ニック・ハイドフェルド

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ニック・ハイドフェルド
F1での経歴
国籍 ドイツ
車番 3
所属チーム BMWザウバーF1
活動時期 2000 -
過去の所属チーム プロスト, ザウバー,
ジョーダン, ウィリアムズ
出走回数 155
優勝回数 0
通算獲得ポイント 204
表彰台(3位以内)回数 12
ポールポジション 1
ファステストラップ 2
F1デビュー戦 2000年オーストラリアGP
初勝利
2009年順位 7位 (4ポイント)
(記録は2008年第3戦終了時)
  

ニック・ラース・ハイドフェルドNick Lars Heidfeld1977年5月10日-)はドイツメンヒェングラットバッハ生まれのレーシングドライバー(2003年にザウバーでチームメイトとなったハインツ=ハラルド・フレンツェンも同じ出身地)。日本では「ハイドフェルド」と表記されることが多いが、ドイツ語の発音では「(ラルス・)ハイドフェルト」に近い音となる。

現役F1ドライバーで、2000年よりF1に参戦している。元ドイツF3ドライバーのSven・Heidfeldは実の弟。

目次

[編集] プロフィール

ドイツ国内のカート選手権でチャンピオンを獲得するなど活躍した後、1994年にドイツFF1600フォーミュラにステップアップ、1996年にドイツF3に参戦を果たし2年目となる1997年にタイトルを獲得した。1998年国際F3000へ。初年度ながらファン・パブロ・モントーヤとタイトル争いを演じる。が、最終戦で燃料規定違反が発覚し、ペナルティを受け最後尾スタートとなる。これでチャンピオンを逃しシリーズ2位で終わる。

1999年マクラーレンのテストドライバーを務める傍ら、引き続き国際F3000に参戦。4勝を挙げチャンピオン獲得、冷静なレース運びから「コンピューター・キッド」、「クイック・ニック」と称される。

[編集] F1での経歴

2000年メルセデスの契約下、プロスト・グランプリからF1デビュー。チームは混迷期にあり実力は発揮できず、無得点に終わる。 2001年ザウバーに移籍。開幕戦の入賞、第3戦での表彰台などチームメートのキミ・ライコネンより多いポイントを獲得するも、ミカ・ハッキネン離脱で空いたマクラーレンのシートにはハイドフェルドでなくライコネンが座ることになり、メルセデス契約下にあったハイドフェルド本人は大きな失望を味わうことになる。

ザウバーに残留した2002年はルーキーのフェリペ・マッサを相手に、チームメイトよりは上回るものの、得たポイントは前年より下回る。2003年も同チームに残留、ベテランのハインツ=ハラルト・フレンツェンと組み、ポテンシャルの低いマシンに手を焼く。

2004年ジョーダンへ移籍、伝統のモナコGPで入賞。

2005年アメリカGPにて

2005年アントニオ・ピッツォニアとのレギュラーシート争いを経て、ウィリアムズへ移籍し、母国の先輩のラルフ・シューマッハの後任として、マーク・ウェバーとコンビを組むこととなった。第2戦マレーシアGPで自身2度目の表彰台(3位)、第6戦モナコGPで自己最高位の2位、第7戦ヨーロッパGPでも初のポールポジション獲得からの2位と活躍を見せ、開幕前はセカンドドライバー的な見方が多かったが、ウェバーに対して互角以上の成績を残した。更なる活躍が期待されていた矢先、イタリアGP前のモンツァ・テストでのクラッシュの影響により、イタリアGP・ベルギーGPを欠場し、復帰を目指したトレーニング中に再度負傷してしまい、結局ブラジルGP以降の残り3戦全てを欠場することとなり、ウィリアムズの戦闘力低下と相俟って「尻すぼみ」の印象を与えることとなった。(しかし、この負傷についてはウィリアムズからBMWの新チームへ移籍するためにBMWと謀ったのではと噂が絶えなかった)

2006年からBMWがザウバーを買収して参戦することに伴い、BMWがウィリアムズからオプション権を買い取り、ドイツ人でありBMWのサポートを受けている彼はBMWザウバーのエースドライバーとしてレギュラー参戦することとなった。初めの12戦を元チャンピオンジャック・ヴィルヌーヴ、終盤の6戦を期待のルーキーロバート・クビサとともに戦い、2人を上回るポイントを獲得した。

2007年もロバート・クビサとタッグを組む。車の安定性やマクラーレンのスパイ事件にも助けられ、コンストラクターズランキングではフェラーリに次ぐ2位の獲得に貢献し、ドライバーズランキングでは6位のクビサに22ポイントの差をつけ、61ポイントを獲得し自己最高位の5位につけた。

2008年も引き続きクビサとのコンビでBMWザウバーより参戦。シーズン序盤は前年の快進撃から一転、クビサの後塵を拝するレースが目立つ結果となっている。主な原因として2008年仕様のBSタイヤとの不一致、特に予選でタイヤを適正温度に加熱する事に非常に苦労している等が挙げられる。その一方でシンガポールグランプリでは6位完走で昨年のフランスグランプリから25連続完走を果たし、ミハエル・シューマッハ2001年から足掛け3年にわたって記録した24連続完走の記録を更新した。また、この年出走したドライバーの中で唯一全戦完走を達成した。

2009年もBMWザウバーから参戦。KERSを搭載したマシンで臨んだ開幕戦オーストラリアGPだったが、決勝レースのスタート直後に他車と接触、終始後方からのレースとなり完走こそ果たしたものの無得点に終わった。第2戦マレーシアGPでは2位表彰台を獲得と同時に30戦連続完走も達成。さらに第7戦トルコグランプリで35戦連続完走も達成し、現在も記録更新中である。

[編集] エピソード

  • 2005年7月にはガールフレンドのパトリシア(2008年に正式に結婚)との間に長女を、2007年7月には長男を儲ける。
  • 2007年からは立派なあごひげを蓄えて参戦。
  • 2007年ヨーロッパGPの土曜日に長男のヨーダ(Joda)は誕生したのだが、「じゃあ、彼がひげを蓄えていたのはオビ=ワン・ケノービのつもりだったのか?」と、パドック内で茶化された(日本の一部F1雑誌でも、ユアン・マクレガー演じるオビ=ワン・ケノービに「そっくりさん」として掲載された)。どうも名付け親は妻のパトリシアらしく、ハイドフェルドは「パトリシアがその名前を思いついたんだけど、映画でその名前が使われていたなんて知らなかったし、特にその映画の大ファンでもない。ただ単にその名前が気に入ったんだよ」とコメントしている。誕生の知らせを聞いたハイドフェルドは、公式予選終了後に自宅のあるスイスまで戻り、日曜日にニュルブルクリンクに再び戻っている。ちなみに、娘のユニ(Juni)も2005年7月のフランスGPのレースウィークエンドに誕生している。

[編集] 経歴年表

  • 1994年 ドイツFormula Ford 1600参戦 チャンピオン
  • 1995年 ドイツFormula Ford 1800参戦 チャンピオン
  • 1996年 ドイツF3参戦チーム:(Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF396オペル)シリーズ3位.マルボーロマスターズF3参戦(チーム:Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF395オペル)総合3位.マカオF3参戦(チーム:Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF395オペル)総合6位 PPを獲得。
  • 1997年 ドイツF3(チーム:Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF397オペル)シリーズチャンピオン. マルボーロマスターズF3参戦(チーム:Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF395オペル)総合7位.マカオF3参戦(チーム:Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF395オペル)総合優勝 PP&FLを記録.F1テストドライバー,(マクラーレン(McLaren))公式テストドライバー
  • 1998年 国際F3000参戦(チーム:West Competiton)(マシン:ローラB98/50ザイテック)3勝,2PP,3FL シリーズ2位 .F1テストドライバー,(マクラーレン)公式テストドライバー
  • 1999年 国際F3000(チーム:West Competiton)(マシン:ローラB99/50ザイテック)4勝,4PP,6FL シリーズチャンピオン.ル・マン24時間耐久レース参戦(チーム:AMG Mercedes)(メルセデスCLR GT-1)事故により撤退。

[編集] F1での年度別成績

(2009年第2戦終了時)

所属チーム 獲得ポイント ランキング 決勝最高位・回数 表彰台回数 *予選最高位・回数
2000年 プロスト 0 20位 8位・1回 0回 13位・2回
2001年 ザウバー 12 8位 3位・1回 1回 6位・2回
2002年 7 10位 4位・1回 0回 5位・1回
2003年 6 14位 5位・1回 0回 4位・1回
2004年 ジョーダン 3 18位 7位・1回 0回 13位・1回
2005年 ウィリアムズ 28 11位 2位・2回 3回 1位・1回
2006年 BMWザウバー 23 9位 3位・1回 1回 3位・1回
2007年 61 5位 2位・1回 2回 2位・1回
2008年 60 5位 2位・4回 4回 5位・3回
2009年 6 12位 2位・1回 1回 11位・3回

*予選順位はペナルティなどを反映した決勝グリッド

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 WDC ポイント
2000 プロスト AP03 AUS
9
BRA
Ret
SMR
Ret
GBR
Ret
ESP
16
EUR
DSQ
DNS
MON
8
CAN
Ret
FRA
12
AUT
Ret
GER
12
HUN
Ret
BEL
Ret
ITA
Ret
USA
9
JPN
Ret
MAL
Ret
20位 0
2001 ザウバー C20 AUS
4
MAL
Ret
BRA
3
SMR
7
ESP
6
AUT
9
MON
Ret
CAN
Ret
EUR
Ret
FRA
6
GBR
6
GER
Ret
HUN
6
BEL
Ret
ITA
11
USA
6
JPN
9
8位 12
2002 C21 AUS
Ret
MAL
5
BRA
Ret
SMR
10
ESP
4
AUT
Ret
MON
8
CAN
12
EUR
7
GBR
6
FRA
7
GER
6
HUN
9
BEL
10
ITA
10
USA
9
JPN
7
10位 7
2003 C22 AUS
Ret
MAL
8
BRA
Ret
SMR
10
ESP
10
AUT
Ret
MON
11
CAN
Ret
EUR
8
FRA
13
GBR
17
GER
10
HUN
9
ITA
9
USA
5
JPN
9
14位 6
2004 ジョーダン EJ14 AUS
Ret
MAL
Ret
BHR
15
SMR
Ret
ESP
Ret
MON
7
EUR
10
CAN
8
USA
Ret
FRA
16
GBR
15
GER
Ret
HUN
12
BEL
11
ITA
14
CHN
13
JPN
13
BRA
Ret
18位 3
2005 ウィリアムズ FW27 AUS
Ret
MAL
3
BHR
Ret
SMR
6
ESP
10
MON
2
EUR
2
CAN
Ret
USA
DNS
FRA
14
GBR
12
GER
11
HUN
6
TUR
Ret
ITA
INJ
BEL
INJ
BRA
INJ
JPN
INJ
CHN
INJ
11位 28
2006 BMWザウバー F1.06 BHR
12
MAL
Ret
AUS
4
SMR
13
EUR
10
ESP
8
MON
7
GBR
7
CAN
7
USA
Ret
FRA
8
GER
Ret
HUN
3
TUR
14
ITA
8
CHN
7
JPN
8
BRA
17
9位 23
2007 F1.07 AUS
4
MAL
4
BHR
4
ESP
Ret
MON
6
CAN
2
USA
Ret
FRA
5
GBR
6
EUR
6
HUN
3
TUR
4
ITA
4
BEL
5
JPN
14
CHN
7
BRA
6
5位 61
2008 F1.08 AUS
2
MAL
6
BHR
4
ESP
9
TUR
5
MON
14
CAN
2
FRA
13
GBR
2
GER
4
HUN
10
EUR
9
BEL
2
ITA
5
SIN
6
JPN
9
CHN
5
BRA
9
5位 60
2009 F1.09 AUS
10
MAL
2
CHN
12
BHR
19
ESP
7
MON
11
TUR
11
GBR
15
GER
10
HUN
-
EUR
-
BEL
-
ITA
-
SIN
-
JPN
-
BRA
-
ABU
-


12位 6

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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