ジャック・ニクラス
| ジャック・ニクラス Jack Nicklaus |
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|---|---|
| 基本情報 | |
| 生年月日 | 1940年1月21日(73歳) |
| 出身地 | アメリカ・オハイオ州コロンバス |
| 利き手 | 右 |
| 成績 | |
| 優勝回数 | メジャー: 18勝 (歴代1位) 米国男子: 73勝 (歴代3位) 米国シニア: 10勝 |
| 初優勝 | 1956年オハイオ・オープン |
| 賞金王 | 1964年-1965年・1967年・ 1971年-1973年 1975年-1976年 |
| 賞金ランク最高位 | 米国男子: 1位 (8度) |
| 2012年7月5日現在 | |
ジャック・ニクラス (Jack Nicklaus、 1940年1月21日 - ) は、アメリカ・オハイオ州コロンバス出身のプロゴルファーである。フルネームは Jack William Nicklaus (ジャック・ウィリアム・ニクラス) という。1960年代から1990年代にかけて活躍し、ライバルのアーノルド・パーマーとともに、ゴルフをメジャースポーツにする牽引力となった人物である。圧倒的な強さと、トレードマークの金髪により「ゴールデン・ベア」 (熊) と称され、日本では「帝王」と呼ばれ、史上最高のゴルファーとも称される[1]。
彼は日本の新聞などで表記揺れが多く、「ジャック・ニクラウス」という表記も見られるが、これはドイツ語読みに近い表記であり (彼はドイツ系である) 、英語発音に近い日本語表記は「ニクラス」となる。 しかしながら昔から「ニクラウス」表記の方が日本人にはなじみがあり、昨今のニクラス表記に違和感をおぼえる人も少なくない。
略歴 [編集]
少年時代は、元フットボールの選手で薬局を営んでいた父のチャールズ・ニクラスからゴルフを教わった。そして彼が10歳の時、父の紹介によりゴルフレッスンプロであるジャック・グラウトの門下となり、その指導を受けた。彼は父親とグラフトによる指導で、その素質を磨かれたのである。1959年に19歳でデビューし、1961年に全米アマチュア選手権のタイトルを獲得して、1962年にプロ入りする。同年の全米オープンがメジャー大会通算「18勝」の出発点であると同時に、彼のプロ初優勝でもあった。1966年の全英オープンで男子ゴルフ史上4人目の「キャリア・グランドスラム」を達成。前年の1965年に達成したゲーリー・プレーヤー (南アフリカ) に続く快挙であったが、その後2000年の全英オープンでタイガー・ウッズが達成するまで、34年間4冠達成者は現れなかった。
1980年の全米オープンでは青木功と4日間ともにプレーし、死闘を繰り広げた (青木の2位入賞は、今なお日本男子ゴルフ界におけるメジャー大会最高記録である。) 。1986年のマスターズで「46歳2ヶ月」の最年長優勝記録を樹立した時は、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブに"Jack is Back" (ジャック・イズ・バック=ジャックが戻ってきた) の声が響き渡った。
その他にも全豪オープンゴルフは6度 (1964年、1968年、1971年、1975年、1976年、1978年) 優勝した。ただし日本では未勝利のため、4大地域 (米、欧、日、豪) でのツアー制覇は達成できなかった。
1996年には、シニアツアーの四大タイトルもすべて獲得し、PGA、シニアツアー (現在はチャンピオンズツアー) の両方の四大タイトルを獲得した唯一の選手となっている。2005年、65歳になったニクラスは歴代優勝者の資格で出場を続けていたマスターズから引退し、同年の全英オープンも彼の引退の場とするため、 (予定より1年繰り上げて) セント・アンドルーズで開催された。最後のホールとなった2日目の18番でバーディーを取り、ツアー選手としてのキャリアを終えた。マスターズの会場であるオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブには彼の功績を称え、銅像が建てられている。
ニクラスは1979年6月から1987年6月まで、日産自動車の高級車「グロリア」の430 (ヨンサンマル) 型 (1979年6月~1983年6月) と、Y30 (ワイ・サンマル) 型 (1983年6月~1987年6月) の専属CMキャラクターを通算8年間にわたって務めた。ニクラスの名にちなんだグレード名として「ジャック・ニクラス・バージョン」が430型とY30型の両方に設定されていた。
一方、アメリカン・エキスプレスのCMではたどたどしい日本語で「出かけるときは忘れずに」と話すユーモラスな一面も見せた。
また、上述の愛称「ゴールデン・ベア」をマークにしたゴルフ用品も発売された。
日本との関わりでは、1977年に戸塚カントリー倶楽部でチャリティーゴルフに出場した際、愛用のパターが盗まれる事件にあっている。ニクラスは「ぜひ返してほしい」と訴え、その後アルバイト学生が犯行を告白してパターは手元に戻り、「寛大な処置を願う」というコメントを残している。
2005年、ロイヤルバンク・オブ・スコットランドが発行する全英オープン記念の5ポンド紙幣で裏面に肖像が使用された。同行では、紙幣の発行時に存命の人物を肖像に起用するのは史上初めてとしている[2]。
2006年2月、日本経済新聞の連載「私の履歴書」に登場し、1ヶ月に渡って自らのゴルファー半生を語っている (後に書籍化された) 。
現在は、自身が設計したミュアフィールド・ビレッジ・ゴルフグラブ (オハイオ州ダブリン) にて、PGAツアートーナメントの1つである「メモリアル・トーナメント」のホストを務めている。
メジャー大会優勝 [編集]
- マスターズ・トーナメント:6勝 (1963年、1965年、1966年、1972年、1975年、1986年) [大会歴代1位。1986年は最年長優勝]
- 全米オープン:4勝 (1962年、1967年、1972年、1980年) [大会歴代1位タイ]
- 全英オープン:3勝 (1966年、1970年、1978年)
- 全米プロゴルフ選手権:5勝 (1963年、1971年、1973年、1975年、1980年) [大会歴代1位タイ]
| 男子ゴルフメジャー大会優勝記録 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 順位 | 優勝回数 | 選手名 | マスターズ | 全米オープン | 全英オープン | 全米プロゴルフ |
| 1位 | 18勝 | 6 | 4 | 3 | 5 | |
| 2位 | 14勝 | * |
4 | 3 | 3 | 4 |
| 3位 | 11勝 | # -- | 2 | 4 | 5 | |
| 4位 | 9勝 | 2 | 4 | 1 | 2 | |
| タイ | 9勝 | 3 | 1 | 3 | 2 | |
| 6位 | 8勝 | * |
2 | 1 | 5 | 0 |
| 7位 | 7勝 | # -- | 1 | 6 | # -- | |
| タイ | 7勝 | # -- | 4 | 3 | # -- | |
| タイ | 7勝 | 1 | 2 | 1 | 3 | |
| タイ | 7勝 | 3 | 0 | 1 | 3 | |
| タイ | 7勝 | 4 | 1 | 2 | 0 | |
| * は現役選手 | # -- は現行制度前(大会が存在しない) | |||||
脚注 [編集]
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- 世界ゴルフ殿堂 (英語)
- ゴルフ・スターズ・オンライン (英語、他の参考文献類)
- 日本商品化窓口 Blue Sky International LLP
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