クリスチャン・フィッティパルディ

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クリスチャン・フィッティパルディ
Christian Fittipaldi 2006 Curitiba.jpg
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
出身地 同・サンパウロ
生年月日 1971年1月18日(43歳)
F1での経歴
所属チーム '92-'93 ミナルディ
'94 フットワーク
活動時期 1992-1994
出走回数 43
優勝回数 0
通算獲得ポイント 10
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1992年南アフリカGP
初勝利
最終勝利
最終戦 1994年オーストラリアGP
タイトル 0
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クリスチャン・フィッティパルディChristian Fittipaldi, 1971年1月18日 - )は、ブラジル出身のレーシングドライバーである。父はかつて存在したF1チームフィッティパルディのオーナーであるウィルソン・フィッティパルディ、叔父は元F1ワールドチャンピオンでインディ500優勝者でもあるエマーソン・フィッティパルディである。

経歴[編集]

初期の経歴[編集]

家庭環境から幼い頃からカートを走らせ、1988年には17歳の若さでブラジル国内のフォーミュラ・フォード選手権に出場し、その後、1989年にブラジルF3選手権、1990年に南米F3選手権を立て続けに制し、ヨーロッパに渡った。

イギリスF3を経て、1991年にはパシフィック・レーシングより国際F3000にエントリーし、参戦初年度にしてチャンピオンを獲得した。

F1[編集]

フィッティパルディは順当にF1にステップアップし、1992年開幕戦南アフリカGPミナルディからデビューした。活躍を期待されたがフランスGP予選中に首を負傷して続く3戦を欠場。日本GPで6位初入賞した。

2年目の1993年は開幕戦南アフリカGPで4位を獲得。しかし、脆弱なチーム体制ゆえに見せ場は少なく、イタリアGPではゴール直前に同僚ピエルルイジ・マルティニのクルマに追突して空中で1回転し、マシンを破損したままゴールするというあわやの場面もあった。失意のシーズンを過ごした結果、1993年シーズン最後の2戦を残して、チームから去った。

1994年はフットワークへ移籍し、2回の4位入賞を記録したものの状況を好転するにはいたらず、F1に見切りをつけ、活躍の舞台をアメリカへと移す決断をした。

CART[編集]

1995年よりアメリカに渡り、CARTシリーズに参戦。インディ500でいきなり2位に入るなどし、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。

1996年より名門ニューマン・ハース・レーシングへ移籍したが、その後も簡単に結果を出すという具合にはいかず、1999年のロードアメリカでようやく初勝利をあげた。

CARTでは2度の事故を経験しているが、1997年の第2戦サーファーズ・パラダイスにおいて足を複雑骨折した最初の事故は後遺症を残した。CARTシリーズには2002年まで8年間参戦して2勝1ポールポジションを記録したが、事故以前のレーシングスタイルを取り戻すことはなかった。

NASCAR[編集]

フィッティパルディはアメリカのモーターレーシングにおけるもうひとつの人気シリーズであるNASCARに焦点を合わせ、2000年から2001年にかけ、ブッシュ・シリーズ(Busch Series)に3戦出場した。

それらのレースでは良い印象を残したとは言いがたかったが、その走りはリチャード・ペティの目にとまり、2002年の末にクリスチャンはペティ・エンタープライゼスと契約し、2003年の夏にはウィンストン・カップでデビューを飾った。

2003年、アンディ・ペトリーと1戦のみ契約し、ARCAでデイトナ500に初めて参戦し、夏にはジョン・アンドレッティの計らいで有名なカーナンバー43のクルマのドライバーとなった。フィッティパルディは苦戦したが、秋になると契約が更新され、チームに残留してカーナンバー44のクルマを運転した。

ペティ・エンタープライゼスから離れた後、2004年にベル・モータースポーツのドライバーの一人としてデイトナ24時間レースに出場し、優勝した。

その他の活動[編集]

2005年はブラジルに戻り、国内で人気を誇るストックカーシリーズに参戦、それとは別に北米で開催されるGrand-Amシリーズにも出場し、フェニックスで優勝した。その後、ネルソン・ピケJr.の離脱後に、2005-2006シーズンA1グランプリのブラジルチームのステアリングを握ってもいる(最高位4位1回、チーム総合6位)。

2006年は、エディ・チーバーのチームからGrand-Amに出場するなど北米での活動に重点を置いたが、ブラジル国内のストックカーシリーズへも数戦にスポット参戦したほか、ル・マン24時間レースではプライベーターのサリーンS7Rを駆ってクラス6位、総合11位という成績を収めた。

エピソード[編集]

  • フィッティパルディのF1デビュー当時は日本では依然F1ブームの渦中にあったため、その端正なマスクと、出自の毛並みのよさが女性ファンの関心を集めた。フジテレビのF1中継では、当時やはり日本で人気と話題を集めていた大相撲の花田兄弟になぞらえて、古舘伊知郎から「F1貴花田」とニックネームを付けられた。また、顔が似ていることから「顔面トム・クルーズ」とも呼ばれた。
  • フジテレビはアイルトン・セナに続く次世代のブラジル人ヒーローになることを期待し、F1関連の番組に積極的に出演させたほか、『笑っていいとも!』に出演したこともある。
  • ヘルメットのデザインは父であるウィルソンのものを受け継いでいる。父は緑色ベースに黄色のワンポイントだったが、クリスチャンは配色を逆にして、黄色ベースに緑色のワンポイントとした。
  • 同郷のセナには可愛がられていて、セナの死後に行われたモナコGPではヘルメットにセナのヘルメットシールをつけて走っていた。

F1での年度別成績[編集]

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント
1992年 ミナルディ M191 RSA
Ret
MEX
Ret
BRA
Ret
ESP
11
18位 1
M192 SMR
Ret
MON
8
CAN
13
FRA
DNQ
GBR
GER
HUN
BEL
DNQ
ITA
DNQ
POR
12
JPN
6
AUS
9
1993年 M193 RSA
4
BRA
Ret
EUR
7
SMR
Ret
ESP
8
MON
5
CAN
9
FRA
8
GBR
12
GER
11
HUN
Ret
BEL
Ret
ITA
8
POR
9
JPN
AUS
14位 5
1994年 フットワーク FA15 BRA
Ret
PAC
4
SMR
13
MON
Ret
ESP
Ret
CAN
DSQ
FRA
8
GBR
9
GER
4
HUN
14
BEL
Ret
ITA
Ret
POR
8
EUR
17
JPN
8
AUS
8
15位 6

関連項目[編集]

外部リンク[編集]