ファイザー

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ファイザー・インコーポレーテッド (Pfizer Inc.,NYSE: PFE) は、世界売上1位(2006年、売上高483億7,100万ドル)の製薬会社である。株式がダウ平均株価の構成銘柄に選ばれている。

本項ではその日本法人のファイザー株式会社 (Pfizer Japan Inc.) も併せて記述する。 完全子会社である日本法人は東京都渋谷区代々木3-22-7(新宿文化クイントビル)に所在。

目次

[編集] 沿革

1849年チャールズ・ファイザーらによってニューヨークで創業。南北戦争時の北軍の医薬品はほとんどファイザーが製造した[1]マンハッタングランド・セントラル駅に程近いミッドタウン東部に本社ビルを所有している。

1949年、抗生物質テラマイシンの開発によってファイザーは最初の成功を収めた。1970年、社名をチャールズ・ファイザー&カンパニー・インクから、ファイザー・インクに改めた。1982年には抗炎症剤フェルデンが売り上げ10億ドルを突破するファイザー初のブロックバスターに成長、巨大企業への礎を築いた。

1990年代から積極的な大型買収を繰り返して、アトルバスタチン(商品名リピトール)、抗うつ薬ゾロフト、勃起不全薬クエン酸シルデナフィル(商品名バイアグラ)、抗炎症剤セレブレックスなどを抱える巨大企業に成長する。2000年にはアメリカのワーナー・ランバート(医薬品のパーク・デービス (en:Parke-Davis) 、カプセル剤のカプスゲル、カミソリのシック、含嗽剤のリステリン、お菓子のアダムス、観賞魚製品のテトラ・ベルケなどを保有)を、さらに2003年にはアメリカのファルマシア (en:Pharmacia) を買収し、世界最大の製薬会社となった。有力な新薬を会社ごと買収して収益を上げる手法は「ファイザーモデル」とも呼ばれ、1990年代から進んだ製薬業界再編の旗頭となった。

が、この方法は近年行き詰まりを見せているとも言われる。毎年9000億円近い研究開発費をつぎ込んでいるものの、ファイザー本体からの新薬は1998年のバイアグラ以来登場しておらず、2006年には超大型新薬になると期待されたトルセトラピブの臨床試験も失敗した。稼ぎ頭であるリピトールの特許切れ(2011年)を間近に控え、経営体制の見直しを余儀なくされているのが現状である。これにより、後述のように日本法人を含めて世界規模でのリストラが進められている。

2006年から「Working for a healthier world」(日本国内ではこの文章に加えて「より健康な世界の実現のために」と併載されている)という世界統一スローガンを発表した。(このスローガンは2008年に「Working together for a healthier world」(日本語は変更なし)へとマイナーチェンジされた。)

2009年1月、ワイスを約680億ドルで買収することを発表。これを足がかりにバイオ医薬への展開を図り、低分子医薬への依存を減らしていく方向を打ち出した。

[編集] 日本法人

1953年に現在の田辺製薬(現在の田辺三菱製薬)との合弁によって、ファイザー田邊を設立し日本へ進出した。当時の主力製品テラマイシン(抗生物質)などの販売を開始するも、テラマイシン国産品の増産が出来ず当時の厚生省の方針によって合弁契約の解消を迫られる。その後、台糖(現在の三井製糖)が独自のペニシリンの培養技術をもって発売していた。一方で、パートナーとして外国の医薬品メーカーとの提携を模索しており、当時のファイザーと利害が一致。1955年にファイザー田邊の田辺製薬持ち株分を台糖へ譲渡し、台糖ファイザーが誕生(実際は社名変更)した。

1950~1970年代当時は外為法の規制によって、外国の製薬会社は日本の大手製薬会社との合弁会社を通して、自社製品を合弁先である日本の製薬会社によって販売されていたが、台糖ファイザーは当初から独自にMR(医薬情報担当者)を多く雇用し、自社で納入・販売先を開拓してきたため、多くのMRを擁していることが特徴である。また合併や自社開発により、扱う製品数が多くなったこともあり、現在では全国に約2,400人のMR(国内最大級)がいる。

1983年にPfizer Inc.の完全子会社となり、1989年にファイザー製薬に社名変更した。親会社のPfizer Inc.がワーナー・ランバート、ファルマシア を買収したのに併せてそれぞれ事業を統合した。2003年にファルマシアの日本法人との事業統合を機に、ファイザー製薬株式会社より現在のファイザー株式会社へ商号変更した。2007年7月には医薬営業部門を対象とした先着電話受付リストラを実施し本社・MRを含む約700名が早期退職した。愛知県の中央研究所は閉鎖となり、その中の研究員約70名がEBOにより研究所施設を利用した新会社「ラクオリア創薬株式会社」を2008年7月に設立、独立した。

なお、ワーナー・ランバートの菓子ブランド「アダムス」(リカルデント、ホールズ、メントスなど)はキャドバリージャパンへ譲渡した。また旧ファイザー、旧ワーナー・ランバート、旧ファルマシアでそれぞれ展開してきた一般用医薬品ブランド(アネトン、リステリン、ニコレットなど)もジョンソン・エンド・ジョンソンに譲渡した。

ちなみに、すでにワーナー・ランバートに合併されていたドイツ観賞魚用品メーカー・旧テトラベルケ社(のちの同社テトラ事業部)も、現在は同グループから独立している模様である(MBO)。

2008年には設立55周年を記念してCMが制作され、楽曲には中孝介の「風よ」が起用された。

[編集] 主要商品

2004年度では世界の上位銘柄一位となり、ファイザーのワーナー・ランバート買収資金がリピトールの売上で充分に回収出来た、とされている。日本ではアステラス製薬(旧山之内製薬)が共同販売を行っている。

[編集] 脚注

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  1. ^ ファイザー株式会社 - 50年の歩み

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク