ミナルディ・M188

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ミナルディ・M188 / M188B
カテゴリー F1
コンストラクター イタリアの旗 ミナルディ
デザイナー ジャコモ・カリーリ
(テクニカルディレクター)
アルド・コスタ
(チーフデザイナー)
先代 ミナルディ・M186[1]
後継 ミナルディ・M189
主要諸元
シャシー カーボンファイバー アルミニウム モノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン、プルロッド式
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン、プルロッド式
エンジン フォード コスワース DFZ (Mader)(1988)
フォード コスワース DFR (1989) 3.5リッター, 585馬力(DFZ 1988)/595馬力(DFR 1989), V8 (90°), NA, ミッドエンジン
トランスミッション ミナルディ製 5速, MT
重量 506kg
燃料 アジップ
タイヤ グッドイヤー (1988)
ピレリ (1989)
主要成績
チーム ロイス・ミナルディ・チーム
ミナルディF1チーム
ドライバー スペインの旗 エイドリアン・カンポス
スペインの旗 ルイス・ペレス=サラ
イタリアの旗 ピエルルイジ・マルティニ
初戦 ブラジルの旗 1988年ブラジルグランプリ
出走優勝ポールFラップ
19000
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ミナルディ・M188 (Minardi M188) は、ジャコモ・カリーリアルド・コスタが設計したフォーミュラ1カーで、1988年から1989年にかけてミナルディチームによって使用された。

M188[編集]

ミナルディは前年を2シーズン目となるM186で戦っており[1]、M188はチームにとって約2年ぶりの完全な新車であった。ターボエンジン禁止レギュレーションを1年後に控えた1988年、ミナルディはこれまで搭載していたモトーリ・モデルニV6ターボによるトラブル発生が多発していたこともあり、完走率向上を目指してV8NAエンジンのコスワース・DFZに変更。同年までF1のタイヤはグッドイヤーによる独占となっておりそれを装着した。

M188はフロントダンパーの配置に工夫を施されたミナルディの意欲作だった。特徴的なフロントダンパーの配置は、前年にベネトンロリー・バーンB187で採用した配置に似ており、左右のフロントダンパーを進行方向に向かって横向きにしてフロントノーズ上面で前後互い違いにオフセット配置し、プッシュロッドにより入力することによって省スペース化、モノコック全幅を少なくして細いフロントノーズを実現させる狙いがあった[2]。カリーリ独自のものとして、シーズン開幕時にはコイルスプリングではなくトーションバーを用いたダンパーを採用。これをアンチロールバーで車高を調整する仕組みだった。

ドライバーは二年目となるエイドリアン・カンポスと、前年の国際F3000でタイトル争いをしたルイス・ペレス=サラと新たに二年契約を結び[3]スペイン人コンビとなった。F1ルーキーのペレス=サラはすぐにカンポスよりM188を速く走らせるようになると、カンポスは成績不振によって第5戦で解雇となり、レーサーを引退して母国スペインでの後進の育成に携わることとなった[4]。カンポスの後任には1985年に在籍していたピエルルイジ・マルティニが呼び戻された[5]

マルティニは復帰戦となった第6戦デトロイトGP決勝で6位入賞し、M188はミナルディに初の選手権ポイントをもたらした。

8月の第10戦ハンガリーGP第11戦ベルギーGPではダンパーをコイルスプリング方式に戻し、第12戦イタリアGP以後はタンパー配置も横向き前後オフセットではなくドライバーの足と同じ向きに並べられるオーソドックスな配置とするなど、継続して複数の研究・模索が続けられた。このイタリアGPからはサスペンションアームの形状を変更してホイールベースを従来より長めに変更するモデファイも施された。

コンストラクターズ・ランキングはマルティニの1ポイント獲得により10位を記録した。

シーズン終了後には、スバルモトーリ・モデルニと手を組んで開発した水平対向12気筒エンジン[6]をM188に搭載し、マルティニがシェイクダウンテストを行った[7]。開発状況が良好な場合には次モデルであるM189にモトーリモデルニ・スバルを搭載する構想だったが、V型エンジンと比べると明らかに重量過多でありトラブルを多発。翌1989年途中までテストはされたが、結局ミナルディはスバルから手を引いた。このスバルエンジンは1年後の1990年にコローニが搭載したが、戦闘力を持たず第8戦で撤退となり、キャスピタが搭載する予定だったエンジンも中止となった。

スペック[編集]

シャーシ[編集]

エンジン[編集]

M188B[編集]

1989年シーズンの開幕戦から第3戦モナコGPまでは前年の改良型であるM188Bを使用した。タイヤはこの年からサプライヤーとして再参入したピレリと新たに契約。エンジンはフォード・コスワース・DFRに変更された。ドライバーはペレス=サラとマルティニのコンビが継続。2月の開幕前に行われたヘレス合同テストでは、エンジンをDFRに乗せ換えたM188Bは「意外な」速さを見せ、前年に同地で行われた1988年スペイングランプリ予選でアイルトン・セナが記録したPPタイムを上回り話題となった[8]

シーズンが始まると、マルティニは予選11位グリッドを二度記録するなどピレリのQタイヤ(予選用タイヤ)を活かした走りを見せたが、決勝では2人とも第3戦まで連続リタイヤを喫した。マルティニは全てメカニカルトラブル、ペレス=サラは他車との接触とエンジントラブルによるリタイヤだった。

第4戦からは新車M189が投入されM188は役目を終えた。

スペック[編集]

シャーシ[編集]

エンジン[編集]

  • エンジン名 コスワースDFR
  • 気筒数・角度 V型8気筒・90度
  • 排気量 3,494cc
  • 出力 595馬力以上

F1における全成績[編集]

(key) (太字ポールポジション

シャシー タイヤ No ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1988年 M188 G BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
MEX
メキシコの旗
CAN
カナダの旗
DET
アメリカ合衆国の旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
ESP
スペインの旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
1 10
23 スペインの旗 カンポス Ret 16 DNQ DNQ DNQ
23 イタリアの旗 マルティニ 6 15 15 DNQ Ret DNQ Ret Ret Ret 13 7
24 スペインの旗 ペレス Ret 11 Ret 11 13 Ret NC Ret DNQ 10 DNQ Ret 8 12 15 Ret
1989年 M188B P BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
MEX
メキシコの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
ESP
スペインの旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
6[9] 11
23 イタリアの旗 マルティニ Ret Ret Ret
24 スペインの旗 ペレス Ret Ret Ret
1988年
  • コンストラクターズ10位。
  • ドライバーズランキング-位:エイドリアン・カンポス(予選最高位22位1回 決勝最高位16位1回)第5戦まで参戦
  • ドライバーズランキング16位:ピエルルイジ・マルティニ(予選最高位14位3回 決勝最高位6位1回)第6戦以降参戦
  • ドライバーズランキング-位:ルイス・ペレス=サラ(予選最高位11位1回 決勝最高位8位1回)
1989年
  • コンストラクターズ10位。
  • ドライバーズランキング14位:ピエルルイジ・マルティニ(予選最高位3位1回 決勝最高位5位2回)第15戦のみ欠場
  • ドライバーズランキング26位:ルイス・ペレス=サラ(予選最高位9位1回 決勝最高位6位1回)

参照[編集]

  1. ^ a b Auto e Piloti del Minardi Team 1987 Modello M186 ミナルディ公式ウェブサイト
  2. ^ THE DESIGNER ミナルディM188のフロントセクション グランプリ・エクスプレス '88GP号 頁 山海堂 1988年4月23日発行
  3. ^ 好青年はスパニッシュ・ファイター ルイス・ペレス・サラインタビュー グランプリエクスプレス '88スペインGP号 10-11頁 1988年10月21日発行
  4. ^ カンポスの新しい人生 グランプリ・エクスプレス '88カナダGP号 28頁 1988年7月2日発行
  5. ^ マルティニはF1シートを失った後、ペレス=サラと同様に国際F3000に参戦していた。
  6. ^ このエンジンは元々は高級スポーツカージオット・キャスピタに搭載するために開発された。
  7. ^ ミナルディ・スバルMMの開発 6月に非公開の実車テストを予定 グランプリ・エクスプレス '89シーズン開幕直前号 6頁 1989年4月3日発行
  8. ^ テストで見たNA回帰元年激戦の証・ミナルディが速い! GPX '89シーズン歓待号 26頁 1989年3月13日発行
  9. ^ ミナルディ・M189でのポイントを含む。