フォンドメタル

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フォンドメタル 
参戦年度 1991 - 1992
出走回数 29
コンストラクターズ
タイトル
0 
ドライバーズタイトル 0 
優勝回数 0 
通算獲得ポイント 0 
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1991年アメリカGP
初勝利 -
最終勝利 -
最終戦 1992年イタリアGP
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フォンドメタルFondmetal F1 SpA)は、1991年から1992年までF1に参戦していたイタリアのレーシングチーム。チーム代表はガブリエーレ・ルミ

歴史[編集]

F1[編集]

元々、フォンドメタル自体はイタリアタイヤホイールメーカーで、1984年オゼッラウィリアムズティレルリジェといったチームにホイールの供給を始めたことでF1の世界に進出。1988年にはオゼッラのスポンサーとなり、1990年末に同チームを買収して参戦を開始した。

1991年[編集]

ドライバーはオゼッラ時代から引き続き、オリビエ・グルイヤール。だが、第14戦でAGSガブリエル・タルキーニとのトレードが行われ、以後はタルキーニが乗った。この年は1カー体制での参戦となった。

1992年[編集]

アンドレア・キエーザモナコGPでドライブするGR01

スポーティングレギュレーションの変更で2カーエントリーが義務付けられたこともあり、1991年からのタルキーニとアンドレア・キエーザの2カー体制。フォード・コスワースHBエンジンを獲得し、開幕より序盤は前年型のマシンGR01に搭載して出走。第7戦カナダGPからは、セルジオ・リンランドがデザインしたニューマシンGR02を投入した。HBエンジンの獲得やシャシーの開発にかなりの予算を割いたこともあり、タルキーニが中団で好走を見せたが、入賞を実現するには一歩及ばない状況が続き、序々に資金不足が深刻化していった。第11戦ハンガリーGPからは、キエーザに変えてブラバムからエリック・ヴァン・デ・ポールが移籍したが、転戦資金にも窮したチームは第13戦イタリアGPをもって撤退を決断した。

その後[編集]

チームを失ってもF1への情熱が冷めないルミは、エアロダイナミクスを中心とした技術開発会社フォンドメタル・テクノロジーを設立し、テクニカル・パートナーとしてF1との関わりを継続した。1994年から1996年まではティレルと、1996年と1997年はベネトンと技術提携を結んだ。ティレルにはエアロダイナミストとしてジャン=クロード・ミジョーを派遣し、フォンドメタル・テクノロジーの自社風洞を活用してティレルの空力開発全般を率いた。また、1997年からはルミがミナルディの共同オーナーを務め、同チームが搭載するコスワースエンジンのバッジネーム(2000年)を取得するなど密接な関係になっていたが、2000年末にルミが癌に侵されていることが判明すると、フォンドメタルの所有していた株式をポール・ストッダートに売却し一線を退いた。ルミは翌年死去した。

変遷表[編集]

エントリー名 車体型番 タイヤ エンジン 燃料・オイル ドライバー ランキング 入賞数
1991年 フォンドメタル F1 FA1ME,GR01 P フォードDFR Agip オリビエ・グルイヤール
ガブリエル・タルキーニ
17 0
1992年 フォンドメタル GR01,GR02 G フォードHB5 Agip ガブリエル・タルキーニ
アンドレア・キエーザ
エリック・ヴァン・デ・ポール
15 0

*斜体になっているドライバーはスポット参戦など

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]

FONDMETAL Cerchi in Lega - Aluminium Wheels - Alloy Wheels 母体となった自動車パーツメーカー。