スパ・フランコルシャン
座標: 北緯50度26分14秒 東経5度58分17秒 / 北緯50.43722度 東経5.97139度
| 所在地 | Francorchamps, Spa, Belgium |
|---|---|
| 標準時 | GMT +1 (DST: GMT +2) |
| 主なイベント | FIA フォーミュラ1 ベルギーグランプリ WEC スパ6時間レース スパ24時間レース, スパ1000km, DTM |
| Modern Circuit (1979–present) | |
| コース長 | 7.004 km (4.352 マイル) |
| コーナー数 | 21 |
| レコードタイム | 1:45.108 ( |
| Old Circuit (1946–1978) | |
| コース長 | 14.1 km (8.761 マイル) |
| コーナー数 | 21 |
| レコードタイム | 3:13.4 ( |
| Original pre-War Circuit (1924–1939) | |
| コース長 | 14.9 km (9.31 マイル) |
| コーナー数 | 25 |
| レコードタイム | 5:04.1 ( |
シルキュイ・ド・スパ=フランコルシャン(Circuit de Spa-Francorchamps)は、ベルギーにあるサーキット。スパとフランコルシャンにまたがっていることから、この名称が名付けられている。現行のF1使用サーキットで、他のコースが長くても全長5km台であるのに対して、このコースは7.004kmと図抜けて長い。
目次 |
[編集] 概要
ベルギーの首都ブリュッセルの東南東、ドイツとの国境に近いアルデンヌの森に位置する。高低差104m[1]という激しいアップダウンの間に難易度の高い高速コーナーが連続しており、コースに対し高い評価を与えるドライバーは多い。
1924年に第一回のスパ24時間レースが開催される。ヨーロッパグランプリは1925年に開催。F1ベルギーGPを始めとする各種の大きなイベントが開催される。1990年まで2輪のロードレース世界選手権 (WGP) のベルギーGPも開催された。
レースが開催されるようになった当時は全長14km以上ある長い公道コースだったが、スピードが出過ぎるために開催を中止しコースを改修。公道区間の一部(スタブロー - ラ・スルス - レ・コーム間)を残し、レース専用区間(レ・コーム - スタブロー間)でつなぐ形として、1978年に現在のコースの原型が造られた。現在は常にレースが開催できるように公道部分にバイパスが作られ、完全なレース専用のクローズドサーキットである。
1985年には再舗装工事の遅れにより路面が剥がれ、ドライバーの訴えによりベルギーGP開催が延期されるという騒動があった[2]。
2003年にはEU圏のたばこ広告禁止により、F1が開催中止となったが、2004年には復活を果たし、その際、バスストップシケインが改修された。2006年はピットレーン周辺の問題からF1が開催されなかったが、バスストップシケインとピットレーン施設を改修した2007年に再開された。
2008年のグランプリウィークには、同年他界したベルギー出身のレーサーで自動車ジャーナリスト、ポール・フレールの功績を称えてStavelotがPaul Frère Cornerと改名され、コース脇に記念碑が建てられた。
[編集] スパ・ウェザー
サーキットが山の中にあり、またコース長が長いことから、天候が目まぐるしく変わったり、雨の降っている地点と降っていない地点が混在することがある。この天候はスパ・ウェザーと呼ばれ、レース展開を左右する要素のひとつでもある。
1992年には、ベネトン・フォードのミハエル・シューマッハがこの雨による混乱の中、絶妙のタイミングでタイヤ交換戦略を成功させ、当時最強のウィリアムズ勢を逆転してのF1初優勝を果たしている。さらに、1995年には、雨により予選16位に沈んだシューマッハが、同じく雨により混乱したレースを大逆転で制している。
1998年の決勝は降雨の中、スタート直後の多重クラッシュで幕を開け、完走わずか8台のサバイバルレースとなった。まずはスタート後の1コーナーからオー・ルージュに向かうストレートでマクラーレンのデビッド・クルサードが突如スピンした(フェラーリのエディ・アーバインが接触した説もあり)ことを皮切りに多重クラッシュが起こり、水煙の中13台のマシンがストップした。このクラッシュで大きなけが人は出なかったがレースは中断し、約1時間後に再スタートした。しかし、水煙で視界不良のコンディションは変わらず、あちこちで接触やスピンが起きた。フェラーリのミハエル・シューマッハはトップを走行していたが、周回遅れのクルサードへ追突してリタイヤした。この事故後、スタッフの制止を振り切ってシューマッハはマクラーレンのピットに訪れクルサードに「私を殺すつもりか」と激しく抗議した。結局、クルサードがブレーキを掛けていないことがデータに記録されていたため、FIA(国際自動車連盟)審議委員会はクルサードにペナルティを下さなかった。レース結果は、2位を走っていたデイモン・ヒルが、ラルフ・シューマッハとの1-2フィニッシュでジョーダンに初優勝をもたらしている。
シューマッハの不注意としてこの事故の話題は収束していたが、2003年ヨーロッパGPでデビッド・クルサードがフェルナンド・アロンソにブレーキテストを行われリタイヤした。レース後、クルサードはアロンソのドライビングの危険性を訴えたが、その際、1998年のスパでのシューマッハとの事故について、経験と知識が足りなかったために、激しい水しぶきの中でシューマッハの目前でアクセルを戻したことを明らかにし[3]、スパの事故での自らの非を告白した。
[編集] コース概要
F1用コントロールラインを過ぎるとすぐに訪れるのが右ヘアピンラ・スルス (La Source) 。コントロールラインからコーナーまでの距離が短く、右に鋭角に切れ込むヘアピン状のコーナーであるため、決勝スタート直後に度々ここでクラッシュが起こる。以前はコーナーの立ち上がりのアウト側に縁石があったが、ナイジェル・マンセルがさらにその外側を走るラインを見つけた。その後ほとんどのドライバーが彼のラインをトレースするようになったためその縁石は取り除かれたが、2007年の改修により再び縁石が設けられた。以前の縁石の配置ではコース外に出ても縁石を踏まずにコースに復帰できたが、2007年の改修ではコースに復帰するためには必ず縁石を越えなくてはならないように縁石を配置したため、コースをはみ出して大回りすることはタイムロスにしかならないようになった(しかし、コーナー形状は変わらず減速・渋滞・接触の頻度も変わらないため、最初から外に出たほうが内側での接触などを回避でき得をする場面が多く見られる)。
これを過ぎると、旧ピット施設があった坂を駆け下り、そこから左、右、左と上りながら小刻みに曲がる世界のサーキット屈指の名物セクションオー・ルージュ (Eau Rouge) - ラディオン (Raidillon) の区間となる。300km/h近いスピードで駆け抜けるこのセクションは、地面方向に強い縦Gがのしかかる。ドライバー視点からは壁のように見えるといい、現在世界中に存在するサーキットの中で、最も度胸が試されるコーナーのひとつと言われている。1985年には世界耐久選手権 (WEC) のスパ1000kmで、ステファン・ベロフがウォールに激突して死亡。1994年はアイルトン・セナの事故死などF1の安全性が問われ、オー・ルージュの前にタイヤバリアを積んだシケインが仮設された。これは不評だったため、翌年からランオフエリアを広げることで元の形に戻された。なお、オー・ルージュとはコーナーの下を流れる川の名で、フランス語で「赤い水」を意味する。日本の温泉地にも時折見られるもので、川の水に鉄分を多く含み、赤く見えることに関係している。
オー・ルージュの出口にある左コーナー、ラディオンを越えると、上り坂のケメル・ストレート (Kemmel) に入る。長いストレートである事と、オー・ルージュの抜け方によって最高速度が大きく変わる事から、オーバーテイクが頻繁に行われる。2000年、ここでミカ・ハッキネンが周回遅れのリカルド・ゾンタを挟んでシューマッハをオーバーテイクしたことがある。このシーンは各メディアで「20世紀最高のオーバーテイク」と言われるほどスリリングで驚異的なものであった。オー・ルージュの抜け方がこのサーキットを攻略するポイントでもあり、追われる側にとってはオー・ルージュさえ速く抜けられれば、多少トップスピードが伸びないマシンでもケメル・ストレートで抜かれることなく抑えることができる。ただし、エンジンがV8になってからは、オー・ルージュはアクセル踏み切りでクリアできるコーナーになっている[4]。
ストレートエンドのレ・コーム (Les Combes) - マルメディ(Malmedy)付近がコースの最高地点となり、これを超えると下りのコースが続く。ヘアピンのリバージュ(Rivage)を回り込み、2連高速コーナーのプーオン (Pouhon) 、S字のレ・ファーニュ (Les Fagnes) を流れるように通過し、ポール・フレール・コーナー (Paul Frère Corner) で減速する。
続くストレートの後に超高速左コーナーブランシモン (Blanchimont) が待っている。ここはヨーロッパのサーキットの中で最も通過速度が高く、オー・ルージュと並んで度胸の試されるコーナーである。鈴鹿サーキットの130R同様、ここをスロットル全開で抜けられるマシンセッティングになっていなければ、スパで良いラップタイムは作れない。1992年にリジェのエリック・コマスが予選中に大クラッシュした他、2001年にはルチアーノ・ブルティとエディ・アーバインがここで接触し高速でタイヤバリアに激突、赤旗中断となる事故が起こった。
ブランシモンを抜けると、最終セクションのバスストップ・シケインで急減速する。ポール・フレールからここまで全開で走行してくるため、ここもオーバーテイクポイントとなる。かつてはバス停のように、本線から別れてまた合流するような形状の連続シケインだったが、エスケープロードとピット入口が重なって危険なため、2004年にコース内側を造成してエントリー部分が改修された。しかし、ブレーキング勝負がしにくくなったことから、2007年以降はストレートを延長し、最後にタイトなシケインを置く形に再変更された。このシケインを抜けると、ラ・スルスへ続く短いストレートに出る。
このようにテクニカルなコーナーの連続でサーキットが構成されており、マシン性能が優劣を決めやすい通常の高速サーキットとは一線を画した、ドライバーの実力を問うドライバーズサーキットとして世界に名を馳せている。
[編集] 過去のコースレイアウト
[編集] 脚注
- ^ “グランツーリスモ5 製品情報”. グランツーリスモ・ドットコム. 2012年1月3日閲覧。
- ^ Martin Williamson / Me (2010年9月22日). “特集:幻のレース”. ESPN F1
- ^ “Coulthard issues stark warning” (英語). BBC NEWS (2003年7月6日). 2009年6月29日閲覧。
- ^ “トヨタF1:パスカル・バセロン(ベルギーGPプレビュー)”. F1-Gate.com. (2008年9月3日) 2012年1月4日閲覧。
[編集] 関連項目
- モータースポーツ
- サーキットの一覧
- F1サーキットの一覧
- Grand Prix Legends(旧レイアウトが収録されているPCゲーム)
- アーチー・スコット=ブラウン
[編集] 外部リンク
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