ニック・ハイドフェルド

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ニック・ラース・ハイドフェルド
Nick Heidfeld 20110220 Catalunya.jpg
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
出身地 同・メンヒェングラートバッハ
生年月日 1977年5月10日(37歳)
F1での経歴
活動時期 2000-2011
過去の所属チーム '00 プロスト
'01-'03, '10 ザウバー
'04 ジョーダン
'05 ウィリアムズ
'06-'09 BMWザウバー
'11 ロータス・ルノー
出走回数 185
優勝回数 0
通算獲得ポイント 259
表彰台(3位以内)回数 13
ポールポジション 1
ファステストラップ 2
初戦 2000年オーストラリアGP
最終戦 2011年ハンガリーGP
タイトル 0
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ニック・ラース・ハイドフェルドNick Lars Heidfeld1977年5月10日 - )はドイツメンヒェングラートバッハ生まれのレーシングドライバー。日本では「ハイドフェルド」と表記されることが多いが、ドイツ語の発音では「(ラルス・)ハイトフェルト」に近い音となる。

F1ドライバーで、2000年から2011年までF1に参戦していた。元ドイツF3ドライバーのSven Heidfeldは実の弟。

プロフィール[編集]

ドイツ国内のカート選手権でチャンピオンを獲得するなど活躍した後、1994年にドイツFF1600フォーミュラにステップアップ、1996年にドイツF3に参戦を果たし2年目となる1997年にタイトルを獲得した。1998年国際F3000へ。初年度ながらファン・パブロ・モントーヤとタイトル争いを演じる。が、最終戦で燃料規定違反が発覚し、ペナルティを受け最後尾スタートとなる。これでチャンピオンを逃しシリーズ2位で終わる。

1999年マクラーレンのテストドライバーを務める傍ら、引き続き国際F3000に参戦。4勝を挙げチャンピオン獲得、冷静なレース運びから「コンピューター・キッド」、「クイック・ニック」と称される。 この年にはメルセデスのワークスドライバーとしてル・マン24時間レースにも参戦したが、メルセデスベンツ・CLRが宙を飛ぶ事故を三度も起こしたことによりチームの判断で全車リタイアとなった。

2000年から2011年までF1に参戦。

2012年以降はF1を離れ、世界耐久選手権(WEC)にレベリオン・レーシングから参戦。その他2013年にはアメリカン・ル・マン・シリーズに、2014年はフォーミュラEにも参戦している。

F1での経歴[編集]

2000年(プロスト時代)[編集]

2000年よりメルセデスの契約下、プロスト・グランプリからF1デビューを果たす。メルセデスの秘蔵っ子として期待されたがプロストはチームの混迷期にありハイドフェルドはチームメイト同士の接触など精彩を欠き、実力を発揮する事ができず、無得点に終わった。 同時期にデビューした同じく期待の新人だったジェンソン・バトンに話題をさらわれる形となった。

2001年 - 2003年(ザウバー時代)[編集]

2001年にハイドフェルドはザウバーへ移籍した。移籍直度の開幕戦オーストラリアGPから入賞を果たし、第3戦ブラジルGPには初の表彰台を獲得するなど、チームメイトである新人のキミ・ライコネンより多いポイントを獲得する。ミカ・ハッキネン離脱により空席となったマクラーレンのシートにメルセデス契約下にあったハイドフェルドも候補として上がっていた。しかし、最終的にはマクラーレンのシートをライコネンが獲得することとなり、ハイドフェルド本人は大きな失望を味わうことになった。

ライコネン移籍に伴い、2002年には新人のフェリペ・マッサと組む。4回の入賞を果たしマッサよりも戦績では上回るものの、得たポイントは7ポイントと前年より下回った。2003年もザウバーに残留した。ベテランのハインツ=ハラルト・フレンツェンと組んだ。レギュレーションでポイント制が8位までと広がった為、辛うじて3回の入賞を果たすも、フレンツェンの戦績には及ばなかった。又、ポテンシャルの低いマシンに手を焼いた。

2004年(ジョーダン)[編集]

2004年ジョーダンへ移籍。チームは末期的な状況で極端に戦闘力の低いマシンであったが、モナコGPで入賞。又、カナダGPでも入賞を果たした。

2005年(ウィリアムズ)[編集]

2005年アントニオ・ピッツォニアとのレギュラーシート争いを経て、ウィリアムズへ移籍した。チームメイトにはラルフ・シューマッハの後任として加入したマーク・ウェバーとコンビを組むこととなった。第2戦マレーシアGPで自身2度目の表彰台(3位)、第6戦モナコGPで自己最高位の2位、第7戦ヨーロッパGPでも初のポールポジション獲得からの2位と活躍を見せ、開幕前はセカンドドライバー的な見方が多かったが、ウェバーに対して互角以上の成績を残した。イタリアGP前のモンツァ・テストでのクラッシュの影響により、イタリアGP・ベルギーGPを欠場し、復帰を目指したトレーニング中に再度負傷してしまい、結局ブラジルGP以降の残り3戦全てを欠場することとなり、ウィリアムズの戦闘力低下と相俟って「尻すぼみ」の印象を与えることとなった(しかし、この負傷についてはウィリアムズからBMWの新チームへ移籍するためにBMWと謀ったのではと噂が絶えなかった)。余談だが、ウィリアムズ離脱後のハイドフェルドの後任には開幕前にシート争いを演じたピッツォニアが収まった。

2006年 - 2009年(BMWザウバー時代)[編集]

2006年のF1世界選手権よりドイツの自動車でありF1に精力的にエンジン供給などを行ってきたBMWが中堅コンストラクターであるザウバーを買収し、BMWザウバーとして参戦する。この参戦に伴いBMWがウィリアムズからオプション権を買い取り、ドイツ人でありBMWのサポートを受けているハイドフェルドはBMWザウバーのエースドライバーとしてレギュラー参戦することとなった。初めの12戦を元チャンピオンジャック・ヴィルヌーヴ、終盤の6戦を期待のルーキーロバート・クビサとともに戦い、2人を上回る戦績とパフォーマンスを示した。

2007年もクビサと共にBMWザウバーから参戦。車の安定性やマクラーレンのスパイ事件にも助けられ、コンストラクターズランキングではフェラーリに次ぐ2位の獲得に貢献し、ドライバーズランキングでは6位のクビサに22ポイントの差をつけ、61ポイントを獲得し自己最高位の5位につけた。

2008年も引き続きクビサとのコンビでBMWザウバーより参戦する。シーズン序盤は前年の快進撃から一転、クビサの後塵を拝するレースが目立つ結果となった。主な原因として2008年仕様のブリヂストンタイヤの特性への対応に苦慮したこと、特に予選でタイヤを適正温度に加熱する事に非常に苦労していたことが挙げられる[1]。その一方で第15戦シンガポールGPでは6位完走で、前年の第8戦フランスGP以来25連続完走を果たし、ミハエル・シューマッハ の24連続完走という歴代1位の記録を更新した。また、この年出走したドライバーの中で唯一全戦完走を達成した。年間決勝全戦完走はF1史上7人目の達成者となる。

2009年もBMWザウバーから参戦。KERSを搭載したマシンで臨んだ開幕戦オーストラリアGPだったが、決勝レースのスタート直後に他車と接触、終始後方でのレースとなり完走こそ果たしたものの無得点に終わった。足掛け3年にわたり更新し続けた連続完走記録は第13戦イタリアGPまで続き、第14戦シンガポールGPでスピンしたエイドリアン・スーティルに接触されてリタイアを余儀なくされ、連続完走記録は41で止まった。 BMW撤退のためレースシートを失う事が確定していたが、今期のハイドフェルドは2位表彰台1回を含む6回の入賞で19ポイントを獲得。これはクビサより上回る戦績でもあったことから、幾つかチームからのオファーも考えられていた為、ハイドフェルド本人はシーズン終了後の去就を楽観視していた。

2010年[編集]

BMWザウバーの撤退に伴い、ハイドフェルドはマクラーレンなどのいくつかのチームと交渉するも、どのチームも合意には至らなかった。このシーズンより参戦したメルセデスがドイツ人ドライバーを欲していた為にハイドフェルドが移籍することが濃厚でもあったが、ミハエル・シューマッハのF1復帰という不測の事態もあってシーズン開幕直前の2010年2月4日にメルセデスのテスト・リザーブドライバーとしての契約を結び、レギュラードライバーから退く事になってしまった[2]。しかし、メルセデスはレギュラードライバーの経験向上を念頭とした為に、結局はメルセデスに在籍中に一度もハイドフェルドに対してテスト走行の機会を与えられる事はなかった。

その後、10年近いF1でのキャリアを買われ2011年のF1世界選手権よりタイヤサプライヤーとなるピレリのテストドライバーに就任することとなった[3]。尚、メルセデスとの契約は2010年8月に解除された。

ハイドフェルドはピレリにおいてのタイヤテストを8月から9月16日にかけて数回行ったが、2010年9月14日、古巣BMWザウバーのレギュラードライバーにペドロ・デ・ラ・ロサの後任として9月17日より就任し、第15戦シンガポールGPからレース復帰することが発表された[4]。それに伴いピレリのテストドライバーの座をロマン・グロージャンに譲り降板することとなった。日本GPでは、復帰後初の8位入賞を果たした。その後の韓国GPでも入賞したが、ザウバーは来シーズンハイドフェルドに代わり、多額のスポンサー料を持ち込んだとされるメキシコ人のセルジオ・ペレスを起用したため、再びレースシートを失うこととなった。

ヘレスでテストを行うハイドフェルド(2011年2月12日)

2011年[編集]

ハイドフェルドの去就に関して先行き不透明であったが、2011年2月6日にロータス・ルノーGPのクビサがラリー事故により骨折する重傷となった為、クビサの容態が開幕戦バーレーンGPまでに完治して復帰できなかった場合を踏まえ、ロータス・ルノーGPは2月9日に同チームのテスト兼リザーブドライバーを務めるブルーノ・セナらと共にハイドフェルドもスペインヘレスで行われる合同テストに参加することを発表した[5]。2月12日、この日初めて駆るルノー・R31を86周走行し、全ドライバーの中で最速タイムを記録し[6]、テスト後の16日にはクビサの復帰までロータス・ルノーGPに加入することが発表された[7]

第2戦マレーシアGPでは3位表彰台を獲得するが、その後はチームメイトのヴィタリー・ペトロフと大差ない成績に終始し、第12戦ベルギーGPにはリザーブドライバーであるブルーノ・セナにシートを奪われた。チーム代表のエリック・ブーリエは、ハイドフェルドが期待したほどの速さを発揮せず、クビサに代わってチームをリードする能力を持っていなかったためにドライバーを変更した、と述べている[8]。なお、このドライバー交代に関して、資金面で苦しいチームが、それを打開するために新たなスポンサーが期待できるセナを起用したとの見方もある[8][9]

ハイドフェルドは契約の有効性を主張し、ロンドン高等法院にドライバー交代の差し止め命令を求める訴えを見せた[8]が、9月3日に訴訟を撤回し、チーム側との和解とチームからの離脱を発表した[10]

エピソード[編集]

  • 2003年にザウバーでチームメイトとなったハインツ=ハラルド・フレンツェンとは出身地(ドイツのメンヒェングラートバッハ)が同じである。
  • 2005年7月にはガールフレンドのパトリシア(2008年に正式に結婚)との間に長女を、2007年7月には長男、2010年8月には次男をもうけた。
  • 2007年4月28日にはイベントでニュルブルクリンクの北コースをBMWザウバー・F1.06で3周走った。F1の車が北コースを走るのは実に31年ぶりであった。
  • 2010年のオーストラリアグランプリからグランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)の会長を務めていたが、ピレリタイヤの開発ドライバー就任(またそれに伴うメルセデス・グランプリからの離脱)の影響から、同年8月に会長を辞任。後任にはルーベンス・バリチェロが就いた。
  • 2011年4月10日のマレーシアGPにおいて自身最後となる13回目の表彰台を獲得し、ステファン・ヨハンソンの持つ未勝利最多表彰台記録を更新した。また彼がF1で獲得した通算259ポイントは、未勝利ドライバーとしては最も高い。

レース戦績[編集]

F1以前[編集]

  • 1994年 ドイツFormula Ford 1600参戦 チャンピオン
  • 1995年 ドイツFormula Ford 1800参戦 チャンピオン
  • 1996年 ドイツF3参戦チーム:(Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF396オペル)シリーズ3位.マルボーロマスターズF3参戦(チーム:Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF395オペル)総合3位.マカオF3参戦(チーム:Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF395オペル)総合6位 PPを獲得。
  • 1997年 ドイツF3(チーム:Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF397オペル)シリーズチャンピオン. マルボーロマスターズF3参戦(チーム:Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF395オペル)総合7位.マカオF3参戦(チーム:Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF395オペル)総合優勝 PP&FLを記録.F1テストドライバー,(マクラーレン(McLaren))公式テストドライバー
  • 1998年 国際F3000参戦(チーム:West Competiton)(マシン:ローラB98/50ザイテック)3勝,2PP,3FL シリーズ2位 .F1テストドライバー,(マクラーレン)公式テストドライバー
  • 1999年 国際F3000(チーム:West Competiton)(マシン:ローラB99/50ザイテック)4勝,4PP,6FL シリーズチャンピオン.ル・マン24時間耐久レース参戦(チーム:AMG Mercedes)(メルセデスCLR GT-1)事故により撤退。

国際F3000選手権[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
1998 ウェスト・コンペティション OSC
2
IMO
4
CAT
26
SIL
2
MON
1
PAU
3
A1R
7
HOC
1
HUN
1
SPA
4
PER
2
NÜR
9
2位 58
1999 ウェスト・コンペティション IMO
1
MON
7
CAT
1
MAG
1
SIL
3
A1R
1
HOC
Ret
HUN
2
SPA
4
NÜR
2
1位 59

F1[編集]

所属チーム 車番 ランキング 獲得ポイント 決勝最高位・回数 表彰台回数 予選最高位・回数 FL記録回数
2000年 プロスト 15 20位 0 8位・1回 0回 13位・2回 0回
2001年 ザウバー 16 8位 12 3位・1回 1回 6位・2回 0回
2002年 7 10位 7 4位・1回 0回 5位・1回 0回
2003年 9 14位 6 5位・1回 0回 4位・1回 0回
2004年 ジョーダン 18 18位 3 7位・1回 0回 13位・1回 0回
2005年 ウィリアムズ 8 11位 28 2位・2回 3回 1位・1回 0回
2006年 BMWザウバー 16 9位 23 3位・1回 1回 3位・1回 0回
2007年 9 5位 61 2位・1回 2回 2位・1回 0回
2008年 3 5位 60 2位・4回 4回 5位・3回 2回
2009年 6 13位 19 2位・1回 1回 3位・1回 0回
2010年 22 18位 6 8位・1回 0回 11位・1回 0回
2011年 ロータス・ルノーGP 9 11 位 34 3 位・1 回 1 回 6 位・1 回 0 回
所属チーム  シャシー  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 WDC ポイント
2000年 プロスト AP03 AUS
9
BRA
Ret
SMR
Ret
GBR
Ret
ESP
16
EUR
DNS
MON
8
CAN
Ret
FRA
12
AUT
Ret
GER
12
HUN
Ret
BEL
Ret
ITA
Ret
USA
9
JPN
Ret
MAL
Ret
NC (20位) 0
2001年 ザウバー C20 AUS
4
MAL
Ret
BRA
3
SMR
7
ESP
6
AUT
9
MON
Ret
CAN
Ret
EUR
Ret
FRA
6
GBR
6
GER
Ret
HUN
6
BEL
Ret
ITA
11
USA
6
JPN
9
8位 12
2002年 C21 AUS
Ret
MAL
5
BRA
Ret
SMR
10
ESP
4
AUT
Ret
MON
8
CAN
12
EUR
7
GBR
6
FRA
7
GER
6
HUN
9
BEL
10
ITA
10
USA
9
JPN
7
10位 7
2003年 C22 AUS
Ret
MAL
8
BRA
Ret
SMR
10
ESP
10
AUT
Ret
MON
11
CAN
Ret
EUR
8
FRA
13
GBR
17
GER
10
HUN
9
ITA
9
USA
5
JPN
9
14位 6
2004年 ジョーダン EJ14 AUS
Ret
MAL
Ret
BHR
15
SMR
Ret
ESP
Ret
MON
7
EUR
10
CAN
8
USA
Ret
FRA
16
GBR
15
GER
Ret
HUN
12
BEL
11
ITA
14
CHN
13
JPN
13
BRA
Ret
18位 3
2005年 ウィリアムズ FW27 AUS
Ret
MAL
3
BHR
Ret
SMR
6
ESP
10
MON
2
EUR
2
CAN
Ret
USA
DNS
FRA
14
GBR
12
GER
11
HUN
6
TUR
Ret
ITA
PO
BEL BRA JPN CHN 11位 28
2006年 BMWザウバー F1.06 BHR
12
MAL
Ret
AUS
4
SMR
13
EUR
10
ESP
8
MON
7
GBR
7
CAN
7
USA
Ret
FRA
8
GER
Ret
HUN
3
TUR
14
ITA
8
CHN
7
JPN
8
BRA
17
9位 23
2007年 F1.07 AUS
4
MAL
4
BHR
4
ESP
Ret
MON
6
CAN
2
USA
Ret
FRA
5
GBR
6
EUR
6
HUN
3
TUR
4
ITA
4
BEL
5
JPN
14
CHN
7
BRA
6
5位 61
2008年 F1.08 AUS
2
MAL
6
BHR
4
ESP
9
TUR
5
MON
14
CAN
2
FRA
13
GBR
2
GER
4
HUN
10
EUR
9
BEL
2
ITA
5
SIN
6
JPN
9
CHN
5
BRA
10
6位 60
2009年 F1.09 AUS
10
MAL
2
CHN
12
BHR
19
ESP
7
MON
11
TUR
11
GBR
15
GER
10
HUN
11
EUR
11
BEL
5
ITA
7
SIN
Ret
JPN
6
BRA
Ret
ABU
5
13位 19
2010年 ザウバー C29 BHR
AUS
MAL
CHN
ESP
MON
TUR
CAN
EUR
GBR
GER
HUN
BEL
ITA
SIN
Ret
JPN
8
KOR
9
BRA
17
ABU
11
18位 6
2011年 ロータス・ルノー R31 AUS
12
MAL
3
CHN
12
TUR
7
ESP
8
MON
8
CAN
Ret
EUR
10
GBR
8
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
ITA
SIN
JPN
KOR
IND
ABU
BRA
11位 34

WEC[編集]

所属チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
2012 レベリオン・レーシング ローラ・B12/60 LMP1 SEB
17
SPA
5
LMN
3
SIL
SAO
BHR
FUJ
SHA
14位 42.5
2013 レベリオン・レーシング ローラ・B12/60 LMP1 SIL
5
SPA
5
LMN
20
SÃO
3
COA
4
FUJ
SHA
BHR
8位 48
2014 レベリオン・レーシング ローラ・B12/60 LMP1-L SIL
4
4位 42
レベリオン・R-One SPA
7
LMN
4
COA
FSW
SHA
BHR
SÃO

ALMS[編集]

所属チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
2013 レベリオン・レーシング ローラ・B12/60 LMP1 SEB
3
LNB
2
MON
2
LIM
MOS
AME
BAL
CTA
VIR
PET
1
2位 82

フォーミュラE[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
2014-15 ヴェンチュリー CHN
13
MAL
URU
ARG
TBA
MIA
LBH
MON
GER
GBR
NC 0

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “ニック・ハイドフェルド、「予選の改善には多くのプロセスがある」”. F1 Gate.com. (2008年6月20日). http://f1-gate.com/heidfeld/f1_1102.html 2010年9月15日閲覧。 
  2. ^ “メルセデスGP、ニック・ハイドフェルドをリザーブ兼テストに起用”. F1 Gate.com. (2010年2月4日). http://f1-gate.com/mercedes-benz/f1_6401.html 2010年2月4日閲覧。 
  3. ^ “ニック・ハイドフェルド、ピレリの公式テストドライバーに就任”. F1 Gate.com. (2010年8月17日). http://f1-gate.com/heidfeld/f1_8779.html 2010年8月17日閲覧。 
  4. ^ “ザウバー、ニック・ハイドフェルドの起用を正式発表”. F1 Gate.com. (2010年9月14日). http://f1-gate.com/sauber/f1_9161.html 2010年9月15日閲覧。 
  5. ^ “ロータス・ルノーGP、ニック・ハイドフェルドをテスト”. F1-Gate.com. (2011年2月10日). http://f1-gate.com/renault/f1_10710.html 2011年2月15日閲覧。 
  6. ^ “F1ヘレステスト3日目:ニック・ハイドフェルドがトップタイム!”. F1-Gate.com. (2011年2月13日). http://f1-gate.com/result/f1_10764.html 2011年2月15日閲覧。 
  7. ^ “ニック・ハイドフェルド、ロバート・クビサの代役に決定”. F1-Gate.com. (2011年2月17日). http://f1-gate.com/heidfeld/f1_10822.html 2011年2月17日閲覧。 
  8. ^ a b c 『F1速報』2011年9月25日号 第12戦ベルギーGP、三栄書房、p.68
  9. ^ 『AUTO SPORT』No.1313、2011年9月8日号、三栄書房、pp.58 - 59
  10. ^ “ニック・ハイドフェルド、ロータス・ルノーGPの離脱に合意”. F1-Gate.com. (2011年9月3日). http://f1-gate.com/heidfeld/f1_12797.html 2011年9月7日閲覧。 

外部リンク[編集]