勝・最年少表彰台・最年少ポール・トゥ・ウィンを記録した。さらに「初表彰台が初優勝」となるのは1979年第8戦フランスGPでのジャン=ピエール・ジャブイーユ以来であり、記録づくめの歴史的な勝利となった。
[編集] レッドブル時代
[編集] 2009年
この年からレッドブルへ移籍。チームメイトはマーク・ウェバー。
開幕戦オーストラリアGPでは予選3位を獲得。決勝では2位を走行していたが、終盤にオーバーテイクを仕掛けてきたロバート・クビサと接触し、そのダメージから直後にクラッシュを喫しマシンを大破。完走扱いで13位に終わった。この接触の責任を問われ、次戦10グリッド降格ペナルティが科せられた上に、損壊したマシンで走行を続けたことが危険走行とみなされ罰金も科せられた。第2戦マレーシアGPでは大雨の中、レース終盤でスピンを喫してエンジンストールを起こし、マシンを止めて完走扱いで15位に終わった。
開幕から2戦連続で自身のミスにより無得点と苦戦が続いていたが、第3戦中国GPでは、前年のイタリアGP以来となる自身2度目のポールトゥウィンを再び雨のレースで達成すると共に、レッドブルに初勝利をもたらした。
第7戦トルコGPではポールポジションを獲得。決勝では1周目にコースオフしてジェンソン・バトンに抜かれたため作戦を変更したが、これが裏目に出て3位でレースを終えた。第8戦イギリスGPでは予選Q3に進出した車の中で最も重い燃料を搭載しながらも、2戦連続となるポールポジションを奪取。決勝では2位以下につけ入る隙を与えずに完勝。自身初のファステストラップも記録し、史上最年少(21歳353日)でハットトリックを達成した。
第15戦日本GPでは、土曜日に赤旗3回と荒れた予選の中、完璧な走りでポールポジションを獲得。決勝ではレースの終盤にセーフティカーが入ったが、順位を下げることなく終始安定した走りで今季3度目となるポール・トゥ・ウィンをあげた。最終戦アブダビGPでは序盤にルイス・ハミルトンからトップを奪い、そのまま独走して最終戦をファステストラップと勝利で締めくくった。
最終的にこの年は、4勝・4PP・3FLの活躍を見せ、ランキング2位でシーズンを終えた。
[編集] 2010年
2010年に投入されたRB6は競争力が非常に高く、シーズン開幕から2戦連続、第4戦中国GPでもポールポジションを獲得した。しかし決勝では結果につなげられず、いずれも表彰台すら逃すこととなった。第3戦マレーシアGPでは予選3番手からシーズン初優勝をあげた。
第7戦トルコGPでは2位走行中に、首位を走るチームメイトのウェバーを追い抜く際に接触。自身はリタイア、ウェバーも順位を落とし、タイトルを争うマクラーレンが1-2フィニッシュという結果となった。第9戦ヨーロッパGPでは中国GP以来となるポールポジションを獲得、決勝もSC解除直後に最終コーナーで膨らんだ以外は危なげのない走りで2勝目を飾った。第10戦イギリスGPではポールポジションを獲得したが、スタート直後にウェバーを押さえ込もうとしてコースアウト、さらにハミルトンとの接触により右リアタイヤをパンク、優勝争いから脱落した。第11戦ドイツGPでは復調してきたフェラーリのフェルナンド・アロンソと予選での激しい争いに僅差で競り勝ちポールポジションを獲得。しかし決勝ではスタートで出遅れて後続を押さえ込もうとしたがアロンソに先行を許し、予選3番手のフェリペ・マッサが首位に浮上。フェラーリ勢2台に先行を許し、3位でレースを終えた。第12戦ハンガリーGP予選ではから4戦連続となるPPを獲得。決勝レース序盤では安定した走りを見せていたが「SC出動中に前のマシンから10車身以上空けてはならない」というレギュレーションに違反したことでドライブスルーペナルティを受け、2戦連続で3位に終わった。第13戦ベルギーGPでは予選4番手から決勝でバトンと2位争いを繰り広げるも、16周目にマシンコントロールを失いバトンと接触、バトンをリタイアに追い込む結果となり2戦連続でドライブスルーペナルティを受けた。その後26周目にも同じ箇所でリウッツィと接触し左リアタイヤをバースト、無得点でレースを終えた。
第15戦シンガポールGPでは2位。大雨で予選が日曜に順延になった第16戦日本GPでは、2年連続のポールトゥウィンを飾った。第17戦韓国GPも雨のレースとなり、PPから首位を快走していたが46周目にエンジンブローでリタイア。残り2戦でランキングトップのアロンソに25ポイント差をつけられる結果となった。第18戦ブラジルGPと最終戦アブダビGPで2連勝。アロンソはアブダビGPで7位に終わり、ベッテルは最終戦でシーズン初めてポイントランキング首位に立つと同時に、自身初のワールドチャンピオンに輝いた。ルイス・ハミルトンが保持していた史上最年少ワールドチャンピオン記録「23歳300日」を、「23歳134日」に更新した。
[編集] 2011年
レッドブルはベッテルとの契約を2014年まで延長したことを発表[5]。開幕戦オーストラリアGPではポールポジションから優勝し、続くマレーシアGPでも同じくポールトゥウィンを記録した。中国GPでもポールポジションを記録したが、タイヤ戦略の違いでハミルトンに競り負け2位となった[6]。第4戦トルコGPではフリー走行1回目でクラッシュしたものの[7]、ポールポジション連続4戦記録し優勝。第5戦スペインGPで今期初めてフロントローに沈んだが、決勝では2位からピットストップでアロンソの前に出て首位に立ち、終盤ハミルトンに真後ろに迫られたが、そのままポジションを守り優勝した。第6戦モナコGPで2回のセーフティカー導入と1回の赤旗中断があったがポールトゥウィン。第7戦カナダGPもセーフティーカーが5回の出動や、豪雨により2時間のレース中断で首位を守っていたが、レース再開のファイナルラップのターン7でコースアウトし、真後ろにいたバトンに抜かれ、2位となった。
ヨーロッパに再び戻り、第8戦ヨーロッパGPでは予選と決勝との間でエンジンの設定を変更することが禁止されたが[8]、再びポールトゥウィン。第9戦イギリスGPでブロウンディフューザーのレギュレーション変更が行われたが[9]、ポールポジションからスタート。2回目のタイヤ交換で左リアの装着に時間がかかり、一旦首位から3位に落ち、終盤はチームオーダーを無視したウェバーに追い上げられたが[10]、1位アロンソに続く2位となった。第10戦ドイツGPでは予選3位からスタートしたが、序盤は真後ろにいたアロンソと抜きつ抜かれるのバトルをした後、9周目のターン10でコースアウトし、中盤は一時5位まで落ちたが、4位となった。ウエットとドライが入り混じる第11戦ハンガリーGPではポールポジションからスタートした。ハミルトン、バトンに抜かれ2回目のピットストップで一時4位に落ちたが、アロンソを抜き3位に戻ったあとに小雨が降り出し首位のハミルトンがスピン。ベッテルは小雨の中をドライタイヤでコースに残り、1位バトンに続く2位となった。
3週間の夏休みを間に挟み、第11戦ベルギーGPではポールポジションからスタート。ニコ・ロズベルグに一旦抜かれるも、抜き返し首位をキープ。ハミルトンと小林可夢偉の接触によるセーフティカー出動時に、タイヤ交換に入りポジションを3位まで落した。レース再開後にウェバー、アロンソを抜き、首位に戻りそのまま優勝した。第15戦日本GPでは3位に終わるも、4戦を残して2年連続のワールドチャンピオンを決めた。第16戦韓国GPでは予選でハミルトンにポールポジションを譲ったが、一周目で首位に立ち優勝。韓国インターナショナルサーキットのコースレコードを更新した。初開催となる第17戦インドGPではポールポジション、ファステストラップ、優勝とハットトリックを達成した。第18戦アブダビGPではナイジェル・マンセルに並ぶ14回目のポールポジションを獲得したが、スタート直後にタイヤがバースト、ピットでサスペンションが破損していることが確認されそのままシーズン初のリタイアとなった。そして最終戦ブラジルGPで年間最多記録を更新する15回目のポールポジションを獲得した。しかしギアボックスにトラブルが発生、ショートシフト[11]を余儀なくされつつ序盤で稼いだリードを守ろうとするも、30周目でウェバーに抜かれ2番手に落ち2位フィニッシュとなった。この年のベッテルは優勝11回、入賞17回、2位に120以上の差をつける392ポイントを獲得するなど圧倒的な速さを見せた。
[編集] 家族と私生活
セバスチャンは自動車関連の仕事をしている父ノーベルト (Norbert) と、その妻で専業主婦の母ハイケ (Heike) の間に生まれた。ステファニー (Stephanie) とメラニー (Melanie) と言う二人の姉妹と、ファビアン (Fabian) と言う弟がいる4人兄弟である[12]。幼い頃から車に関わる父を見ており、また、母ハンナが献身的にセバスチャンのカート練習をサポートしたため、自身の今のキャリアがあると後に語っている。
2006年4月にセバスチャンは高校を卒業した。ドイツの高校は最後に高校卒業資格試験があり、これに合格できないと卒業ができない。成績は1.0から6.0の間の数字で付けられ、1.0から4.0までが合格(1.0が最高成績)、4.1以下は不合格である。高校卒業資格試験はF3レースの4日前だったが、セバスチャンは2.8と言うまずますの成績を取り、F3でも優勝した。この成績ならどこかの大学に行く事もできたが、ドライバーとしてのキャリアを選び大学には行っていない[13]。
2009年セバスチャンはボーデン湖のほとりに農場を買い、2010年3月にそこに家を建てて引っ越した。ボーデン湖はドイツとスイスとオーストリアの国境にもなっているが、セバスチャンの家はスイス側のノイムリ(Neumüli)と言う小さな町にある。ノイムリはケメンタル市の付近であり、ボーデン湖の南西[14]。
セバスチャンには長年交際している彼女がいるが、公私をはっきりと分けるスタイルを取っており、交際中の彼女をRed Bullのチームに紹介する事はしない。チームも彼のこのポリシーを尊重している。
2006年にセバスチャンがまだBMWのテストドライバーだった頃、イタリアのモンツァで行われたレースのパドックにハンナ・プラター (Hanna Prater) というガールフレンドを連れて来た事がある。セバスチャンとハンナが公の場に現れたのはこの時だけで、それ以来ハンナがサーキットに応援に来る事はない。しかしレース後のインタビューでセバスチャンが「いつも応援してくれるハンナとハンナの両親にありがとうと言いたい」とコメントしたり、休暇先でパパラッチに何度か写真を取られている[15]。
ハンナはドイツ人の父とイギリス人の母とのハーフで、セバスチャンよりも2学年年下。セバスチャンと同じくヘッペンハイムの高校で学び、その後バーデン=ヴュルテンベルク州内の大学でテキスタイルデザイナーになるための勉強をしている。大学はセバスチャンの農場から200kmの所である[16]。
[編集] エピソード
- カート時代の恩師ゲルハルト・ノアックは、かつてミハエル・シューマッハを指導した人物でもある[17]。ベッテルは少年時代からシューマッハと面識があり[18]、後継者として「ベイビー・シューミ」と呼ばれたこともある[19]。
- 自分に与えられたF1マシンに女性の名前を付けることで知られている。初優勝したトロ・ロッソ STR3には「Julie(ジュリー)」。レッドブル・RB5に「Kate(ケイト)」、2009年のオーストラリアGPで大破した後に新調したRB5には「Kate's Dirty Sister(ケイトのけがれた妹)」、ドイツGP以降は「Sexy Sadie(妖艶なセディ)」。RB6には「Luscious Liz(官能的なリズ)」と命名した[20][21]。Luscious LizがモナコGPで破損したのちに用意された車体には「Randy Mandy(淫乱なマンディ)」と名付けこのシャシーでタイトルを獲得した。翌2011年の車体RB7には「Kinky Kylie(変態カイリー)」と名付けた。なお、名前を付ける理由について、「マシンと密接な関係になることが重要なんだ。女性に対しては、男になるからね」と答えている[22]。
- ドライバーのシンボルであるヘルメットのデザインを頻繁に変更する(予選と決勝で変えたこともある)。2010年開幕時はレッドブル・エナジードリンクの缶をモチーフとし、成分表示やプルトップまで描き込んだ[23]。2011年イギリスGPでは世話になっているメカニック達の顔写真をデザインした[24]。
- 多くのドライバーがマネージャーを雇っている中、未だに雇っていない[25]。チームとの契約交渉は自分で行っている。2010年にチャンピオンとなってからもマネージャーを雇う予定はないことも地元ドイツメディアに明かした。
- キミ・ライコネンはベッテルを「F1で一番いいヤツだ。ほかのドライバーとは、ほとんど連絡を取っていない。ベッテルとは、ときどきバドミントンをするんだよ。とにかく彼は、あの中で一番いいヤツなんだよ[26]」と語っている。
- レースゲーム『グランツーリスモ5』にも登場し、同ゲームに登場するレッドブル・X2010のテストドライバーを務めており、また、2011年度日本グランプリでシーズンチャンピオンが決定した後、一定期間では同ゲームにベッテル版X2010を全員プレゼントした。
- BBCの自動車番組『トップ・ギア』第17シーズン3回目の放送で「Star in a Reasonably Priced Car」コーナーに出演。それまでF1ドライバー1位だったルーベンス・バリチェロの1分44秒3の記録をコンマ3秒上回る1分44秒0の最速記録を出した。
- イギリスの文化を好み、モンティ・パイソンや『リトル・ブリテン』のコメディ、ビートルズの音楽を楽しむ[27]。ビートルズの初盤レコードを4000ドル(35万円)以上で購入したこともある[28]。
[編集] 戦歴
[編集] F1での記録
[編集] 最年少記録
- 最年少入賞:19歳349日(2007年第7戦アメリカGP)
- 最年少ラップリーダー:20歳89日(2007年第15戦日本GP)
- 最年少ポールポジション:21歳72日(2008年第14戦イタリアGP)
- 最年少表彰台:21歳73日(2008年第14戦イタリアGP)
- 最年少優勝:21歳73日(2008年第14戦イタリアGP)
- 最年少ポールトゥウィン:21歳73日(2008年第14戦イタリアGP)
- 最年少ハットトリック:21歳353日(2009年8戦イギリスGP)
- 最年少ワールドチャンピオン:23歳134日(2010年第19戦アブダビGP)
- 最年少2年連続ワールドチャンピオン:24歳99日(2011年第15戦日本GP)
[編集] 最多記録
- 年間ポールポジション数:15回(2011年)
[編集] F1での年度別成績
| 年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | WDC | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007年 | BMWザウバー | F1.07 | AUS | MAL | BHR | ESP | MON | CAN | USA 8 |
FRA | GBR | EUR | 14位 | 6 | ||||||||||
| トロ・ロッソ | STR2 | HUN 16 |
TUR 19 |
ITA 18 |
BEL Ret |
JPN Ret |
CHN 4 |
BRA Ret |
||||||||||||||||
| 2008年 | STR2B | AUS Ret |
MAL Ret |
BHR Ret |
ESP Ret |
TUR 17 |
8位 | 35 | ||||||||||||||||
| STR3 | MON 5 |
CAN 8 |
FRA 12 |
GBR Ret |
GER 8 |
HUN Ret |
EUR 6 |
BEL 5 |
ITA 1 |
SIN 5 |
JPN 6 |
CHN 9 |
BRA 4 |
|||||||||||
| 2009年 | レッドブル | RB5 | AUS 13 |
MAL 15 |
CHN 1 |
BHR 2 |
ESP 4 |
MON Ret |
TUR 3 |
GBR 1 |
GER 2 |
HUN Ret |
EUR Ret |
BEL 3 |
ITA 8 |
SIN 4 |
JPN 1 |
BRA 4 |
ABU 1 |
2位 | 84 | |||
| 2010年 | RB6 | BHR 4 |
AUS Ret |
MAL 1 |
CHN 6 |
ESP 3 |
MON 2 |
TUR Ret |
CAN 4 |
EUR 1 |
GBR 7 |
GER 3 |
HUN 3 |
BEL 15 |
ITA 4 |
SIN 2 |
JPN 1 |
KOR Ret |
BRA 1 |
ABU 1 |
1位 | 256 | ||
| 2011年 | RB7 | AUS 1 |
MAL 1 |
CHN 2 |
TUR 1 |
ESP 1 |
MON 1 |
CAN 2 |
EUR 1 |
GBR 2 |
GER 4 |
HUN 2 |
BEL 1 |
ITA 1 |
SIN 1 |
JPN 3 |
KOR 1 |
IND 1 |
ABU Ret |
BRA 2 |
1位 | 392 | ||
| 2012年 | RB8 | AUS - |
MAL - |
CHN - |
BHR - |
ESP - |
MON - |
CAN - |
EUR - |
GBR - |
GER - |
HUN - |
BEL - |
ITA - |
SIN - |
JPN - |
KOR - |
IND - |
ABU - |
USA - |
BRA - |
-位 | - |
[編集] 脚注
- ^ これは英語読みに近い発音だが、母国ドイツ語では「ゼバスティアン・フェッテル(フェテル)」がより近い発音となる。F1の公式放映権を持つフジテレビは、英語読みを採用している。
- ^ ワールドシリーズ・バイ・ルノー公式サイト:2006年 ミサノ・第1レース公式結果ワールドシリーズ・バイ・ルノー公式サイト:2006年 ミサノ・第2レース公式結果
- ^ Autosport.com 2006年10月6日
- ^ Autosport.com 2006年8月25日
- ^ “セバスチャン・ベッテルとの契約延長をレッドブルが発表” (日本語). F1トップニュース. (2011年3月14日) 2011年9月7日閲覧。
- ^ “セバスチャン・ベッテル「2ストップがうまくいかなかった」” (日本語). F1トップニュース. (2011年4月17日) 2011年9月7日閲覧。
- ^ “セバスチャン・ベッテル「チームのみんなには申し訳なく思っている」” (日本語). F1トップニュース. (2011年5月7日) 2011年9月7日閲覧。
- ^ “レッドブル大打撃? F1ヨーロッパGPでエンジン設定ルールが変更” (日本語). F1トップニュース. (2011年6月23日) 2011年9月7日閲覧。
- ^ “ブロウン・ディフューザー、F1イギリスGPからの禁止が決定” (日本語). F1-Gate.com. (2011年6月17日) 2011年9月7日閲覧。
- ^ “マーク・ウェバー「チームオーダーは無視した」” (日本語). F1トップニュース. (2011年7月11日) 2011年9月7日閲覧。
- ^ エンジンの回転数をあげずにシフトチェンジすること。このとき彼のマシンは2速と3速にトラブルを抱えていた
- ^ Spox 2011年7月20日版
- ^ Spiegel 2009年12月1日
- ^ Tagblatt 2009年3月11日版
- ^ Society24 2009年6月23日版
- ^ Galaのベッテル紹介ページ
- ^ ZEITGEIST MEDIA 『皇帝ミハエル・シューマッハの軌跡 - Danke,Schumi!』 原田京子訳、ブックマン社、2007年、63頁。
- ^ “対談:セバスチャン・ベッテル vs ミハエル・シューマッハ”. F1-Gate.com. (2009年7月23日) 2011年10月7日閲覧。
- ^ “ベッテル「シューマッハーは今もずっと上の存在」”. AUTO SPORT web. (2010年7月22日) 2011年10月7日閲覧。
- ^ F1-live.com 2009年6月7日
- ^ “Vettel names 2010 car 'Luscious Liz'” (英語). News (Motorsport.com). (2010年3月8日) 2010年11月16日閲覧。
- ^ “ベッテルのマシンに刻まれた“KATE'S DIRTY SISTER”” (日本語). News (F1-Gate.com). (2009年4月20日) 2010年11月18日閲覧。
- ^ “セバスチャン・ベッテル ヘルメット(2010年)”. F1-Gate.com. (2010年2月10日) 2011--..閲覧。
- ^ “セバスチャン・ベッテル、F1イギリスGP特別ヘルメット”. F1 Gate.com. (2010年7月9日) 2011年10月7日閲覧。
- ^ “セバスチャン・ベッテル、マネージャーを雇う予定はなし” (日本語). F1への入り口 (F1-Gate.com). (2010年3月11日) 2010年11月16日閲覧。
- ^ “キミ・ライコネン、ベッテルはF1で「一番いいヤツ」” (日本語). F1Live速報ニュース2010-2011 (F1TopNews.JP). (2010年8月25日) 2010年11月16日閲覧。
- ^ “セバスチャン・ベッテル”. ESPN F1 2011年10月7日閲覧。
- ^ “セバスチャン・ベッテル、ビートルズのレコードを4000ドルで購入”. F1-Gate.com. (2009年10月14日) 2011年10月7日閲覧。
[編集] 外部リンク
| スポーツのタイトル | ||
|---|---|---|
| 先代: ジェンソン・バトン |
F1ドライバーズチャンピオン 2010年-2011年 |
次代: - |
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|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 3 | 5 | 7 | 9 | |||||||||
| 2 | 4 | 6 | 8 | 10 | |||||||||
| 11 | 14 | 16 | 18 | 20 | |||||||||
| 12 | 15 | 17 | 19 | 21 | |||||||||
| 22 | 24 | ||||||||||||
| 23 | TBA | 25 | |||||||||||
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