大阪ビジネスパーク

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大坂城天守から望むOBP
大坂橋から望むOBP
赤色着色部が造兵廠敷地

大阪ビジネスパーク(おおさかビジネスパーク)は、超高層ビル群と都市公園で構成された、大阪市中央区再開発地域。大坂城の北東、寝屋川第二寝屋川に挟まれた約26ヘクタールの地域で、住所表記上は城見1・2丁目の一帯にあたる。

大阪城公園に隣接した地域を経済、商業の一大拠点にしようと、大阪市や大阪に本社を置く大手企業などの取り組みにより共同で建設された。略称はOBP(オービーピー)。なお、中央区の中でも城東区都島区との区の境界に近く、中央区の他の地区と大阪城公園で隔てられた位置にある。

目次

[編集] 沿革

元々この地は、旧大和川平野川、猫間川などの河川が合流する中州で、水運の要所であった。また、大坂城の北東すぐの場所に位置することから、石山合戦大坂の役の古戦場でもある。

大坂夏の陣で自害した淀殿を葬ったとされる弁天祠があったことから、「弁天島」と呼ばれた。1666年大坂城代京橋口定番下屋敷地となり、1869年東成郡鴫野村に編入されたが、同年、兵部省大坂鎮台、後の第4師団)所管となった。

1879年、大坂城京橋口から青屋口にかけて、大日本帝国陸軍大阪砲兵工廠が建てられた。明治末年までに玉造口や弁天島にも拡張され、東洋一の規模を誇った。最終的には1939年、城東線(大阪環状線)東側の城東練兵場にまで拡張された。1940年、大阪陸軍造兵廠に改称。しかし、1945年8月14日アメリカ軍による爆撃(第二次大阪大空襲)で造兵廠は80%以上の施設が破壊され、敗戦後は連合軍総司令部に接収された。

1952年講和条約発効により接収が解除され、東区弁天町に改称された。しかし、不発弾が多く危険という理由で1960年代中頃まで更地のままだった。その後更地は大阪市に返還され、再開発計画により高層ビルを建設し、新たな街づくりを進めることを計画。そして、大阪ビジネスパークは誕生した。

この間、港区弁天町駅が開業し、弁天町が同駅周辺の広域地名として定着した。その影響もあって、1979年に「城見」へ改称された現在も、「弁天橋」や「弁天抽水所」などに弁天の名が残っている。なお、弁天橋は1976年玉造筋の敷設に伴って現在地へ架け替えられた。もとあった場所には1983年に大阪城新橋が架けられている。

現在はパナソニックの不動産関連会社だったMID都市開発(旧・松下興産)が運営するTWIN21IMP(インターナショナル・マーケット・プレース)をはじめ、パナソニック電工讀賣テレビ放送住友生命(社屋のエントランスにクラシックコンサート専用のいずみホールがある)、KDDI東京海上日動火災富士通日本電気近畿大阪銀行鹿島建設などが社屋を設けている。

また、TWIN21はパナソニックの関連会社が主に入居する「パナソニックタワー」と、商業施設やパナソニック関連以外の会社が多く入居する「MIDタワー」の2棟が並んでおり、1-4階のアトリューム部分(2階はJR京阪電車京橋駅ペデストリアンデッキで直結)でこの2つのビルを直結している。

1996年には、大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線に最寄り駅として大阪ビジネスパーク駅が完成し、交通アクセスの更なる充実を果たした。

[編集] 主な施設


[編集] 周辺の施設

[編集] 交通

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[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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