ロバート・ドーンボス

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ロバート・ドーンボス
Doornbos.jpg
基本情報
フルネーム ロバート・マイケル・ドーンボス
国籍 オランダの旗 オランダ
出身地 同・ロッテルダム
生年月日 1981年9月23日(32歳)
F1での経歴
活動時期 2005-2006
過去の所属チーム '05 ミナルディ
'06 レッドブル
出走回数 11
優勝回数 0
通算獲得ポイント 0
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 2005年ドイツGP
最終戦 2006年ブラジルGP
タイトル 0
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ロバート・ドーンボスRobert Doornbos, 1981年9月23日 - )は、オランダ出身のレーシングドライバー2006年F1レッドブル・レーシングの第3ドライバーを務めていたが、中国GPからレッドブルの正ドライバーに起用されていた。

名字の「Doornbos」については、オランダ語の発音では「ドールンボス」が近い。

プロフィール[編集]

異色の経歴[編集]

元々はテニスプレーヤーを目指していたが、1998年ベルギーGPで、ウィリアムズメカクロームジャック・ヴィルヌーヴに会ってから、レーシングドライバーに転向した異色の経歴の持ち主である。

その後、イタリア出身の元F1ドライバーのピエルカルロ・ギンザーニが運営する、イタリアF3選手権チームで安定した成績を残し頭角を現す。その後はF3を経てF3000で活躍した。

F1[編集]

2004年

F3000参戦中の2004年にF1のジョーダン・グランプリでテストドライバーを務めることとなり、その後同チームのサードドライバーに抜擢された。

2005年

2005年も引き続いてサードドライバーに起用された。 その後ミナルディのパトリック・フリーザッハーの金銭的理由(スポンサーの経営不振によるスポンサーマネーの未払い)による解雇に伴い、2005年のドイツGPでミナルディよりF1デビューした。

2006年

2006年はレッドブルの第3ドライバーとして金曜日のフリー走行セッションを走ることになったが、中国GPから正ドライバーであったクリスチャン・クリエンの離脱にともない、同チームの正ドライバーに起用された。

F1以降[編集]

2007年 アメリカへ

2007年はレッドブルF1チームのテストドライバーを務めつつ、アメリカに渡りミナルディチームUSAからチャンプカーに参戦し、参戦初年度ながら第6戦モントランブランで初優勝を達成した。

その後、第9戦のサンノゼ市街地レースでも優勝。シーズン全14レース中6レースで表彰台に上がり、シーズンポイントランキングでも3位とルーキーではトップの成績を残した。

2008年

2008年は、ミナルディチームUSAがチャンプカーと統合したインディカー・シリーズ(IRL)へ参戦しなかったために、スーパーリーグ・フォーミュラACミランのクラブチームから参戦し、また2008年-2009年A1グランプリの第2戦・4戦・6戦に乗りジェローン・ブリーケモレンと共にオランダチームにも参戦してチーム3位に貢献した。(ドーンボスの最高位、1位1回)

前半戦に不振であったネルソン・ピケJr.の代わりにルノーF1チームのナンバー2ドライバーとして参戦するとの噂も持ち上がったが結果的には、オランダで行なわれるルノーのF1イベントでデモランを行なうためのドライバーとして契約を交わしたことが判明した。これはオランダの大手金融グループでルノーのメインスポンサーであるINGグループがオランダ人ドライバーを望んだことによるものである。

IRL[編集]

2009年

旧チャンプカーチームのニューマン・ハース・レーシングからインディカー・シリーズにフル参戦した。ミッドオハイオからHVMレーシングに移籍した。第3戦のカンザスでは予選で2位に入り、決勝ではラップリードも記録した。

年間を通した成績では5度のトップ10フィニッシュを記録し、ランキング16位に入った。

2010年

インディカー・シリーズには参戦せず、スーパーリーグ・フォーミュラにコリンチャンスから参戦している。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]