ルノーF1
| エントリー名 | Lotus Renault GP (2011) Renault F1 Team (2002 -- 2010) Equipe Renault (1977 - 1985) |
|---|---|
| チーム国籍 | |
| チーム本拠地 | |
| 主なチーム関係者 | エリック・ブーリエ ジェラール・ラルース ミシェル・テツ マイク・ガスコイン フラビオ・ブリアトーレ パット・シモンズ ボブ・ベル マーク・スミス |
| 主なドライバー | |
| 以前のチーム名称 | ベネトン・フォーミュラ (1986 - 2001) |
| 撤退後 | ロータスF1チーム |
| F1世界選手権におけるチーム履歴 | |
| 参戦年度 | 1977 - 1985, 2002 - 2011 |
| 出走回数 | 304 (585台) |
| コンストラクターズ タイトル |
2 (2005, 2006) |
| ドライバーズ タイトル |
2 (2005, 2006) |
| 優勝回数 | 35 |
| 通算獲得ポイント | 1381 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 100 |
| ポールポジション | 51 |
| ファステストラップ | 31 |
| F1デビュー戦 | 1977年イギリスGP |
| 初勝利 | 1979年フランスGP |
| 最後のレース | 2011年第19戦ブラジルGP |
ルノーF1 (Renault F1) は、1977年のF1世界選手権から1985年および2002年から2011年にかけて参戦していたF1レーシングチーム。2011年はロータス・ルノーGP (Lotus Renault GP) として参戦し、2012年のF1世界選手権よりロータスF1チームに変更するため、コンストラクターとしてのルノーは2011年シーズンまでで休止となった。
本項ではレーシングチームとしての活動のほか、ルノーおよびその子会社のルノー・スポールによるエンジン供給の形でのF1参戦についても扱う。
目次 |
概要 [編集]
フランスに本社を置くヨーロッパ最大の自動車製造会社であるルノーのF1チームとして、1977年に参戦を開始した。シャシー・エンジンを自製するフルコンストラクターとして通算35勝を記録し、2005年と2006年にはコンストラクターズ(製造者)、ドライバーズ(フェルナンド・アロンソ)のダブルタイトルを連覇した。
また、エンジンサプライヤーとしても輝かしい戦績を残しており、F1で使用されるエンジン銘柄としては通算142勝(2011年終了時点、詳細は別項参照)を獲得している。これはフェラーリの211勝、フォード・コスワースの176勝に次ぐ、史上3位の記録となっている。
なお、ルノーF1チームの法人名で活動しているのは第3期のみであり、第1期・第2期についてはルノーのモータースポーツ部門であるルノー・スポール(Renault Sport)名義での活動である。また株式売却により、2011年以降ルノーが直接関わるのはエンジンの開発・供給のみとなる。
歴史 [編集]
第1期 [編集]
ターボの先駆者 [編集]
1970年代、スポーツカーレースにおいてターボチャージャーエンジンを導入して成功を収め、1977年よりエキープ・ルノー・エルフとしてF1に参戦。3L自然吸気のフォード・コスワース・DFVエンジンが大勢を占める当時のF1界に、グランプリ史上初の1.5LV6ターボエンジンを搭載した車体で「フルコンストラクター」(車体もエンジンも自社で製作するチーム)として参入した。タイヤはミシュラン(F1初のラジアルタイヤ)、燃料はエルフ、ドライバーは開発兼務のジャン=ピエール・ジャブイーユというオールフレンチ体制だった。
過給器付きエンジンはF1選手権初期にスーパーチャージャー式が使用されたが、その後自然吸気エンジンが主流となり、自然吸気エンジンの半分という排気量制限の枷により、挑戦する者は現われなかった。ターボチャージャーについては、スロットルに対しての反応が遅い「ターボラグ」が指摘されており、グランプリには自然吸気エンジンの方が適していると言うのが当時の常識であった。当然ルノーの挑戦に対してもグランプリでは懐疑的な意見が多かった。
実際、参入当初は熟成不足のためもありエンジントラブルで白煙を上げながらリタイアすることが多かったため、その黄色いカラーリングをもじって「イエロー・ティーポット」と揶揄されもしたが、次第に信頼性を上げ実力を発揮し、デビュー3年目の1979年にジャブイーユが地元フランスGPで初勝利を達成した。その後のF1界は、ターボエンジンを搭載した車体で勝利を重ねるルノーに倣って、自然吸気エンジンからターボエンジンへの移行が大きな流れとなった。
1981年に加入した新鋭アラン・プロストがエースとなり、ルネ・アルヌーとのコンビで選手権争いに絡んだ。1982年のフランスGPでは、アルヌーがチームオーダーを無視して優勝し、シーズン後にチームを去った。1983年にはプロストがドライバーズチャンピオン争いをリードしたが、終盤戦に失速し、最終戦南アフリカGPでブラバムのネルソン・ピケにタイトルを奪われた。プロストもこの件で責任を負わされ、チームを離脱した。
エンジン供給 [編集]
1983年からはロータスやティレル、リジェなど、当時の強豪チームへのエンジン供給も行ない、ロータスのアイルトン・セナとエリオ・デ・アンジェリスにより計5勝をものにした。
一方で同じエンジンを積むロータスが本家ルノーを上回る成績を残したため、シャーシ性能の見劣りが顕在化し、またプロストの離脱などもあってチーム力の低下は否めず、コンストラクターとしての参戦は1985年に終えたが、エンジン供給は1986年まで行った。コンストラクターとしてのルノー、そしてエンジンサプライヤーとしてのルノーともに選手権でのタイトルを何も獲得できないまま、ルノー本社の一時的な経営不振を受け第1期の挑戦を終えた。
功績 [編集]
グランプリに革命をもたらしたターボエンジンは、1982年にフェラーリがターボエンジンとしては初めて年間王者を獲得し、それまでのDFV全盛時代に終焉の幕を下ろさせ、F1界に1980年代後半のターボエンジン全盛時代をもたらした。パイオニアとしてターボエンジンを持ち込んでおきながら自身は他社のターボエンジン搭載チームにとうとう勝ち得なかったということはルノーにとって皮肉な事ではあるが、同時に、ルノーが揶揄されながらもターボエンジンをグランプリに持ち込んだ事が間違っていなかったという事は、ターボエンジン搭載車がこの1982年以降、使用を禁止される1988年まで選手権を席捲し続けたという事実によって証明されることとなった。
第2期 - エンジンサプライヤーとして復帰 [編集]
V10エンジン [編集]
ターボエンジンの全面使用禁止と3.5L自然吸気エンジンの導入が開始された1989年に、ルノーはエンジンサプライヤーとしてF1界に復帰した。この時もルノーは復帰第1作となる「RS1」で、V10エンジンというターボに続く新機軸を持ち込んだ。V10エンジンは共振の問題からF1では採用例がなく、ホンダとルノーが初めて導入した。ルノーの場合、ターボ時代のパートナーだったロータスに「シャーシ側からみて、どのような構造のエンジンが望まれるか」と相談し、その返答から導かれた選択であった[1]。
ホンダを始め、他メーカーがV12エンジンに移行する中、ルノーはニューマチックバルブ(従来の金属ばねではなく、圧搾空気を用いて吸排気バルブを制御する方式)を搭載して高回転化を実現。トラクションコントロールの開発など、エンジン単体よりもトータルパッケージを重視する路線を打ち出した。これらの技術・思想はターボ時代の馬力至上主義を払拭し、1990年代以降のF1エンジンのスタンダードとなった。
最強エンジン [編集]
先ずはウィリアムズへの独占供給を開始し、後にリジェ、ベネトンにもエンジンを供給するようになった(リジェには1992年から1994年にカスタマー仕様を供給)。
最初の2年こそ、当時隆盛を極めていたホンダエンジン搭載のマクラーレンの後塵を拝することが多かったが、1992年から1997年にかけては、エンジン供給先のウィリアムズとベネトン(1995年からエンジン供給開始)の両チームがコンストラクター(車体製造者)部門のタイトルを6年連続、ドライバー部門のタイトルを計5回(詳細は別項参照)獲得した。9年間に75勝という勝利数は、ほぼ同期間(1983年-1992年)にウィリアムズやマクラーレンなどにエンジンを供給していたホンダの69勝をしのぐもので、1990年代のF1界において最強エンジンサプライヤーの名をほしいままにした。
特に1995年はルノー勢がシーズンを圧倒し、ベネトン・ルノーとウィリアムズ・ルノーの2チームで年間全17戦中16勝を収め、長年ルノーの悲願とされたモナコグランプリ制覇もミハエル・シューマッハによって達成された。過去にはフォード・コスワース勢が年間全勝した1969年(全11戦)、1973年(全15戦)の例があるが、年間の勝利数としては、2005年シーズン終了時点においても1995年にルノーが樹立したこの16勝という記録が依然としてエンジンサプライヤーとしての最多勝記録となっている。
撤退 [編集]
1996年フランスGP中に、翌年末をもっての撤退を発表した。当時経営不振に陥っていたルノーのリストラ策の一環としての苦渋の選択であった。また、撤退の理由のひとつとして、“もはやルノーがグランプリで勝ってもニュースとなることはなく、ルノーが負けた時にのみニュースとなる”ことへの嫌気が挙げられた。
スーパーテック [編集]
メカクローム社 [編集]
ルノーは1997年シーズンの終了をもって、F1でのエンジンサプライヤーとしての活動を終了する旨を発表したが、その後も1997年シーズンのルノーエンジン「RS9」をベースとしたエンジンが供給された。このエンジンは元々カスタマー仕様のルノーエンジンの供給を請け負っていたメカクローム社が製作し、元ベネトンのフラビオ・ブリアトーレが販売権利を取得の上、スーパーテックの名称で販売され、ベネトン(1998年から2000年まで一貫して自社のブランドネーム・プレイライフのバッジを付けてプレイライフエンジンと呼ばれていた)、ウィリアムズ(1998年のみメカクロームの名称。1999年まで供給)の旧ルノーユーザーだけではなく、B・A・R(1999年)、アロウズ(2000年)といったコンストラクターにも供給された。
なおメカクロームでは、2005年からは、ルノーブランドでのGP2のエンジン開発、供給を行っている。
データ収集 [編集]
スーパーテックエンジンは型遅れのエンジンであり、戦闘力はフェラーリやメルセデスと言ったワークスエンジンには遠く及ばなかったものの、これらのエンジンに比べて比較的手に入れやすいエンジンであったため、多くのチームがスーパーテックの恩恵に預かる事となった。このスーパーテックの活動はワークスとしてのルノーが復活する2000年まで続けられた。当然この間のデータは第3期のルノーの活動にフィードバックされている。
第3期 [編集]
「100%ルノー」として復帰 [編集]
その後2000年3月15日に、かつてエンジン供給を行っていたイタリアのファッションブランドであるベネトン社が所有していたベネトンF1チームを買収する形でコンストラクターとしてのF1復帰を発表。当初は2002年シーズンを目標に新規参入を計画していたが、1年前倒しで1200万ドルで買収し参入をはたした。2001年はコンストラクター登録期限の関係で「ベネトン・ルノー」として参戦。2002年に「マイルドセブン・ルノーF1チーム」として17年ぶりにコンストラクターとして復帰した。この際に、2005年までにコンストラクター部門でのタイトルを獲得するという目標を掲げた。
ルノーによるワークスエンジン供給を打ち切られた後には一時低迷していたベネトンチームであったが、ルノーとなってからは次第に競争力を取り戻し、ベネトン時代にチームをチャンピオンに導いたイタリア人指揮官のフラビオ・ブリアトーレの下、マクラーレン、フェラーリ、ウィリアムズなどに並び、F1を代表する強豪チームの一角に返り咲いた。
技術部門はテクニカルディレクターであるマイク・ガスコインの指揮下、ふたつのデザインチームが交互に開発を担当するローテーション制を導入。Vバンク角111度という低重心型のエンジンを投入し、ミシュランタイヤに特化した車両開発を進めた。2003年にはフェルナンド・アロンソがハンガリーGPで初優勝し、ルノーワークスとして1983年以来の勝利を獲得した。2004年にはヤルノ・トゥルーリのドライブにより念願のモナコGP優勝を果たした。
2005年シーズン [編集]
2005年シーズンはティム・デンシャム率いるデザインチームの手になる「R25」に、フェルナンド・アロンソとジャンカルロ・フィジケラの2人のトップクラスのドライバーを揃えた。R25の高い戦闘力と信頼性を武器にシーズン前半から勝ち続け、後半マクラーレン・メルセデスの猛追を振り切り、最終戦の中国GPでコンストラクター(車体製造者)部門のタイトルを獲得した。最終的に、全19戦中開幕4連勝を含む8勝をあげ、シーズン累計で191ポイントを獲得した。
また、第17戦ブラジルGPにおいて、アロンソがシーズン終了まで2戦を残してドライバー部門のタイトルを獲得した(シーズン累計で計133ポイントを獲得)。アロンソは、スペイン人としては初のチャンピオンとなり、同時に、1972年シーズンのエマーソン・フィッティパルディの記録(25歳273日)を更新する、当時F1史上最年少(24歳58日)のドライバーズチャンピオンとなった。アロンソはシーズン後、2007年よりマクラーレンに移籍することを発表した。
コンストラクターの「ルノー」としては、コンストラクター部門、ドライバー部門ともに初のタイトル獲得となった。
2006年シーズン [編集]
レギュラードライバーは前年と同じで、テストドライバー兼リザーブドライバーだったフランク・モンタニーがチームから離脱し、後任には、2005年には第2テストドライバーを務め、GP2でシーズンランキング2位になったフィンランド人ドライバーのヘイキ・コバライネンが就いた。
第2戦マレーシアGPで、フィジケラ - アロンソの順で1-2フィニッシュを果たした。これはベネトンを買収した「100%ルノー」になってからは初めてのことで、第1期を含めても、1982年フランスGPでのルネ・アルヌーとアラン・プロストによるもの以来、実に24年ぶりで2回目のことであった。
シーズン中盤までは快調だったが、R26に搭載する「マスダンパー」の使用禁止により戦力を削がれ、フェラーリによる猛追を受けた。両選手権とも終盤に一時的に逆転を許したものの、ドライバーズ選手権はその後再逆転し、最終戦である第18戦ブラジルGPにおいて、アロンソが2位で入賞しドライバーズタイトルを獲得。また同時にコンストラクターズタイトルも獲得し、2年連続のダブルタイトル獲得となった。
EUによるタバコ広告への規制強化に伴い、ベネトン時代の1994年以降長年に渡ってチームのタイトルスポンサー(メインスポンサー)を務めてきた日本たばこ(マイルドセブン)は2006年シーズンをもって撤退した。
2007年シーズン [編集]
2007年シーズンからオランダの保険会社INGグループがタイトルスポンサーとなり、チーム名は「ING・ルノーF1チーム」となった。
移籍したアロンソに代わり、テストドライバーのヘイキ・コバライネンがレギュラードライバーに昇格し、ジャンカルロ・フィジケラとコンビを組んだ。テストドライバーにはトヨタから移籍のリカルド・ゾンタと、かつてのF1チャンピオンの息子であるネルソン・ピケJr.が新たに就任した。
この年は、新たに採用されたブリヂストンワンメイクタイヤの特性にマシンを合わせられず、さらに風洞施設の計測誤差で、R27は優勝を狙えるマシンではなかった。最高位は日本GPでのコバライネンの2位。
またこの年より他チームへのエンジン供給を再開し、レッドブル・レーシングへカスタマーエンジンを供給するようになった。
2008年シーズン [編集]
マクラーレンからアロンソが復帰し、テストドライバーから昇格したピケJr.とコンビを組む。サードドライバーに2007年GP2ランキング2位のルーカス・ディ・グラッシ、テストドライバーとして2007年F3ユーロシリーズ・チャンピオンでルノードライバー養成プログラムのロマン・グロージャンと山本左近が発表された(但し、ディ・グラッシがスーパーライセンスを保有していないことから、リザーブドライバーとしては山本・グロージャンの二人が登録され全戦に帯同している)。
第9戦ドイツGPでピケJr.が2位表彰台を獲得。初のナイトレースとして行われた第15戦シンガポールGPでは、アロンソがチームにとって2006年日本GP以来となる勝利を果たした。アロンソは次戦日本GPでも勝って連勝を成し遂げた。
しかし、シンガポールGP優勝の背景には、アロンソが優位になるようにピケJrに故意のクラッシュを行わせたという不正行為があり、2009年にチーム体制を揺るがすスキャンダルに発展する。
2009年シーズン [編集]
新たにトタル(エルフの親会社)やヒューレット・パッカードとテクニカルパートナー契約を結んだが、開幕前にタイトルスポンサーであるINGグループが、2009年シーズン限りで撤退することを発表した[2]。
ドライバーラインナップは2008年と同じくアロンソとピケJr.。新車R29はKERSの熟成不足などで不振が続き、アロンソがポールポジション1回(第10戦ハンガリーGP)、ファステストラップ1回(第9戦ドイツGP)を獲得するに止まった。シーズン途中には成績不振のピケJr.を解雇し、テストドライバーのロマン・グロージャンをレギュラーに昇格させた。
クラッシュゲート [編集]
詳細は「ネルソン・ピケJr.#クラッシュゲート」を参照
ネルソン・ピケJr.を解雇した直後の8月末、2008年シンガポールGPでチームがピケJr.に故意にクラッシュするよう命じていたという疑惑が浮上した。このレースでは予選13位からスタートしたアロンソがピットインした直後にピケJr.がクラッシュし、セーフティカーが出動した結果、アロンソが大きく順位を上げて優勝した。ピケJr.本人が真相を国際自動車連盟 (FIA) へ告発し、チームの首脳フラビオ・ブリアトーレとパット・シモンズとの間で、事前に実行する周回数や場所を打ち合わせたと証言した。
ルノーはピケJr.および父のネルソン・ピケに対して法的措置をとると表明したが、その後態度を変えてピケ親子の供述に異議申し立てを行わず、ブリアトーレとシモンズのチーム離脱を発表した。ブリアトーレに代わるチーム代表にはボブ・ベルが就任した。世界モータースポーツ評議会は、ルノーに対して2年間の執行猶予付の参戦資格剥奪という有罪判決を下した。ブリアトーレとシモンズにはモータースポーツ競技からの追放処分が下されたが、民事裁判を経て処分が緩和された。
FIAによるこの裁定は、事件が人命に危険性がある非人道的な行為かつ、FIAスポーティングレギュレーション第39条の1項「チームオーダー」に違反していたことにもかかわらず「事実上ペナルティーなし」であった。2007年に起こったマクラーレンのスパイゲートなどと比較され、あまりにも寛大な措置であるとして批判された。世界同時不況によりホンダとBMWが撤退した後、ルノーもこれに続くことを怖れたFIAの配慮ではないかと考えられた[3](この事件後にはトヨタも撤退を表明した)。
この騒動の余波を受けて、タイトルスポンサーであるINGグループと主要スポンサーであるムトゥア・マドリーニャ (Mutua Madrileña) が即時に契約を終了することを発表した[4][5]。シンガポールGPでは、今までINGと書かれていたマシンのスペースをRENAULTに変えて参戦した。
2010年シーズン [編集]
株式売却 [編集]
ルノーはメーカー系ワークスチームの中でも本社からの支援額が少なく、ときおり撤退の噂が流れた。2005年末にも2006年シーズンをもって撤退するという噂が流れたことがあったが、これは2006年のR26発表の際、ルノーのカルロス・ゴーン会長が否定し、2007年以降も参戦を続けることを明らかにした。しかし、同会長はその年その年の「成績、コスト、費用対効果、本業の業績、2008年以降のレギュレーション議論の行方」などを見たうえで判断を下すとの見解も明らかにしており、ルノーがフェラーリのごとく永続的にF1参戦を続けるとする見解は少数派となっていた。
クラッシュゲート発覚後の2009年12月16日、ルノーが保有するルノーF1の株式の大部分がルクセンブルクの投資会社「ジェニー・キャピタル」に売却されたことが発表された。一方で、少なくとも2010年シーズンに関してはチーム名は従来通り「ルノーF1」の名称でF1に参戦すること、またレッドブル・レーシングへのエンジン供給も継続されることが同時に明らかにされた[6]。この際2011年以降のチームの扱いについては発表されなかったため[7]、ルノーがチームに対する関与を段階的に減少させ、遠くない未来にF1から撤退するとの憶測が飛んでいた。
また、ロシアのウラジーミル・プーチン首相がルノーF1チームを支援することを発表した。この背景にはロシア人初のF1ドライバーであるヴィタリー・ペトロフと契約したことによる影響が大きいを見られ、EFE通信にも「協力の大きなシンボル」と語っている。この発表の前にルノーのゴーン会長と、プーチン首相とで会談を行い、今後も財政的な支援を拡大させていく姿勢を明らかにした。この契約により、ルノーのマシンにロシアの自動車会社アフトヴァース社の国内外向けブランド「ラーダ」のロゴが掲載された[8][9]。さらにロシアの造船会社であるヴィボルグ社とスポンサー契約をしたと9月21日に発表された[10]。
ワークス最終シーズン [編集]
チーム代表職はクラッシュゲート後に臨時的にボブ・ベルが務めていたが、2010年1月5日にかねてより噂のあったグラビティスポーツマネジメント社のエリック・ブーリエが後任となることが発表された[11]。ドライバーはアロンソがフェラーリに移籍、ロマン・グロージャンもチームを解雇される一方で、BMWザウバーの撤退でシートを失ったロバート・クビサが新たに加入した。また、セカンドドライバーとして、初のロシア人F1ドライバーとなるヴィタリー・ペトロフ、サードドライバーとしてホーピン・タン、リザーブ兼テストドライバーとしてジェローム・ダンブロジオ、ヤン・シャロウズがそれぞれ決定した。
新体制初年度はクビサが3位表彰台を2度獲得。マルチディフューザーやFダクトの熟成により、後半戦は他チームにとって脅威となる存在感を示した。
2010年12月8日には、ルノーが保有する残るルノーF1の株式を「グループ・ロータス」(プロトン傘下のロータス・カーズを中心としたグループ)に売却し、チーム名を「ロータス・ルノーGP」と改めることが発表された[12][13]。この結果、ルノーのフルワークス参戦は2010年限りで終了し、2011年以降ルノーはエンジン供給のみを行う。この背景には、2010年にルノーエンジンを積むレッドブルのセバスチャン・ベッテルがドライバーズタイトルを、レッドブル・レーシングがコンストラクターズタイトルを獲得し2冠を達成したにも関わらず、ワークス・チームが存在するためにこれらの成果をプロモーションに利用することが難しく、ワークスの存在がむしろマイナスの方向に働いていることも指摘された[14]。
2011年シーズン(ロータス・ルノーGPとして再出発) [編集]
前述の通り、2011年に関してはシャシー開発から撤退し、ルノーはエンジン供給のみを行う。またそれに伴い、チーム国籍も本拠地のあるイギリスに変更となった[15]。供給先は新生「ロータス・ルノーGP」およびレッドブル・レーシングという従来の2チームに加え、新たにチーム・ロータスが加わり3チームとなった。
ドライバーは2010年シーズンと同じくクビサとペトロフ、テストドライバーはタン、ファイルーズ・ファウジー、ブルーノ・セナと2009年シーズン以来の復帰となるグロージャンが務めると発表された。しかし、2011年2月6日に、イタリアでラリーに参戦していたクビサがクラッシュにより負傷、長期離脱を余儀なくされた[16][17]。そこで、2010年シーズンいっぱいでレースシートを失っていたニック・ハイドフェルドがクビサの代役として参戦することになった[18]。しかしハイドフェルドのシートはベルギーGPからはブルーノ・セナに取って代わられ、次戦イタリアGP前に正式にハイドフェルドはチームを離脱した[19]。
R31は前方排気レイアウトを採用し、シーズン当初は2人のドライバーがそれぞれ表彰台に登るなどマシンに競争力があるように見えたが、実際は予想したほどダウンフォースが発生しないことがシーズン前の最初のテストからわかっており、すぐに成績は低迷した。何とかコンストラクターズ選手権は前年同様5位は確保したものの、4位のメルセデスGPとは90ポイント以上離され、6位のフォース・インディアとは4ポイント差しかなく、シーズン終了後にはテクニカル・ディレクターのジェイムズ・アリソンをしてR31は「失敗した実験」と言わしめた。
ロータス・ルノーGPは2012年からチーム名は「ロータスF1チーム」、コンストラクター名は「ロータス」に変更になった。2011年は名称が残っていただけではあったが、これにより完全にコンストラクターとしてのルノーの活動は終了した。
第4期 - エンジンサプライヤーへの復帰 [編集]
チーム株式の完全売却後、2010年12月8日にルノーは新組織ルノー・スポールF1の設立を発表した[20]。ワークス時代よりエンジン開発を行っていたフランスのヴィリ-シャティオンを拠点として、引き続きF1エンジンの開発・供給を行う。同社は2013年に1.6L直4ターボを導入する計画を支持し、この案の延期が検討されるとF1からの撤退を示唆したが[21]、最終的には2014年より1.6LV6ターボを導入する修正案に同意した。
2012年にはロータス、レッドブル、ケータハムに加えてウィリアムズへのエンジン供給も開始し、1990年代を席巻した「ウィリアムズ・ルノー」のタッグが復活することになった。
エンジン供給先ではレッドブルとの関係がより密接になっている。両者はオフスロットル・ブローイング(エンジン排気の空力的利用)という新分野を開拓して、2011年シーズンを席巻した。2011年9月には、レッドブルへのエンジン供給を2017年まで継続し、V6ターボ開発でも協力することが発表された[22]。レッドブル代表のクリスチャン・ホーナーは「レッドブルはルノーのワークスチーム」と発言している[23]。また、ルノーの資本提携先である日産自動車の高級車ブランド「インフィニティ」がレッドブルのスポンサーとなり、技術面での関係強化も進められる[24]。
変遷表(コンストラクターとしての参戦のみ) [編集]
| 年 | エントリー名 | 車体型番 | タイヤ | エンジン | 燃料・オイル | ドライバー | ランキング | 優勝数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1977年 | ルノーF1チーム | RS01 | M | EF1 | エルフ | ジャン=ピエール・ジャブイーユ | 14 | 0 |
| 1978年 | ルノーF1チーム | RS01 | M | EF1 | エルフ | ジャン=ピエール・ジャブイーユ | 12 | 0 |
| 1979年 | ルノーF1チーム | RS01,RS10(RS11~RS14) | M | EF1 | エルフ | ジャン=ピエール・ジャブイーユ ルネ・アルヌー |
6 | 1 |
| 1980年 | ルノーF1チーム | RE20 | M | EF1 | エルフ | ジャン=ピエール・ジャブイーユ ルネ・アルヌー |
4 | 3 |
| 1981年 | ルノーF1チーム | RE20B,RE30 | M | EF1 | エルフ | ルネ・アルヌー アラン・プロスト |
3 | 3 |
| 1982年 | ルノーF1チーム | RE30B | M | EF1 | エルフ | ルネ・アルヌー アラン・プロスト |
3 | 4 |
| 1983年 | ルノーF1チーム | RE30C,RE40 | M | EF1 | エルフ | アラン・プロスト エディ・チーバー |
2 | 4 |
| 1984年 | ルノーF1チーム | RE50 | M | EF4 | エルフ | パトリック・タンベイ デレック・ワーウィック フィリップ・ストレイフ |
5 | 0 |
| 1985年 | ルノーF1チーム | RE60,RE60B | G | EF4B | エルフ | パトリック・タンベイ デレック・ワーウィック フランソワ・エスノー |
7 | 0 |
| 2002年 | マイルドセブン・ルノーF1チーム | R202 | M | RS22 | エルフ | ヤルノ・トゥルーリ ジェンソン・バトン |
4 | 0 |
| 2003年 | マイルドセブン・ルノーF1チーム | R23,R23B | M | RS23 | エルフ | ヤルノ・トゥルーリ フェルナンド・アロンソ |
4 | 1 |
| 2004年 | マイルドセブン・ルノーF1チーム | R24 | M | RS24 | エルフ | ヤルノ・トゥルーリ フェルナンド・アロンソ ジャック・ヴィルヌーヴ |
3 | 1 |
| 2005年 | マイルドセブン・ルノーF1チーム | R25 | M | RS25 | エルフ | フェルナンド・アロンソ ジャンカルロ・フィジケラ |
1 | 8 |
| 2006年 | マイルドセブン・ルノーF1チーム | R26 | M | RS26 | エルフ | フェルナンド・アロンソ ジャンカルロ・フィジケラ |
1 | 8 |
| 2007年 | ING・ルノーF1チーム | R27 | B | RS27 | エルフ | ジャンカルロ・フィジケラ ヘイキ・コバライネン |
3 | 0 |
| 2008年 | ING・ルノーF1チーム | R28 | B | RS27 | エルフ | フェルナンド・アロンソ ネルソン・ピケJr. |
4 | 2 |
| 2009年 | ING・ルノーF1チーム** | R29 | B | RS27 | トタル | フェルナンド・アロンソ ネルソン・ピケJr. ロマン・グロージャン |
8 | 0 |
| 2010年 | ルノーF1チーム | R30 | B | RS27-2010 | トタル | ロバート・クビサ ヴィタリー・ペトロフ |
5 | 0 |
| 2011年 | ロータス・ルノーGP | R31 | P | RS27-2011 | トタル | ニック・ハイドフェルド ヴィタリー・ペトロフ ブルーノ・セナ |
5 | 0 |
*斜体になっているドライバーはスポット参戦など
**2009年途中からチーム名をルノーF1チームに変更
ルノー・エンジンの供給先とF1で記録した優勝 [編集]
第1期 [編集]
10年間に20勝(ルノー15勝、ロータス5勝)
- 1977年:0勝 - ルノー0勝
- 1978年:0勝 - ルノー0勝
- 1979年:1勝 - ルノー1勝(ジャン=ピエール・ジャブイーユ1勝)
- 1980年:3勝 - ルノー3勝(ルネ・アルヌー2勝、ジャブイーユ1勝)
- 1981年:3勝 - ルノー3勝(アラン・プロスト3勝)
- 1982年:4勝 - ルノー4勝(プロスト2勝、アルヌー2勝)
- 1983年:4勝 - ルノー4勝(プロスト4勝)、ロータス0勝
- 1984年:0勝 - ルノー0勝、ロータス0勝、リジェ0勝
- 1985年:3勝 - ルノー0勝、ロータス3勝(アイルトン・セナ2勝、エリオ・デ・アンジェリス1勝)、リジェ0勝、ティレル0勝
- 1986年:2勝 - ロータス2勝(セナ2勝)、リジェ0勝、ティレル0勝
第2期 [編集]
9年間に75勝(ウィリアムズ63勝、ベネトン12勝)
- 1989年:2勝 - ウィリアムズ2勝(ティエリー・ブーツェン2勝))
- 1990年:2勝 - ウィリアムズ2勝(リカルド・パトレーゼ1勝、ブーツェン1勝)
- 1991年:7勝 - ウィリアムズ7勝(ナイジェル・マンセル5勝、パトレーゼ2勝)
- 1992年:10勝 - ウィリアムズ10勝(マンセル9勝、パトレーゼ1勝)、リジェ0勝
- 1993年:10勝 - ウィリアムズ10勝(プロスト7勝、デイモン・ヒル3勝)、リジェ0勝
- 1994年:7勝 - ウィリアムズ7勝(ヒル6勝、マンセル1勝)、リジェ0勝
- 1995年:16勝 - ベネトン11勝(ミハエル・シューマッハ9勝、ジョニー・ハーバート2勝)、ウィリアムズ5勝(ヒル4勝、デビッド・クルサード1勝)
- 1996年:12勝 - ウィリアムズ12勝(ヒル8勝、ジャック・ヴィルヌーヴ4勝)、ベネトン0勝
- 1997年:9勝 - ウィリアムズ8勝(ヴィルヌーヴ7勝、ハインツ=ハラルド・フレンツェン1勝)、ベネトン1勝(ゲルハルト・ベルガー1勝)
第3期 [編集]
12年間に47勝(ルノー20勝、レッドブル27勝)
- 2001年:0勝 - ベネトン0勝
- 2002年:0勝 - ルノー0勝
- 2003年:1勝 - ルノー1勝(フェルナンド・アロンソ1勝)
- 2004年:1勝 - ルノー1勝(ヤルノ・トゥルーリ1勝)
- 2005年:8勝 - ルノー8勝(アロンソ7勝、ジャンカルロ・フィジケラ1勝)
- 2006年:8勝 - ルノー8勝(アロンソ7勝、フィジケラ1勝)
- 2007年:0勝 - ルノー0勝、レッドブル0勝
- 2008年:2勝 - ルノー2勝(アロンソ2勝)、レッドブル0勝
- 2009年:6勝 - ルノー0勝、レッドブル6勝(セバスチャン・ベッテル4勝、マーク・ウェバー2勝)
- 2010年:9勝 - ルノー0勝、レッドブル9勝(ベッテル5勝、ウェバー4勝)
- 2011年:12勝 - ロータス・ルノーGP0勝、レッドブル12勝(ベッテル11勝、ウェバー1勝)、チーム・ロータス0勝
第4期 [編集]
- 2012年:9勝 - レッドブル7勝(ベッテル5勝、ウェバー2勝)、ロータス1勝(キミ・ライコネン1勝)、ウィリアムズ1勝(パストール・マルドナド1勝)
ルノーエンジンでドライバーズ・チャンピオンを獲得したドライバー [編集]
- 第2期(エンジン供給のみ)
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- ナイジェル・マンセル(1992、ウィリアムズ)
- アラン・プロスト(1993、ウィリアムズ)
- ミハエル・シューマッハ(1995、ベネトン)
- デイモン・ヒル(1996、ウィリアムズ)
- ジャック・ヴィルヌーヴ(1997、ウィリアムズ)
- 第3期(コンストラクターおよび他チームへのエンジン供給)
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- フェルナンド・アロンソ(2005, 2006、ルノー)
- セバスチャン・ベッテル(2010, 2011、レッドブル)
- 第4期(エンジン供給のみ)
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- セバスチャン・ベッテル(2012、レッドブル)
関連項目 [編集]
脚注 [編集]
- ^ 「ルノーの野望 グランプリ制覇への戦略」『Sports Graphic Number 1995年10月26日号(通号377)』 文藝春秋、1995年、p.69。
- ^ INGが2009年末でF1撤退へ(F1-Live.com)
- ^ "クラッシュゲート終了もルノーは暗雲". Topnews.(2009年9月24日)2013年5月20日閲覧。
- ^ “ルノー タイトルスポンサーを失う”. Gp Update. (2009年9月24日) 2009年9月25日閲覧。
- ^ “ING Group Press release”
- ^ Renault stays in Formula One - ルノーF1・2009年12月16日
- ^ ルノー、株式の大半を売却もF1活動継続! - ESPN F1・2009年12月16日
- ^ “ロシア政府、ルノーF1チームを支援”. F1 Gate.com. (2010年3月2日) 2010年3月2日閲覧。
- ^ ルノーは2008年にラーダブランドの株式を25%取得していることも、この支援と提携の背景にあると言える。
- ^ “ルノー ロシアの造船会社と提携”. GPupdate.net. (2010年9月21日) 2010年9月22日閲覧。
- ^ 2010年1月5日付けAutosport.com
- ^ Lotus, the manufacturer, returns to Formula 1^(TM) - ルノーF1・2010年12月8日
- ^ Group Lotus Renault Genii Lotus Renault GP - Group Lotus・2010年12月8日
- ^ 東京中日スポーツ・2010年12月9日付 19面「カミュが斬る」
- ^ ただし、コンストラクター名は「ルノー」のままであり、マシン名もルノーを引き継ぎ、R31となる。
- ^ “ロバート・クビサ、ラリーでクラッシュして骨折”. F1-Gate.com. (2011年2月6日) 2011年2月17日閲覧。
- ^ “ロバート・クビサの手術が完了 ・・・ 復帰には最低でも1年”. F1-Gate.com. (2011年2月7日) 2011年2月17日閲覧。
- ^ “ニック・ハイドフェルド、ロバート・クビサの代役に決定”. F1-Gate.com. (2011年2月17日) 2011年2月17日閲覧。
- ^ “ニック・ハイドフェルド、ロータス・ルノーGPの離脱に合意”. F1-Gate.com. (2011年9月3日) 2011年12月4日閲覧。
- ^ “ルノー、F1活動の新組織「ルノー・スポールF1」を設立”. (2010年12月11日) 2012年1月12日閲覧。
- ^ “ルノー、新規則延期の動きに怒り。F1撤退を示唆”. オートスポーツweb. (2011年6月17日) 2012年1月12日閲覧。
- ^ レッドブル、ルノーとのエンジン契約を2017年まで延長 - F1-Gate.com・2011年9月10日
- ^ “「レッドブルはルノーのワークスチーム」とチーム代表”. F1トップニュース. (2011年9月16日) 2012年1月12日閲覧。
- ^ “インフィニティとレッドブルF1、技術協力を強化”. レスポンス. (2011年10月19日) 2012年1月12日閲覧。
外部リンク [編集]
- ルノーF1チーム公式サイト - フランス語 / 英語
- @rf1paddockpass 公式Twitterアカウント
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