小林可夢偉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
小林可夢偉
Kamui Kobayashi 2010 Malaysia.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県尼崎市
生年月日 1986年9月13日(27歳)
F1での経歴
車番 10
所属チーム ケータハム '14-
活動時期 2009-2012,2014-
過去の所属チーム '09 トヨタ
'10-'12 ザウバー
出走回数 71
優勝回数 0
通算獲得ポイント 125
表彰台(3位以内)回数 1
ポールポジション 0
ファステストラップ 1
初戦 2009年ブラジルGP
2014年順位 22位 (0ポイント)
タイトル 0
(記録は2014年第12戦ベルギーGP終了時)
テンプレートを表示

小林 可夢偉こばやし かむい, Kamui Kobayashi1986年9月13日 – )は、日本兵庫県尼崎市出身のレーシングドライバー

初期の経歴[編集]

デビュー - 2001年[編集]

9歳でカートを始める。少年の頃より憧れのドライバーはアイルトン・セナであると発言している。1996年にカートレースにデビュー、実績を積み重ね2000年には全日本ジュニアカート選手権のシリーズチャンピオンとなる。2001年は全日本カート選手権にステップアップし、ICAクラスに参戦してシリーズチャンピオンを獲得、またフォーミュラトヨタレーシングスクール(FTRS)を受講しスカラシップを得た。

2002年 - 2003年[編集]

続いて4輪レースに出場することになるが、当時15歳であったためその前に日本自動車連盟(JAF)が限定A級ライセンス[1]を発行するのをしばらく待たねばならなかった。限定A級ライセンス取得後の2002年度、エッソフォーミュラ・トヨタ最終戦にて4輪レースデビューを飾る。2003年は本格的に同シリーズに参戦しランキング2位。

2004年 - 2005年[編集]

クラーク記念国際高等学校卒業後の2004年にはトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)の支援下、フォーミュラ・ルノー2.0イタリアシリーズに参戦しランキング7位。

2005年度はイタリアシリーズに加えユーロシリーズも戦い、両シリーズともチャンピオンに輝いた。なお小林はヨーロッパのフォーミュラ・ルノー選手権においてシリーズチャンピオンに輝いた最初の日本人であり、ヨーロッパのフォーミュラカー選手権において日本人ドライバーがタイトルを獲得したのは2001年度に金石年弘佐藤琢磨福田良がそれぞれドイツイギリスフランスF3選手権でシリーズチャンピオンとなって以来のことであった。

2006年 - 2007年[編集]

2006年はASM Formule 3(現在のARTグランプリのF3部門[2])からダラーラF305・メルセデスF3・ユーロシリーズを戦い、ランキング8位ながらルーキーカップを獲得した。またF3マカオGPにも出場しポールポジションを獲得する健闘を見せるが決勝は19位で終えた。この時のチームメイトはセバスチャン・ベッテル、このシーズンのチャンピオンを獲得したポール・ディ・レスタ、そしてギド・ヴァン・デル・ガルデであった。

2007年も引き続き同チームのF3ユーロシリーズに参戦。同年6月30日、フランスマニクール・サーキットで開催されたシリーズ第4戦の第1ラウンドでポールポジションを獲得しそのままF3初勝利を果たした。チームメイトはこの年のF3チャンピオンを獲得し、後にルノーからF1デビューしたロマン・グロージャンウィリアムズからデビューしたニコ・ヒュルケンベルグがいる。シリーズ4位。同年11月よりフォーミュラ1チームであるトヨタF1からフランク・モンタニーに代わり、サードドライバーとして起用されることが発表された。

2009年GP2ドイツGP

2008年 - 2009年[編集]

2008年GP2にアジアシリーズも含め参戦。3月23日、GP2アジアシリーズのマレーシアGPにて日本人初優勝。さらに4月27日、ヨーロッパに戻って行われたGP2本戦の第1戦スペイン・レース2でも日本人初優勝という快挙を遂げた。

2008年-2009年シーズンとなったGP2アジアシリーズに、トヨタからのサポートを受けて参戦。2008年12月6日、ドバイGPにて08/09シーズンで初優勝。さらに2009年1月24日、バーレーンGPのレース1で優勝し、日本人初の連勝。2位に13ポイント差をつけランキング首位で挑んだ3月25日の最終戦、バーレーンの第1レースで4位入賞したことにより、第2レースを待たずしてアジアシリーズチャンピオンを獲得した。F1直下のカテゴリーで日本人が王座を獲得したのは初めてである。

F1での経歴[編集]

2009年[編集]

2009年日本グランプリ

2009年10月2日に開幕したF1第15戦日本グランプリで、トヨタF1チームのレギュラードライバーであるティモ・グロックが体調不良により金曜フリー走行を急遽欠場したため、リザーブドライバーであった小林がその代役として出走した。翌日はグロックが復帰したものの、そのグロックは公式予選でクラッシュして脊椎を負傷したため、次戦以降を欠場することになった[3]。これにより、小林は10月18日の第16戦ブラジルグランプリでF1デビュー、日本人としては18人目のF1ドライバーとなった。

そのブラジルグランプリでは、予選11位を記録。決勝ではポイント首位のジェンソン・バトンを18周に渡り抑えて、一時3位までポジションを上げたが、惜しくも入賞に一歩とどかず9位完走だった[4]

次戦のアブダビGPも参戦することとなり、前戦同様バトンをオーバーテイクして、一時3位を走行していた。予選12位から1ストップ作戦を成功させ、チームメイトのヤルノ・トゥルーリを上回る6位入賞を果たした。1ストップ勢での上位浮上は小林ひとりであり、2007年佐藤琢磨以来、2人目となる完全日本製パッケージ[5]でポイント獲得をした。

この2戦の活躍で、来シーズンのトヨタF1チームの正ドライバーの座を確かなものとした。しかし、そのアブダビGPからわずか3日後の11月4日、トヨタF1チームがF1から完全撤退することを発表し、2010年以降は他チームにシートを求めることとなった。

2010年[編集]

2010年のへレス・テスト
2010年ドイツGP

2009年12月17日ザウバーとのレギュラードライバー契約を発表し、撤退したトヨタを離れ2010年シーズンから新天地でのフル参戦が実現した。チームメイトはベテランのペドロ・デ・ラ・ロサ第15戦シンガポールGPからデラ・ロサに替わりニック・ハイドフェルドがチームメイトになった。

序盤戦はスタート直後の接触事故やマシントラブルにより結果を残せなかったが、トルコGPでは10位入賞し、チームのシーズン初ポイントを獲得した。中盤戦以降はマシンの改善もあり、コンスタントに入賞圏内を争うようになった。

ヨーロッパGPでは予選18位からのスタートであったが、セーフティーカー出動の混乱を巧みに乗り切り、レース終盤の53周目までタイヤを交換しないという策に出る。その53周までのレースの大半を3位で走行し、レギュレーション上のタイヤ交換義務でソフトタイヤに履き替え9位でレースに戻り、新しいタイヤのグリップ力を活かし残り2周でフェラーリフェルナンド・アロンソを、ファイナルラップの最終コーナーでトロ・ロッソセバスチャン・ブエミオーバーテイクし7位入賞を果たして、その印象的な走りは評価された。終始4位に抑えこまれていたマクラーレンジェンソン・バトンも、インタビューで小林の走りについて"Brilliant!"(素晴らしい!)と称賛した。

続くイギリスGPでも6位入賞。ハンガリーGP予選ではピットレーンの赤信号無視でペナルティを受け23番手に降格。決勝ではスタートで順位を上げ、セーフティーカー出動も味方して9位入賞を果たした。

母国日本GPでは予選14位から、他のドライバーがソフトタイヤでスタートする中、ハードタイヤで走り出した。ハイメ・アルグエルスアリを14周目、エイドリアン・スーティルを18周目にヘアピンで抜き、全53周レースの38周目にピットイン。ソフトタイヤに履き替えると、アルグエルスアリをアウト側から45周目、ルーベンス・バリチェロを48周目、ハイドフェルドを49周目に同じヘアピンで抜き、計5回のオーバーテイクをした[6]。そして2度目のアルグエルスアリをオーバーテイクする際に接触したことでマシン左側のディフレクター、サイドポンツーンの損傷に加えてフロントウィングの一部まで欠損している状況にも拘わらず7位入賞を果たし、観客を熱狂させた。なお、小林自身は何回オーバーテイクを行ったか記憶していないと語っている[7]。続く韓国GPでは8位、ブラジルGPでも10位と3戦連続入賞を果たした。

この年は決して競争力の高いマシンではなかったものの、ルーキードライバーとしては最も高いポイントである32ポイントを獲得しランキング12位。又、チームメイトと比較してもデ・ラ・ロサに7勝2敗5分、ハイドフェルドに3勝1敗1分している事になりベテランドライバー相手にも遜色ない結果を残した。

2011年[編集]

2011年マレーシアGP

2010年9月7日、ザウバーは小林をエースドライバーとして残留させることを発表し、2011年も引き続きザウバーから出走する[8]。チームメイトには、新人のメキシコ人ドライバーセルジオ・ペレスが起用されている。

開幕戦オーストラリアGPでは入賞圏内である8位でゴールしたが、レース後の検査でリアウイングに違反があったとして失格処分となった。第2戦マレーシアGPでは、マーク・ウェバーミハエル・シューマッハらとの接戦を繰り広げ見事7位入賞。前戦の雪辱を晴らし、第3戦中国GP、第4戦トルコGP、第5戦スペインGPまで3戦連続で10位入賞を記録し、日本人F1ドライバーの中で最もポイント獲得している佐藤琢磨の記録「44ポイント」と並んだ。又、同じく佐藤が記録した日本人による連続入賞記録(2004年イタリアグランプリから2004年ブラジルグランプリまで)である「4戦」も並んだ。翌第6戦モナコGPでは同僚のセルジオ・ペレスがシケインで大クラッシュを演じ同グランプリの決勝レースを欠場。 小林は単独で決勝レースに臨むこととなったが結果は自己最高位となる5位入賞を果たし、中嶋一貴以来日本人ドライバー2人目のモナコグランプリでのポイント獲得、モナコグランプリにおける日本人歴代最高位を更新した。同時に日本人獲得ポイント記録と、日本人連続入賞記録を更新した。

続くカナダGPでは荒れた天候のレースで一時2位を走るも、7位でフィニッシュ。一部の日本のマスコミ(特にフジテレビ)はこの活躍と有力チームのシート事情を絡め、2012年シーズンに有力チームに移籍する可能性を盛んに報じた。小林自身も移籍の可能性とペーター・ザウバーへの恩義の間で揺れる心境を示唆していた[9]。しかし7月28日にザウバーが小林とペレスの2012年残留を発表している[10]

2012年[編集]

開幕戦オーストラリアGPでは、スタート時の接触によりリアウィングの翼端板が破損、DRSの使用に不安が生じた。そんな中で上位陣のクラッシュもあり6位入賞を果たした。第3戦中国GPではフリー走行から安定した走りを見せ、最終的に自己最高となる予選4位を記録する。予選2位のルイス・ハミルトンのペナルティにより決勝は3番手からのスタートとなったが、スタート時にトラブルが発生し順位を落とす。しかし10位でフィニッシュし、日本人としては1989年最終戦オーストラリアGP中嶋悟が達成して以来23年ぶり、ザウバーチーム(BMW時代を除く。)としては初めてのファステストラップを記録した。

第5戦スペインGPでも予選Q3進出したものの、ハイドロ系トラブルによって10位(ハミルトンが予選失格したため、9番手からのスタート)だったが、決勝ではジェンソン・バトンやニコ・ロズベルグをオーバーテイクし、自己最高タイの5位入賞を果たした[11]

第6戦モナコGP予選ではQ2で敗退となり12番手となったが9番手スタートのマルドナードがフリー走行中にペレスと接触して10グリッド降格のペナルティを受け11番手スタートとなった。 決勝では、スタート直後に第1コーナーでグロージャンがシューマッハとの接触をきっかけにスピンし、後続を巻き込む多重クラッシュとなり、そのクラッシュに巻き込まれリタイアを 喫した。

第7戦カナダGP予選はQ2敗退となり11番手となった。決勝ではシューマッハのリタイアなどもあり予選グリッドから2つポジションを上げ9番手で入賞を果たした。

第8戦ヨーロッパGP予選はQ3進出を果たし、7番手スタートを手にした。決勝では7番手からスタートし、2周目には4番手までポジションを上げたが、ピットストップに時間がかかり順位を落とす。その後ブルーノ・セナと接触。この接触ではセナにペナルティが科される。その後フェリペ・マッサと接触してリタイア。マッサとの接触には可夢偉に非があるとして次戦のイギリスグランプリで5グリッド降格のペナルティが科された。

第9戦イギリスGP予選では雨のコンディションの中行われ大波乱の予選となり1時間30分の赤旗中断となった。その中、マクラーレンのジェンソン・バトンがQ1敗退を喫し、ロータスのグロージャンもQ3進出を果たすがスピンしQ3を走ることができなかった。その中で可夢偉はQ2で敗退となり12番手となるが前戦のヨーロッパグランプリによる5グリッド降格のペナルティを受け17番手スタートとなる。 決勝では1周目に大きく順位を上げその後も順調に順位を上げていくが37周目にピットストップをするときにタイヤがロックし指定の位置に止まることができずメカニック3人と接触。この事故によりピットストップに時間がかかりコースに戻ると12番手、そこからポジションを1つ上げ11番手でフィニッシュしポイントを手にすることはできなかった。 レース後メカニックとの接触について審議され2万5000ユーロ(約240万円)の罰金処分を科された。

第10戦ドイツGP予選は雨の降る中行われ、Q2では雨量が激しくなり各車がウェットタイヤに続々と変える中はインターミディエイトタイヤで走る戦略が失敗し予選13番手となるが[12]、決勝では天候に恵まれ戦略面でも巧く事が進み、5位でフィニッシュした。その後、2位のセバスチャン・ベッテルのコース外を使ったオーバーテイクが審議対象となり、その結果決勝タイムから20秒加算ペナルティとなった為、最終的には自己最高の4位入賞を果たした。

第11戦ハンガリーGPはフリー走行からマシンバランスに悩み、予選Q1は通過するもQ2で敗退(15位)。決勝では早めにミディアムタイヤに履き替え変則2ピットストップ作戦を決行するが、油圧系のトラブルでリタイアしたが、18位完走扱いでレースを終えた。

第12戦ベルギーGPはウェットコンディションとなった金曜日フリー走行1回目でトップタイム、2回目では7番手を記録。ドライとなった翌日3回目でも4番手タイムを出し、午後の予選ではポールポジションのバトン(マクラーレン)に次ぐ2番手タイムで自己ベストをマークした。また2004年第7戦ヨーロッパGPの佐藤琢磨以来、8年ぶりの日本人予選フロントローという快挙も成し遂げた[13][14]。ザウバーチーム(BMW時代を除く。)としても1999年第7戦フランスグランプリ以来のフロントローを獲得した。だが決勝ではスタートで失敗し、直後にロマン・グロージャンによって引き起こされた多重クラッシュに巻き込まれマシンにダメージを負い、完走はしたものの13位に終わった。

第13戦イタリアGPではチームメイトが2位を獲得したのに対して9位に終わり、第14戦シンガポールGPでも13位でポイント圏外で不振が続いた。

2012年日本GP

しかし第15戦日本GPにおいて、予選4位となり、3位だったジェンソン・バトンがシンガポールGP後のギアボックス交換によりグリッド降格処分となったため3番グリッドからのスタートとなった。スタート直後にマーク・ウェバーをかわし2位に浮上するも、14周終了後の1度目のピットインの後、ダニエル・リカルドをオーバーテイクするのに17周目まで手間取ったこともあり、17周目にピットインしたフェリペ・マッサがピットイン後小林の前に入り再度3位となる。その後は終始ジェンソン・バトンに猛追されるもそのまま3位でゴール、日本人としては2004年アメリカGPでの佐藤琢磨以来8年ぶり、鈴鹿では1990年鈴木亜久里以来22年ぶりとなる、日本人3人目のF1GP表彰台登壇者となった[15][16]

2012年はチームメイトを6ポイント下回ったものの昨年の倍の60ポイントを獲得し、日本GPの表彰台を含む9回の入賞(チームメイトは7回)や、自身初のファステストラップとフロントローなどを記録した。しかし、チームとの契約延長には至らず、最終戦ブラジルGP前に2013年のザウバー離脱が発表された。

2014年[編集]

2014年1月21日ケータハムとの契約を発表した。チームメイトは新人のマーカス・エリクソン[17]

開幕戦オーストラリアGPでは予選Q2に進出し、15位(スターティンググリッドでは14位)を獲得するが、決勝ではスタート直後にブレーキトラブルでマッサに追突しリタイアに終わる。

第6戦モナコGPモナコGPでは荒れた展開だったが、ショートカットをしてしまったため、後方のライコネンに順位を譲った際にライバルであるマルシャのビアンキに強引にスペースに入り込まれ、順位を奪われた挙句、接触でダメージを負った。その影響でチームメイトのエリクソンにもオーバーテイクされ、ビアンキが9位、エリクソンが11位に対して13位に終わる。

第11戦を終えた時点で予選ではエリクソンに対して9勝2敗と大きく勝ち越し、決勝でも両者が完走したレースでは4勝1敗。しかしシーズン半ばにチームが身売りされた影響などから、第12戦ベルギーGP直前に突如アンドレ・ロッテラーとの交代が発表された。同時に小林自身はベルギーGP以降もチームに留まることも発表された。

GTレース[編集]

小林は2014年にトップチームへ移籍するため、2013年は「しっかりと戦えるチーム」のシート獲得を目指して交渉を行った[18]。候補はロータスフォース・インディアと考えられた[18]。11月23日にはファンからの「資金協力をしたい」という声に応える形で、支援金を募る「KAMUI SUPPORT」を公式サイトに開設。12月18日までに1億8400万相当が集まり、日本企業のスポンサーを含めて800万ユーロ(約8.8億円)強の資金を確保した[19]

しかし、12月18日にロータスがグロージャン残留を発表すると、小林は「戦えるチームへの移籍が不可能になった」として、支援金の受付終了を発表した[19]。2013年についてはF1以外のカテゴリは考えていないと述べ、支援金は2014年のシート獲得活動に充てるとした[19]

ル・マンでドライブしたフェラーリ458GT271号車

最終的に2013年はF1から離れて、アジア人として初めてスクーデリア・フェラーリとドライバー契約(3月11日契約発表)を結び、GTレースにおいてフェラーリセミワークス的存在であるイタリアのAFコルセチームより、FIA 世界耐久選手権 (WEC) に参戦することになった[20]。チームメイトは、ジャンカルロ・フィジケラジャンマリア・ブルーニトニ・バイランダー

WECではバイランダー(最終戦はフィジケラ)とコンビを組み、フェラーリ・458イタリアGT2の71号車でLMGTE-Proクラスに参戦。開幕戦シルバーストン2位と好調に滑り出したが、マシンの性能調整 (BoP) に苦戦する。初挑戦のル・マン24時間レースでは総合21位(クラス5位)。地元富士は悪天候により打ち切り(クラス5位)。最終的にドライバーズランキングはクラス7位だったが、フェラーリのGTマニュファクチャラーズタイトル連覇に貢献した。

評価[編集]

日本企業の支援を受けてF1に昇格したという点では、F1ブーム期以降の日本人ドライバーの系譜に連なる。しかし、トヨタのF1撤退で後ろ盾を失いながらデビュー2戦のパフォーマンスを評価され、2010年のレギュラーシートを確保するに至った。起用を決めたザウバーチーム代表のペーター・ザウバーは「彼は資金を持ち込まずにF1チームに加わった最初の日本人ドライバーだ」「彼はドライブ能力のおかげでF1にいる」と評価した[21]。 しかし結局後に2013年の参戦にあたりチームは不明だが彼は10億円の資金持ち込みを要求された[22]

F1ジャーナリストの今宮純は「小林はマクラーレンの候補リストに日本人として初めて名を連ねていた[23]」と話している。元F1ドライバーの片山右京は「僕らの夢が動き出そうとしている」とコメントを残した。

マシンの空力的性質上オーバーテイクが難しいといわれるF1において、積極的に追い抜きを仕掛ける姿勢は評価されている。2011年シーズンのオーバーテイク回数は99回で、これはミハエル・シューマッハ(116回)、セバスチャン・ブエミ(114回)についで3番目に多い。一方で、接触する場面もあることから海外を中心に「危険な走り」であると指摘を受けている。本人も接触の多さやアグレッシブ過ぎる部分については認めつつも、他車を巻き込んでのリタイヤは無いので危険ではない。安全だと主張している[24]

タイヤマネジメントに定評があり、タイヤ交換回数を減らしたり、他のドライバーと異なるタイヤを選択することで順位を大きく上げるレースが多い。

  • F1デビュー戦の2009年ブラジルGPでは、後方から迫るバトンに対して蛇行で牽制するようなブロックをみせた(通常は一つのコーナーに対してワンアプローチしか認められない)。チャンピオン争いをしていたバトンは可夢偉の走行に過剰に反応し、無線で自分のチームに抗議するよう求めたが「ルーキードライバーの(少々過剰な)行為」にクールになるように窘められている。また、ピットアウト直後に中嶋一貴をブロックして接触し、中嶋はクラッシュした。レース後には全世界のファンの投票で選ばれる「マン・オブ・ザ・レース」に選出された。
  • 2009年アブダビGPでは再びバトンとバトルを展開し、デビュー2戦連続で「マン・オブ・ザ・レース」に選出。バトンを追い抜いたシーンが同サイトの「ベストオーバーテイク」のファン投票で1位を獲得した。
  • 2010年日本GPではヘアピンへのブレーキングで5度のオーバーテイクを成功させ、ライバルや海外メディアに賞賛され、F1公式サイトのコメンタリでは「overtaking king Kobayashi」と絶賛された。レース後、イギリスのテレビ局BBCは小林に対して独占インタビューを行い、コメンテイターのエディ・ジョーダンマーティン・ブランドルより絶賛を受けた。デビッド・クルサードはコラムにおいて「日曜に彼が見せたオーバーテイクは驚異的だった。アグレッシブでありながらコントロールされており、非常に素晴らしかった」と述べた[25]。また鈴鹿サーキットでは、2011年の日本GPにおいてヘアピンの観客席を増設し「小林可夢偉応援席」として販売したが[26]、通常発売期間を待たずして先行予約期間ですぐに完売してしまった[27]
  • この2010年日本GPでのオーバーテイク時にセバスチャン・ブエミと接触し、左サイドポンツーンのエアロパーツを破損して無くすことになるが、その後自身のベストラップを刻み、テレビ解説をしていた片山右京に「彼は破損したマシンの方が速いんですね」と苦笑いをされてしまう。[28]
  • 2010年、同じF1ルーキーのヴィタリー・ペトロフニコ・ヒュルケンベルグ、GP2のジュール・ビアンキサム・バード世界ラリー選手権(WRC)に転向したキミ・ライコネンらを抑えて、「AUTOSPORT Awards」のルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。[29]

エピソード[編集]

名前・ニックネーム
  • 可夢偉(かむい)という名前はアイヌの民族信仰で神とされる「カムイ」と、「大な能にする[30]」という言葉の漢字3文字から命名された。
  • 2012年のF1日本GP翌日に催されたファンミーティングでは「自身の名前が漫画『カムイ伝』から採られた」「漢字は全くの当て字」と語った。小林の兄に「北斗」と命名したところ、後に『北斗の拳』がブームになり、「マンガのタイトルからとれば将来いけるんちゃうん?」という父の考えから、カムイ伝から名前をもらった。
  • 海外メディアではカウボーイと小林を組み合わせてCowboyashiカウボーヤシ)というニックネームを付けられている[31]
家族・出身地
  • 実家は寿司屋を経営している。16歳からは家業の手伝いで寿司を握っていたことから、メディアでは「可夢偉はシートを失ったら実家の板前に転職する」とジョークを言われた。2009年のトヨタF1撤退決定の直後は「レースが続けられないなら寿司屋の修行をする」[32]と語り、2010年の参戦決定後も「ザウバーと契約していなかったら今頃寿司を握っていたでしょう」と冗談を言った。実際のところ本人はエビカニアレルギー持ちで「触ることすらできない」ため、板前には「なりたくてもなれない」という[33]。ザウバーの公式HPでは「好物は和食、ただし生魚を除く」と記載されている。
  • 父親は芸術大学を卒業して寿司屋の板前をやっており、職業は「自称陸サーファー」。小林曰く「変な人」。また、株式会社「Dream win」の命名者である。
  • 実家に近い三和本通商店街が、2011年3月より小林の応援旗や垂れ幕を掲げるとともに「カムイロード」の愛称を付け応援するようになった[34]。2012年日本GPでは地元商店街が中心となって、バス11台、総勢520人の大応援団[35]を結成し、2コーナースタンド可夢偉応援席(C席)最上段から応援した。3位初表彰台を獲得した小林は、特製の赤い応援旗の波と大歓声で迎えられた。
少年期・修行時代
  • 子供の頃は最初からレーサーを志していたわけではなく、当初の夢はお笑い芸人になることだった。地元尼崎市出身のお笑いコンビダウンタウンを尊敬しており、2009年にフジテレビ系『すぽると!』に出演した際、自らの夢を「テレビで浜田さんと共演する」と発言し、後日その浜田が司会を務めるフジテレビ系『ジャンクSPORTS』で実現した。
  • 少年時代に参戦したカート競技で父親自らが小林の車両のメカニックとして携わっていたが、実は両親はレースに全く関心がなかったという。また、自身で乗用車を2度ほど購入していたが、その両方の車を父親に売却された[36]
  • 1998年に放送されたTBSの30時間特別番組『テレビのちから』のコーナー「スーパーキッズ21世紀夢チャレンジ」にて、当時小学6年生だった小林は「天才カート少年」として紹介され、定岡正二や元F1ドライバー鈴木亜久里とカート対決を行った。鈴木とのレースでは勝利しながらもレース後目に涙を浮かべ、「悔しかった。遊ばれとった」と発言した。F1ドライバーになって以降も「この悔しかった心境を鮮明に覚えている」と発言している。
  • 17歳の頃に、尼崎市の広報誌のインタビューを受けた際、免許を取得した後に乗りたい車はという問いに対して「速く走る必要も無いのでどんな車でも良いが、強いて言えば、いつも窮屈な車にばかり乗っているので、乗っていて楽な車が良い。」と語っていた。
  • TDP監督として小林や中嶋一貴を指導した関谷正徳は、「可夢偉はやんちゃで、一貴は優等生タイプ[37]」と評している。小林はヨーロッパに渡る直前、TDP関係者の知り合いの寺に送られ、2泊3日で修行させられた[38](「車に乗せられて空港に行くのかと思ったのに、着いたら寺だった」)。寺の後は横田基地に連れて行かれ、英語習得のためアメリカ人家庭でホームステイした[38]
プライベート
  • 2010年の日本GP後にスポーツ紙や週刊誌においてタレントあびる優との交際が報道された。この件について、あびるの所属事務所であるホリプロは「仲の良い友達の一人です」とコメントしていた[39]。翌年の1月29日に小林との交際が順調であるかという質問を受けたあびるは「はい。(結婚は)するなら若いうちにしておきたい」と答えた[40]。2011年シーズンは度々サーキットへ応援に訪れており、海外のF1メディアにはすでに「あびる優は小林のガールフレンド」と認知されている[41]
  • 2011年にはスポーツ紙や週刊誌において女優黒木メイサとの温泉宿泊旅行が報道された。
  • 吉本大樹は親友であり「ずっと昔から、酒の飲み方から何から何まで本当に御世話になった[42]」という間柄。F1日本GP(小林)やWTCC鈴鹿(吉本)では互いの応援団長を買って出ている。
  • セバスチャン・ベッテルとはF3時代にチームメイトだったこともあり仲が良い。2012年日本GPの表彰台インタビューでは、優勝したベッテルのことを「べっちゃん」と呼んだ。また、GP2で共に戦ったヴィタリー・ペトロフとも仲が良い。
  • 写真週刊誌[43]に載ったことにより喫煙者であることが知られるようになった。
メディア出演
その他

レース戦績[編集]

2010年のヘルメット
鈴鹿サーキット・レーシングシアター蔵)
  • 1996年
    • SL宝塚シリーズカデットクラス(3位)
  • 1997年
    • TOYOTA SL全国大会カデットクラス(優勝)
  • 1998年
    • JAFCUP西地域シリーズカデットクラス(優勝)
  • 1999年
    • 全日本ジュニアカート選手権(ランキング5位)
    • TOYOTA SL全国大会SストックDクラス(優勝)
  • 2000年
    • 全日本ジュニアカート選手権(シリーズチャンピオン・優勝3回)
    • 鈴鹿カート選手権RSOクラス(シリーズチャンピオン)
  • 2001年
    • 全日本カート選手権ICAクラス(シリーズチャンピオン・優勝3回)
    • アジアパシフィック選手権ICAクラス(2位)
    • フォーミュラ・トヨタ・レーシング・スクール(FTRS)受講・スカラシップ獲得
  • 2002年
    • ヨーロッパカート選手権FAクラス(ランキング14位)
    • エッソ・フォーミュラ・トヨタシリーズ<Rd.10にスポット参戦>(決勝DNF)
  • 2003年
    • エッソ・フォーミュラ・トヨタシリーズ(#7 ウルトラフロースカラシップFT/FT30)(ランキング2位・優勝2回)
    • マカオGPフォーミュラ・ルノー参戦
  • 2004年
    • フォーミュラ・ルノー2.0イタリアシリーズ(ランキング7位・優勝2回)
    • マカオGPフォーミュラ・ルノー参戦(18位)
  • 2005年
    • フォーミュラ・ルノー2.0イタリアシリーズ(シリーズチャンピオン・優勝6回)
    • フォーミュラ・ルノー2.0ユーロシリーズ(シリーズチャンピオン・優勝6回)
  • 2006年
    • F3ユーロシリーズ(ASM Formula3 #17 Dallara F305 Mercedes)(ランキング8位・最高位2位・Rookie Cup2006を獲得)
    • F3Ultimate Masters(ASM Formula3 #17 Dallara F305 Mercedes)(決勝11位)
    • F3マカオGP(ASM Formula3 #6 Dallara Mercedes-HWA)(予選PP・決勝19位)
  • 2007年
    • F3ユーロシリーズ(ASM Formula3 #2 Dallara F305 Mercedes)(ランキング4位・優勝1回)
    • F3マカオGP(ASM Formula3 #9 Dallara Mercedes-HWA)(予選7位・決勝13位)
  • 2008年
    • GP2アジアシリーズ(DAMS #10)(ランキング6位・優勝2回)
    • GP2メインシリーズ(DAMS #10)(ランキング16位・優勝1回)
  • 2009年
    • GP2アジアシリーズ(DAMS #8)(シリーズチャンピオン・優勝2回)
    • GP2メインシリーズ(DAMS #17)(ランキング16位・最高位3位)
    • F1世界選手権<Rd.16,17に参戦>(Panasonic Toyota Racing #10)(ランキング18位・入賞1回)
  • 2010年
    • F1世界選手権(BMW Sauber Ferrari #23)(ランキング12位・入賞8回)
  • 2011年
    • F1世界選手権(Sauber Ferrari #16)(ランキング12位・入賞9回)
  • 2012年
    • F1世界選手権(Sauber Ferrari #14)(ランキング12位・入賞9回)

F1[編集]

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 WDC ポイント
2009年 トヨタ TF109 AUS MAL CHN BHR ESP MON TUR GBR GER HUN EUR BEL ITA SIN JPN
PO
BRA
9
ABU
6


18位 3
2010年 ザウバー C29 BHR
Ret
AUS
Ret
MAL
Ret
CHN
Ret
ESP
12
MON
Ret
TUR
10
CAN
Ret
EUR
7
GBR
6
GER
11
HUN
9
BEL
8
ITA
Ret
SIN
Ret
JPN
7
KOR
8
BRA
10
ABU
14
12位 32
2011年 C30 AUS
DSQ
MAL
7
CHN
10
TUR
10
ESP
10
MON
5
CAN
7
EUR
16
GBR
Ret
GER
9
HUN
11
BEL
12
ITA
Ret
SIN
14
JPN
13
KOR
15
IND
Ret
ABU
10
BRA
9
12位 30
2012年 C31 AUS
6
MAL
Ret
CHN
10
BHR
13
ESP
5
MON
Ret
CAN
9
EUR
Ret
GBR
11
GER
4
HUN
18
BEL
13
ITA
9
SIN
13
JPN
3
KOR
Ret
IND
14
ABU
6
USA
14
BRA
9
12位 60
2014年 ケータハム CT05 AUS
Ret
MAL
13
BHR
15
CHN
18
ESP
Ret
MON
13
CAN
Ret
AUT
16
GBR
15
GER
16
HUN
Ret
BEL ITA
-
SIN
-
JPN
-
RUS
-
USA
-
BRA
-
ABU
-
22位 0

WEC[編集]

所属チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
2013年 AFコルセ フェラーリ・F458 GTC LMGTE Pro SIL
2
SPA
3
LMN
4
SAO
Ret
COA
3
FUJ
9
SHA
5
BHR
3
7位 98

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 普通自動車運転免許を取得できないドライバーは、この特殊なライセンスを取得しなければ4輪レースに出場できない。16〜17歳が対象で、日本自動車連盟が発行。取得すると国内の一部レースに限り出場を認められる。
  2. ^ “Champions ASM renamed ART”. AUTOSPORT.com. (2007年11月28日). http://www.autosport.com/subs/login.php?r=http://www.autosport.com/news/report.php/id/64136&type=news&id=64136 2010年10月11日閲覧。 
  3. ^ ティモ・グロック、F1ブラジルGPを欠場 F1-Gate.com 2009年10月11日
  4. ^ 9位完走のヘイキ・コバライネンがピットロードで火災を起こしてしまい、25秒加算ペナルティを受けたため、10位から9位に繰り上がった。
  5. ^ 日本のコンストラクター・日本人ドライバー・日本製エンジン・日本製タイヤ。
  6. ^ 正確には45周目にスーティルがエンジンブローによってスローダウンしてしまった為、小林はスーティルを130Rの後コース上でかわしている。よってこれまで含めると、実質6回のオーバーテイクとなる。
  7. ^ “小林可夢偉 「何度オーバーテイクしたか覚えていない」”. F1 Gate.com. (2010年10月11日). http://f1-gate.com/kamui/f1_9516.html 2010年10月11日閲覧。 
  8. ^ “小林可夢偉、2011年もザウバー残留が決定”. F1 gate.com. (2010年9月7日). http://f1-gate.com/kamui/f1_9035.html 2010年9月7日閲覧。 
  9. ^ “小林可夢偉、F1トップチーム移籍を視野に ザウバーとの契約更新報道を否定”. F1トップニュース. (2011年7月10日). http://www.topnews.jp/2011/07/10/news/f1/drivers/kamui-kobayashi/39568.html 2011年8月3日閲覧。 
  10. ^ “小林可夢偉、2012年のザウバー残留が正式発表”. F1トップニュース. (2011年7月28日). http://www.topnews.jp/2011/07/28/news/f1/drivers/kamui-kobayashi/40465.html 2011年8月3日閲覧。 
  11. ^ “ザウバー:小林可夢偉が自己ベストタイの5位入賞 (F1スペインGP)”. F1 Gate.com. (2012年5月14日). http://f1-gate.com/sauber/f1_15281.html 2012年5月14日閲覧。 
  12. ^ ペレスが5グリッド降格したので、スターティンググリッドでは12番手。
  13. ^ “小林可夢偉、スパでフロントロウ2番手獲得!”. オートスポーツweb (イデア). (2012年9月1日). http://as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=43097 2012年9月3日閲覧。 
  14. ^ “可夢偉、日本人最高タイの2番手、バトンPP ベルギーGP予選”. 産経新聞. (2012年9月1日). http://sankei.jp.msn.com/sports/news/120901/oth12090122400018-n1.htm 2012年9月3日閲覧。 
  15. ^ 【F1】可夢偉が3位表彰台、フェテルが優勝 日本GP決勝 msn産経ニュース 2012年10月7日付
  16. ^ 可夢偉、ついに表彰台へ! 2012年F1日本GP決勝レース・リポート! Autoblog 2012年10月8日付記事
  17. ^ Caterham F1 Team and Caterham Racing Announce 2014 F1 and GP2 Driver Line-Ups”. Caterham F1 team (2014年1月21日). 2014年1月21日閲覧。
  18. ^ a b "米家峰起 【F1】可夢偉が語るシート獲得活動の現状。「道筋が見えている」". web Sportiva.(2012年12月12日)2012年12月19日閲覧。
  19. ^ a b c KAMUI SUPPORT 小林可夢偉F1活動資金 2012年12月18日。
  20. ^ "From the Land of the Rising Sun". Ferrari S.p.A.(2013年3月11日)2013年3月12日閲覧。
  21. ^ “ザウバー 「小林可夢偉は実力でF1にいる」”. F1-Gate.com. (2010年10月8日). http://f1-gate.com/sauber/f1_9428.html 2010年11月12日閲覧。 
  22. ^ 【STINGER】小林可夢偉 会見【インドGP(木)】(メディア囲み会見) F1 NEWS|ボイスレコーダー||STINGER - 独自の視点でF1ニュースを発信
  23. ^ トヨタF1最後の日に立会い、日本人ドライバーの今後を思った。 F1 WORLD.JP 2009年11月24日
  24. ^ “小林可夢偉 「自分が危険なドライバーだとは思っていません」”. F1-Gate.com. (2010年11月5日). http://f1-gate.com/kamui/f1_9823.html 2010年11月12日閲覧。 
  25. ^ “将来ハミルトンと渡り合う日も? DCが可夢偉を絶賛”. オートスポーツweb. (2010年10月13日). http://as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=29832 2011年1月11日閲覧。 
  26. ^ “2011 FIA F1世界選手権シリーズ第16戦 日本グランプリレース 開催概要のご案内”. モビリティランド. (2011年1月10日). http://www.mobilityland.co.jp/pressroom/suzuka/2011/01/2011_0111f1.pdf 2011年5月12日閲覧。 
  27. ^ “小林可夢偉応援席、ヘアピン(I席)が完売”. F1 Gate.com. (2011年3月8日). http://f1-gate.com/kamui/f1_11015.html 2011年5月12日閲覧。 
  28. ^ 会場実況であるPit-FMでは「あのパーツ、(空力的に)意味無いんじゃないか」とまで言われた
  29. ^ 小林可夢偉、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞 2010年12月7日 F1-Gate.com
  30. ^ ちぃ (2009年10月14日). “小林可夢偉選手ってどんな人?”. トヨタモータースポーツ インサイドブログ. 2010年10月4日閲覧。
  31. ^ “F1 2010: Sauber team guide”. ガーディアン. (2010年3月8日). http://www.guardian.co.uk/sport/2010/mar/08/f1-2010-sauber-team-guide 2012年6月27日閲覧。 
  32. ^ 小林可夢偉(トヨタ)、「シートなければ寿司屋継ぐ」 - FMotorsports・2009年11月4日
  33. ^ GRAND PRIX SPECIAL』(ソニー・マガジンズ)2010年1月号・連載「突撃!ピットレポーター川井ちゃん」
  34. ^ 世界最速へ尼崎の夢 F1小林さん応援 - asahi.com関西 2011年6月30日
  35. ^ 2012年10月8日放送 Pit-FM 2012F1日本グランプリ決勝実況より
  36. ^ “母国で長旅の羽を休める可夢偉”. ESPN F1. (2010年10月1日). http://ja.espnf1.com/japan/motorsport/story/29903.html 2010年10月2日閲覧。 
  37. ^ [http://ms.toyota.co.jp/public/jp/features/2008_japan/report_01.html “F”COMMUNICATION 2008 トヨタF1カースペシャル走行イベント in MEGA WEBを開催!] - トヨタF1アーカイブ(2008年10月4日)2012年11月9日閲覧。
  38. ^ a b 尼崎のやんちゃ坊主から日本の期待へ!! 小林可夢偉 - TDPコラム(2010年12月22日)2012年11月9日閲覧。
  39. ^ “あびる、可夢偉との熱愛否定「良い友達」”. サンケイスポーツ. (2010年10月19日). http://www.sanspo.com/geino/news/101019/gna1010190505000-n1.htm 2010年10月19日閲覧。 
  40. ^ “あびる優 小林可夢偉と交際順調「結婚は若いうちにしておきたい」”. スポニチAnnex. (2011年1月29日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/01/29/kiji/K20110129000145410.html 2011年1月29日閲覧。 
  41. ^ “あびる優、F1マレーシアGPでも小林可夢偉に同行”. F1-Gate.com. (2011年4月11日). http://f1-gate.com/kamui/f1_11396.html 2011年8月3日閲覧。 
  42. ^ 小林可夢偉、WTCC鈴鹿に見参。親友吉本を激励 - オートスポーツweb(2010年10月23日)2012年月日閲覧。
  43. ^ FRIDAY 11/15号(講談社、2013年11月1日発売)
  44. ^ 小林可夢偉、「世界の果てまでイッテQ!」に出演 - F1-Gate.com(2012年9月30日)2012年11月9日閲覧。
  45. ^ http://www.formula1.com/news/headlines/2011/11/12830.html

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

参考文献[編集]

  • AUTO SPORTS YEAR BOOK(三栄書房)
  • AUTO SPORTS(三栄書房)