ジャックダニエル
ジャックダニエル(Jack Daniel's)は、アメリカ合衆国テネシー州リンチバーグ(Lynchburg)に本社を置く酒造メーカー。また、同社が製造するテネシー・ウイスキーの代表的な銘柄。いずれも、同社の創始者であるジャック・ダニエル(Jack Daniel)に由来する。同社は1957年よりケンタッキー州ルイビルのブラウン=フォーマン株式会社の子会社となっている。
「ジャックダニエル」は輸入元のサントリーによる表記であるが、より原音に近い「ジャック・ダニエルズ」という表記が用いられることも多い。
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[編集] 概要
1850年、テネシー州リンチバーグでジャスパー・ニュートン・"ジャック"・ダニエル(1850年 – 1911年)は貧困な家庭で生まれ、家族の友人に預けられ7歳からルター教会の牧師であり蒸溜所のオーナーであったダン・コール家に雇われる事となる。それをきっかけにジャック・ダニエルはダン・コールからテネシー・ウイスキー独自の製造法である原酒を樽詰めする前にサトウカエデの炭でろ過する「リンカーン郡製法」と呼ばれるチャコール・メローイング製法でのウィスキーの造り方を教わる。 1863年9月には牧師としての仕事に専念するためにダン・コールは、13歳であったジャック・ダニエルに蒸溜所を譲り、そこからジャック・ダニエルとしての本格的なウィスキー造りが開始される。1866年には自身で作ったウイスキーを自分の名前を刻んだ陶器のジャグに詰め込み販売を始め、同年に政府が酒類にも課税すると見込み蒸溜所を政府に登録し、アメリカにおいては初の政府公認の蒸溜所となる。
その後、1904年、ミズーリ州のセント・ルイスで開催された万国博覧会でオールドNo.7(後のブラックラベル)を出品し、世界各国のウィスキーの中で唯一金賞を獲得し、知名度も上がりそこから世界的に認められるようになる。
しかし、1919年にアメリカ政府によって禁酒法を施行され、50年以上続いた蒸溜所は事実上閉鎖へと追い込まれる事となる。禁酒法撤廃後にはジャック・ダニエルの甥であったレム・モトローによって再建されるが、彼の死後、蒸留所を継ぐものはおらず彼の家族によってアーリータイムズなども擁する酒類販売・製造企業のブラウン・フォーマン株式会社に買収され、現在に至る。
ジャックダニエル社の本社があるムーア郡は禁酒郡(ドライ・カウンティ、dry county)のひとつで、禁酒法施行以来郡内での酒類の販売が禁止されている(ただし、ジャックダニエルの蒸溜所では観光客向けの少量販売が認められている)。
[編集] 主要製品
- ジャックダニエル グリーン 40度 4年熟成
- 特定の場所の土産として売られている限定品。もっとも熟成期間が短い。
- ジャックダニエル ブラック 40度 5年熟成(Jack Daniel's)
- 伝統のオールドNo.7の製法を受け継いでいるジャックダニエルの主力商品。
- ジェントルマンジャック 40度(Gentleman Jack Rare Tennessee Whiskey)
- 樽熟成終にもう一度チャコール・メロウイング製法によりろ過し、風味付けを行ったウィスキー。
- ジャックダニエル シングルバレル 45度(Jack Daniel's Single Barrel Tennessee Whiskey)
- もっとも良い状態で熟成された樽を厳選し、他の樽のウイスキーを混ぜずに瓶詰を行ったウィスキー。
- ジャックダニエル モノグラム 47度 (Jack Daniel's Monogram Tennessee Whiskey)
- ジャックダニエル シルバーセレクト 50度(Jack Daniel's Silver Select)
- シングルバレルの空港免税店向け限定品。原酒をそのまま樽から瓶詰するため、シングルバレルより度数が高い。モノグラムと同様にマイケル・オズボーンによってボトルがデザインされた。
[編集] エピソード
[編集] ギター
元ヴァン・ヘイレンのマイケル・アンソニーは、ボディにジャックダニエルのラベルを描いたエレクトリックベースをライヴでよく使用していた。高見沢俊彦もボトルを模したギターをESPに特注している。一方、桜井賢はレミーマルタン柄のベースを所有している。
2009年にはサントリーのキャンペーンで、ラベルを描いたギター(ESP製)がプレゼントされるというものがあった。ただしセミアコタイプで、高見沢のものとは別物である。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Jack Daniel's - 公式サイト
- サントリー・ウィスキー - 日本での輸入代理店