サムスン電子
サムスン電子本社
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| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 韓国証券取引所(005930, 005935)[1] ロンドン証券取引所 (SMSN LI, SMSD) ルクセンブルク証券取引所 (SAMDR) |
| 本社所在地 | ソウル特別市瑞草区瑞草洞1320番地 |
| 設立 | 1969年 |
| 業種 | 電気機器 |
| 代表者 | イ・ゴンヒ(会長) チェ・ジソン(代表取締役副会長) イ・ジェヨン(社長兼COO) |
| 資本金 | 160,693.5 Billion Won 141.1 Billion US$(2010年12月31日時点) 1$=1,138.90Wonで換算/[2] |
| 売上高 | 254,561.5 Billion Won 220.1 Billion US$(2010年12月期)[2] |
| 純利益 | 24,497.9 Billion Won 21.2 Billion US$(2010年12月期)[2] |
| 総資産 | 391,391.9 Billion Won 343.7 Billion US$(2010年12月31日時点)[2] |
| 従業員数 | 344 千人(2010年12月31日時点)[2] |
| 決算期 | 12月31日 |
| 関係する人物 | ユン・ジョンヨン(前、副会長兼CEO) |
| 外部リンク | 日本サムスン公式ページ |
| サムスン電子 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 삼성전자 |
| 漢字: | 三星電子 |
| 発音: | サムソンジョンジャ |
| 韓国式ローマ字: | Samseongjeonja |
サムスン電子(サムスンでんし、삼성전자、三星電子、Samsung Electronics Co., Ltd.)は、大韓民国の企業であり、韓国国内最大の総合家電・電子部品・電子製品メーカーで、サムスングループの中核企業である。
目次 |
概要[編集]
サムスン電子は、2010年の売上高が大韓民国のGDPの22%、株式時価総額は韓国株式市場の25%、韓国の輸出額の24%を占め、資産は韓国国富の3分の1に迫る、大韓民国最大の企業である。フォーチュン・グローバル500では、世界企業ランキング20位(2012年)[3]。
社員19万人を擁し、世界各地に65の生産法人、および130の販売法人を展開し、家電製品から工業製品、軍事製品まで幅広い電子機器を製造する。
歴史[編集]
創業から1980年頃まで[編集]
1938年の日本統治時代の朝鮮で設立されたサムスン電子の親会社であるサムスングループは、食品と衣服が主力事業であった。
1969年1月にサムスン電子工業株式会社が設立され、12月には三星三洋電機が設立、 電子産業に進出した。これは、当時急速に拡大していた韓国国内の需要市場をターゲットにした決定であった。1970年1月には三星NECが設立され、白物家電やAV機器の生産が行われた。1977年には韓国半導体を買収して半導体事業に参入し、1980年3月に韓国電子通信を買収した。1980年頃からは海外に次々と現地販売法人が設立され、ポルトガルやアメリカには工場が設立された。
1980年頃から2000年代まで[編集]
半導体事業[編集]
1983年2月に、創業者の 李秉喆 (イ・ビョンチョル)が「資源がほとんどない大韓民国の自然条件に適合して、付加価値が高く高度な技術を要する製品を開発することが第2の跳躍を図る唯一の道だ」と表明し、DRAM事業に進出。半導体で先行する日本を目標とする「東京宣言」を発表し、サムスン電子の東京支店が同年に開設され、日本から大韓民国へ半導体製造装置の輸入を開始した[4]。翌1984年にはマイクロンより設計技術移転の支援を受け、6か月の開発期間を経てマイクロンと東芝に続く世界で3番目の64kのDRAMを開発[5]。同年、光州電子を合併して、サムスン電子工業からサムスン電子に会社名が変更された。
ほどなく256K DRAMの開発にも成功する。一方日本の東芝(東芝のDRAM部門は後にマイクロンに買収)は、1984年に舛岡富士雄が世界初のNOR型フラッシュメモリを開発、1985年に世界初の1M DRAMを開発、1987年に世界初のNAND型フラッシュメモリを開発するなど盛んに次世代メモリの開発を行なっていた[6]が、東芝やマイクロンなどのトップ企業が次世代メモリに移行することで旧世代メモリの品薄現象が生じたため、あえて256K DRAMに注力したサムスンは1988年だけで3200億ウォンの莫大な純利益を出し、一気に会社の規模を拡大した[7]。この経営判断を行ったのが李秉喆の三男であるサムスングループ副会長の李健熙で、李秉喆が1987年に死去した後は李健煕がサムスングループの第2代会長に就任する。1992年には世界初の64M DRAMの開発に成功、1993年にはDRAM市場で13.5%のシェアを確保し、12.8%に留まった日本の東芝を抜いてついにシェア世界1位となった。以来トップを維持している。なおNAND型フラッシュメモリでも2002年に世界1位となっている。
1988年に携帯電話を開発、1992年には10.4インチのTFT液晶モニタを開発するなど、2000年代以降の主力商品となる基礎もこの頃に開発された。しかし当時のサムスン製品は粗悪品が多く、半導体以外の事業ではグローバル市場で成功していなかったため、新たに会長となった李健煕は1988年、量より質を重視し、変化と改革を求める新しい経営理念「第2創業」を宣言。1993年には「新経営」宣言を出している。
日本との関係[編集]
1986年、東芝半導体事業本部長の川西剛(後の代表取締役副社長)は、東芝の国際担当専務の仲介でサムスン電子からの訪韓の誘いを受け、李秉喆会長や幹部総出のVIP歓迎を受けた[6]。同業他社の歓待を受けるということの意味を理解していたか否かは定かではないが、川西はサムスンの建設途中の半導体工場を見せられた見返りに、最新鋭の東芝の大分工場を見せなければいけない結果となった[6]。 1986年、その前年に当時世界最大容量の1M(メガバイト)DRAMを開発していた東芝の半導体部長がサムスンを訪問し、その後サムスン側が東芝の当時最新鋭の工場であった大分工場を訪問した[6]。 すると同1986年にサムスン電子も1MDRAMの開発に成功し、その後、東芝の大分工場の生産ラインを統括する製造部長がサムスンにスカウトされ、大分工場と同じ設備を持つ製造工場がサムスンに建設されることになった[6]。また、サムスンは1987年5月にアメリカと日本に研究所を設立し、1988年に半導体事業の売上高が905百万ドルに達し半導体メーカー売上高ランキングでは18位に躍り出た。
1988年には半導体企業トップ10社のうち6社が日本企業だったが、1991年のバブル崩壊の直撃を受けて日本の半導体企業は資金繰りが悪化、メモリー事業撤退や工場閉鎖など大掛かりなリストラが行われた。ここで韓国政府のバックアップもあり、サムスン電子はリストラされた日本の半導体企業の技術者たちを技術顧問として高給でヘッドハンティングすることで最新技術を獲得していった[6]。バブル崩壊後、サムスン電子には東芝のほかにも、松下電器(現パナソニック)、三洋電機、シャープ、NECなどの77人の日本人が技術顧問で在籍しており、サムスン電子の外国人技術者のほとんどは日本人だった[6]。
こうした中、東芝は1992年にサムスン電子との間でフラッシュメモリの共同開発と技術仕様・製品情報の供与契約を締結した[6]。翌1993年に、サムスン電子は韓国初の6Mフラッシュメモリを開発、1995年には、バブル崩壊の余波で資金難に陥った東芝はやむなくサムスン電子と64Mフラッシュメモリ技術の共同開発で提携をした[6]。
日本から技術者を獲得をすることによって驚異的な早さでサムスン電子のDRAM技術が発展し、1991年に半導体メーカー売上高ランキングでサムスン電子は売上高が1473百万ドルで12位だったが、1995年には売上高が8329百万ドルで6位と急上昇をした。
このようにしてサムスン電子は、半導体売上高ランキングで米国のインテルに次ぐ2位の地位を2002年から2011年まで維持するようになっている。
2000年代から現在まで[編集]
1990年代までの韓国国内におけるサムスン電子の位置づけは、主要企業の中の一社に過ぎなったが、上述の半導体事業での躍進などもあって2000年代以降は韓国国内の事業規模や韓国経済に与える影響面などは圧倒的なものを持つようになり、また、世界の電機メーカーの中でも有数の大企業に成長した。
特に1997年のアジア通貨危機は、国家経済の危機とは裏腹にサムスン電子を強力な企業に成長させるきっかけとなった。通貨危機で韓国の大企業30社のうち16社が破綻し、サムスン電子も韓国政府から公的資金が注入される事態となり、倒産寸前にまで追い込まれたが、破綻を避けるために広範な構造改革の断行や効率的な経営計画の実行などにより、サムスン電子は半官半民の韓国の将来をかけた企業として、グローバル企業への成長を加速させた[8]。インターネット・バブル崩壊後の2000~2003年にもサムスン電子は純益伸び率5%を記録した。
また、サムスン電子は、1990年代から半導体で得た莫大な利益を、2000年代前半当時としては次世代産業であったLCD事業や携帯電話事業に大規模に投資を行い、さまざまな製品の世界市場でシェアを伸ばした。またマーケティング活動とコマーシャル活動を大規模に行っている。例としては、1996年には「TOPスポンサー計画」を通じてオリンピックの公式パートナーになり、1998年には長野冬季五輪の公式スポンサーとなり、2000年代以降は継続してオリンピックのスポンサーを務めている[9]。
2009年に、サムスン電子は売上高基準でドイツのシーメンスと米国のヒューレット・パッカードを超え、世界最大のIT・家電メーカーとなった[10][11]。2009年のサムスンのシェアは、薄型テレビと半導体メモリで世界第1位[12][13]、携帯電話が世界第2位[14]、白物家電でも上位を占めている。また、同年には、2020年の目標として売上高4,000億ドル達成を目指すビジョン2020を掲げた[15]。これを実現するために、既存のセット・部品中心の情報、通信、AV事業(Infotainment)に、ソフトウェアとソリューションを中心とした医療/バイオ、環境/エネルギー、利便性/癒しなど暮らしの質を向上させるライフケア(Lifecare)を新たな事業領域に盛り込み、「21世紀型のビジネス構造」への変身を図っている。
ソニーとサムスン電子は、合弁で液晶パネルを製造するS-LCDを韓国の忠清南道に設立していたが、2011年、ソニー側が、合弁会社の株式を全てをサムスンに売却する形で合弁を解消した[16]。
アップルとの特許訴訟[編集]
2011年現在、サムスンとアップルの訴訟合戦が起こっており、サムスン電子の製品がアップルのiPadやiPhoneのデザインや特許権を侵害したとしてサムスン電子を提訴している。しかし逆にサムスン電子側も、アップル製品がサムスン電子の特許を侵害しているとして提訴をしている[17]。 各国で繰り広げられている訴訟において一つの節目となったのが、2012年8月25日の米カリフォルニア州連邦地裁における判断だ。ここでアップルは特許訴訟で勝利し、サムスンに825億円の支払いが命じられた[18]。これについては、さまざまな分析がなされているが[19] 、「そもそも何をつくるのか?(ただし「Real Artists Ship」でなければならないが)」という部分がスティーブ・ジョブズ抜きには全く発生しえなかったものであることを考慮すれば、サムスンは「ファストフォロワー(迅速な追随者)」なのか、それとも「コピーキャット」なのかという争いだと言える。サムスンは「ライバル企業の商品で優れていると判断すると、ただちに開発に向けて資源を集中して、後発ながら短期で離陸させる[20] 」というビジネスモデルで成功してきたが、「Real Artists Ship」という部分にこそスティーブ・ジョブズの表現者としての価値が認められており、「あまりにも対照的な立場にあるIT2強? 」といえる。
英国のアップルサムスン裁判は、一部でアップルが敗訴しアップルウェブサイトトップに「サムスンは真似してない」という謝罪文が掲載されたことで注目されたが、アップルサムスン裁判を担当した裁判官Robin Jacob(ロビン・ジェイコブ)はその後サムスンの特許担当に就任している[21]。
沿革[編集]
- 1969年1月 - 三星電子工業(株)設立。
- 1969年12月 - 三洋電機の韓国でのジョイントベンチャーとして三星三洋電機を設立(1977年サムスン電子に合併)。
- 1970年1月 - NECの韓国でのジョイントベンチャーとして三星NECの設立。
- 1970年11月 - 白黒テレビ「P-3202」を試生産。
- 1973年 - 三星三洋電子設立(現・サムスン電機)。
- 1973年12月 - サムスン家電工場を竣工。
- 1974年 - 三星電子東京事務所が開設
- 1975年 - サムスンジャパン株式会社 設立
- 1977年 - 三星電気(株)を吸収合併。
- 1978年7月 - アメリカに現地販売法人「SEA」を設立。
- 1980年3月 - 韓国電子通信株式会社を買収。
- 1980年9月 - ポルトガルの最初の現地生産法人「SEP」竣工。
- 1982年6月 - ドイツに現地販売法人「SEG」設立。
- 1982年9月 - ポルトガルの最初の現地生産法人「SEP」竣工。
- 1982年12月 - 韓国電子通信、サムスン半導体通信株式会社に商号変更。
- 1983年 - サムスン電子株式会社 東京支店 開設
- 1984年2月 - 三星電子(株)と改称。
- 1984年 - 光州電子(株)を合併。
- 1984年 - 11月にイギリスに現地販売法人「SEUK」設立。
- 1984年12月 - アメリカに現地生産法人「SII」設立。
- 1987年5月 - 海外の研究所(アメリカ・サンタクララ、日本・東京)を設立。
- 1987年9月 - オーストラリアに現地販売法人「SEAU」設立、カナダに現地販売法人「SECA」設立。
- 1987年10月 - イギリスに現地生産法人を竣工、生産開始。
- 1987年 - 李健熙(イ・ゴンヒ)が2代目会長に就任。
- 1988年 - 三星半導体通信(株)を吸収合併、第二創業宣言「21世紀に超一流企業に」。
- 1988年10月 - フランスで販売会社「SEF」設立、タイに現地生産法人「TSE」設立、メキシコに現地生産法人「SAMEX」竣工、生産開始。
- 1988年11月 - にサムスン半導体通信を吸収合併。
- 1989年8月 - マレーシアに現地法人を設立。
- 1992年2月 - チェコスロバキア(当時)に現地生産法人を設立。
- 1992年7月 - 中国・天津にVTR生産法人を設立。
- 1993年 - 李会長がフランクフルトで「新経営」宣言 量より質の経営へ。
- 1994年11月 - 障害者のための工場、無窮花(ムグンファ)電子設立。
- 1996年3月 - アメリカ・テキサス州オースティンに半導体工場を着工。
- 1997年1月 - 第2創業を宣言。
- 1997年 - アジア通貨危機で従業員の30%を削減。
- 1998年 - 日本サムスン設立。
- 2000年10月 - 中国に通信技術研究所を設立。
- 2004年4月 - ソニーと合弁で液晶パネル製造会社S-LCD設立。
- 2004年4月 - 東芝と光ディスク装置の合弁会社 東芝サムスンストレージテクノロジーを設立。
- 2004年12月 - サムスン電子とソニー、相互特許使用契約の締結。
- 2007年11月 - 家電販売で日本市場から撤退。ソフトバンクモバイル向け携帯電話の製造・販売は継続される。
- 2008年4月 - 李健熙会長兼CEOが辞任。
- 2008年11月 - 本社をソウル特別市中区太平路から同市瑞草区瑞草洞へ移転
主な事業・製品[編集]
サムスン電子の代表的製品一覧を参照。
海外におけるサムスン[編集]
日本[編集]
日本では、東京に本社を置く日本サムスンを展開し、サムスン電子やサムスングループ内の企業の輸出入、及びサムスン関連事業を展開している。2007年の売上高は、1兆2,062億円[22]。
また、サムスン横浜研究所[23]や大阪支店など、複数の拠点を展開している。日本の研究所ほかに、韓国はもちろん、イギリスやポーランド、イタリア、イスラエル、ロシア、インド、中国、日本、アメリカ、ブラジルなど、世界18か国に研究所を保有している[24]。また、生産では韓国工場の他にも世界11か国以上に工場を保有しており、グローバル戦略を展開している。
しかし、日本でのサムスンの家電製品の売上げは不振を極め、2000年頃に白物家電販売から撤退した。その後も薄型テレビなどのAV機器は販売していたが、 2007年11月、サムスン電子は家電製品の販売を日本市場から撤退すると発表した[25]。 日本では収益が少なく、アメリカ市場やヨーロッパ市場などに経営資源を集中するためとみられている[26]。 ただ、法人向け製品や個人向けの液晶モニター、HDD、SSD、電子部品、半導体メモリーなどを日本で販売していた。なお、日本国内で販売しているサムスン製携帯電話については、日本サムスンではなくサムスンテレコムジャパン扱いになっていた。
2012年に行われた組織改編によって、半導体や液晶パネルといった部材取り扱いを日本サムスンに残し、携帯電話などの完成品はサムスンテレコムジャパンより改称したサムスン電子ジャパンに移管した[27]。
原音では「サムソンジョンジャ(=サムスン電子:삼성전자)」に近い発音である。日本では「サムスン」という。これは、日本進出時、すでにサムソンを名乗る会社が複数あったため、日本語におけるローマ字表記に準拠したものとみられている。 中国においては、社名を漢字表記し、「三星电子(sān xīng diàn zi、サンシンディエンズ)」と読ませている。
生産品目一覧[編集]
デザイン[編集]
サムスンは、90年代初頭からデザイン経営を強化してきた。本社ビル内にデザインセンターが設置されており、創業当時2人だったデザイナーは、2005年には510人、2010年現在は900人余りにまで増加した。 サムスンは、2年周期でデザインを見直している。最初の1年は流行を分析して商品戦略を計画し、2年目に新たなデザインを作り出している[28]。
環境[編集]
現在、サムスン電子は、2013年まで売上高ベースの温室効果ガスを2008年対比で50%削減し、製品のエネルギー効率を40%向上させる目標を定め、“グリーン経営”を目指している。2009年、サムスン電子は、“グリーン経営”のビジョン「Planet First」を発表し、その中核的な推進課題として、事業所と製品使用時の温室効果ガスの削減、エコ製品の販売拡大などを提示した[29][30]。
特に、国内の事業所に温室効果ガス低減設備を導入し、2010年上半期基準で温室効果ガスの排出量を2008年対比で31%削減した。液晶ディスプレイ事業部は、7月15日に六フッ化硫黄を削減するCDM(クリーン開発メカニズム)事業の国連承認を取得するなど持続的な温室効果ガス低減に向けた取り組みを実践している[31]。
ロゴ[編集]
サムスン電子の社名である「サムスン」は、「大きく、明るく、光る3つの星」を意味する。社名の「三」という数字は、漢語で「大きく、強い」という意味があり、「星」には、「明るく、高く、光る」という企業の祈願が盛り込まれている[32]。 サムスンのロゴデザインは、柔軟性と単純さを強調しており、宇宙と世界の舞台を象徴する楕円をやや斜めにし、動的で革新的なイメージを表現している。 サムスンの共通カラーである青色は、安定感と信頼感を与えるカラーとして、顧客に親しみのある企業を目指す意志が込められており、社会に対する責任感を象徴している。英文のロゴデザインは、技術主義を通じた顧客志向への意志、ハイテク企業のイメージを現代的な感覚で表現している[33][34]。
関連企業[編集]
脚注[編集]
- ^ サムスン電子の時価総額(翻訳サイト経由)
- ^ a b c d e Samsung>Samsungについて>会社概要>企業実績>Samsungプロフィール 2011
- ^ http://money.cnn.com/magazines/fortune/global500/2012/full_list
- ^ http://www.samsung.com/jp/aboutsamsung/japan/history/1980.html
- ^ 日本が6年かかった64K DRAM、韓国は6カ月で開発 朝鮮日報
- ^ a b c d e f g h i 2005年12月25日放送『NHKスペシャル 日本の群像、再起への20年』
- ^ 日本が6年かかった64K DRAM、韓国は6カ月で開発(2)朝鮮日報
- ^ ニッポンに圧勝したサムスンのグローバル戦略@IT MONOist 2008-09-09, 上島 康夫
- ^ サムスンとスポーツスポンサーシップtechnoloGeekO, 2010/6/11
- ^ <オピニオン>ハリー金の韓国産業ウォッチ①世界一サムスンへの視線、東洋経済日報 2010-02-12、ディスプレイバンク日本事務所 金 桂煥 代表
- ^ サムスン電子、トップ電子メーカーに、総合ニュース 2010-01-08
- ^ 3Dテレビ“日韓戦”が白熱 「世界初」の称号奪いサムスンが先行産経新聞, 2010-03-09
- ^ サムスン電子と東芝が上位を維持、2009年第4四半期の NAND型フラッシュ売上高EETIMES, 2010-02-03
- ^ 2010年1Q世界スマーフトフォン市場、Androidが前年比707%増マイコミジャーナル, 2010-05-21
- ^ http://www.samsung.com/jp/aboutsamsung/corporateprofile/vision.html
- ^ http://www.asahi.com/business/update/1226/TKY201112260562.html
- ^ http://sankei.jp.msn.com/world/news/111209/asi11120914240002-n1.htm
- ^ . http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE87N05E20120825
- ^ . http://japanese.joins.com/article/135/1は59135.html?servcode=300§code=300
- ^ . http://www.nikkei.com/article/DGXZZO45307600T20C12A8000000/
- ^ アップルにウェブサイトでの謝罪を命じた裁判官、なんと今はサムスンの特許担当者に Gizmodo 2013年2月28日
- ^ 日本サムスンの売上高
- ^ 日本サムスンの研究所の拠点
- ^ [1]
- ^ http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=92728&servcode=300§code=300
- ^ http://sankei.jp.msn.com/economy/business/071109/biz0711090132000-n1.htm
- ^ サムスン、電子部品などを扱うグループ企業が品川に移転、完成品を扱う法人と完全分離
- ^ サムスン強さの秘密(下) 技術・デザイン原動力に” 日本経済新聞 電子版, 2010-05-26“
- ^ サムスン電子、エコマネジメント2013イニシアティブを発表”日本サムスン, 2009-07-23”
- ^ サムスン電子、2013年に温室ガス排出量半減”wowkorea, 2009-07-20”
- ^ YONHAP NEWS AGENCY (2010年7月20日). “サムスン電子、温室効果ガス2年間で31%削減”. 聯合ニュース 2011年1月12日閲覧。
- ^ 韓国10大企業名とロゴの意味(韓)koreadaily, 2010-06-07
- ^ サムスン ロゴマーク日本サムスン
- ^ サムスン電子のロゴの歴史
関連項目[編集]
- サムスングループ
- ルノーサムスン自動車 - エアコンやオーディオ等、電子部品関連で合弁契約を結んでいる
- S-LCD(サムスン電子とソニーとの合弁で設立された、液晶パネル製造会社)
- チェルシーFC(2005年から5年契約1000億ウォンでユニフォームスポンサーになった)
- サムスン世界選手権
- 渋谷駅 - 2002年5月から駅前ビル屋上に大型ネオンサインを設置。
- エニーバンド - 携帯電話ブランド「Anycall」の広報を目的に結成されたバンド。
- Samsung Galaxy
- Samsung Omnia
外部リンク[編集]
- サムスン電子・家電製品一覧 (朝鮮語)
- サムスン電子・法人製品一覧 (朝鮮語)
- サムスングループ紹介サイト (日本語)
- サムスン電子の決算情報 (英語)
- サムスン電子の決算情報 (朝鮮語)