マーク・ウェバー

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マーク・ウェバー
F1での経歴
国籍 オーストラリア
車番 14
所属チーム レッドブル・レーシング
活動時期 2002 -
過去の所属チーム ミナルディ・コスワース
ジャガー
ウィリアムズBMW→コスワース
出走回数 132
優勝回数 1
通算獲得ポイント 135.5
表彰台(3位以内)回数 5
ポールポジション 1
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 2002年オーストラリアGP
初勝利 2009年ドイツGP
2009年順位 3位 (45.5ポイント)
(記録は2009年第9戦終了時)
  

マーク・アラン・ウェバーMark Alan Webber, 1976年8月27日 - )は、オーストラリア出身の自動車レーサーであり、現役のF1ドライバー。日本マスメディアにおいて、姓は「ウェーバー」と表記・発音されることもある。

目次

[編集] 略歴

[編集] F1参戦以前

オーストラリア・ニューサウスウェールズ州のクィンビャンで生まれる。

15歳から18歳までカートで経験を積むと、1995年にオーストラリアのフォーミュラ・フォードにフル参戦した。ランキング3位で終え、1996年に渡英しイギリスのフォーミュラ・フォードに参戦する。ランキングは惜しくも2位となるが、年末のフェスティバルでは他を寄せ付けず優勝を果たす。

1997年はイギリスF3に参戦し、1勝を挙げる。マールボロマスターズでは3位。その年でF3を卒業し、メルセデスのジュニアチームと契約する。

1998年はメルセデスでFIA-GT選手権を戦う。ベルント・シュナイダーらと好戦を演じ、5勝、シリーズ3位で終える。

1999年は、ル・マンでの活動が主となった。しかし、彼の運転するAMG メルセデス・CLRには、走行中に車体のグラウンド・エフェクトが急激に失われるという、車体構造に設計上の致命的な欠陥があった。予選中と決勝日のウォームアップ走行中に、車体が離陸し舞いあがった後アスファルトに叩きつけられるという事故が二度も続いた。その後、車体の安全性が確認できず、彼の所属チームはレースを棄権したため、自身も出走できなかった(他にも同車両で決勝レース中にコース外に出たピーター・ダンブレックが有名)。そのアクシデントでメルセデスがスポーツカー部門から撤退したことを受けて、ウェバーはフォーミュラに戻った。その後、初めてF1マシン(アロウズのテスト)を経験した。

2000年から国際F3000に参加。アロウズのF3000でシーズンを戦う。序盤は得点を重ねるも中盤で失速。ランキング2位から大きく離される3位(1勝)でシーズンを終える。

2001年は名門スーパー・ノヴァで戦う。そこで3勝しランキング2位につける。だがジャスティン・ウィルソンに完敗だった。この年は、ベルギースパ・フランコルシャンで開催されたレースで起きたアクシデントにより、靱帯を損傷している。

[編集] F1時代

2002年にミナルディでF1デビューする。戦闘力の劣るミナルディだったが、地元オーストラリアの開幕戦でトヨタミカ・サロを振り切り5位に入賞した。その後は入賞できずにいたが、2002年シーズン中盤でジャガー・レーシングの車両をテストする機会を得、翌2003年にはジャガーに移籍した。ミナルディでは、予選結果でチームメートのアレックス・ユーンアンソニー・デビッドソン(第13戦、第14戦のみ)に全勝した。

2003年は飛躍の年だった。中堅チームのジャガーでブラジルGPの第1予選で暫定ポールポジションを獲り、シーズン全体ではセカンドロー2回という結果を残した。最終的に入賞7回、最高位6位。ランキング10位で2003年を終える。

2004年マレーシアGPフロントロー、2番手をゲットするが決勝で失速。ジャガーが撤退をひかえており車体も前年から大きな開発が無かった為、決勝の結果は安定しないものの、将来チャンピオンを獲りうる逸材と関係者から評価されていた。

2005年、ジャガーを離れ、名門ウィリアムズに移籍、モナコGPでF1では初めての3位表彰台を獲得した。予選では相変わらずの速さを見せたが、決勝ではスタートで順位を落とすことが多く、レースペースにおいてもチームメイトであるニック・ハイドフェルドの後塵を拝することが多かったことから、関係者の間でもこれまでの高評価に疑問が呈された。

2006年、ハイドフェルドに代わってこの年デビューした大型新人ニコ・ロズベルグがチームメイトとなる。この年はウィリアムズがBMWエンジンを失ったことで戦闘力が大きく低下した年となり、彼も前年から大きく成績を落とす。予選で好位置を獲得し、決勝でも力強い走りを見せるもののマシントラブルでリタイア、というシーンが度々見られ、特にモナコGPでは、予選でフロントローにたち、決勝でも3位を走行していたにもかかわらずトラブルでリタイアを喫し、怒りのあまりステアリングを叩き付けるウェバーが印象的であった。予選結果はロズベルグに対して、12勝6敗。ハンガリーGP直前、ウィリアムズがロズベルグとアレクサンダー・ヴルツのラインナップを発表。移籍先を探すことになったが、8月7日、古巣ジャガーを買収し2005年から参戦していたレッドブル・レーシングに移籍することが発表された。

2007年はマシンの信頼性不足でチームメイトのデビッド・クルサードとともに苦労するが、豪雨となったヨーロッパGPで3位表彰台を獲得(クルサードも5位)。マシンなどに問題があり決勝では苦労しているが、ほとんどのGPで予選Q3(トップ10)に進出し、持ち前の予選での速さを見せ予選番長ぷりを見せつけている。第15戦日本GPの決勝では、食あたりを起こしレース中に嘔吐するなど最悪な体調の中、驚異的なパフォーマンスを披露し2位表彰台を獲得できる位置にいたものの、セーフティカー先導時に姉妹チームのトロ・ロッソのドライバーであるセバスチャン・ベッテルに後ろから衝突され、惜しくもリタイアを喫する。彼ははじめヴェッテルを強く非難していたが、後にマクラーレンルイス・ハミルトンがセーフティカー先導時に故意にブレーキングをして事故に発展させたという疑惑が出ると、ハミルトンへの批判が強くなった。

2008年、前年の信頼性不足からの今季マシンへの影響を懸念していたが、一応は平均レベル程度となった。開幕戦は大混乱の中で完走は出来なかったものの、以降モナコGPまで5戦連続で入賞した。第7戦カナダGPでは入賞を逃したが、次の第8戦フランスGPでは6位入賞した。第9戦イギリスGPの予選では自己最高タイとなる2番グリッドを獲得したが、1周目のスピンで最後尾に後退、追い上げを見せるも入賞を逃した。その後第12戦ヨーロッパGPまでノーポイントに終わったが、次のベルギーGPで8位に入り久々のポイントを獲得した。

2009年は、自身が主催するイベント「マーク・ウェーバー・ピュア・タスマニア・チャレンジ」の競技中において、足を骨折したためウィンターテストの半分をキャンセルするという、最悪な状態から始まる。開幕戦地元のオーストラリアでも足を引きずる場面が見受けられ、不安視されたが、エイドリアン・ニューウェイが開発したRB5を操り、第2戦マレーシアGPでは6位入賞(レース距離が75%を満たしていなかったので、F1史上5度目となるハーフポイントとなり1.5ポイントを獲得)。続く第3戦中国GPでは、07年日本GPを思わせるような雨の中、僚友セバスチャン・ベッテルに敗れはしたものの、開幕2連勝中のブラウンGPジェンソン・バトンとのバトルを繰り広げ、自己最高位である2位をもぎ取るなど、開幕前の不安とは裏腹にまずまずのスタートダッシュを切った。第4戦以降も、第5戦スペインGPで3位表彰台、第7戦トルコGP、第8戦イギリスGPで2位表彰台を獲得するなど、チームメイトのベッテルの成績には劣るものの引けをとらない走りを見せた。第9戦ドイツGPニュルブルクリンクではF1参戦132戦目にして初のポールポジションを獲得。決勝、スタート時にブラウンGPのルーベンス・バリチェロに対する幅寄せによりドライブスルーペナルティーを科されるという逆境をものともせず、同サーキットでは達成困難といわれるポールトゥーウィン[1]でF1史上102人目の初優勝を飾った。

[編集] 経歴年表

  • 1994年 オーストラリアFormula Ford参戦
  • 1995年 イギリスFormula Ford参戦
  • 1996年 イギリスFormula Ford参戦、フェスティバル優勝
  • 1997年 イギリスF3参戦(チーム:Alan Docking Racing)、マルボーロ・マスターズ3位
  • 1998年 FIA-GT参戦(チーム:AMG Mercedes) 5勝、シリーズ3位
  • 1999年 ル・マン24時間レース参戦(チーム:AMG Mercedes)(マシン:メルセデスCLR-GT1)
アクシデントにより決勝出走せず。アロウズF1をテストドライブ
  • 2000年 国際F3000参戦(チーム:European Arrows)(マシン:Lola B99/50) 1勝・21ポイント・総合3位、ベネトンF1をテストドライブ
  • 2001年 国際F3000参戦(チーム:Super Nova)(マシン:Lola B99/50) 3勝・39ポイント・総合2位、ベネトンF1公式テストドライバーを務める

[編集] F1での年度別成績

チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 ランキング ポイント
2002 ミナルディ PS02 AUS
5
MAL
Ret
BRA
11
SMR
11
ESP
DNS
AUT
12
MON
11
CAN
11
EUR
15
GBR
Ret
FRA
8
GER
Ret
HUN
16
BEL
Ret
ITA
Ret
USA
Ret
JPN
10
16位 2
2003 ジャガー R4 AUS
Ret
MAL
Ret
BRA
9
SMR
Ret
ESP
7
AUT
7
MON
Ret
CAN
7
EUR
6
FRA
6
GBR
14
GER
11
HUN
6
ITA
7
USA
Ret
JPN
11
10位 17
2004 ジャガー R5 AUS
Ret
MAL
Ret
BHR
8
SMR
13
ESP
12
MON
Ret
EUR
7
CAN
Ret
USA
Ret
FRA
9
GBR
8
GER
6
HUN
10
BEL
Ret
ITA
9
CHN
10
JPN
Ret
BRA
Ret
13位 7
2005 ウィリアムズ FW27 AUS
5
MAL
Ret
BHR
6
SMR
7
ESP
6
MON
3
EUR
Ret
CAN
5
USA
DNS
FRA
12
GBR
11
GER
Ret
HUN
7
TUR
Ret
ITA
14
BEL
4
BRA
Ret
JPN
4
CHN
7
10位 36
2006 ウィリアムズ FW28 BHR
6
MAL
Ret
AUS
Ret
SMR
6
EUR
Ret
ESP
9
MON
Ret
GBR
Ret
CAN
12
USA
Ret
FRA
Ret
GER
Ret
HUN
Ret
TUR
10
ITA
10
CHN
8
JPN
Ret
BRA
Ret
14位 7
2007 レッドブル RB3 AUS
13
MAL
10
BHR
Ret
ESP
Ret
MON
Ret
CAN
9
USA
7
FRA
12
GBR
Ret
EUR
3
HUN
9
TUR
Ret
ITA
9
BEL
7
JPN
Ret
CHN
10
BRA
Ret
12位 10
2008 レッドブル RB4 AUS
Ret
MAL
7
BHR
7
ESP
5
TUR
7
MON
4
CAN
12
FRA
6
GBR
10
GER
Ret
HUN
9
EUR
12
BEL
8
ITA
8
SIN
Ret
JPN
8
CHN
14
BRA
9
11位 21
2009 レッドブル RB5 AUS
12
MAL
6
CHN
2
BHR
11
ESP
3
MON
5
TUR
2
GBR
2
GER
1
HUN
-
EUR
-
BEL
-
ITA
-
SIN
-
JPN
-
BRA
-
ABU
-
3位 45.5

[編集] 備考

  • 恋人アンがイギリスでオープンしたレストランをサポートする形で、その共同経営に携わっている。
  • 2008年8月、ITV-F1のインタビュー[2]において、「無くなってほしいグランプリは?」との質問に「日本」、さらに「鈴鹿か富士かを問わず、(とにかく)日本」と答えている。
  • 2008年11月22日、母国オーストラリアで自らが主催するチャリティ・スポーツイベント「マーク・ウェバー・ピュア・タスマニア・チャレンジ」に参加中、自転車に乗っているところを4輪駆動車と接触する事故に遭った。オーストラリアの「ABCラジオ」により、ウェバーは足と腕を複雑骨折していると報道された。また、タスマニア警察のジョン・フォード巡査部長によると、その容態について「重傷だが命の危険はない」とのこと。
  • レース中、アクシデント、トラブルに見舞われた際、怒りのあまりステアリングをよく投げつけるのはファンの間でも有名な話(2006年モナコGP2007年日本GP)。

[編集] 注釈

  1. ^ 初ポール、初優勝ともに132戦目での達成は史上最も遅い記録。また過去16回(南コース改修後)の開催においてニュルブルクリンクでポール・トゥ・ウィンを達成したのは2004年のミハエル・シューマッハのみ。
  2. ^ Mark Webber on the spot Thursday, 28 August 2008 12:43

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク