小林可夢偉
| 小林 可夢偉 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 兵庫県尼崎市 |
| 生年月日 | 1986年9月13日(25歳) |
| F1での経歴 | |
| 車番 | 14 |
| 所属チーム | ザウバー '10- |
| 活動時期 | 2009- |
| 過去の所属チーム | '09 トヨタ |
| 出走回数 | 40 |
| 優勝回数 | 0 |
| 通算獲得ポイント | 65 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 0 |
| ポールポジション | 0 |
| ファステストラップ | 0 |
| F1デビュー戦 | 2009年ブラジルGP |
| 初勝利 | - |
| 2011年順位 | 12位 (30ポイント) |
| タイトル | 0 |
| (記録は2011年最終戦ブラジルGP終了時) | |
小林 可夢偉(こばやし かむい、1986年9月13日 – )は、兵庫県尼崎市出身のレーシングドライバー。
目次 |
[編集] 初期の経歴
[編集] デビュー - 2001年
9歳でカートを始める。少年の頃より憧れのドライバーはアイルトン・セナであると発言している。1996年にカートレースにデビュー、実績を積み重ね2000年には全日本ジュニアカート選手権のシリーズチャンピオンとなる。2001年は全日本カート選手権にステップアップし、ICAクラスに参戦してシリーズチャンピオンを獲得、またフォーミュラトヨタレーシングスクール(FTRS)を受講しスカラシップを得た。
[編集] 2002年 - 2003年
続いて4輪レースに出場することになるが、当時15歳であったためその前に日本自動車連盟(JAF)が限定A級ライセンス[1]を発行するのをしばらく待たねばならなかった。限定A級ライセンス取得後の2002年度、エッソ・フォーミュラ・トヨタ最終戦にて4輪レースデビューを飾る。2003年は本格的に同シリーズに参戦しランキング2位。
[編集] 2004年 - 2005年
クラーク記念国際高等学校卒業後の2004年にはトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)の支援下、フォーミュラ・ルノー2.0イタリアシリーズに参戦しランキング7位。
2005年度はイタリアシリーズに加えユーロシリーズも戦い、両シリーズともチャンピオンに輝いた。なお小林はヨーロッパのフォーミュラ・ルノー選手権においてシリーズチャンピオンに輝いた最初の日本人であり、ヨーロッパのフォーミュラカー選手権において日本人ドライバーがタイトルを獲得したのは2001年度に金石年弘・佐藤琢磨・福田良がそれぞれドイツ・イギリス・フランスのF3選手権でシリーズチャンピオンとなって以来のことであった。
[編集] 2006年 - 2007年
2006年はASM Formule 3(現在のARTグランプリのF3部門[2])からダラーラF305・メルセデスでF3・ユーロシリーズを戦い、ランキング8位ながらルーキーカップを獲得した。またF3マカオGPにも出場しポールポジションを獲得する健闘を見せるが決勝は19位で終えた。この時のチームメイトはセバスチャン・ベッテル、このシーズンのチャンピオンを獲得したポール・ディ・レスタ、そしてギド・ヴァン・デル・ガルデであった。
2007年も引き続き同チームのF3ユーロシリーズに参戦。同年6月30日、フランスのマニクール・サーキットで開催されたシリーズ第4戦の第1ラウンドでポールポジションを獲得しそのままF3初勝利を果たした。チームメイトはこの年のF3チャンピオンを獲得し、後にルノーからF1デビューしたロマン・グロージャン、ウィリアムズからデビューしたニコ・ヒュルケンベルグがいる。シリーズ4位。同年11月よりフォーミュラ1チームであるトヨタF1からフランク・モンタニーに代わり、サードドライバーとして起用されることが発表された。
[編集] 2008年 - 2009年
2008年はGP2にアジアシリーズも含め参戦。3月23日、GP2アジアシリーズのマレーシアGPにて日本人初優勝。さらに4月27日、ヨーロッパに戻って行われたGP2本戦の第1戦スペイン・レース2でも日本人初優勝という快挙を遂げた。
2008年-2009年シーズンとなったGP2アジアシリーズに、トヨタからのサポートを受けて参戦。2008年12月6日、ドバイGPにて08/09シーズンで初優勝。さらに2009年1月24日、バーレーンGPのレース1で優勝し、日本人初の連勝。2位に13ポイント差をつけランキング首位で挑んだ3月25日の最終戦、バーレーンの第1レースで4位入賞したことにより、第2レースを待たずしてアジアシリーズチャンピオンを獲得した。F1直下のカテゴリーで日本人が王座を獲得したのは初めてである。
[編集] F1での経歴
[編集] 2009年
2009年10月2日に開幕したF1第15戦日本グランプリで、トヨタF1チームのレギュラードライバーであるティモ・グロックが体調不良により金曜フリー走行を急遽欠場したため、リザーブドライバーであった小林がその代役として出走した。翌日はグロックが復帰したものの、そのグロックは公式予選でクラッシュして脊椎を負傷したため、次戦以降を欠場することになった[3]。これにより、小林は10月18日の第16戦ブラジルグランプリでF1デビュー、日本人としては18人目のF1ドライバーとなった。
そのブラジルグランプリでは、予選11位を記録。決勝ではポイント首位のジェンソン・バトンを18周に渡り抑えて、一時3位までポジションを上げたが、惜しくも入賞に一歩とどかず9位完走だった[4]。
次戦のアブダビGPも参戦することとなり、前戦同様バトンをオーバーテイクして、一時3位を走行していた。予選12位から1ストップ作戦を成功させ、チームメイトのヤルノ・トゥルーリを上回る6位入賞を果たした。1ストップ勢での上位浮上は小林ひとりであり、2007年の佐藤琢磨以来、2人目となる完全日本製パッケージ[5]でポイント獲得をした。
この2戦の活躍で、来シーズンのトヨタF1チームの正ドライバーの座を確かなものとした。しかし、そのアブダビGPからわずか3日後の11月4日、トヨタF1チームがF1から完全撤退することを発表し、2010年以降は他チームにシートを求めることとなった。
[編集] 2010年
2009年12月17日、ザウバーとのレギュラードライバー契約を発表し、撤退したトヨタを離れ2010年シーズンから新天地でのフル参戦が実現した。チームメイトはベテランのペドロ・デ・ラ・ロサ。第15戦シンガポールGPからデラ・ロサに替わりニック・ハイドフェルドがチームメイトになった。
序盤戦はスタート直後の接触事故やマシントラブルにより結果を残せなかったが、トルコGPでは10位入賞し、チームのシーズン初ポイントを獲得した。中盤戦以降はマシンの改善もあり、コンスタントに入賞圏内を争うようになった。
ヨーロッパGPでは予選18位からのスタートであったが、セーフティーカー出動の混乱を巧みに乗り切り、レース終盤の53周目までタイヤを交換しないという策に出る。その53周までのレースの大半を3位で走行し、レギュレーション上のタイヤ交換義務でソフトタイヤに履き替え9位でレースに戻り、新しいタイヤのグリップ力を活かし残り2周でフェラーリのフェルナンド・アロンソを、ファイナルラップの最終コーナーでトロ・ロッソのセバスチャン・ブエミをオーバーテイクし7位入賞を果たして、その印象的な走りは評価された。終始4位に抑えこまれていたマクラーレンのジェンソン・バトンも、インタビューで小林の走りについて"Brilliant!"(素晴らしい!)と称賛した。
続くイギリスGPでも6位入賞。ハンガリーGP予選ではピットレーンの赤信号無視でペナルティを受け23番手に降格。決勝ではスタートで順位を上げ、セーフティーカー出動も味方して9位入賞を果たした。
母国日本GPでは予選14位から、他のドライバーがソフトタイヤでスタートする中、ハードタイヤで走り出した。ハイメ・アルグエルスアリを14周目、エイドリアン・スーティルを18周目にヘアピンで抜き、全53周レースの38周目にピットイン。ソフトタイヤに履き替えると、アルグエルスアリをアウト側から45周目、ルーベンス・バリチェロを48周目、ハイドフェルドを49周目に同じヘアピンで抜き、計5回のオーバーテイクをした[6]。そして2度目のアルグエルスアリをオーバーテイクする際に接触したことでマシン左側のディフレクター、サイドポンツーンの損傷に加えてフロントウィングの一部まで欠損している状況にも拘わらず7位入賞を果たし、観客を熱狂させた。なお、小林自身は何回オーバーテイクを行ったか記憶していないと語っている[7]。続く韓国GPでは8位、ブラジルGPでも10位と3戦連続入賞を果たした。
この年は決して競争力の高いマシンではなかったものの、ルーキードライバーとしては最も高いポイントである32ポイントを獲得しランキング12位。又、チームメイトと比較してもデ・ラ・ロサに7勝2敗5分、ハイドフェルドに3勝1敗1分している事になりベテランドライバー相手にも遜色ない結果を残した。
[編集] 2011年
2010年9月7日、ザウバーは小林をエースドライバーとして残留させることを発表し、2011年も引き続きザウバーから出走する[8]。チームメイトには、新人のメキシコ人ドライバーセルジオ・ペレスが起用されている。
開幕戦オーストラリアGPでは入賞圏内である8位でゴールしたが、レース後の検査でリアウイングに違反があったとして失格処分となった。第2戦マレーシアGPでは、マーク・ウェバーやミハエル・シューマッハらとの接戦を繰り広げ見事7位入賞。前戦の雪辱を晴らし、第3戦中国GP、第4戦トルコGP、第5戦スペインGPまで3戦連続で10位入賞を記録し、日本人F1ドライバーの中で最もポイント獲得している佐藤琢磨の記録「44ポイント」と並んだ。又、同じく佐藤が記録した日本人による連続入賞記録(2004年イタリアグランプリから2004年ブラジルグランプリまで)である「4戦」も並んだ。翌第6戦モナコGPでは同僚のセルジオ・ペレスがシケインで大クラッシュを演じ同グランプリの決勝レースを欠場。 小林は単独で決勝レースに臨むこととなったが結果は自己最高位となる5位入賞を果たし、中嶋一貴以来日本人ドライバー2人目のモナコグランプリでのポイント獲得、モナコグランプリにおける日本人歴代最高位を更新した。同時に日本人獲得ポイント記録と、日本人連続入賞記録を更新した。
続くカナダGPでは荒れた天候のレースで一時2位を走るも、7位でフィニッシュ。一部の日本のマスコミ(特にフジテレビ)はこの活躍と有力チームのシート事情を絡め、2012年シーズンに有力チームに移籍する可能性を盛んに報じた。小林自身も移籍の可能性とペーター・ザウバーへの恩義の間で揺れる心境を示唆していた[9]。しかし7月28日にザウバーが小林とペレスの2012年残留を発表している[10]。
[編集] 評価
日本企業の支援を受けてF1に昇格したという点では、F1ブーム期以降の日本人ドライバーの系譜に連なる。しかし、トヨタのF1撤退で後ろ盾を失いながらデビュー2戦のパフォーマンスを評価され、2010年のレギュラーシートを確保するに至った。起用を決めたザウバーチーム代表のペーター・ザウバーは「彼は資金を持ち込まずにF1チームに加わった最初の日本人ドライバーだ」「彼はドライブ能力のおかげでF1にいる」と評価した[11]。
F1ジャーナリストの今宮純は「小林はマクラーレンの候補リストに日本人として初めて名を連ねていた[12]」と話している。元F1ドライバーの片山右京は「僕らの夢が動き出そうとしている」とコメントを残した。
マシンの空力的性質上オーバーテイクが難しいといわれるF1において、積極的に追い抜きを仕掛ける姿勢は評価されている。一方で、接触する場面もあることから海外を中心に「危険な走り」であると指摘を受けている。本人も接触の多さやアグレッシブ過ぎる部分については認めつつも、他車を巻き込んでのリタイヤは無いので危険ではない。安全だと主張している[13]。
タイヤマネジメントに定評があり、タイヤ交換回数を減らしたり、他のドライバーと異なるタイヤを選択することで順位を大きく上げるレースが多い。
- F1デビュー戦の2009年ブラジルGPでは、後方から迫るバトンに対して蛇行で牽制するようなブロックをみせた(通常は一つのコーナーに対してワンアプローチしか認められない)。チャンピオン争いをしていたバトンは可夢偉の走行に過剰に反応し、無線で自分のチームに抗議するよう求めたが「ルーキードライバーの(少々過剰な)行為」にクールになるように窘められている。また、ピットアウト直後に中嶋一貴をブロックして接触し、中嶋はクラッシュした。レース後には全世界のファンの投票で選ばれる「マン・オブ・ザ・レース」に選出された。
- 2009年アブダビGPでは再びバトンとバトルを展開し、デビュー2戦連続で「マン・オブ・ザ・レース」に選出。バトンを追い抜いたシーンが同サイトの「ベストオーバーテイク」のファン投票で1位を獲得した。
- 2010年日本GPではヘアピンへのブレーキングで5度のオーバーテイクを成功させ、ライバルや海外メディアに賞賛され、F1公式サイトのコメンタリでは「overtaking king Kobayashi」と絶賛された。レース後、イギリスのテレビ局BBCは小林に対して独占インタビューを行い、コメンテイターのエディ・ジョーダン、マーティン・ブランドルより絶賛を受けた。デビッド・クルサードはコラムにおいて「日曜に彼が見せたオーバーテイクは驚異的だった。アグレッシブでありながらコントロールされており、非常に素晴らしかった」と述べた[14]。また鈴鹿サーキットでは、2011年の日本GPにおいてヘアピンの観客席を増設し「小林可夢偉応援席」として販売したが[15]、通常発売期間を待たずして先行予約期間ですぐに完売してしまった[16]。
- この2010年日本GPでのオーバーテイク時に接触し、サイドポンツーンのエアロパーツを片側だけ破損して無くすことになるが、その後自身のベストラップを刻み、テレビ解説をしていた片山右京に「彼は破損したマシンの方が速いんですね」と苦笑いをされてしまう。
- 2010年、同じF1ルーキーのヴィタリー・ペトロフやニコ・ヒュルケンベルグ、GP2のジュール・ビアンキやサム・バード、世界ラリー選手権(WRC)に転向したキミ・ライコネンらを抑えて、「AUTOSPORT Awards」のルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。[17]
[編集] エピソード
- 可夢偉(かむい)という名前はアイヌの民族信仰で神とされる「カムイ」と、「偉大な夢を可能にする」という言葉の漢字3文字から命名された[18]。
- 実家は寿司屋を経営し、16歳からは家業の手伝いで寿司を握っていたことから、ファンサイトやメディアでは「可夢偉はシートを失ったら実家の板前に転職する」とネタにされたり、また自らも2009年のトヨタF1撤退決定の直後は「レースが続けられないなら寿司屋の修行をする」[19]2010年の参戦決定後も「ザウバーと契約していなかったら今頃寿司を握っていたでしょう」と冗談を言っている。実際のところ本人はエビやカニのアレルギー持ちで「触ることすらできない」ため、板前には「なりたくてもなれない」という[20]。ザウバーの公式HPでは「好物は和食、ただし生魚を除く」と記載されている。
- その実家に近い三和本通商店街が、2011年3月より小林の応援旗や垂れ幕を掲げるとともに「カムイロード」の愛称を付け応援するようになった[21]。
- 子供の頃は最初からレーサーを志していたわけではなく、当初の夢はお笑い芸人になることだった。地元尼崎市出身のお笑いコンビ・ダウンタウンを尊敬しており、2009年にフジテレビ系『すぽると!』に出演した際、自らの夢を「テレビで浜田さんと共演する」と発言し、後日その浜田がパーソナリティを努めるフジテレビ系『ジャンクSPORTS』で実現する。
- 少年時代に参戦したカート競技で父親自らが小林の車両のメカニックとして携わっていたが、実は両親はレースに全く関心がなかったという。また、自身で乗用車を2度ほど購入していたが、その両方の車を父親に売却された[22]。
- 1998年に放送されたTBSの30時間特別番組『テレビのちから』のコーナー「スーパーキッズ21世紀夢チャレンジ」にて、当時小学6年生だった小林は「天才カート少年」として紹介され、定岡正二や元F1ドライバー鈴木亜久里とカート対決を行った。鈴木とのレースでは勝利しながらもレース後目に涙を浮かべ、「悔しかった。遊ばれとった」と発言した。F1ドライバーになって以降も「この悔しかった心境を鮮明に覚えている」と発言している。
- 17歳の頃に、尼崎市の広報誌のインタビューを受けた際、免許を取得した後に乗りたい車はという問いに対して「速く走る必要も無いのでどんな車でも良いが、強いて言えば、いつも窮屈な車にばかり乗っているので、乗っていて楽な車が良い。」と語っていた。
- TDP監督として小林を指導した関谷正徳いわく、「やんちゃな可夢偉と優等生の一貴のコンビだった」。小林はヨーロッパに渡る前、TDP関係者の知り合いの寺に送られ、短期間修行させられた。
- 初めて出演したラジオが 2010年8月17日にUstreamで放送されたインターネットラジオ『タイムマシン部』であった[23]。なおタイムマシン部には後に中嶋一貴も出演している。
- 2010年の日本GP後にスポーツ紙や週刊誌においてタレントのあびる優との交際が報道された。この件について、あびるの所属事務所であるホリプロは「仲の良い友達の一人です」とコメントしていた[24]。しかし翌年の1月29日に小林との交際が順調であるかという質問を受けたあびるは「はい。(結婚は)するなら若いうちにしておきたい」と答えている[25]。また、2011年シーズンでは度々、あびる優が応援に訪れており、海外のF1メディアにはすでに「あびる優は小林のガールフレンド」と認知されている[26]。
- 『すぽると!』内でセバスチャン・ベッテルがマシンに名前を付けていると言われ、自分のマシンに隣に座っていたアナウンサーの本田朋子の名前を取って「朋子」と名づけた。
- グッドスマイルカンパニーがねんどろいどとfigmaでフィギュア化されることが決定している。
- 2011年にスポーツ紙や週刊誌において女優の黒木メイサとの温泉宿泊旅行が報道された。
[編集] レース戦績
- 1996年
- SL宝塚シリーズカデットクラス(3位)
- 1997年
- TOYOTA SL全国大会カデットクラス(優勝)
- 1998年
- JAFCUP西地域シリーズカデットクラス(優勝)
- 1999年
- 全日本ジュニアカート選手権(ランキング5位)
- TOYOTA SL全国大会SストックDクラス(優勝)
- 2000年
- 全日本ジュニアカート選手権(シリーズチャンピオン・優勝3回)
- 鈴鹿カート選手権RSOクラス(シリーズチャンピオン)
- 2001年
- 全日本カート選手権ICAクラス(シリーズチャンピオン・優勝3回)
- アジアパシフィック選手権ICAクラス(2位)
- フォーミュラ・トヨタ・レーシング・スクール(FTRS)受講・スカラシップ獲得
- 2002年
- ヨーロッパカート選手権FAクラス(ランキング14位)
- エッソ・フォーミュラ・トヨタシリーズ<Rd.10にスポット参戦>(決勝DNF)
- 2003年
- エッソ・フォーミュラ・トヨタシリーズ(#7 ウルトラフロースカラシップFT/FT30)(ランキング2位・優勝2回)
- マカオGPフォーミュラ・ルノー参戦
- 2004年
- フォーミュラ・ルノー2.0イタリアシリーズ(ランキング7位・優勝2回)
- マカオGPフォーミュラ・ルノー参戦(18位)
- 2005年
- フォーミュラ・ルノー2.0イタリアシリーズ(シリーズチャンピオン・優勝6回)
- フォーミュラ・ルノー2.0ユーロシリーズ(シリーズチャンピオン・優勝6回)
- 2006年
- F3ユーロシリーズ(ASM Formula3 #17 Dallara F305 Mercedes)(ランキング8位・最高位2位・Rookie Cup2006を獲得)
- F3Ultimate Masters(ASM Formula3 #17 Dallara F305 Mercedes)(決勝11位)
- F3マカオGP(ASM Formula3 #6 Dallara Mercedes-HWA)(予選PP・決勝19位)
- 2007年
- F3ユーロシリーズ(ASM Formula3 #2 Dallara F305 Mercedes)(ランキング4位・優勝1回)
- F3マカオGP(ASM Formula3 #9 Dallara Mercedes-HWA)(予選7位・決勝13位)
- 2008年
- GP2アジアシリーズ(DAMS #10)(ランキング6位・優勝2回)
- GP2メインシリーズ(DAMS #10)(ランキング16位・優勝1回)
- 2009年
- GP2アジアシリーズ(DAMS #8)(シリーズチャンピオン・優勝2回)
- GP2メインシリーズ(DAMS #17)(ランキング16位・最高位3位)
- F1世界選手権<Rd.16,17に参戦>(Panasonic Toyota Racing #10)(ランキング18位・入賞1回)
- 2010年
- F1世界選手権(BMW Sauber Ferrari #23)(ランキング12位・入賞8回)
- 2011年
- F1世界選手権(Sauber Ferrari #16)(ランキング12位・入賞9回)
- 2012年
- F1世界選手権(Sauber Ferrari #14)
[編集] F1での年度別成績
| 年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | WDC | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2009年 | トヨタ | TF109 | AUS | MAL | CHN | BHR | ESP | MON | TUR | GBR | GER | HUN | EUR | BEL | ITA | SIN | JPN PO |
BRA 9 |
ABU 6 |
18位 | 3 | |||
| 2010年 | ザウバー | C29 | BHR Ret |
AUS Ret |
MAL Ret |
CHN Ret |
ESP 12 |
MON Ret |
TUR 10 |
CAN Ret |
EUR 7 |
GBR 6 |
GER 11 |
HUN 9 |
BEL 8 |
ITA Ret |
SIN Ret |
JPN 7 |
KOR 8 |
BRA 10 |
ABU 14 |
12位 | 32 | |
| 2011年 | C30 | AUS DSQ |
MAL 7 |
CHN 10 |
TUR 10 |
ESP 10 |
MON 5 |
CAN 7 |
EUR 16 |
GBR Ret |
GER 9 |
HUN 11 |
BEL 12 |
ITA Ret |
SIN 14 |
JPN 13 |
KOR 15 |
IND Ret |
ABU 10 |
BRA 9 |
12位 | 30 | ||
| 2012年 | C31 | AUS - |
MAL - |
CHN - |
BHR - |
ESP - |
MON - |
CAN - |
EUR - |
GBR - |
GER - |
HUN - |
BEL - |
ITA - |
SIN - |
JPN - |
KOR - |
IND - |
ABU - |
USA - |
BRA - |
-位 | - |
[編集] 脚注
- ^ 普通自動車運転免許を取得できないドライバーは、この特殊なライセンスを取得しなければ4輪レースに出場できない。16〜17歳が対象で、日本自動車連盟が発行。取得すると国内の一部レースに限り出場を認められる。
- ^ “Champions ASM renamed ART”. AUTOSPORT.com. (2007年11月28日) 2010年10月11日閲覧。
- ^ ティモ・グロック、F1ブラジルGPを欠場 F1-Gate.com 2009年10月11日
- ^ 9位完走のヘイキ・コバライネンがピットロードで火災を起こしてしまい、25秒加算ペナルティを受けたため、10位から9位に繰り上がった。
- ^ 日本のコンストラクター・日本人ドライバー・日本製エンジン・日本製タイヤ。
- ^ 正確には45周目にスーティルがエンジンブローによってスローダウンしてしまった為、小林はスーティルを130Rの後コース上でかわしている。よってこれまで含めると、実質6回のオーバーテイクとなる。
- ^ “小林可夢偉 「何度オーバーテイクしたか覚えていない」”. F1 Gate.com. (2010年10月11日) 2010年10月11日閲覧。
- ^ “小林可夢偉、2011年もザウバー残留が決定”. F1 gate.com. (2010年9月7日) 2010年9月7日閲覧。
- ^ “小林可夢偉、F1トップチーム移籍を視野に ザウバーとの契約更新報道を否定”. F1トップニュース. (2011年7月10日) 2011年8月3日閲覧。
- ^ “小林可夢偉、2012年のザウバー残留が正式発表”. F1トップニュース. (2011年7月28日) 2011年8月3日閲覧。
- ^ “ザウバー 「小林可夢偉は実力でF1にいる」”. F1-Gate.com. (2010年10月8日) 2010年11月12日閲覧。
- ^ トヨタF1最後の日に立会い、日本人ドライバーの今後を思った。 F1 WORLD.JP 2009年11月24日
- ^ “小林可夢偉 「自分が危険なドライバーだとは思っていません」”. F1-Gate.com. (2010年11月5日) 2010年11月12日閲覧。
- ^ “将来ハミルトンと渡り合う日も? DCが可夢偉を絶賛”. オートスポーツweb. (2010年10月13日) 2011年1月11日閲覧。
- ^ “2011 FIA F1世界選手権シリーズ第16戦 日本グランプリレース 開催概要のご案内”. モビリティランド. (2011年1月10日) 2011年5月12日閲覧。
- ^ “小林可夢偉応援席、ヘアピン(I席)が完売”. F1 Gate.com. (2011年3月8日) 2011年5月12日閲覧。
- ^ 小林可夢偉、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞 2010年12月7日 F1-Gate.com
- ^ ちぃ (2009年10月14日). “小林可夢偉選手ってどんな人?”. トヨタモータースポーツ インサイドブログ. 2010年10月4日閲覧。
- ^ 小林可夢偉(トヨタ)、「シートなければ寿司屋継ぐ」 - FMotorsports・2009年11月4日
- ^ 『GRAND PRIX SPECIAL』(ソニー・マガジンズ)2010年1月号・連載「突撃!ピットレポーター川井ちゃん」
- ^ 世界最速へ尼崎の夢 F1小林さん応援 - asahi.com関西 2011年6月30日
- ^ “母国で長旅の羽を休める可夢偉”. ESPN F1. (2010年10月1日) 2010年10月2日閲覧。
- ^ 収録内容はUstreamにアーカイブされており誰でも視聴可能。http://www.ustream.tv/recorded/8979631
- ^ “あびる、可夢偉との熱愛否定「良い友達」”. サンケイスポーツ. (2010年10月19日) 2010年10月19日閲覧。
- ^ “あびる優 小林可夢偉と交際順調「結婚は若いうちにしておきたい」”. スポニチAnnex. (2011年1月29日) 2011年1月29日閲覧。
- ^ “あびる優、F1マレーシアGPでも小林可夢偉に同行”. F1-Gate.com. (2011年4月11日) 2011年8月3日閲覧。
[編集] 関連項目
- フォーミュラトヨタレーシングスクール
- トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム
- 日本人ドライバー一覧
- グッドスマイルカンパニー - 小林のパーソナルスポンサー。2010年8月より小林のスポンサードを行っており、その関連で小林は2011年にグッドスマイルレーシングのスペシャルサポーターとなっている。2011年に本人を元にした各種フィギュアを制作している。
[編集] 外部リンク
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