レッドブル・リンク

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レッドブル・リンク
Circuit A1 Ring.png
所在地 オーストリア・シュピールベルク
標準時 GMT +1
オープン 1969
主なイベント オーストリアグランプリ (1997-2003,2014-), DTM
Red Bull Ring (from 2011 onwards)
コース長 4.326 km (2.688 マイル)
コーナー数 10
レコードタイム ? (?, ?, ?)
A1-Ring (1996-2004)
コース長 4.326 km (2.688 マイル)
コーナー数 10
レコードタイム 1:08.337 (ミハエル・シューマッハ, フェラーリ F2003-GA, 2003)
Österreichring
(with Hella Licht chicane) (1977-1995)
コース長 5.941 km (3.692 マイル)
コーナー数 18
レコードタイム 1:23.357 (ネルソン・ピケ, ウィリアムズ FW11B, 1987)
Österreichring
(original circuit) (1969-1976)
コース長 5.911 km (3.673 マイル)
コーナー数 16
レコードタイム 1:34.850 (ニキ・ラウダ, フェラーリ 312T, 1975)
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レッドブル・リンクRed Bull Ring)は、オーストリアクニッテルフェルトから西へ6kmのところにあるサーキット。かつてはエステルライヒリンクÖsterreichringオステルライヒリンクとも)と呼ばれていたが、1997年の改修によりA1リンクA1-Ring)へ改称、2010年にレッドブル・リンクと改称され現在に至る。

エステルライヒリンク[編集]

エステルライヒリンク時代(1977-1995)のレイアウト。グレー部分はシケイン改修前。

A1リンクの旧レイアウトとなるエステルライヒリンクは、1969年ツェルトベク飛行場からすぐ北の緑が美しい丘に造られた高速サーキットで、ターボ時代のF1で平均速度が時速250kmを超えるラップが記録された。この記録は、モンツァホッケンハイムポール・リカールの平均速度を上回るものだった。起伏が大きく、オーバーテイクポイントが多いこの高速コースは、ドライバーに人気が高かった。

第1コーナー「Hellaカーブ」は上り坂の頂上にある高速コーナーで、ニキ・ラウダは著書「ニキ・ラウダF1の世界」の中で、このコーナーをグランプリコースの最も難しい10のコーナーのうちの一つとしている。その理由として、コーナーの通過速度が非常に高いことと、上り坂の頂上にあるこのカーブはコーナーにアプローチするまでドライバーから見ることができず、ハンドルを切り始める手がかりが分からないことを挙げている。後にこのコーナーはシケインへと改修されたが、見通しの悪さは変わらなかった。

第1コーナーを抜けると緩く左に曲がりながらバックストレートへつながるコーナーに向かうが、ここにも起伏があった。バックストレートの最後には名物の180度ターンであるボッシュカーブへと突入しインフィールドへ。最終コーナーもほぼ全開でストレートに戻る。

エステルライヒリンクでの最終開催となった1987年オーストリアGPでは、予選中に鹿が侵入してステファン・ヨハンソンが運転するマクラーレンと衝突する事故が発生し、決勝スタート直後には、ホームストレートで多重クラッシュが立て続けに2回発生した。

観客管理、警備にずさんな面があり、ランオフエリアの芝生に観客が入り込んだこともあった。

A1リンク[編集]

エステルライヒリンクからA1リンクへの改修図

その後、サーキットの利用は減って荒れ果てていたが、新たなスポンサーの出資によってようやくヘルマン・ティルケの手による改修を受け、名前もA1リンクに改めて1997年に再オープンを果たした。ホームストレートの途中からバックストレートにショートカットするようになり、名物のボッシュコーナーはコンパクトな中速コーナーとなった。この改修でサーキット自体の面白みはエステルライヒリンクに比べ減少したものの、アクセル全開率の高さ(70%近く)、起伏差が大きく、オーバーテイク可能なところはかつてと同様である。

新レイアウトは基本的に旧コースをショートカットし、一部コーナーを大幅に改装した形となっている。

コントロールラインを越え、エステルライヒリンク名物である急勾配の上り坂の途中が1コーナーとなっている。右の90度ターンであるが、外側の縁石を大きく使う事ができるため、スタート時は外側のダートに大きく膨らむマシンが多かった。旧コースのインフィールドを利用したショートカットストレートを過ぎると、旧コースとの合流地点となる2コーナーへ入る。右へ大きく切り込む高難度のブラインドコーナーであり、2002年オーストリアGPでのニック・ハイドフェルド佐藤琢磨の交錯事故など、様々なレースで事故が頻発した。

バックストレートへ合流し、旧コースの名物であったボッシュコーナーへ。旧コーナーはスタンド沿いを大きく外周する高速180度ターンであったが、新コースでは緩いヘアピン状となり通過速度が大きく低下している。インフィールドのパワーホースコーナーから、S字となったラウダカーブへ。最終コーナーも、旧コースでは大きな弧を描いた超高速180度ターンであったものが、90度ターン2つの中速コーナーに改修された。

旧コースの問題点とされていた狭いホームストレートは解消され、芝生のみで構成されていたランオフエリアも、ダート化及びターマック舗装が施されている。

レッドブル・リンク[編集]

A1リンクへの改修後、F1オーストリアGPの開催が復活したが、サーキットから出る騒音などの問題を巡り地元環境保護団体から強硬な抗議が寄せられたことなどから、2003年には開催終了。2004年にはレッドブルが同サーキットを買収し大幅な再開発を行う計画を発表したが、前述の環境保護団体からの猛烈な反発に遭い、レッドブルは計画を撤回した。

2005年には州政府自身によるサーキット改修計画が浮上したものの実現せず、A1リンクは廃墟と化していたが、その後レッドブルのオーナーであるディートリッヒ・マテシッツの投資によって再建されることが決定。2010年、名称をレッドブル・リンクと改めた上でFIAのサーキット承認を再取得し、2011年5月14日にオープンを果たした。

2011年にはDTMF2世界選手権が開催された。コース自体はF1が開催可能なグレードの承認を受けていることから、2014年シーズンに開催することでディートリッヒ・マテシッツと合意に達した。

関連項目[編集]