舛岡富士雄

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舛岡 富士雄(ますおか ふじお、1943年5月8日 - )は電子工学の研究者。フラッシュメモリの発明者である。

現在、日本ユニサンティスエレクトロニクス株式会社最高技術責任者(CTO)。Surrounding Gate Transistor(SGT)の開発を行っている。東北大学名誉教授。2007年春の褒章受章者で紫綬褒章2013年文化功労者が贈られている。

来歴[編集]

フラッシュメモリ発明にまつわるエピソード[編集]

東芝に入社後、高性能なメモリを開発したが売れないことに業を煮やした舛岡は、営業職を志願し、アメリカのコンピューター会社を回った。結局全然売る事ができず、1年もたたずに営業職からは外される。しかし、この時に何度も営業先に言われた「性能は最低限でいい。もっと安い製品はないのか」という言葉から、性能の向上ばかり考えず、需要に見合った機能を持つ製品を低コストで作るべきだと悟る。結果、情報を1ビットごとではなく一括消去するという、あえて性能を落としてコストを4分の1以下にする方法を思いつき、フラッシュメモリが発明されるに至った。[1]

研究を続けるため東芝を退社~その後[編集]

その後、東芝は舛岡を地位こそ研究所長に次ぐが、研究費も部下も付かない技監(舛岡曰く窓際族)になるよう、会社から何度も要請された。研究を続けたかった舛岡は、何とか研究を続けられるよう懇願したが受け入れられず、1994年に東芝を退社した[2]

その後、東北大学大学院や、退官後に就任した日本ユニサンティスエレクトロニクス等で、フラッシュメモリの容量を10倍に増やす技術や、三次元構造のトランジスタ(Surrounding Gate Transistor)など、現在も研究者として精力的に研究活動を行っている。

裁判[編集]

舛岡は自身が発明したフラッシュメモリの特許で、東芝が得た少なくとも200億円の利益うち、発明者の貢献度を20%と算定。本来受け取るべき相当の対価を40億円として、その一部の10億円の支払いを求めて2004年3月2日東芝を相手取り、東京地裁に訴えを起こした。2006年7月27日に東芝との和解が成立、東芝側は舛岡氏に対し8700万円を支払うこととなった。

脚注[編集]

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外部リンク[編集]