キミ・ライコネン

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キミ・ライコネン

F1での経歴
国籍 フィンランド フィンランド
生年月日 {{{生年月日}}}
没年月日 {{{没年月日}}}
車番 1
所属チーム フェラーリ
活動時期 2001 -
過去の所属チーム 2001年ザウバー・ペトロナス
'02-'06マクラーレン・メルセデス
出走回数 125
優勝回数 17
通算獲得ポイント 491
表彰台(3位以内)回数 52
ポールポジション 15
ファステストラップ 27
F1デビュー戦 2001年オーストラリアGP
初勝利 2003年マレーシアGP
2008年順位 1位 (35ポイント)
  (記録は2008年第5戦終了時)
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キミ・マティアス・ライコネンKimi-Matias Räikkönen, 1979年10月17日 - )は、フィンランドエスポー出身のF1ドライバーである。2007年のワールドチャンピオン。

目次

[編集] プロフィール

[編集] F1参戦以前

5歳の時に兄のお下がりのモトクロスバイクを乗り始め、8歳の時に兄とともにカートをはじめる。12歳のときより本格的なレースに参戦し、1999年までにカートで数々のタイトルを獲得する。

1999年にはフォーミュラ・フォードユーロカップに参戦するが、資金難により数戦で参戦を取りやめている。しかし、同時期に参戦したフォーミュラ・ルノーイギリス選手権のウィンターシリーズではマノー・モータースポーツ・チームのシートを得て4戦4勝し、翌2000年のレギュラーシーズンは10戦中7勝、2位1回、3位2回という圧倒的な成績でチャンピオンを獲得する。

ジュニア・フォーミュラにはこの2年弱の期間に23レースに参戦したに過ぎなかったが、その内13レースで勝利を上げ、勝率は実に53%という高率であった。

F1テスト

フォーミュラ・ルノーでの成績に目をつけたF1ザウバーチームのオーナーペーター・ザウバーにより、2000年9月に催された同チームのテストに招かれ、スペインヘレス・サーキットカタロニア・サーキットでザウバーのF1カーのステアリングを握った。ここでの走りもザウバーの眼鏡にかなうものであったため、翌年のレギュラードライバー契約を勝ち取ることとなる。

[編集] F1参戦後

[編集] ザウバー時代(2001年)

2001年オーストラリアGPでザウバーからF1デビュー。

フォーミュラでのレースは実質フォーミュラ・ルノーのみで、F3を経験せずにF1に参戦することについて(当時のFIA会長であるマックス・モズレーを含め)他の関係者からの批判は小さなものではなかった。事実、ライコネンのスーパーライセンスは4戦限定の仮ライセンスで、危険であれば取り消される可能性もあった。こうした事情から当時のザウバー代表ペーター・ザウバーはメディアに対し、F1に来る前にF3に出場させることも考えた、と心中を語っている。

しかし、開幕戦オーストラリアGPでいきなり6位入賞で周囲の批判を驚きに変え、その後正式にスーパーライセンスが発給された。第6戦のオーストリアGP、第8戦のカナダGPでは共に4位入賞するなど、新人らしからぬ安定感で全17戦中4戦で入賞し9ポイントを獲得、ドライバーズランキングでも10位につけた。国際F3000チャンピオン獲得経験のあるチームメイトのニック・ハイドフェルド(12ポイント獲得)と比べても大きくは引けを取らず、結果としてザウバーチームはF1参戦以来、最高の成績でシーズンを終えることとなった。

[編集] マクラーレン時代(2002年-2006年)

ザウバーでの活躍は当時ザウバーにエンジンを供給していたフェラーリからも注目され、2002年についてはフェラーリに移籍する可能性がささやかれていたが、結果的にライコネンを獲得したのはマクラーレンメルセデスであり、ライコネンは当時マクラーレンの正ドライバーであったフィンランド人ミカ・ハッキネンの後任としてチームに加入した。

2002年
2002年 アメリカGP

この年は移籍初戦のオーストラリアGPで自身初のファステストラップを記録するとともにいきなり3位に入賞して初表彰台を獲得すると、年間で4回登壇し、シーズンで24ポイントを獲得した。リタイアは10回を記録したが、内ミスによるものはドイツGPの1度だけで、残りは全てメカニカルトラブルによるものだった。中でもエンジントラブルには悩まされ、第14戦ベルギーGPから第16戦アメリカGPにかけ3戦連続でリタイアに追いやられたのをはじめ、計6戦をエンジントラブルによって失った。

この年、特筆されるレースはフランスGPで、このレースでは終盤トップを走行し初優勝かと思われたが、72周のレースの67周目で、前を走る周回遅れのアラン・マクニッシュ車から出たオイルによりスリップした隙にミハエル・シューマッハにオーバーテイクされ、2位に終わった。

2003年

この年はマクラーレンの新車開発の遅れにより、前年型MP4-17の改良型であるMP4-17Dで臨んだ。

第2戦のマレーシアGPで初優勝を飾り、結局1年間で優勝はこの1勝のみであったが、安定してポイントを積み上げていったことで、当時ドライバーズタイトル3連覇中のミハエル・シューマッハと最終戦まで対等に渡り合い、ドライバーズポイントランキングで2位につけた。

また、この年はニュルブルクリンクで開催された第9戦ヨーロッパGPで自身初のポールポジションを獲得している(第15戦アメリカGPで2回目のポールポジションを記録)。

2004年

2004年シーズンは開幕から新車MP4-19を投入するものの、新車の出来はいまいちであり、不運なエンジントラブルなど多くのマシントラブルに見舞われ、7戦を消化した時点で4回リタイア。サンマリノGPでの8位・1ポイントしか獲得できなかった。

第8戦のカナダGPでは決勝レースで5回ものピットストップをした末に5位入賞を果たし(レース後にブレーキダクトの寸法違反でウィリアムズトヨタが失格になったことによる)、次戦のアメリカGPでも6位入賞し、シーズン中盤になってようやく復調の兆しを見せた。

第10戦フランスGPでマクラーレンが新車MP4-19Bを投入すると、続くイギリスGP予選で2004年シーズン初のポールポジションを獲得、決勝レースでも、同年初の表彰台となる2位を獲得。その後ベルギーGPでシーズン初優勝を飾った。

またこの年はマネージャーのスティーブ・ロバートソンとともにライコネン・ロバートソン・レーシング(ダブルRレーシング)を設立し、翌年からイギリスF3選手権に参戦させることを発表している。

2005年

2005年シーズンは開幕当初はマクラーレンの新車の信頼性不足によりやや出遅れるも、ヨーロッパラウンドに入るや、第4戦サンマリノGPから3戦連続ポールポジション、第5戦スペインGP以降シーズン7回のレースで優勝を飾るなど、ルノーフェルナンド・アロンソと激しいチャンピオン争いを繰り広げたが、惜しくもアロンソに及ばなかった。

この年は第7戦ヨーロッパGPで、トップで迎えたファイナルラップにおいてサスペンション破損によりリタイア(記録上は11位完走)し2位のアロンソに優勝を与えてしまうという致命的なトラブルがあったほか、リタイアしたレース(記録上2戦)はいずれもメカニカルトラブルによるものであった。

シーズンで7勝を挙げたが、これはチャンピオンのアロンソと並び2005年シーズンの最多勝となるものであるとともに、その年のワールドチャンピオンタイトルを獲れなかったドライバーがシーズン中に挙げた勝利数としては過去最多となるものである(但し2005年は全19戦ありF1史上最多のレース数の年だったことは差し引いて考える必要がある)。ライコネン以前では、アラン・プロストがシーズン7勝を挙げながらチャンピオンタイトルを逃すということを1984年、1988年の2度している。また、翌2006年シーズンにはミハエル・シューマッハもシーズン7勝を挙げながらタイトルを逃している。

加えて、この年ライコネンは年間でファステストラップを10回記録しており、これはミハエル・シューマッハが2004年に記録したものと並び、1シーズンのファステストラップ獲得の最多記録となるものであった。

なおイタリアGP(モンツァ・サーキット)においては、F1のグランプリ史上最速となる最高時速370.1km/hをマークしている。

また、この年からF1日本グランプリの地上波生中継が始まったが、ライコネンはそのレースでチェッカーフラッグ目前でのピットインで1位の座をジャンカルロ・フィジケラに明け渡し2位に落ちるが、その差を一気に取り戻しファイナルラップで劇的な追い抜きをし、優勝を果たすという素晴らしいレースを展開した。そのためもあってか視聴率も10.8%とまずまずの数字を取ることに成功し、翌年、翌々年でも生中継を続けることに貢献した。

2006年
2006年シルバーストンテスト
2006年シルバーストンテスト

2006年シーズンは昨年のような圧倒的なスピードは影を潜め、昨年同様信頼性に欠けることなどもあってチーム含めて未勝利に終わってしまった。シーズンの1/3をノーポイントで終えてしまうほどマシンは信頼性に欠けていたうえ、絶対的なスピードも前半のルノーやアメリカGP以降のフェラーリには及ばず、モナコGPハンガリーGPなど、何度か訪れた優勝のチャンスは自身のミスやトラブルによるリタイアで失うと言う運の無さはこの年も健在であった。

第15戦イタリアGP終了後に、2007年から2009年までフェラーリと契約した事が発表された。

なお、この年はライコネン・ロバートソン・レーシングがイギリスF3選手権で初めてドライバーズチャンピオンタイトル(マイク・コンウェイ)を獲得している。

[編集] フェラーリ時代(2007年-)
2007年

2007年シーズンは、自身初のワールドタイトル獲得という悲願を達成した。

2007年 ブラジルGP

フェラーリ移籍初戦となったオーストラリアGPで、優勝。このレースで自身初めて、優勝ポールポジションファステストラップ独占(ハットトリック)を達成した。その後開幕戦を含め3連続で表彰台に上がる活躍を見せるも、第4戦スペインGP決勝はマシントラブルによりリタイヤに終わる。翌戦のモナコGP予選では大きなミスを犯し16位、決勝でも速さを見せられず8位となった。更に第6戦カナダGP・第7戦アメリカGPの北米ラウンドでは風洞施設が壊れてしまうトラブルにも見舞われマクラーレンの連勝を許し、ランキングトップのハミルトンに26ポイントもの差をつけられてしまう。この時点でライコネンのタイトル獲得はほぼ絶望的と見られたが、第8戦フランスGPと第9戦イギリスGPで連勝。第13戦イタリアGPでは土曜日の予選前のフリー走行で大クラッシュし首を痛めたが、続く第14戦ベルギーGPにおいてポールトゥーウィンを果たし、ドライバーズサーキットとして名高いスパ・フランコルシャンの3連覇に成功する。しかし、ハミルトンとの得点差は残り2戦となった第15戦日本GP終了時点で17ポイントと依然と大きく、ライコネンのタイトルの望みは最終戦を待たずして消滅するものと思われた。ところが第16戦中国GPでハミルトンがリタイアし自身が優勝したことによりかろうじて望みは繋がれる。そして最終戦のブラジルグランプリにて予選3位から優勝を果たし、ハミルトンが7位、アロンソが3位に終わったためランキング3位から逆転で初の年間総合優勝に輝いた。F1参戦7年目の悲願、最大26ポイント差を跳ね返すF1史上最大の逆転劇であった。

また余談ではあるが、ライコネンは中盤から終盤にかけて7連続表彰台を記録し、破竹の勢いを見せたこともチャンピオンに輝いた1つの要因かと思われる。この年のチャンピオン争いは最終的に1位ライコネン110ポイント、2位ハミルトンと3位アロンソが109ポイントと、1位から3位までの差が1ポイント差であり、さらにシーズン最終戦まで争いが続き、しかも三つ巴になるというF1史上でも稀に見る激戦であった。1位から3位までの差が1ポイント差でシーズンを終えるのもF1史上初である。

2008年

2008年シーズンは、予期せぬ形でスタートすることになった。

第1戦オーストラリアGPにおいて、予選Q1終了間際にトラブルが発生。Q2を走ることができずに16位に終わる。(後にグロックの降格で15位に繰り上げ)。決勝でも序盤は順調に順位を上げていくものの、オーバーランやスピンでマシンに影響を及ぼし、最終的にはエンジントラブルでリタイアとなった。(後にバリチェロの失格処分で順位が繰り上がり1pt獲得)。F2008の信頼性の問題を露呈する形になってしまった。 しかし、第2戦マレーシアGPでは2007年の速さを取り戻し、今季初優勝を飾っている。

[編集] 人物

  • 家族は父、母、兄(ラミ)、妻(イエンニ)
  • ニックネームは北欧出身で常にクールな性格から「アイスマン」。雑誌などのインタビューでも口数が少なく、あまり英語の滑舌が良くないことから「記者泣かせ」と言われるが、ドライビングスタイルや優勝したときのパフォーマンスは情熱的でアグレッシブ。リタイアした際に、誘導しようと体に触ったコースマーシャルを突き飛ばしたり、ステアリングをコックピットに投げ捨てるなど激情にかられることもある。

[編集] エピソード

  • マネージャーは、F1参戦前からディビッド・ロバートソン、スティーブ・ロバートソン親子。彼らは、ジェンソン・バトンを発掘した人物でもある。
  • 2001年のF1デビュー戦ではマシンに乗り込む数分前まで昼寝をしていた。
  • 大の酒好きとしても知られ、表彰台でのシャンパンファイトでは、まずシャンパンを一口飲んでから参加する。一方、その酒癖の悪さが噂されており、オフシーズンを中心にしばしば酒がらみのゴシップ報道がされている。また2007年最終戦のブラジルグランプリでは、大逆転でワールドチャンピオンを勝ち取ったからか表彰台に上がったとたんシャンパンを口にした。
  • 人生で最初の車は、母親の友人からタダでもらったロシア製のラーダ。赤い車体を自分で黒く塗装していた。
  • プライベートでの運転でもアグレッシブらしく、冬の凍った道を高速でスリップしてあやうく林に突っ込みそうになり、父親に注意されたそう。
  • 好きなサーキットは、モンテカルロ・スパ=フランコルシャン・鈴鹿である。2005年日本GP(鈴鹿サーキット)ではファイナルラップでフィジケラ(当時ルノー、現フォース・インディア)をオーバーテイクし、観衆をわかせた。ライコネン自身も「今までで最高のレースだった。」と発言していた。スパ=フランコルシャンでは2004年・2005年、そして2007年と三連覇している。(2006年は未開催)
  • 2006年モナコGPでは、リタイアした数分後、クルーザーでグラス片手に優雅にGPを観戦するというお茶目な一面を見せている。但しまだレースは行われていることから、本来であれば速やかにピットに戻りエンジニアやチームメイトに情報を提供すべき場面であり、一種の「職場放棄」であるとみなすことも可能(逆に言えば、既にチームとライコネンとの関係が冷え切っていたことを示す行動であったともいえる)。また前述の酒癖の悪さとも関係し、この行動には批判も多い。
  • 2006年最終戦ブラジルGPではこのレースでヘルメットを置くミハエル・シューマッハの引退セレモニーが行われたが、彼はこれを見逃した。イギリスITVによるインタビューにおいてセレモニーを見逃した理由を問われたライコネンは、世界中に配信されているライブ映像であるにもかかわらず、「クソをしに行っていた("I was having a shit")」と発言し、物議をかもした。
  • 2007年シーズン開幕前、地元フィンランドのスノーモービルレースに「ジェームス・ハント」名を使って出走し優勝。シーズン中には地元のパワーボートレースにゴリラの着ぐるみで変装して参加した。
  • 2007年イタリアGPでは“Iceman”のロゴが入ったハーレーで現れた。(F1速報より)また、2007年度チャンピオンシップを優勝したことからIcemanを製造したドイツのヴァルツ・ハードコア社からカスタムメイドのチョッパー・バイク“Iceman II”を受け取っている。Icemanは当時、マクラーレンにいたことから外装は黒色だったがIceman IIは異なりフェラーリ・レッドとなっている。[1]

[編集] F1での年度別成績

(2008年第5戦終了時)

所属チーム # ランキング 獲得ポイント 決勝最高位・回数 表彰台回数 予選最高位・回数
2001年 ザウバー 17 10位 9 4位・2回 0回 7位・2回
2002年 マクラーレン 4 6位 24 2位・1回 4回 2位・1回
2003年 6 2位 91 1位・1回 10回 1位・2回
2004年 6 7位 45 1位・1回 4回 1位・1回
2005年 9 2位 112 1位・7回 12回 1位・5回
2006年 3 5位 65 2位・2回 6回 1位・3回
2007年 スクーデリア・フェラーリ 6 1位 110 1位・6回 12回 1位・3回
2008年 1 1位 35 1位・2回 4回 1位・1回


所属チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 WDC ポイント
2001 ザウバー ザウバー C20 ペトロナス 01A 3.0 V10 AUS
6
MAL
Ret
BRA
Ret
SMR
Ret
ESP
8
AUT
4
MON
10
CAN
4
EUR
10
FRA
7
GBR
5
GER
Ret
HUN
7
BEL
Ret
ITA
7
USA
Ret
JPN
Ret
10位 9
2002 マクラーレン マクラーレン MP4-17 メルセデス・ベンツ FO 110L 3.0 V10 AUS
3
MAL
Ret
BRA
12
SMR
Ret
ESP
Ret
AUT
Ret
MON
Ret
CAN
4
EUR
3
GBR
Ret
FRA
2
GER
Ret
HUN
4
BEL
Ret
ITA
Ret
USA
Ret
JPN
3
6位 24
2003 マクラーレン マクラーレン MP4-17D メルセデス・ベンツ FO 110M 3.0 V10 AUS
3
MAL
1
BRA
2
SMR
2
ESP
Ret
AUT
2
MON
2
CAN
6
EUR
Ret
FRA
4
GBR
3
GER
Ret
HUN
2
ITA
4
USA
2
JPN
2
2位 91
2004 マクラーレン マクラーレン MP4-19 メルセデス・ベンツ FO 110Q 3.0 V10 AUS
Ret
MAL
Ret
BHR
Ret
SMR
8
ESP
11
MON
Ret
EUR
Ret
CAN
5
USA
6
7位 45
マクラーレン MP4-19B FRA
7
GBR
2
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
1
ITA
Ret
CHN
3
JPN
6
BRA
2
2005 マクラーレン マクラーレン MP4-20 メルセデス・ベンツ FO 110R 3.0 V10 AUS
8
MAL
9
BHR
3
SMR
Ret
ESP
1
MON
1
EUR
11
CAN
1
USA
DNS
FRA
2
GBR
3
GER
Ret
HUN
1
TUR
1
ITA
4
BEL
1
BRA
2
JPN
1
CHN
2
2位 112
2006 マクラーレン マクラーレン MP4-21 メルセデス・ベンツ FO 108S 2.4 V8 BHR
3
MAL
Ret
AUS
2
SMR
5
EUR
4
ESP
5
MON
Ret
GBR
3
CAN
3
USA
Ret
FRA
5
GER
3
HUN
Ret
TUR
Ret
ITA
2
CHN
Ret
JPN
5
BRA
5
5位 65
2007 フェラーリ フェラーリ F2007 フェラーリ Tipo056 2.4 V8 AUS
1
MAL
3
BHR
3
ESP
Ret
MON
8
CAN
5
USA
4
FRA
1
GBR
1
EUR
Ret
HUN
2
TUR
2
ITA
3
BEL
1
JPN
3
CHN
1
BRA
1
1位 110

[編集] 脚注

  1. ^ Kimi Raikonnen recieves new custom-built chopper -Motorcycle News(2007年11月5日記事)

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ


先代:
フェルナンド・アロンソ
F1ドライバーズチャンピオン
2007年
次代:
n/a
2008年のF1世界選手権を戦うチーム出走ドライバー   
フェラーリ BMWザウバー ルノー ウィリアムズ レッドブル トヨタ
1 フィンランド ライコネン 3 ドイツ ハイドフェルド 5 スペイン アロンソ 7 ドイツ ロズベルグ 9 イギリス クルサード 11 イタリア トゥルーリ
2 ブラジル マッサ 4 ポーランド共和国 クビサ 6 ブラジル ピケ 8 日本 中嶋 10 オーストラリア ウェバー 12 ドイツ グロック
トロ・ロッソ ホンダ スーパーアグリ
(第4戦まで)
フォース・インディア マクラーレン
14 フランス ボーデ 16 イギリス バトン 18 日本 佐藤 20 ドイツ スーティル 22 イギリス ハミルトン
15 ドイツ ベッテル 17 ブラジル バリチェロ 19 イギリス デビッドソン 21 イタリア フィジケラ 23 フィンランド コバライネン