世界ラリー選手権

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世界ラリー選手権
カテゴリ ワールドラリーカー英語版
国・地域 インターナショナル
開始年 1973年
ドライバー 9 (マニファクチャーチーム)
チーム 5 (マニファクチャーチーム)
タイヤ
サプライヤー

M ミシュラン
D

DMACK
ドライバーズ
チャンピオン
フランスの旗 セバスチャン・オジェ
マニュファクチャラーズ
チャンピオン
ドイツの旗 フォルクスワーゲン
公式サイト wrc.com/
Motorsport current event.svg 現在のシーズン

FIA 世界ラリー選手権(えふあいえー せかいラリーせんしゅけん、FIA World Rally Championship 、通称:WRC)は、国際自動車連盟(FIA)が主催する世界各国で行われるラリー世界選手権である。 1973年、それまで世界各地で単独に開催されていたラリーを組織化し、世界選手権としてスタートした。

概要[編集]

ラリー・オーストラリア(ステージ名:バニングス)を走行するマーカス・グロンホルムフォード・フォーカスWRC2006年

市販車をベースに改造した競技用車両を用い、一般公道を閉鎖してつくられたコース、一般公道におけるリエゾン区間を走り、合計タイムを競う。

競技車両にはドライバー(運転者)とコ・ドライバー(ナビゲーター)の2名が乗車し、ドライバーはコ・ドライバーが読み上げるペースノート(道路のカーブ状況などを記載したノート)に従い運転操作を行う。

競技[編集]

競技は通常金曜日から日曜日までの3日間で行われ、初日をDAY 1、2日目をDAY 2、最終日をDAY 3と呼ぶ。2007年シーズンまでは「DAY」という表現を用いず「LEG」と表記していた。また、その週の水曜日からレッキと呼ばれる「下見走行」を行う。コースは実際に競技で使われるコースを走れるが、使用する車は競技車両ではなく、一般車両を使用する。このレッキでドライバーとコ・ドライバーはコース状況を把握し、ペースノートの製作を行う。水曜日の夕方から翌日木曜日にかけてはシェイクダウンと呼ばれる車両の最終チェックを行う。この時はシェイクダウン専用のコースを使い、実際に競技車両を使っての最終チェックを行う。その後車検を受け、規定外のパーツの装着がないか確認が取れると、競技車両はパルクフェルメと呼ばれる車両保管所に置かれる。パルクフェルメに保管された車両はドライバーを含め全ての関係者は競技開始まで触れられない。

(※:詳細はパルクフェルメ#世界ラリー選手権(WRC)におけるパルクフェルメを参照。)

1つのDAYをさらに細かく分けるとSS(スペシャルステージ)TC(タイムコントロール)、そしてロードセクション(もしくはリエゾン)に分けられ、SS区間でのタイム合計が一番速かったドライバーが勝者となる。競技はアイテナリーと呼ばれるタイムスケジュール表に沿って進められ、スタート間隔は2分置きである。このためサーキットレースとは異なり、トラブルで減速・停車した場合を除きコース上での抜きつ抜かれつはほぼ生じない。

スタートした車両はまずロードセクションを通りTCへ向かう。ロードセクションは閉鎖されていない一般公道なので、現地の交通法規に則り一般車両に混じって走行する。ロードセクションを走行することも競技の一部であり、主催者から示されるコマ図に従って走行するという、ラリー競技当初の姿が現在も残っている。TCに入る時間は各々指定される。交通渋滞などで遅くなった、もしくは早く着いてしまったなどのロードセクションで生じた誤差を正すのが目的で、遅くても早くてもペナルティ(タイム加算)が発生する。

ちなみに、優勝を争うような選手でもコマ図を読み違え、道に迷いガス欠で棄権するということが起こる。スピード違反や一時停止義務違反で現地の警察に検挙されることもあり、免許停止などの処分を受けた場合はドライバーが車を運転できなくなってしまい、代わりにコ・ドライバーがハンドルを握ることもある[1]。また各国の法律(日本の場合は道路運送車両法)に定められた保安基準を満たしていない場合は公道走行を止められることがあり、特にSS区間でのトラブルで車が破損した場合などに問題となる。

SSのスタート地点はTC内に設置されている。一般公道を閉鎖して作られたタイムトライアル区間で、メディア中継が行われるのもこの区間であることが多い。この区間内は速ければ速いほどよく、各ドライバーは持てる力の全てを出し切って挑む。1つのSSの距離はSSによりばらつきがあるが(短いSSだと2km前後、長いと40kmを越えるSSも存在する)SS数は各イベントでおよそ20前後で、イベント毎のSS区間の合計距離は400km程度となる。ただしロードセクションなどの距離はこれ以上あるため、全ての競技の総走行距離はこの限りではない。

また、一般公道を閉鎖して使用するSSとは異なり、人工的に作られたサーキットコースのような特設会場で行われるスーパースペシャルステージ(スーパーSS、SSS)も存在する。通常のSSでは一般公道での競技ゆえに観客は競技車両が走り去る一瞬しか観戦することができないが、スーパーSSでは観客席を設けて同じコースを2台の競技車両が同時にスタートしタイムを争う様子を観戦することができる。2台が走るコースは間を仕切られているため交わることが無く、厳密には同じコースではないがタイム差はほとんど発生しない。

各DAYの最後のSSが終わったらまたTCに入り、ロードセクションを通り、サービスパークと呼ばれる本部に戻る。サービスパークでは競技中の整備や給油などが許されるが、作業の制限時間がある。制限時間をオーバーしたときや、SSを欠場してマシンの修復を行う場合(スーパーラリー制度の適用)もペナルティとしてタイムが加算される。その後車両は再びパルクフェルメに保管され、次のDAYの競技開始を待つ。またリモートサービスというサービスパーク以外での簡単な整備ができる場所を設けたイベントもある。ちなみに以前はサービスパークという制度は存在せず、競技中はほぼいつでもどこでも整備が可能であった。

競技が行われる環境[編集]

転倒するプジョー・206。破損する車両も少なくない。

競技開催地ごとに使用される道路の環境は千差万別であり、ターマック(舗装路)・グラベル(未舗装路)・スノー(積雪路)・アイス(凍結路)など、ヨーロッパを中心としたあらゆる路面状況で競技が行われる。それぞれの環境や路面にあった仕様にマシンがセッティングされる点も見所の1つである。例えばターマックでは地上高を低くし、ホイールも大径に、タイヤもスリックに近い状態になる(1995年まではスリックタイヤの使用は認められていた。)。対してグラベルでは、地上高を高くし、ホイールは小径、タイヤも厚く、ゴツゴツとしたラジアルタイヤ(少しのパンクに対応できるよう2007年まではムースと呼ばれる発泡剤をタイヤの中にいれていた。)を装着するといった点が見受けられる。また、雪、アイスバーンではスタッドを使用したタイヤ(スパイクタイヤ)を使用している。また夜間に行われるラリーでは補助灯を装着する他、アフリカケニアで行われていたサファリラリーでは過酷な環境下に適応できる特殊な装備を施した車両で競技を行っていた。また2008年からはムース仕様のタイヤは禁止されるなどルール改定での変化も多い。

選手権のポイントシステム[編集]

最終SS終了後には表彰式が行われ、順位に応じてポイント(2010年システムでは1位から10位まで順に25-18-15-12-10-8-6-4-2-1)が与えられる。シーズンを通じて最も多くのポイントを獲得した者がドライバーズチャンピオンとなる。 JWRCPWRCでは、クラス毎にポイントが設けられクラス毎の年間チャンピオンを決定するが、トップクラスのドライバーは全クラスの総合順位からポイントが決定する。つまりトップクラスのカテゴリーで10位になっても、その上にJWRCやPWRCのドライバーが入ってきた場合ポイントは0となる。

マニュファクチャラー(製造者、ワークスとも呼ばれる)としてエントリーできるのは自動車メーカーごとに1チームとなっており、現在では各イベント毎に、マニュファクチャラーズ選手権対象として1チームから2台までのエントリーが認められている。マニュファクチャラーズタイトルは最も多くのポイントを獲得したメーカーに対して与えられる。

F1のコンストラクターズタイトルがシャシーの製造者に対して与えられるのに対し、WRCのマニュファクチャラーズタイトルはメーカー自身に対して与えられるため、タイトル獲得時の宣伝効果を期待して各メーカーとも力を入れている。

なお、各チームのコストダウンの一環として、2013年サポートカテゴリー再編と伴に、下記のルールが適用される:

  • WRC:ワークスチームとして参戦のチームは、全13戦で2台以上のエントリーしなくてはならない、ポイントは全戦有効。その以外のチームは、7戦以上(うちヨーロッパ以外1戦以上)に2台までの体制での参戦が義務づけられている。ポイントは上位7戦分のポイントが有効となる。
  • WRC-2/プロダクションカーカップ:7戦以上の参戦が義務づけられている。ポイントは、最初に参加した7戦(全13戦も選択可能)のうち、上位6戦分のポイントが有効となる。また、プロダクションカーカップは最も多くのポイントを獲得した、N4規定が適用される車両が参戦したチームに対して与えられる(2010年~2012年までのプロダクションカー世界ラリー選手権と相当)。
  • WRC-3:6戦以上の参戦が義務づけられている。ポイントは、最初に参加した6戦のうち、上位5戦分のポイントが有効となる。
  • JWRC:指定した6戦の合計ポイントで競う。ポイントは全戦有効。

また、2012年までのサポートカテゴリーと違い、WRC全13戦はWRC-2やWRC-3が併設される。

競技の主な特徴[編集]

プジョー307をベースにしたプジョー・307WRC

競技車両の中身はほぼ別物となっているが、ワークスチームが使う競技車両は市販車をベースに作られている。したがって、車両はスポンサーの広告などで派手になってはいるが外観はベースモデルと大差はない。

また、多くの自動車競技が1人乗りなのに対し、WRCはドライバーとドライバーをサポートするコ・ドライバーの2人乗りを原則としている。コ・ドライバーが読み上げるペースノートの指示に従って走行するのがWRCの特徴だが、コ・ドライバーがペースノートの内容を誤って読み上げたことから、走行にミスが生じることもある。

入門は比較的簡単に取得できる競技ライセンス=国際C級レース除外を取得し、規定に合致した車両を用意し、抽選に通れば実際にプライベーターとして出場することもできる。もちろんこのときはワークスの車両と同じコースを走り、ワークスの車両とタイムを争う。時にはプライベーターがワークスドライバー達のひしめくランキングの上位に食い込む、ということもある。2004年に日本で初めて行われたラリージャパンには、全国から多数のプライベーターが参戦した。尚、コドライバーもドライバーと同等の競技ライセンスが必要である。

サーキットで行われる競技と違い設営された観客席が少ないWRCでは、観戦者はコースを間近で見られ、熱心なファンは足繁く絶好の観戦ポイントに出向く。しかし、車両がコースオフし客席に飛び込む恐れもあるために観戦には危険も伴い、実際過去に死亡・負傷事故が起こっている。

観客たちが大きくコースオフした車両をコースに戻したりすることも多々あるが、本来ドライバー、コ・ドライバー以外の人間が競技車両に触れることはルール違反なため、ドライバーはペナルティを受けてしまうことが多い。例として2004年のメキシコ・ラリーにおいて第一レグの最終SS終了後、ロードセクションのゴール間際でスバルペター・ソルベルグインプレッサがエンストした際、周りにいたメディアや観客がペターと一緒に車を押してしまい、これを受けペターはペナルティを課せられた。

逆に観客が競技の妨害を行うこともあり、雪道のラリーでは観客がひいきのチーム以外の競技車両に雪を投げつけることもある。運営側が観客をコントロールできないと判断されるとSSそのものがキャンセルとなり、実際にラリー・ポルトガルがこの理由で一時WRCから外された。

広大なステージでは観客がプロに代わって「カメラマン」として活躍することがある。2005年のキプロス・ラリーでは、フランソワ・デュバルがコースオフ・車両炎上のシーンにおいて、観客が撮影した映像が国際映像として放映された。

他の競技同様チームオーダー的行為は禁止されているが、半ば黙認されている。近年では2008年シーズンのグラベルラリーにおけるフォードとシトロエンのスタート順をめぐる駆け引きがたびたび物議を醸すこととなった。

イベント概要[編集]

主要記事:World Rally Championship results

各国を転戦するWRCだが、各々の国で行われる競技をイベントと呼ぶ。1990年代中頃まで、年間の開催イベント数は8~10戦程度であったが、イベント数の増加を望むFIAの意向により、各ラリーの開催日数・走行距離の短縮やサービス(車両整備)回数の制限等、イベントの簡素化が進められ、それに対応するように開催イベント数が増やされてきた。

2004年シーズンからは全16戦となっているが、F1のオフシーズン(ストーブリーグ)が4~5ヶ月近く(例えば2006年最終戦は10月21日のブラジルグランプリで、2007年の開幕戦であるオーストラリアグランプリは3月18日と5ヶ月ある)あるのに対し、WRCは1ヶ月前後しかない(例えば2006年最終戦のグレートブリテンラリーが12月3日に最終日を迎えたのに対し、2007年開幕戦であるモンテカルロ・ラリーは1月19日と1ヶ月強程度しかオフシーズンがない)などから、ドライバーからは年間イベント数の縮小を求めるなど、不満の声が出ている。(ただシーズンオフが短い分、6月上旬から7月終わりか8月始めまで約2ヶ月間のインターバル(休息期間)を設けている。)

そのため2009年シーズンより、年間12戦のローテーション制を取ることとなり、2009年、2010年の2年間で合計24のイベントが開催されることとなった。これにより、2009年は伝統のモンテカルロからの開催とならず、またラリージャパンも2010年に回っている。

映画の題材となるなど、日本でよく知られているサファリラリーケニア)は、イベント自体の特殊性や開催地の遠さが敬遠され、2002年の開催を最後にWRCからは外されている。

これまでに開催されたWRCイベント

開催地 イベント名 開催都市 開催年度
アルゼンチンの旗 アルゼンチン ラリー・アルゼンチン ビジャ・カルロス・パス 1983
ブラジルの旗 ブラジル Marlboro Rallye do Brasil サンパウロ 19811982
オーストラリアの旗 オーストラリア テルストラ・ラリー・オーストラリア パース 19882006
カナダの旗 カナダ Criterium Molson du Quebec モントリオール 19771979
キプロスの旗 キプロス キプロス・ラリー リマソール 20002006
フィンランドの旗 フィンランド 1000湖ラリー ユバスキュラ 19511996
ネステ・ラリー・フィンランド ユバスキュラ 1997
フランスの旗 フランス ツール・ド・コルス - ラリー・ド・フランス アジャクシオ 1956
ドイツの旗 ドイツ OMV ADAC ラリー・ドイチェランド トリーア 2002
ウェールズの旗イギリス RACラリー カーディフ 19331997
ウェールズ・ラリー・オブ・グレートブリテン カーディフ 1998
ギリシャの旗 ギリシャ アクロポリス・ラリー・オブ・グリース ラミア 1973
アイルランドの旗 アイルランド ラリー・アイルランド スライゴ 2007
イタリアの旗 イタリア ラリー・サンレモ サンレモ 2003
スーパーマグ・ラリー・イタリア・サルディニア ポルト・チェルヴォ 2004
コートジボワールの旗 コートジボワール Rallye Cote d'Ivoire アビジャン 19761992
日本の旗 日本 ラリー・ジャパン 帯広市 20042007
札幌市 2008
ヨルダンの旗 ヨルダン ヨルダン・ラリー アンマン 200820102011
ケニアの旗 ケニア (及びウガンダタンザニア) イースト・アフリカン・サファリ 19601973
サファリラリー ナイロビ 19742002
モロッコの旗 モロッコ Rallye du Maroc カサブランカ 19711976
メキシコの旗 メキシコ コロナ・ラリー・メキシコ レオン 2004
モナコの旗 モナコ ラリー・オートモービル・モンテカルロ モンテカルロ 1911
ノルウェーの旗 ノルウェー ラリー・ノルウェー ハーマル 2007
ニュージーランドの旗 ニュージーランド プロペシア・ラリー・ニュージーランド ハミルトン 1985
ポルトガルの旗 ポルトガル ラリー・ポルトガル ポルト 19672001
ボーダフォン・ラリー・デ・ポルトガル アルガルヴェ 2007
スペインの旗 スペイン ラリー・ラック・カタルーニャ - コスタ・ドゥラダ サロウ 1991
スウェーデンの旗 スウェーデン Rally to the Midnight Sun カールスタッド 1950→?
ウッデホルム・スウェディッシュ・ラリー カールスタッド 2002
トルコの旗 トルコ ラリー・オブ・ターキー ケメル 20032006
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オリンパス・ラリー 19851988

クラス[編集]

主要記事:World Rally Car

WRCは、換算排気量とグループによってクラスに別れており、用意されている賞典は以下の5つ。

頂点に位置するWRC以外、JWRC、PWRCなどはWRCと併設されたイベントであるが、2012年まで、WRCのみしか行われないイベント、一部サポートカテゴリーを行われないイベント、全カテゴリーを同時開催するイベントが存在する。2013年から、コスト削減の一部として、サポートカテゴリーの再編も行われた。JWRCを除む、サポートカテゴリーは全てイベントの参加が可能になっている。

世界ラリー選手権 ( WRC )[編集]

広義の意味でのWRCの頂点に位置するクラス。使用車両であるWRカーはベース車両からの大幅な変更が認められている。エンジンにはグループB時代のハイパワー競争とそれに伴う悲劇(後述)を教訓とし、吸入口径制限(リストリクターを装着)により最大出力は抑えられて(公称300PS)いるが、最大トルクでは技術の進歩によりグループB時代を超えてしまっている。(60~70kgf・mといわれる) また、先にF1に採用されたパドルシフトも現在のWRカーでは標準的な装備となった時期もあり、その結果市販の一般車にも採用される車種が増えている。現在は、フロア式のシーケンシャルシフトが多い。

2010年まで、グループA・クラス8規定が適用されたが、2011年から新規定が適用される。スーパー2000規定を基に、エンジン排気量を1,600ccとし、ターボチャージャーを取り付ける。また車幅も2009年規定の1,800mmから1,820mmに拡大される。しかし、この変更点はスーパー2000にも適用されるため、差別化のために改造範囲が拡大されることになっている。外観ではフロントバンパー等のエアロパーツの変更が可能になっている。 2011年の参戦を正式に表明しているメーカーはシトロエンフォードの2社のみだが、BMWとかつてスバルのWRカーを開発していたプロドライブが組み、ミニ・カントリーマンによる2011年のスポット参戦と2012年からのワークス参戦を発表した[2]。2013年はフォード・BMWがワークスから撤退する一方でフォルクスワーゲンがワークス参戦を開始している。

主な参戦車種

WRC-2[編集]

2013年シーズンから、SWRC規定を基に、2012年までの規定が適用された4輪駆動車両(スーパー2000グループR規定のR4・R5、グループN規定のN4)で行われるWRC-2が設立された。また、N4規定車種のみ対象の「プロダクションカーカップ」が設立された。

WRC-3[編集]

2013年シーズンから設立。グループR規定のR1、R2、R3クラスの車両で行われる。

世界ジュニアラリー選手権 (JWRC)/WRC アカデミー[編集]

スズキ・スイフト
スーパー1600 '05モデル
奥は2004年チャンピオンマシンのスーパーイグニス(先代スイフト)

グループA・クラス6、スーパー1600と呼ばれる1,600cc自然吸気エンジンのFF車をベースに車幅拡大などが施されている、いわば「WRCの下位クラス」。このクラスには出場制限として年齢の上限が存在し、28歳以上のドライバーは出場できない。そのためドライバーの平均年齢は低く「WRCへの登竜門」的な存在となっている。なお、2007年ヨーロッパ圏内のみでの開催となり「W」が取れて「JRC」となったが、2008年はメキシコでの開催が確定しており1年ぶりに「世界選手権」に戻った。若いドライバーが多いためイベント毎の完走率は低いが、セバスチャン・ローブフランソワ・デュバルダニエル・ソルドパー・ガンナー・アンダーソンセバスチャン・オジェなど、ここから上位クラスであるWRCに進出し活躍したドライバーも少なくない(とは言えWRカーの出場台数が絶対的に少ないため非常に狭き門ではある。そのため近年ではPWRCに進出するドライバーもいる)。

2011年シーズンよりルールが大幅な変更を行った。Mスポーツがプリペアするフォード・フィエスタ R2のワンメイクシリーズでの開催となる。なお、2011~2012年間に「WRC アカデミー」という名前だったが、2013年シーズンはサポートカテゴリー再編と伴に2年ぶりに「JWRC」に戻った。

ゼッケンナンバーは31番~60番までで、うち59・60番は地元枠として、地元のASN(日本ならJAF)が選出したドライバーが走ることができる。 2009年の第2~5戦は、同じ番号で走るプロダクションカー世界ラリー選手権と併催のため、ゼッケン・ナンバーが+100になることがある。

スーパー2000世界ラリー選手権 (SWRC)[編集]

2010年シーズンより設立されたSWRCは自然吸気2.0リッターNAエンジンを搭載したスーパー2000がメインとなる。初年度は11名のドライバーが出場しJWRC経験者のマルティン・プロコップ、ミカル・コシューツコ、パトリック・サンデル、パー・ガンナー・アンダーソンやPWRC経験者のナサール・アルアティヤ、エイビンド・ブリニルドセン、ベルナルド・スーザ、ヤリ・ケトマー、そしてWRCワークス経験者のヤンネ・トゥオヒノ、チェビー・ポンスといった豪華な面々が出場し初年度はチェビー・ポンスが初代チャンピオンに輝いた。2013年よりWRC-2へと移行となった。

プロダクションカー世界ラリー選手権 (PWRC)[編集]

市販車をベースとしているという点ではWRC、SWRCクラスと同様であるが、より改造範囲の狭いグループNという規定車両で戦う。ベース車両となる市販車の性能そのものの高さが要求され、現在はスバル・インプレッサ三菱・ランサーエボリューションの2台を使用するドライバーがほとんどであり、互角の戦いを展開している。なお、日本人ドライバーである新井敏弘奴田原文雄鎌田卓麻はこのクラスに参戦している。2005年頃までは「PCWRC」と表記されていたが、現在は「PWRC」と表記するのが通例である。2013年よりグループNクラス4車両はWRC-2へ、二輪駆動であるR3クラスの車両はWRC-3へと移行になった。

ラリー車両の変遷[編集]

WRC草創期からグループB時代(1973年 - 1986年)[編集]

1973年のWRC創設から1980年代初頭までは、グループ2やグループ4といった規定で競技が行われていた。 各メーカーは、市販車を強化した特別仕様車(ホモロゲーションモデル)を販売し、その車両をベースに競技用車両を開発していた。グループ4の当時の生産義務が「連続する24ヶ月間に400台」と少ないことを利用し、ランチアがラリーのためだけに開発したスペシャルモデル、ランチア・ストラトスは例外的存在である。

当時のラリーカーはほとんどが二輪駆動であったが、1981年、フルタイム4WDとターボエンジンを採用したアウディ・クワトロが登場してラリーを席巻し、その後のラリーカーの方向性を決定づけた。

その後、それまでのグループ1 - 8規定を廃止し、1983年シーズンから新規定に移行することが発表される。1982年は新旧両規定に基づいた車両が使える移行期間であった。

グループ1~8と複雑になっていた規定がグループN、A、B、C、D、E、F、Tに簡素化され、このうちラリーの世界選手権はグループBにかけられることとなった。グループBは、連続した12ヶ月間に20台の競技用車両を含む200台を生産すればよいというもので、名目上はより幅広いメーカーの参戦をうながすものだったが、実際はより高性能なラリー専用車の製作が可能となった。

グループBマシンのほとんどは鋼管スペースフレームに市販車に似せたデザインのFRPもしくはCFRP・ケブラー製のカウルをかぶせ、高出力の過給エンジン(400 - 600PSといわれた)をミッドシップに搭載し、フルタイム4WDで駆動するといった物であり、メーカー各社は先鋭化したモンスターマシンを競って生み出していく。

グループB規定によりラリーカーのスピードは劇的に向上したが、安全面がその進化に追いつかず、多くの事故と犠牲者を生み出すこととなった。

1985年ツール・ド・コルスでのランチアのアッティリオ・ベッテガの事故死、同年アルゼンチンラリーでのプジョーのアリ・バタネンの事故、1986年ポルトガルラリーでフォードからワークスエントリーしていたヨアキム・サントスが多数の観客を死傷させるなど、ワークスドライバーが絡む事故が多発。そして決定打となったのは1986年のツール・ド・コルスで発生したランチアのヘンリ・トイヴォネン / セルジオ・クレスト組の事故死だった。FIAは事故の翌日には以後のグループB車両のホモロゲーション申請の却下を声明し、その後1986年シーズンをもってグループBを廃止することを決定、翌年から世界選手権は下位クラスであったグループA規定で行われることを発表した。また、その結果としてグループS構想も空中分解した。

ただし、グループB車両の全てが出場できなくなったわけではなく、300馬力以下のB車両は1987年以降も出走は可能だった。実際、小排気量のグループB車両はポイント対象外ながら、ホモロゲーションの切れる1990年代までプライベートチームが走らせる姿を見ることができた。

この時代の主なラリーカー[編集]



ポルシェ・959などもグループB参加車両として開発されていたが、ベース車の生産・販売の問題や莫大な競技参加費用がかかるなどのさまざまな事情があり、更にグループBの廃止の煽りを受けてこれらの車が実際の競技に参加することは無かった。

ちなみに、中止になったグループS車両として、開発されていたことが後に明らかになったのは次のとおり。

グループA時代(1987年 - 2001年)[編集]

1987年に世界選手権はグループA規定に移行し、ベース車両は継続した12ヶ月間に5,000台(1993年から2,500台に変更)以上の生産を義務づけられたほか、さまざまな改造規制が加えられ、ラリー車は市販車に近いものとなった。しかしハンドリングの向上とタイヤの性能が進化したことによりマシンの能力は落ちるどころか、年をおうごとに上がっていき、3年後にはグループBのマシンを凌駕する速さを身につけることとなる。

ラリーで勝利するためにはフルタイム4WDと2,000ccのターボエンジンはもはや必須の装備であったが、そのような高性能なスポーツ車両を生産し販売できるメーカーは少なく、参戦メーカー数は非常に少なくなった。 ランチアはいち早く小型車デルタをベースにラリー車を製作してグループAに対応し、グループA時代を牽引していくことになる。

しかし、そのランチアに対し真っ向から勝負を挑んだのが日本車勢である。日本の自動車市場は4WDスポーツ車が順調に売れる世界的に見て珍しい市場であり、日本車メーカーはこぞって高性能な4WDスポーツ車を販売し、1990年代中盤には、それまでWRCの中心を担ってきたヨーロッパの自動車メーカーに代わり、トヨタをはじめ、スバル三菱日産マツダといった日本車メーカーがWRCを席巻した。

この時期、セリカでランチアの厚い壁に挑み続けていたトヨタは、1990年にはドライバーズ・タイトルを初獲得。1992年年にもドライバーズ・タイトルを獲得した。また、1992年のシーズン終了とともにランチアがワークス活動を休止し、競争力が次第に低下したこともあり、1993年にはついに日本の自動車メーカーとしては初となるWRCマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得。同時にドライバーズ・タイトルも獲得した。翌年の1994年もマニュファクチャラーズとドライバーの両タイトルを獲得し、2年連続でのマニュファクチャラーズ・タイトル、3年連続でのドライバーズ・タイトルを獲得。

また、インプレッサの投入とともに1994年からフル参戦を開始したスバルが、1995年1996年1997年の3年連続でマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得、三菱自動車ランサーエボリューションが1996年から1999年まで4年連続ドライバーズ・タイトルを獲得し、WRC日本車黄金時代を築いた。

ところがトヨタは1995年、シーズン中にレギュレーション違反が発覚。トヨタはシーズン獲得ポイントの剥奪と1年間の出場停止処分を受け、1997年シーズン終盤にカローラWRCで復帰するまでほぼ2年間その活動を休止。一方、グループAの2,500台という最低生産台数がネックとなり、参戦メーカー数は減少の一途を辿っていたため、より参戦の門戸を広げるため、新たにワールドラリーカー(WRカー)の規定が1997年より導入された。

1997年シーズンは多くのメーカーがWRカーに移行する中、三菱のみグループAに留まり、1998年に初のマニュファクチュアラーズタイトルを獲得。1999年シーズン以降も引き続きグループA規定で参戦したものの、2001年、三菱チームも同年シーズン中のWRカー移行を発表。14年弱の長きに亘るグループA時代は終わりを迎えた。

この時代の主なラリーカー[編集]

WRカー時代(1997年 - 2010年)[編集]

2006年キプロス・ラリーを走行中のペター・ソルベルグ

グループAの特例として1997年シーズンから導入されたWRカーは、継続した12ヶ月間に25,000台以上生産された車種の「ファミリー」をベースに、ワイドボディ化、4WDへの改造、リアサスペンション形状の変更、同一メーカー車に搭載されているエンジンへの換装やターボの付加など、大幅な改造を認められたものである。

このWRカー規定により、グループAの生産台数規定に参戦を妨げられていたヨーロッパの自動車メーカーが相次いでWRCに参戦し、メーカー数が増加してラリーは一時的に活況を呈することとなる。

しかしながら、世界的不況の影響による自動車会社の経営不振、度重なる仕様変更、WRカーの開発費用および車両価格の高騰、またWRC自体のイベント数の増加などにより徐々に撤退するメーカーが増え、2009年現在では(メーカー単位で)正式に参戦しているのはシトロエンフォード、の2社のみとなってしまった。

1999年にはフォード・フォーカスWRCプジョー・206 WRCといったヨーロッパ車メーカーによる第2世代のWRカーが登場。特に206 WRCはあらゆる点で他のWRカーを圧倒する性能を見せ、2000年から2002年までマニュファクチャラーズタイトルを3連覇するなど「プジョー黄金期の再来」を印象づけた。2003年には本格参戦1年目にしてシトロエンがマニュファクチャラーズタイトルを奪取し、その後2005年まで3連覇。一大勢力と化したフランス勢の時代が続いたが、WRCの開催スケジュール等をめぐり国際自動車連盟と対立したプジョーが2005年をもって、シトロエンも2006年のみであったがマニュファクチャラーズ選手権から撤退した。

シトロエンは2006年はプライベートチームのクロノス・レーシングを「事実上のワークスチーム」としてサポートする形で参戦、その間、従来のWRカーであったシトロエン・クサラ WRCの後継となるシトロエン・C4 WRCの開発を平行して行っていた。そして2007年、シトロエンはワークスとしてC4 WRCとともにWRCへと復帰を果たした。

フォードはMスポーツにワークス活動を委託し着実に成績を残していたが、フォードグループ全体の経営不振などにより2002年ごろから毎年のごとく撤退が噂され、年を追うごとに資金が先細りしていく状況にあった。そして2004年には撤退寸前まで追い込まれた。しかしMスポーツ監督のマルコム・ウィルソンが絶望的な状況の中でも決して諦めることなくフォード首脳陣に対して参戦継続へ向けた粘り強い交渉を行っていた。そしてそのような熱い思いが届いたのか、交渉を続けている間に行われたカタルニア・ラリーとツール・ド・コルスでフォーカスWRCを駆るマルコ・マルティンが連続優勝を成し遂げた。この結果により状況が好転し、遂にフォード本社がラリー活動の継続を決断することになる。2005年に3年間の参戦が確約し資金的にも十分保証されると一転攻勢、モデルチェンジしたフォーカス STをベースに革新的な空力デザインや徹底的な低重心化を施したWRカーを作り上げ、2006年に1979年以来となるマニュファクチャラーズタイトルを獲得、フランス勢(シトロエン)に一矢を報いた。空力技術が行き過ぎているなど批判もあるが、2代目フォーカスRS WRCは第3世代のWRカーの名にふさわしい車といえる。

なお、フォルクスワーゲン傘下のセアト2000年に、フォードと並ぶ古参メーカーとして知られたシュコダも資金難などにより2005年をもってマニュファクチャラーズ選手権から撤退した。

日本車メーカーにおいても、1年間の活動休止を余儀なくされていたトヨタはカローラ(ただしヨーロッパで販売されていたモデルをベースとしていたため、日本のカローラとは別物である)をベースにしたWRカーを投入、ヨーロッパ勢と選手権を争い1999年にマニュファクチャラーズタイトル獲得、F1転向に伴うワークス撤退に華を添えた。

一方スバルはいち早くインプレッサをベースとしたWRカーへと移行、プジョーの対抗馬として気を吐いていたが、スバル・インプレッサ WRCは年が経つにつれトラブルが頻発するようになり、度重なるモデルチェンジによる仕様変更も災いし、気がつけばフランス勢はおろかフォードにすら水を空けられる事態にまで陥っていた。2007年にしてようやくトップ争いが見える位置まで復活を果たすも、依然としてシトロエン、フォードとの差は開いており、2008年をもってマニュファクチャラーズ選手権から撤退した。

三菱は頑なにグループAにこだわり続けたが、先述の通り2001年にはWRカーへと移行した。この際ベースモデルはランサーエボリューションからランサーへと変更されている。しかしこのグループAからWRカーへの移行時に多くのトラブルが発生、エースであったトミ・マキネンの離脱なども重なり成績は低迷し続けた。体制変更、一時的な活動停止などの迷走期間を経て、2008年以降の本格的復帰を目標に限定的な参戦をしていたが、2007年末に英国の拠点を閉鎖、2010年にラリーアートが業務の一部停止を発表し、現在での復帰の可能性は極めて低いと思われる[1]

スズキスズキ・SX4 WRCで2008年シーズンより参戦している。当初2007年シーズンが夏季開幕となるウインターシーズン案が検討されていたため2007年からの参戦を計画していたが、ウインターシーズン案が撤回されたため、2007年シーズンは3戦のテスト参戦を行った。全戦参戦は2008年シーズンからとなる。シーズン前半は初期トラブルが多発し、ゴールもままならなかったが、後半へ向けて改良が行われ、2台完走のイベントを増やしていった。最高位は日本とイギリスの5位。2008年12月15日、スズキは2009年以降のWRC参戦休止を表明した。

日本車以外のアジア勢としてヒュンダイヒュンダイ・アクセント WRCで参戦していたが、慢性的な資金難から競技車両の開発が大幅に遅延した結果、競争力がほとんど向上せず、2003年、ワークス活動を委託していたMSDが活動資金の不足を理由に残り4戦を残して撤退、そのままヒュンダイのWRC活動は休止となった。この「シーズン途中のワークス撤退」が当時のルールである「WRカーは全戦出場義務がある」に抵触したため、FIAはヒュンダイに対しWRC史上最高額となる100万USドルの罰金を課しているが、ヒュンダイとMSDとの法廷闘争が終わっていないこともあり2007年現在もまだ納められていない。一時は2007年ごろを目標に新体制のもと、新開発のWRカーで復帰を表明していたが、立ち消え同然の状態となっている。日本勢で参加しているスズキ、スバル両社は2008年シーズンをもってラリー選手権から撤退する方針を正式決定した。理由は金融危機により自動車市場の急速な縮小によるもの(スズキは経済状況を見て、将来的に復帰も視野にあるが、スバルは後述のレギュレーションも絡み、完全撤退の意向)。

この時代の主なラリーカー[編集]

S2000 WRC時代(2011年 - )[編集]

Gr.A車両をベースにしたWRカーは高コストであるため、新規ワークスの参入はほぼ絶望的であると言える。そのため、WTCCにて既に導入されているスーパー2000(S2000)規定を導入しようという考えがある。これは2,000ccのNAエンジンのみで、ボディ補強など最低限の改造のみで競技車両を製作するという規定でPWRC規定の車両と近い。2007年現在、PWRCにおいてはこのS2000規定の車両の出場も認められている。また、IRC(インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ)においてもS2000規定の車両が活躍している。

その後、2010年からは新規格のWRカーの導入が検討された。これは名称こそWRカーという名称が引き継がれるが、2008年12月のFIAが発表した内容では、S2000をベースにボルトオンキットで簡単にWRカーにできるようにする、というものだった(S2000プラス)。これにより、競技車両のコストダウンを図り、またすでに多く出回っているS2000車両をほぼそのままWRカーとしてエントリーさせることができる、というのがFIAの狙いである。ところが、S2000車両を持たないスバル、三菱にとってはFIAに見捨てられた形となる。グループN車両とS2000車両とではマシンそのものの性能が異なるため、仮にグループN車両で参戦できたとしても、S2000プラス規定の車両に対する競争力は目に見えて劣る。特に2008年まで参戦していたスバルはベースモデルとなり得る車両をラインナップに持たないため、2010年以降の参戦は非現実的であった。スバルのWRC撤退はこのFIAの決定を見て行われた、という見解もある。

しかし、その後FIAの中で意見が二転三転し、S2000プラスを撤回して、2011年以降はS2000自体をメインカテゴリーにするという話が浮上した。これによると、WRカーに替わるS2000はエンジンの回転数を8,500rpmに、純粋なS2000は8,000rpmに制限する2種類のS2000が存在することになるというものであった。話がまとまらないFIAに対し、新規定が確定しないと開発ができない上、残りの期間も少ないことから、2009年もWRカーでワークス参戦するシトロエンとフォードからは不満の声があがっていた。 最終的には、WTCCなど他のカテゴリーと共通の規定の元に製作される1.6L 直噴 ターボエンジンをS2000車両に搭載したS2000 WRCに変更することを決定し[3]、シトロエンとフォードは、それぞれシトロエン・DS3 WRCフォード・フィエスタRS WRCを新たに製作し参戦した。さらに、BMWプロドライブに製作を委託しミニ カントリーマンをベースにしたミニ ジョン クーパー ワークス WRCで、フォルクスワーゲンポロR WRC[4]参戦することを発表されている。さらにトヨタがF1を撤退した2009年以降WRCへの復帰の噂が毎年各自動車誌などで話題となっていたが、2012年TMGの木下美明社長が英国AUTO SPORTS誌で「2014年には間に合わせたいと言うのが願望」と語っていることから2014年以降の参戦の可能性が浮上した。[5]この背景には2012年3月に1.6リッター直噴ターボエンジンを新規開発中であることが発表され、そのエンジンをヤリス(日本名「ヴィッツ」)をベース車両として搭載する予定であることから復帰も選択肢にあるのではないかと思われる。[6]

この時代の主なラリーカー[編集]

WRCを取り巻くメディア[編集]

海外におけるテレビ放送[編集]

ヨーロッパ圏内では絶大な人気を誇るWRCはテレビ放送も盛んに行われている。またFIAとしてもテレビ放送から得られる収入は無視できないものとなり、スーパーSSなどテレビ放送向けにイベントを組んでいる。またラジオ放送も行われており、日本でもインターネット経由で聞ける。

日本におけるテレビ放送[編集]

2009年現在、J SPORTSが全クラス完全放送を行っており、いくつかのラウンドでスーパーSSのライブ中継を放送している。またBS日テレでもダイジェストで放送していたが、スバルのWRC撤退によるスポンサー撤退で2008年12月25日で放送終了。

ここ数年、地上波ではテレビ東京系列でダイジェスト放送が行われており、2007年の第1回放送は7月16日に行われた。番組ナビゲーターは2006年は倉野麻里アナウンサー、2007年からは松丸友紀アナウンサーが担当している。

2008年はテレビ東京系の番組『モヤモヤさまぁ〜ず2‎』とタイアップし、同年11月14日に21時から2時間特番を放送。PR的な内容で、選手やレース関係者へのインタビュー、番組プロデューサーの伊藤隆行によるラリーカー同乗レポート、各種イベントの紹介などが放送された。

その他のテレビ局に関してはWRCの報道は消極的であり、日本で開催されるラリージャパンも例外でない。2004年の初開催以来、ラリージャパン開催時期でも地上波テレビ局ではニュース番組でもほとんど触れられることがない。過去にWRCの放送経験があるテレビ東京系列の他は日本テレビ系列やNHKで多少触れられる程度である。

過去の日本におけるテレビ放送[編集]

  • 90年代、NHKでWRCの報道がなされていたとき、スポーツキャスターとして活躍していたのが小平桂子アネット。WRCの知識や人脈において彼女を上回るキャスターは日本ではまず存在しない。2001年にCS放送のWRC番組でキャスターとして復帰しが、2004年に降板。NHKで放送されていた時のオープニング曲は、増崎孝司のCHANCE IT。
  • 2003年以前は日本テレビでダイジェスト番組が放送されていた。ナビゲーターはケイ・グラント国沢光宏が担当。国沢はテレビ東京での放送になってからもしばらく解説を担当していた。
  • 2005年のラリージャパンでは、報道ステーション松岡修造が出演するコーナーにて特集された。しかしこれ以降、WRCはおろかラリージャパンに関する放送はされていない。
  • 2006年 上記に加え、インターネット放送GyaO、CS放送AXN、地上波放送日本テレビ系列(ただしテレビ東京系列局のない地域のみ、さらにラリージャパンのみ)および福井放送日本テレビ系列・テレビ朝日系列クロスネット局、ラリージャパンのみ放送)

日本における雑誌報道[編集]

WRCの専門雑誌としては、1990年に創刊したWRC速報誌『RALLY・XPRESS』(山海堂)が草分け的な存在だが、2007年末の出版社の解散にともない休刊。現在は、同誌の元スタッフが運営を引き継いだ携帯サイトラリーXモバイルとしてラリー情報を配信している。2010年現在、日本で発行される唯一のWRC専門誌は『WRC PLUS』(三栄書房、編集は株式会社イデア)となっている。

[編集]

しんむらけーいちろーにより別冊ヤングマガジンにおいてFLAT OUTが、2005年4月~2006年12月まで連載された。 2004年ラリージャパンラリーオーストラリアを舞台に日本人ドライバー剣龍也の活躍を描いている。

世界ラリー選手権記録[編集]

主要記事:List of World Rally Championship Drivers' Champions及びList of World Rally Championship Constructors' Champions
2006年のオーストラリア・ラリー表彰台での一コマ。
シーズン ドライバー部門優勝(車) マニファクチャラーズ部門優勝
2013年 フランスの旗 セバスチャン・オジェ(フォルクスワーゲン) ドイツの旗 フォルクスワーゲン
2012年 フランスの旗 セバスチャン・ローブ(シトロエン) フランスの旗 シトロエン
2011年 フランスの旗 セバスチャン・ローブ(シトロエン) フランスの旗 シトロエン
2010年 フランスの旗 セバスチャン・ローブ(シトロエン) フランスの旗 シトロエン
2009年 フランスの旗 セバスチャン・ローブ(シトロエン) フランスの旗 シトロエン
2008年 フランスの旗 セバスチャン・ローブ(シトロエン) フランスの旗 シトロエン
2007年 フランスの旗 セバスチャン・ローブ(シトロエン) アメリカ合衆国の旗 フォード
2006年 フランスの旗 セバスチャン・ローブ(シトロエン) アメリカ合衆国の旗 フォード
2005年 フランスの旗 セバスチャン・ローブ(シトロエン) フランスの旗 シトロエン
2004年 フランスの旗 セバスチャン・ローブ(シトロエン) フランスの旗 シトロエン
2003年 ノルウェーの旗 ペター・ソルベルグ(スバル) フランスの旗 シトロエン
2002年 フィンランドの旗 マーカス・グロンホルムプジョー フランスの旗 プジョー
2001年 イングランドの旗 リチャード・バーンズ(スバル) フランスの旗 プジョー
2000年 フィンランドの旗 マーカス・グロンホルム(プジョー) フランスの旗 プジョー
1999年 フィンランドの旗 トミ・マキネン(三菱) 日本の旗 トヨタ
1998年 フィンランドの旗 トミ・マキネン(三菱) 日本の旗 三菱
1997年 フィンランドの旗 トミ・マキネン(三菱) 日本の旗 スバル
1996年 フィンランドの旗 トミ・マキネン(三菱) 日本の旗 スバル
1995年 スコットランドの旗 コリン・マクレー(スバル) 日本の旗 スバル
1994年 フランスの旗 ディディエ・オリオール(トヨタ) 日本の旗 トヨタ
1993年 フィンランドの旗 ユハ・カンクネン(トヨタ) 日本の旗 トヨタ
1992年 スペインの旗 カルロス・サインツ(トヨタ) イタリアの旗 ランチア
1991年 フィンランドの旗 ユハ・カンクネン(ランチア) イタリアの旗 ランチア
1990年 スペインの旗 カルロス・サインツ(トヨタ) イタリアの旗 ランチア
1989年 イタリアの旗 ミキ・ビアシオン(ランチア) イタリアの旗 ランチア
1988年 イタリアの旗 ミキ・ビアシオン(ランチア) イタリアの旗 ランチア
1987年 フィンランドの旗 ユハ・カンクネン(ランチア) イタリアの旗 ランチア
1986年 フィンランドの旗 ユハ・カンクネン(プジョー) フランスの旗 プジョー
1985年 フィンランドの旗 ティモ・サロネン(プジョー) フランスの旗 プジョー
1984年 スウェーデンの旗 スティグ・ブロンクビストアウディ ドイツの旗 アウディ
1983年 フィンランドの旗 ハンヌ・ミッコラ(アウディ) イタリアの旗 ランチア
1982年 ドイツの旗 ヴァルター・ロール(オペル ドイツの旗 アウディ
1981年 フィンランドの旗 アリ・バタネン(フォード) フランスの旗 タルボ
1980年 ドイツの旗 ヴァルター・ロール(フィアット イタリアの旗 フィアット
1979年 スウェーデンの旗 ビヨン・ワルデガルド(フォード/メルセデス・ベンツ) アメリカ合衆国の旗 フォード
1978年 FIA Cup for Driversフィンランドの旗 マルク・アレンフィアット/ランチア) イタリアの旗 フィアット
1977年 FIA Cup for Driversイタリアの旗 サンドロ・ムナーリ(ランチア) イタリアの旗 フィアット
1976年 イタリアの旗 ランチア
1975年 イタリアの旗 ランチア
1974年 イタリアの旗 ランチア
1973年 フランスの旗 アルピーヌ

通算優勝記録[編集]

主要記事:List of World Rally Championship records

ドライバー[編集]

ドライバー名 総計
1 フランスの旗 セバスチャン・ローブ 71回
2 フィンランドの旗 マーカス・グロンホルム 30回
3 スペインの旗 カルロス・サインツ 26回
4 スコットランドの旗 コリン・マクレー 25回
5 フィンランドの旗 トミ・マキネン 24回
6 フィンランドの旗 ユハ・カンクネン 23回
7 フランスの旗 ディディエ・オリオール 20回
8 フィンランドの旗 マルク・アレン 19回
9 フィンランドの旗 ハンヌ・ミッコラ 18回
10 イタリアの旗 ミキ・ビアシオン 17回

コ・ドライバー[編集]

コ・ドライバー名 総計
1 モナコの旗 ダニエル・エレナ 67回
2 フィンランドの旗 ティモ・ラウティアイネン 30回
3 スペインの旗 ルイス・モヤ 24回
4 ウェールズの旗 ニッキー・グリスト 21回
5 フィンランドの旗 イルッカ・キビマキ/フィンランドの旗 セッポ・ハルヤンネ 20回
6 スウェーデンの旗 アーネ・ハーツ 18回
7 イタリアの旗 ティジアーノ・シビエロ 17回
8 フランスの旗 ベルナール・オチェッリ 16回
9 フィンランドの旗 ユハ・ピロネン 14回
10 ウェールズの旗 フィル・ミルズ/フィンランドの旗 リスト・マニセンマキ 13回

マニュファクチャラー[編集]

マニュファクチャラー名 総計
1 フランスの旗 シトロエン 80回
2 アメリカ合衆国の旗 フォード 78回
3 イタリアの旗 ランチア 74回
4 フランスの旗 プジョー 48回
5 日本の旗 スバル 47回
6 日本の旗 トヨタ 43回
7 日本の旗 三菱 34回
8 ドイツの旗 アウディ 24回
9 イタリアの旗 フィアット 21回
(太字は2011年参戦マニュファクチャラー)

脚注[編集]

  1. ^ ペター・ソルベルグ、免停の顛末を語る - RALLYPLUS.NET・2011年2月14日
  2. ^ MINI、2011 年より世界ラリー選手権(WRC)に参戦決定
  3. ^ FIAプレスリリース 3月11日 World Motor Sport Council
  4. ^ フォルクスワーゲン、2013年から「ポロ R WRC」でWRCに参戦
  5. ^ トヨタのWRC復帰は2014年? RALLYPLUS.net 7月10日
  6. ^ “トヨタ、WRC復帰へ? ドイツで新エンジンを開発中”. RALLY+.net. (2012年3月26日). http://as-web.jp/rallyplus/news/info.php?no=25149 2012年3月27日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]