三洋電機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 種類 | 株式会社 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 市場情報 |
|
||||||||
| 略称 | サンヨー、三洋、SANYO | ||||||||
| 本社所在地 | 〒570-8677 大阪府守口市京阪本通二丁目5番5号 |
||||||||
| 電話番号 | 06-6991-1181 | ||||||||
| 設立 | 1950年(昭和25年)4月8日 | ||||||||
| 業種 | 電気機器 | ||||||||
| 事業内容 | 電化製品、半導体等の製造・販売・保守・サービス等 | ||||||||
| 代表者 | 佐野 精一郎(代表取締役社長) | ||||||||
| 資本金 | 3,222億4,200万円 | ||||||||
| 売上高 | 連結:2兆2,154億3,400万円 単独:1兆2,159億1,400万円 (2007年3月期) |
||||||||
| 総資産 | 連結:1兆9,709億4,000万円 単独:1兆2,158億7,700万円 (2007年3月期) |
||||||||
| 従業員数 | 連結:94,906名 単独:11,032名 (2007年3月末日現在) |
||||||||
| 決算期 | 3月31日 | ||||||||
| 主要株主 | 日本マスタートラスト信託銀行(株)(信託口) 4.72% 三洋電機従業員持株会 2.64% (株)三井住友銀行 2.31% |
||||||||
| 主要子会社 | 三洋電機コンシューマエレクトロニクス(株) 79.6% 三洋半導体(株) 100% |
||||||||
| 関係する人物 | 井植歳男(創業者) | ||||||||
| 外部リンク | http://www.sanyo.co.jp | ||||||||
三洋電機株式会社(さんようでんき、英文表記:SANYO Electric Co., Ltd.)は、日本の電機メーカー。東証1部上場。本社は大阪府守口市に所在。ブランドビジョンは「Think GAIA(シンクガイア)」(2007年3月までは呼称をコーポレートスローガンとし、そのコーポレートスローガンを「人と・地球が大好きです」としていた)。東芝・日立・松下電器産業・シャープと並ぶ日本電機メーカー大手の一つでもあり、老舗であり、また松下電器産業・シャープと並ぶ在阪家電メーカーのうちのひとつでもある。
松下幸之助の義弟で松下電器産業の創業にもかかわった井植歳男(いうえ としお)がGHQによる公職追放指定に伴い1946年に松下電器産業を退社、翌年2月1日、松下幸之助より、自転車用発電ランプの製造権と加西市にある松下電工北条工場を譲り受け、個人事業「三洋電機製作所」を創業、自転車用ランプを製造(当初は松下電器が販売。1947年に直販化)。1950年、三洋電機株式会社設立。会社のマークに源流企業の松下電器産業の「ナショナルマーク」類似の円形に電気のスパークとサンヨーロゴををデザインしたものを採用。1953年に開発した噴流式洗濯機が大ヒットし、一躍有名になった。
社名は、太平洋・大西洋・インド洋を意味し、世界で活躍できる企業になるという意志が込められている。
目次 |
[編集] 概要
自社ブランドの家電製品自体のシェアは小さいものの、洗剤の不要な洗濯機や、ニッケル・カドミウム蓄電池、リチウム電池の商品化など、一部の技術力は高いものを持っており、自社ブランドが表に出ない光デバイスや二次電池、パソコン等電子機器用コンデンサなど一部の電子デバイスや、完成品のOEM供給ではトップシェアを持つ製品が数多く存在し、「縁の下の三洋(電機)」と言われることもある。特にデジタルカメラのOEM供給元としては世界トップシェアを誇っている。また、「デジカメ」・「ムービーデジカメ」の商標を保有している。CD-Rドライブの書き込みエラー防止機能「BURN-Proof(バーン・プルーフ)」を世界で初めて開発した。コインランドリーの機器では国内市場をほぼ独占している。
世界初、業界初(特に白物家電や後述の携帯電話等の通信機器に顕著に現れている)といった商品を他社と比べ非常に多く投入し[要出典]、開発技術力は高いものの、採算に合わないと主力商品以外はすぐに撤退、他社へ売却する傾向がある[要出典]。
低価格競争の激しい家電量販店よりも、地元密着型でアフターサービス重視の街の電器店を非常に優遇する傾向があり、ハイビジョンレコーダ等は通常OEM供給のみだが、街の電器店において専売モデルとして販売したり、街の電器店で購入した場合のみに適応する長期延長動作保証などの特典がある。
また携帯電話の分野では現在PHSを含む国内全キャリアに端末を供給(但し、ボーダフォン(現ソフトバンクモバイル)へは2004年夏季以降新製品の供給はなし)し、骨伝導スピーカー「SonicSpeaker」(携帯電話端末機としては世界初)やFMラジオチューナー、果てはワンセグ放送対応テレビチューナー(携帯電話端末機としては世界初、KDDI/沖縄セルラー電話のauブランド向けCDMA 1X WIN対応端末・W33SA)を搭載するなど、野心多き企業とも言える。 携帯電話開発は、三洋電機(元三洋テレコミュニケーションズ、SA型番)と、子会社の三洋電機コンシューマエレクトロニクス(旧鳥取三洋電機、旧ST型番、現在はSAに統合)の2社により独立して行われている(最近は大阪三洋製端末に鳥取三洋のソフトウェアを組み込んでいたり〈A5522SA〉、逆に鳥取三洋製端末に大阪三洋のソフトウェアを組み込んでいるケース〈W53SA〉が見られる)。また、納入条件で折り合いがつかないことが原因で長らく供給が途絶えていたNTTドコモ向け機種についても、2005年にFOMASA700iSで6年ぶりに供給を再開したが、3機種で撤退となる。au等が採用するCDMA2000方式の携帯電話の世界シェアアップや開発費の削減などを目的に、フィンランドの世界最大の携帯電話開発メーカーのノキアと事業提携を結び、2006年夏をめどに合弁会社を設立すると2006年2月14日に発表したが、同年6月22日に提携解消を発表した。
2007年8月11日に一部報道機関から携帯電話事業売却をシャープや京セラに打診しているとの報がなされたが、三洋側は否定していた。しかし2008年1月21日に携帯電話事業の京セラへの売却が正式発表された。 売却は行われるが、当面は京セラ、三洋の2ブランドを両方販売していく。なお、鳥取三洋電機の事業は売却されず終息となる。 したがって、携帯電話における三洋ブランドは引き続き存続させる方針である。
太陽光発電の事業でも有力な生産者であり、独自技術のHIT太陽電池で高いシェアを持つ。また岐阜県安八郡安八町に巨大なモニュメントでもあるソーラーアークが設置されている。東海道新幹線の米原駅と岐阜羽島駅の間で車内から見ることができる。
有機ELディスプレイにも意欲的であり、米イーストマンコダック社と共同で開発していたが、2006年1月31日に撤退を表明した(コダック社は事業継続)。
プラズマテレビ、液晶テレビではシェアは低いが、セイコーエプソンの技術協力を得てホームシアター用プロジェクターであるZシリーズは国内で一番の売上を誇っている。プラズマ、液晶においてもデザイナーのグエナエル・ニコラを起用し、革新的なデザインのテレビでシェア向上を狙っている。
2004年の新潟県中越地震により子会社の半導体製造工場が被災、500億円を超える損害を出した(地震保険に入っていなかったという。阪神大震災を知っている関西の企業にあるまじき対応との声もあった。)ほか、デジタルカメラの単価下落などの煽りを受け、同年度は大幅な減収減益となった(2005年3月決算は1715億円の当期赤字)。このため、2005年6月には、長らく続けてきた同族経営の殻を破り、外部からジャーナリストの野中ともよを社外取締役として招聘し、野中が会長・最高経営責任者(CEO)に就任した。しかし、野中は2006年2月にCEO兼務を解かれ、3月にはゴールドマン・サックスグループ・大和証券SMBC・三井住友銀行に約3000億円の優先株式を発行して増資。12月には携帯電話機向けの充電池の不具合で、130万個を回収すると発表。翌2007年1月に洗濯乾燥機で16万台をリコール。2月には不適切な会計処理が問題化した。三期連続の赤字決算の責任と会計問題を処理する過程で、野中が会社を去り、4月2日に創業者の孫の井植敏雅が社長を退いた。今後、大株主である金融機関によって事業部門の売却、再建が行われる運びである。
[編集] 沿革
- 1947年(昭和22年)2月1日 三洋電機製作所として創業。
- 1950年(昭和25年) 三洋電機株式会社設立。
- 1959年(昭和34年) 東京三洋電機株式会社設立。
- 1966年(昭和41年)7月1日 鳥取三洋電機株式会社(現・三洋電機コンシューマエレクトロニクス株式会社)設立。
- 1985年(昭和60年)~1986年 石油ファンヒーターによるCO中毒事故が続発(詳細は#石油ファンヒーター事件を参照)。
- 1986年(昭和61年) グループ会社であった東京三洋電機を吸収合併。これを機にロゴマークを現在のものに変更。
- 1999年(平成11年)2月4日 イーストマンコダックと有機EL事業での業務提携を発表。
- 1999年(平成11年)9月30日 世界初となる、アクティブマトリクス方式の、有機ELフルカラーディスプレイをコダックと共同発表。
- 2000年(平成12年)10月4日 東芝グループから東芝電池の有するニッケル水素電池事業を取得する[1]。
- 2002年(平成14年) 業界2位だった自動販売機事業を富士電機に売却。
- 2002年(平成14年) 中国最大の家電メーカーである海爾集団公司(ハイアール)と提携、三洋ハイアールを設立。
- 2002年(平成14年) ソーラーアーク設立。
- 2003年(平成15年) 子会社の三洋電機ソフトウエアがNTTデータと資本提携。NTTデータ三洋システムに社名変更。
- 2004年(平成16年)9月1日 携帯電話事業の子会社、三洋テレコミュニケーションズ(STEL)を吸収合併。
- 2004年(平成16年)10月1日 セイコーエプソンとディスプレイ事業を統合。
- 2004年(平成16年)10月23日 新潟県中越地震が発生し、子会社の工場が被災。無保険(地震保険)だったことから500億円超の被害が生じる。
- 2005年(平成17年)6月29日 キャスターの野中ともよが代表取締役会長兼CEO、井植敏雅が代表取締役社長兼COOに就任。
- 2005年(平成17年)9月28日 創業地である北條工場(兵庫県加西市)の閉鎖を含む追加再建計画を発表。
- 2005年(平成17年)11月18日 総合家電企業からの撤退を発表。
- 2006年(平成18年) イーストマンコダックとの提携を解消。
- 2006年(平成18年)2月14日 CDMA携帯電話事業でノキアとの提携を発表。
- 2006年(平成18年)3月14日 総額約3000億円の優先株増資を実施。大和証券SMBC、ゴールドマン・サックス証券、三井住友銀行が引き受け、三金融機関が副社長を派遣。
- 2006年(平成18年)3月16日 薄型テレビ事業で台湾のコンピュータメーカー廣達電腦(クアンタ)との提携を発表。合弁会社を設立へ。
- 2006年(平成18年)6月22日 ノキアとの提携を白紙化。
- 2006年(平成18年)7月3日 三洋半導体株式会社を設立。
- 2006年(平成18年)9月28日 洗濯機の製造を2007年春を目処に滋賀工場から東京製作所に移管すると発表。
- 2006年(平成18年)12月1日 プロ野球オールスターゲームの冠スポンサーから撤退を表明。
- 2006年(平成18年)12月7日 NTTドコモの携帯電話「D902i」などの三洋グループ製バッテリーが不具合で回収。
- 2007年(平成19年)2月2日 日本における冷蔵庫の製造を委託する目的でハイアール三洋エレクトリックを設立(2002年に設立された三洋ハイアールは、同年3月31日付けで解散)。
- 2007年(平成19年)2月23日 朝日新聞が「三洋電機巨額粉飾の疑い」と朝刊一面で報道。
- 2007年(平成19年)3月14日 主要株主の三金融機関保有の優先株が普通株に転換可能に。
- 2007年(平成19年)3月19日 野中ともよが会長辞任。
- 2007年(平成19年)4月2日 井植敏雅社長が辞任。後任に佐野精一郎執行役員が昇格(創業家が経営責任者から初めて外れた)。
- 2007年(平成19年)11月28日 イオングループのプライベートブランド「トップバリュ」の家電製品を共同で開発すると発表。
- 2007年(平成19年)12月25日 東証・大証は、2001年3月期から2006年3月期までの有価証券報告書を訂正したことが、虚偽記載に該当するとして、三洋電機株を監理ポストに割り当てた。
- 2008年(平成20年)1月21日 携帯電話事業を4月1日付で京セラへ売却することで正式合意。売却額は500億円。
- 2008年(平成20年)1月25日 4月1日付でグループの組織再編を行い、三洋電機の白物家電事業・車載機器事業および営業・販売部門を三洋電機コンシューマエレクトロニクス株式会社(同日付で鳥取三洋電機から社名変更)に移管、鳥取三洋電機のフォトニクス事業を三洋電機に移管すると発表。
- 2008年(平成20年)2月9日 監理ポストの指定を解除。注意勧告が行われ、改善報告書の提出が義務付けられた。
- 2008年(平成20年)3月16日 ラグビー部が日本選手権(日本ラグビーフットボール選手権大会)で悲願の初優勝、日本一に。
- 2008年(平成20年)4月1日 京セラに携帯電話事業を売却。以降のSANYOブランドの携帯電話は京セラ製となる。
[編集] 主要製品
- 映像音響機器
- 液晶テレビ - VIZON(販売は系列店経由のみで行っている)
- ポータブルDVDプレイヤー - ムービッシュ(安定受信のワンセグチューナー内蔵)
- デジタルカメラ - Xacti(三洋では「ムービーカメラ」と称している)
- eneloop(乾電池のように使える初めての充電池)
- 液晶プロジェクタ - Z(エントリータイプのハイビジョン対応16:9のプロジェクタ)
- 家庭用防犯カメラ - HOVICA(外出先からチェックできる)
- 携帯電話・PHS - NTT DoCoMo向け、au向け(一部三洋電機コンシューマエレクトロニクス製)、WILLCOM向け
- デジタルオーディオプレーヤー - DIPLY MUSIC
- ICレコーダー - DIPLY TALK
|
au W31SA II |
au W33SA 世界初のワンセグ対応携帯電話として知られる |
- 生活家電
鳥取三洋電機と合わせ、セレクトショップFrancFrancやamadana、±0で扱うオリジナルブランド家電のOEM供給元でもある。
1990年代に少量ながらコンシューマゲームソフト・ゲームハードを発売していたことがある。
- コンシューマゲーム
- 3DO TRY(IMP-21J)
- 対決! るみーず(3DO) - 1995年8月7日
- プロスタジアム(同) - 1995年12月8日
- N.O.B(ネオ・オーガニック・バイオファーム)(同) - 1995年12月15日
- グリッツ ザ ピラミッドアドベンチャー(プレイステーション) - 1997年5月30日(るみーずのキャラ、設定替え)
- 業務用機器
[編集] 再建に向けた計画
2005(平成17)年10月22日に、共同通信社が冷蔵庫などの家電から撤退しこれらを生産している工場を閉鎖すると発表したが、三洋電機側はこの報道を全て否定、白物家電からの撤退を考えている事実はないとして、報道への遺憾の意を表わした[1]。しかし、2005年11月18日に総合家電メーカーから撤退を発表。今後は自然環境に優しい二次電池・太陽光発電事業や携帯電話をはじめとするモバイル関連事業を中心に経営を再建する見通し。白物家電については完全撤退しないものの、海外メーカーとの合弁も視野にいれ事業は大幅に縮小される見通し。
再建に向けての重要課題とされる三洋電機クレジット株は、一部を米投資銀行のゴールドマン・サックス社に売却すると、2005年12月9日に発表した[2]。また、同日、不振のテレビ事業においてもアジアメーカーとの提携に向けて協議中であることも明らかにし、2006(平成18)年3月17日に台湾のクアンタ・コンピュータと提携すると正式に発表。クアンタ・コンピュータと薄型テレビ事業のための合弁会社を設立し、分社化する。今後、三洋ブランドの液晶テレビは新会社から発売される。
再建に向けて三洋電機の資本増強計画についての第三者割り当てによる新株式(優先株式)発行の基本合意が、大和証券エスエムビーシープリンシバル・インベストメンツ株式会社(以下「大和証券SMBCPI」)、ゴールドマン・サックス・グループ、及び株式会社三井住友銀行(以下「三井住友銀行」)の中で達したと、2005年12月21日に発表した。この発表では、2006年(平成18年)2月末までに総額3,000億円の優先株式を発行し、大和証券SMBCPI、ゴールドマン・サックス・グループ、及び三井住友銀行がこれを引き受け、このうち、大和証券SMBCPI及びゴールドマン・サックス・グループに各1,250億円を、三井住友銀行へは500億円を割り当てる予定[3]とし、2006年1月25日に上記内容を予定通り正式に決定したと発表。2月26日での臨時株主総会にて了承を得た後、3月14日に増資は完了した。尚、産業再生法の適用により、増資に伴う税金が一部軽減される。
また、同時に人事変更の発表もあり、CEOとCOO、およびCFOは廃止し、9人の取締役のうち5人が今回の引受先の金融機関3社から就任する予定であることを明らかにした。
2007(平成19)年3月19日、野中ともよ会長の辞任が発表される。同年3月28日には、2007年4月2日付けで井植敏雅社長が辞任、後任に佐野精一郎執行役員総務人事本部長が昇任する人事が発表された。これにより創業家が経営の一線から退くこととなる。
2007年11月27日平成19年度9月中間連結決算は、人員削減などのリストラ効果もあり最終損益が159億円の黒字と中間期では3期ぶりに黒字に転換と発表。また、同日に来年度から3年間のマスタープラン「チャレンジ1000」も発表。得意分野である充電池や太陽電池、電子部品などの部品事業に設備投資を集中し、特に太陽電池では、岐阜事業所(岐阜県安八町)内に薄膜太陽電池の研究開発拠点となる「次世代太陽電池開発センター」を新設。売却を断念した半導体事業も子会社に対し3年間で約3700億円を投じる方針。不振の白物家電では高級で環境にやさしい商品を中心に継続の方向。
2008(平成20)年1月25日に、2008年4月1日付けでグループの組織再編を行い、三洋電機の白物家電事業・車載機器事業および営業・販売部門を三洋電機コンシューマエレクトロニクス(同日付で鳥取三洋電機から社名変更)に移管、鳥取三洋電機のフォトニクス事業を三洋電機に移管することが発表された[4]。
[編集] 諸問題
1985年に表面化した石油ファンヒーター事故を中心に製品回収が多数発生している。
[編集] 石油ファンヒーター事故
1984年に発売された石油ファンヒーターCFH-S221F型を使っていた4人が死亡、41人が中毒症状となった、暖房器具の安全性が見直された事件。原因は空気取入口が上に向いて掃除をしやすくしたためで、そこにホコリがたまって不完全燃焼を起こしやすくなっていたとされている。
事件が多発した1985年から1986年にかけて、三洋電機はその後のテレビCMや新聞広告を用いた告知[5]により回収を進め、提供番組では数ヶ月間通常のテレビCMを自粛した。これによる収益悪化が、東京三洋電機の吸収合併のきっかけとされる。
また、1994年から1998年には同社が発売した石油ファンヒーターに、瞬間的に炎が噴き出る事故もあった。燃料検出センサーが故障し、その状態で運転を続けた場合、灯油を使い切る直前に温風吹出し口から瞬間的に炎が出て、すぐに運転を停止してしまう。原因は灯油を使い切る直前に灯油と一緒に空気が吸込まれ、燃焼状態が不安定になるため一時的に生ずるものである。
三洋電機の他にユアサプライムス・日本電気ホームエレクトロニクスでも同様の機種を販売している。三洋電機は22機種、ユアサプライムスは4機種、日本電気ホームエレクトロニクスは3機種。
2005年にはナショナルでも同様の事故を起こし、似たようなCMが放映された。
2005年以降、未点検機種がまだあることが利用者からの修理問い合わせなどで発覚しているため、再度、製品の回収告知[6]を行っている。
[編集] カドニカ発火事故
三洋電機はカドニカ電池を応用した電気製品を数多く出しているが、初期の製品はノウハウもなかったこともあって数多くの発火事故を起こした。にもかかわらず三洋電機は製品回収を徹底して行わなかった。その為長い間製品発火が原因の火災事故が多数発生することとなった。
[編集] 土壌汚染公害の発生
2006年12月14日、北条工場跡地(加西市北条町北条)の土壌から、6種類の有害物質を検出し土壌汚染が発生していることを公表。土壌環境基準値を超過するフッ素(38.8倍)、六価クロム(16.4倍)、ホウ素(2.7倍)、ヒ素(6.0倍)、鉛(4.2倍)、シアンを検出。地下水からも地下水環境基準値以下のヒ素、鉛、ホウ素を検出。同工場によるとフッ素、六価クロム、シアン、ホウ素は「めっき工程」で使った薬品が原因と推定。鉛、ヒ素は同工場では使用されておらず、造成時に持ち込まれた土が原因とも考えられるとしている。
余談ではあるが、同工場は旧松下電工北条工場を譲り受けたもので、1947年に操業開始した、三洋電機創業工場である。以降、自転車用発電ランプ(ダイナモ)を生産し、1956年から扇風機など小型モーターを使った回転機器を製造。2004年1月生産停止。
[編集] 電池パック取り替え・回収
2006年12月8日、三洋電機の子会社である三洋ジーエスソフトエナジー株式会社製の電池パック「D06」が異常発熱・破裂する事故が起きていると発表している[7]。この事により、子会社の出資比率から20億4000万円の損失となるが業績予想の変更は無し。
[編集] 洗濯乾燥機発火事故
三洋電機の洗濯乾燥機4種類でヒーター部分のリード線に接続不良が見つかり、当該部分から出火する可能性があることが判明した。
出火事故が3件発生し、事態を把握した三洋電機は、2005年9月、リコールを発表した。その後、全体の約87%の修理を済ませたが、その間にも出火事故が4件発生した。さらに、2006年4月、いったん修理したはずの製品から出火し、火傷を負う事故が発生した。
相次ぐ洗濯乾燥機の出火事故を受け、2007年1月26日、経済産業省から対象製品16万4000台の回収、修理を迅速に行うよう指導された。三洋電機では、修理済みも含めて対象機種を再度無料で修理した。
当初は2億5000万円を見込んでいた修理・点検費用は約24億円にふくれ上がったが、業績予想の変更は無い。
[編集] 粉飾決算疑惑
2007年2月23日、粉飾決算の疑いにより、証券取引等監視委員会の調査を受けていることが明らかにされた。中央青山監査法人(現・みすず監査法人)も粉飾を認識していたとされる。その後、証券取引等監視委員会は悪質と判断される材料が見つからないことと、三洋電機側が自主的に訂正を行うと発表したため、課徴金の納付命令などの処分は見送る方針であると2月28日に一部メディアが報道。最終的な判断は三洋電機側の発表次第である。また、05年3月期までの決算において、本来なら赤字なのに株主に配当金を払っていた可能性が高いことも判明。原資以上の配当は会社法で禁じられており違法性が認識されれば、課徴金等の処分を受けるとともに、当時の経営者への責任問題へ発展する可能性がある。なお、修正作業が膨大になるため当初4月に発表を予定していたが、大幅にずれ込み12月25日に発表した。
12月25日の報告を受け、東京証券取引所と大阪証券取引所は同社の株式を上場廃止の可能性を周知させる監理ポストに指定した。また、金融庁は同社に830万円の課徴金の支払いを命じた。
2008年2月8日に東証、大証は同社の株式の監理ポスト指定を9日付で解除すると発表。有価証券報告書の虚偽記載は悪質なものではなく「ルールの解釈の違いによるもの」と、いう判断に至ったため。
[編集] 主な事業所
- 東京製作所(群馬県邑楽郡大泉町)
- 大東事業所(大阪府大東市)
- 岐阜事業所(岐阜県安八郡安八町)
- 洲本工場(兵庫県洲本市)
- 徳島工場(徳島県松茂町)
- リチウムイオン電池の基幹生産拠点。
- 二色浜工場(大阪府貝塚市)
- 太陽電池電池事業(クリーンエナジーカンパニー)の拠点。
- 鎮岩工場(兵庫県加西市)
- 白物家電の生産拠点のひとつ。
- 三洋電機コンシューマエレクトロニクス(鳥取県鳥取市) 2008年4月1日に鳥取三洋電機から社名変更。
[編集] 関連企業
- 三洋電機コンシューマエレクトロニクス 2008年4月1日に鳥取三洋電機から社名変更。
- GE三洋クレジット
- 三洋ホームズ(旧クボタハウス)
- 大和フーヅ(ゼンショーへ売却)
- NTTデータ三洋システム NTTデータとの合弁
- 三洋エプソンイメージングデバイス 2006年12月28日をもってエプソンの完全子会社。三洋グループ離脱。
- キングレコード(TBS等へ売却)
- リクルート三洋ヒューマンネットワーク リクルートとの合弁
- 三洋ジーエスソフトエナジー GS YUASA(旧日本電池)との合弁。旧社名・ジーエス・メルコテック(当初、旧日本電池と三菱電機の合弁企業であった)
- 三洋電機ロジスティクス
- 三洋電機テクノクリエイト
- スマイるNo.1ショップ(特約店)
他数百社
同じ三洋を冠する企業に三洋ホールディングス、三洋信販、三洋物産、三洋薬品工業、解散した三洋証券などがあるが、いずれも三洋電機とは関係のない会社である。また、同じ電気機器製造業であり冷却ファンやサーボモーターなどを製造し、ローマ字表記で"SANYO DENKI"と書く山洋電気(こちらもさんようでんきと読む)とも無関係である。こちらは非公式であるが、一般的には“やまようでんき”と呼ばれ「三洋電機」との混同が避けられている。
[編集] 部活動
- ラグビー(ジャパンラグビートップリーグ、三洋電機ワイルドナイツ)
- かつては東京三洋電機であったため、東日本社会人リーグに所属していた。
- 2007-8年シーズンの日本選手権決勝でサントリーを破り悲願の日本一に。
- バドミントン
- バレーボール(チャレンジリーグ、三洋電機レッドソア)
- 大東事業所管轄で、正式には大阪女子バレーボール部。
- サッカー(三洋電機洲本サッカー部など)
- 軟式野球
など
[編集] 脚注
- ^ 一部報道について-三洋電機ニュースリリース
- ^ 三洋電機クレジット株式会社の株式譲渡に関するお知らせ-三洋電機ニュースリリース
- ^ 第三者割当による新株式(優先株式)発行の基本合意に関するお知らせ-三洋電機ニュースリリース
- ^ 2008年4月1日付 組織再編および人事について-三洋電機ニュースリリース
- ^ 三洋電気ファンヒーター回収事件CMについて。
- ^ 引き続きお客様へのお願いです。 23年前のサンヨー石油ファンヒーターを探しています。-三洋電機|重要なお知らせ
- ^ 弊社子会社製電池パック「D06」の取替え・回収についてのお詫び-三洋電機|重要なお知らせ
[編集] 関連項目
- 24 -TWENTY FOUR- - シーズン4でジャック・バウアーが使用している携帯電話が三洋電機製。
- ジャングル大帝 - リアルタイムでの1社提供
- びっくり日本新記録 - 番組前期の頃1社提供
- 兼高かおる世界の旅 - 1社提供の時期有り
- 仮面の忍者 赤影 - リアルタイムでの1社提供
- 池乃めだか - 芸能界に入る前に勤めていた。

