セルジオ・ペレス
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| 基本情報 | ||||
| フルネーム | Sergio Pérez Mendoza | |||
| 略称表記 | PER | |||
| 国籍 | ||||
| 出身地 | ハリスコ州グアダラハラ | |||
| 生年月日 | 1990年1月26日(23歳)[1] | |||
| F1での経歴 | ||||
| 車番 | 6 | |||
| 所属チーム | マクラーレン '13- | |||
| 活動時期 | 2011- | |||
| 過去の所属チーム | '11-'12 ザウバー | |||
| 出走回数 | 42 | |||
| 優勝回数 | 0 | |||
| 通算獲得ポイント | 92 | |||
| 表彰台(3位以内)回数 | 3 | |||
| ポールポジション | 0 | |||
| ファステストラップ | 2 | |||
| F1デビュー戦 | 2011年オーストラリアGP | |||
| 2013年順位 | 11位 (12ポイント) | |||
| タイトル | 0 | |||
| (記録は2013年第5戦スペインGP終了時) | ||||
セルジオ・ペレス・メンドーザ (Sergio Pérez Mendoza, 1990年1月26日[1] - ) は、メキシコ出身のレーシングドライバー。兄はNASCARメキシコ(NASCAR Corona Series)のレーシングドライバーのアントニオ・ペレス。
目次 |
経歴 [編集]
メキシコ国内(少年期) [編集]
1997年よりカートを始め、メキシコ国内の様々なカテゴリのカートレースに参戦した。2003年には国内最高峰である125ccカート選手権で3位の成績を収めた。兄弟揃ってカルロス・スリムがCEOを務めるテルメックスグループから支援を受け、その後のレースキャリアにおいて深い関係を築いた。
2004年よりテルメックスがレーシングチームを置くカテゴリの1つであるSkip Barber National Championshipから出走し、シリーズ11位となった。
渡欧後のレース [編集]
2005年にベルリンへ渡り、ドイツフォーミュラ・BMWに参戦。ケケ・ロズベルグが構えるチーム・ロズベルグにてシリーズ14位。2006年はADACベルリン・ブランデンブルクチームに移籍しシリーズ6位の戦績で終えた。
2006年から2007年のA1グランプリで2戦のみA1チーム・メキシコからスポット参戦したもののノーポイントに終わった。2007年よりイギリスF3ナショナルクラス[2][3]に参戦し、21戦中14回のポールポジションと14勝を記録し圧勝でチャンピオンを獲得した。翌2008年はイギリスF3メジャークラスへと昇格し、優勝4回を記録してシリーズ4位となった。
GP2 [編集]
その後、2008年から2009年のGP2アジアシリーズに参戦。GP2シリーズでは強豪として数えられていたカンポス・レーシングから出走し、優勝2回を獲得し、シリーズ7位となった。2009年のGP2シリーズではアーデン・インターナショナルに移籍しシリーズ12位。
2009年から2010年のGP2アジアシリーズにはバルワ・アダックス・チームから参戦したが、5ポイントのみの獲得に終わった。しかし、2010年のGP2シリーズではパストール・マルドナドとチャンピオン争いを繰り広げ、モナコの第1レースで優勝を果たすなど5勝を収めたが、マルドナドに16ポイント引き離されシリーズ2位に終わった。
F1 [編集]
2011年 [編集]
2010年10月4日、F1チームのザウバーはセルジオ・ペレスを2011年の正ドライバーとして起用した事を発表した。又、このリリースと同時にペレスのレースキャリアで深い関わりのあるメキシコの大手通信企業テルメックスが2011年よりザウバーのスポンサーを行うことを発表した[4]。
迎えた開幕戦オーストラリアGPでは、予選は13番手に終わるものの、決勝では他のドライバーが2ストップあるいは3ストップ作戦の中、唯一1ストップで完走。見事7位に入賞し周囲を驚かせるが、マシンのリアウィングの車両規定違反が発覚。チームメイトで8位に入賞した小林可夢偉と共に失格処分となってしまった。 第5戦スペインGPでは初入賞となる9位で予選においても決勝でも小林よりも良い順位で完走を果たした。
第6戦モナコGPでは木曜フリー走行から好タイムを叩き出し、予選でも自身初となるQ3進出を決めた。しかし、トンネルを抜けた後のヌーベルシケインの手前の路面バンプを拾ってしまい、これによってバランスを著しく崩してウォールに激突。そのまま時速260km/hを保ったままスライドした状態で、ヌーベルシケインにあるスポンジバリアに側面から激突する。予選は赤旗中断となり、ペレスの容態も心配されたが脳震盪と脚に捻挫を負ったのみの軽症で済んだが、40G以上の強い衝撃と脳震盪を受けた事で欠場となった[5][6]。第7戦カナダGPには出場する予定となっていたが[7]、金曜フリー走行1を終えた時点で体調不良を訴え、金曜フリー走行2以降のセッションを欠場した[8]。結局この年は、予選ではチームメイトの小林を圧倒したものの、決勝ではミスも多く、ポイントでは小林の30ポイントに対して14ポイントにとどまった。
2012年 [編集]
2012年も継続してザウバーより参戦。開幕戦では再び1ストップ戦略を遂行するも、最終ラップの他マシンとの接触があり8位。次の第2戦のマレーシアGPでは、予選10位に入り、決勝は9番グリッドスタート。スタート前から降り続いていた雨が激しくなると読んでいち早くウェットタイヤに交換すると激しい雨による赤旗中断までに3位へ。中盤で2位を走行、前を走るフェルナンド・アロンソに約5秒差からファステストラップを連発し1秒差まで近づくも、ドライタイヤ交換のピットストップのタイミングで5秒差に開く。しかし、長持ちするハードタイヤを装着したペレスは消耗が激しいミディアムタイヤを装着したアロンソを0.5秒差まで追い詰める。あわや優勝かと思われたがコーナーでふくらみ、またも差は5秒差になる。結局2年目にして2位フィニッシュとなり、初めてのF1の表彰台に立った。ゴール後、チームとしてもF1に参戦して以降の最高成績にペーター・ザウバーが涙を流した場面が国際映像に映し出された。第6戦のモナコGPでは、予選時にクラッシュし、予選23位であったが、決勝では自身初めてのファステストラップを記録した。 第7戦カナダGPでは予選15番手からプライム側のタイヤでスタートして1ストップ作戦を見事に決め、3位表彰台を獲得した。
第13戦イタリアGPまで3度の表彰台の活躍が評価され、第15戦日本GPの直前に来季マクラーレンへの移籍が発表された[9]。しかし移籍が決まって以降のレースではいずれも精彩を欠き3度のリタイアを含め、1度もポイントを獲得できずに終わった。
シーズンを通して浮き沈みが激しかったものの、昨年とは異なり小林を速さで凌駕し、選手権のドライバーズランキングを10位でシーズンを終えた。
ちなみにペレスはフェラーリ・ドライバー・アカデミーに2010年から2012年まで所属したため、スクーデリア・フェラーリのドライバー候補として度々名前が挙がることがある[10]。
レース戦績 [編集]
- 2004年 Skip Barber National Championship (テルメックス・レーシング 11位)
- 2005年 ドイツフォーミュラ・BMW (チーム・ロズベルグ 14位)
- 2006年 ドイツフォーミュラ・BMW (ADACベルリン・ブランデンブルク 6位)
- 2006 - 2007年 A1グランプリ (A1チーム・メキシコ 10位)
- 2007年 イギリス・フォーミュラ3選手権(T-Sport ※:ナショナルクラス[2], 優勝14回 チャンピオン)
- 2008年 イギリス・フォーミュラ3選手権 (T-Sport 優勝4回 4位)
- 2008 - 2009年 GP2アジアシリーズ (バルワ・インターナショナル・カンポス 優勝2回 7位)
- 2009年 GP2シリーズ (アーデン・インターナショナル 12位)
- 2009 - 2010年 GP2アジアシリーズ (バルワ・アダックス・チーム 15位)
- 2010年 GP2シリーズ (バルワ・アダックス・チーム 優勝5回 2位)
F1での年度別成績 [編集]
| 年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | WDC | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2011年 | ザウバー | C30 | AUS DSQ |
MAL Ret |
CHN 17 |
TUR 14 |
ESP 9 |
MON DNS |
CAN PO |
EUR 11 |
GBR 7 |
GER 11 |
HUN 15 |
BEL Ret |
ITA Ret |
SIN 10 |
JPN 8 |
KOR 16 |
IND 10 |
ABU 11 |
BRA 13 |
16位 | 14 | |
| 2012年 | C31 | AUS 8 |
MAL 2 |
CHN 11 |
BHR 11 |
ESP Ret |
MON 11 |
CAN 3 |
EUR 9 |
GBR Ret |
GER 6 |
HUN 14 |
BEL Ret |
ITA 2 |
SIN 10 |
JPN Ret |
KOR 11 |
IND Ret |
ABU 15 |
USA 11 |
BRA Ret |
10位 | 66 | |
| 2013年 | マクラーレン | MP4-28 | AUS 11 |
MAL 9 |
CHN 11 |
BHR 6 |
ESP 9 |
MON |
CAN |
GBR |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
SIN |
KOR |
JPN |
IND |
ABU |
USA |
BRA |
11位 | 12 |
脚注 [編集]
- ^ a b 文献によりプロフィール上の生年月日の記述に異なりが見られる。他の記述には1989年12月26日生まれ、1990年1月20日生まれなどがある。
- ^ a b 旧型シャシーを使用して行われるBクラス。
- ^ “British Formula 3”. SpeedSport Magazine 2010年10月14日閲覧。
- ^ “ザウバー、テルメックスとのスポンサー契約を発表”. F1 Gate.com. (2010年10月5日) 2010年10月5日閲覧。
- ^ “深刻なケガを免れたペレス”. ESPN F1. (2011年5月29日) 2011年5月30日閲覧。
- ^ “ペレス、決勝レースは欠場へ”. ESPN F1. (2011年5月29日) 2011年5月30日閲覧。
- ^ “セルジオ・ペレス 「モントリオールでまた会おう!」”. F1 Gate.com. (2011年5月29日) 2011年5月30日閲覧。
- ^ “セルジオ・ペレスが欠場、代役にペドロ・デ・ラ・ロサ”. F1 Gate.com. (2011年6月11日) 2011年6月16日閲覧。
- ^ “マクラーレン、セルジオ・ペレスとの契約を発表”. F1 Gate.com. (2012年9月28日) 2012年11月27日閲覧。
- ^ “フェラーリ会長 「セルジオ・ペレスはフェラーリにはまだ早い」”. F1 Gate.com. (2012年9月13日) 2012年11月27日閲覧。
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- Escuderia TELMEX - TELMEXによるセルジオ・ペレスの公式プロフィール
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