パット・フライ

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パット・フライPat Fry1964年3月14日 - )は、イギリスサリー州シェパートン出身のレーシングカーエンジニアF1チームのベネトンマクラーレンに在籍した後、スクーデリア・フェラーリシャーシ部門ディレクターを務めた。

経歴[編集]

ベネトン[編集]

学生時代はコンピュータデザインや電子工学を学び、1980年から電機メーカーThorn EMIで働く。

1987年、ベネトンの研究開発部門に加入し、アクティブサスペンションの開発に携わった。その後、テストチーム勤務を経て、1992年にマーティン・ブランドル担当のレースエンジニアとなった[1]

マクラーレン[編集]

1993年、マクラーレンに加入し、ベネトン時代の同僚ジョルジオ・アスカネッリの元でエンジニアとして働いた。1995年、ミカ・ハッキネンのレースエンジニアを担当[1]。テストチームへの異動を経て、1997年よりレースチームに復帰し、2000年までデビッド・クルサードのレースエンジニアを担当した[1]

2002年、チーフエンジニアに昇格。ティム・ゴスとのローテーション制で、2005年のMP4-20、2007年のMP4-22、2009年のMP4-24の 開発を担当した。

順番では、2010年には2011年用のMP4-26を手掛けるはずだったが、同年5月にマクラーレンからの離脱が発表された[2]

フェラーリ[編集]

2010年7月よりフェラーリへ移籍し、テクニカルディレクターのアルド・コスタの元でアシスタント・テクニカルディレクターとして働く[3]。ライバルチーム間で上級エンジニアが移籍する場合、最新情報の流出を防ぐために「ガーデニング休暇」と呼ばれる休職期間を置くことが多く、フライの速やかな移籍は珍しいケースだった。

2011年1月より、クリス・ダイアーに替わりレースエンジニアリングディレクターを兼務した[4]

2011年5月、コスタがテクニカルディレクターを辞職し、フライが開発責任者の地位を継ぐことになった。技術部門再編により、フライはシャーシ部門ディレクター (Director for the Chassis[5]) と呼ばれる[6]

2014年12月、フェラーリチームを離脱[7]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]