ルイジ・ファジオーリ

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ルイジ・ファジオーリ
L Fagioli.jpg
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身地 同・マルケ州アンコーナ県オージモ
生年月日 1898年6月9日
没年月日 1952年6月20日(満54歳没)
F1での経歴
所属チーム '50,'51 アルファ・ロメオ
活動時期 1950-1951
出走回数 7
優勝回数 1
通算獲得ポイント 32
表彰台(3位以内)回数 6
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1950年イギリスGP
初勝利 1951年フランスGP
最終勝利 1951年フランスGP
最終戦 1951年フランスGP
タイトル 0
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ルイジ・ファジオーリLuigi Fagioli1898年6月9日 - 1952年6月20日)は、イタリアマルケ州アンコーナ県オージモ出身のレーシング・ドライバールイジ・ファジオリルイージ・ファジオーリとも表記される。

人物紹介[編集]

自動車の誕生と年齢が重なる世代であり、少年期よりその魅力に取りつかれていた。1925年にレースキャリアをスタートさせ、ヒルクライムボアチュレットなどに参戦。

1931年にマセラティからGPデビューし、1932年イタリアGPモナコGPで優勝。1933年には、タツィオ・ヌヴォラーリの後釜としてアルファ・ロメオに移籍。

1934年メルセデスに移籍し、スペインGPで優勝するなど活躍を見せたが、チームとの関係悪化から、1936年にはアウトウニオンに移籍。しかし、この頃よりリウマチに悩まされることとなる。

最終的に、戦前のGPにおいては6勝をマークしている。

F1[編集]

1950年に始まったF1世界選手権においては、アルファ・ロメオ・ワークスチームのドライバーとして、ジュゼッペ・ファリーナファン・マヌエル・ファンジオと共に参戦。この年はアルファ・ロメオの強さが圧倒的であり、揃って速さを見せたことから「アルファの3F」と呼ばれることとなった。

初戦イギリスGPでは、予選2位からファリーナに次ぐ2位でフィニッシュ。5戦を消化した時点で[1]、スタート直後の多重事故に巻き込まれリタイヤとなった第2戦モナコGPを除く、4戦で2位に入賞。サード・ドライバーという立場から、優勝のチャンスは与えられにくい状況だったが、安定感のある走りでランク2位につけていた。

優勝・ファステストラップ(以下:FL)を記録し、かつファンジオがノーポイントに終わるという厳しい条件だったものの、最終戦イタリアGP時点ではチャンピオン獲得の可能性も残っていた。しかしファンジオはリタイヤしたものの、ファジオーリは3位に終わり、FLも記録出来なかった。ランク3位だったファリーナが優勝し、逆転で王座に就いている。

1951年は第4戦フランスGPのみに参戦。このレースで、ファンジオとのシェアドライブ[2]ながら優勝。フィニッシュドライバーもファンジオという状況だったものの、53歳22日でのF1優勝は、2011年現在でも最年長記録として残っている。

死去[編集]

1952年、ファジオーリはランチアからスポーツカーレースに参戦、ミッレ・ミリアで3位に入るなどの成績を残していた。しかし5月31日、モナコGPの練習走行中にトンネルでクラッシュし、マシンから投げ出された。

意識不明となった後、一旦は起き上がれるまでに回復。しかし6月20日に急変し、54歳でこの世を去った(医療ミスとも言われる)。

エピソード[編集]

  • やや血の気が盛んな性格で、報復行為と取れるような危険走行をすることもしばしばあったという。

F1での年度別成績[編集]

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 WDC ポイント
1950年 アルファ・ロメオ 158 GBR
2
MON
Ret
500 SUI
2
BEL
2
FRA
2
ITA
3
3位 24 (28)
1951年 159B SUI 500 BEL FRA
1*
GBR GER ITA ESP 11位 4
  • * 印は同じ車両を使用したドライバーに順位とポイントが配分された。

注釈[編集]

  1. ^ 形式的に組み込まれていたアメリカGPを加えると、正確には6戦
  2. ^ 当時はマシンの交換が許されていた。

関連項目[編集]