ギュンター・シュタイナー

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ギュンター・シュタイナー
Guenther Steiner
ハースF1チーム代表時代(2022年)
生誕 (1965-04-07) 1965年4月7日(59歳)
イタリアの旗 イタリアボルツァーノ自治県メラーノ
国籍 イタリアの旗 イタリア
市民権 イタリアの旗 イタリア / アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 自動車実業家
モータースポーツマネージャー
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ギュンター・シュタイナー(Guenther Steiner、1965年4月7日 - )は、イタリア出身アメリカ合衆国在住の自動車実業家、モータースポーツマネージャー。ファイバーワークス・コンポジット社代表。

経歴[編集]

南チロルメラーノで肉屋の息子として生まれた[W 1]。工学を学んだが、学位は取得しなかった[W 2]

ラリー[編集]

1986年から1988年にかけて当時ベルギーを拠点として世界ラリー選手権(WRC)に参戦していたマツダ(マツダ・ラリー・チーム・ヨーロッパ)にメカニックとして加入し、モータースポーツにおけるキャリアを始めた[W 3][W 4][W 5]

以降もラリーに参戦しているチームを渡り歩き、1989年から1990年にかけてイタリアのトップラン英語版でアシスタントチームマネージャーを務めた[W 4]。このチームはマツダのラリー車(323 4WD)を走らせており、シュタイナーはグループNの様々なラリーに参戦するプライベーターたちの支援を担当した[W 4]

1991年から1996年にかけてはWRCにランチアフォードで参戦していたジョリー・クラブ英語版に所属し、最初はレコノサンス(コースの下見)の責任者を務め、1994年にテクニカルマネージャーとなった[W 4]

1997年にプロドライブスバル)のオールスター・ラリーチームのマネージャーとなり、同年に所属ドライバーのクシシュトフ・ホロウィツィック英語版インプレッサをドライブしてヨーロッパラリー選手権(ERC)を制覇した[W 4]

1998年にMスポーツにプロジェクトマネージャーとして移籍し、2000年に同チームのエンジニアディレクターに昇進する[W 4]。MスポーツではフォードのWRCチームのプログラムに加わり、フォーカスWRCを開発。2000年2001年シーズンの両年ともマニュファクチャラーズランキング2位を得た[W 4]

ジャガー[編集]

2001年フォーミュラ1(F1)のジャガー・レーシングでチーム代表を務めていたニキ・ラウダにヘッドハントされ、2001年12月3日、マネージングディレクターに任命された[W 3][W 4]。当時のジャガーはフォード傘下であり、シュタイナーによれば、当時ラウダがフォード内に適当な人材がいないか問合せ、それでシュタイナーに白羽の矢が立ったという経緯である[W 2]

シュタイナーは主にファクトリーの管理を任され[W 6]、チームのコストを削減することに成功した[W 3][W 4]。しかし、2002年にチームは低迷し、同年末にフォード社はチーム立て直しの一環としてラウダの解任を決定し、体制の刷新を図る。その余波を受け、シュタイナーはチームを去ることになった[W 3][W 4]

新体制側はシュタイナーを慰留したが、シュタイナーはそれを辞退し[W 2]、2003年はガーデニング休暇を過ごす[W 2][W 4]。2003年末にオペルに雇われ、オペル・パフォーマンスセンター英語版のテクニカルディレクターとしてDTMにおけるオペルの活動を担当した[W 4]

レッドブル[編集]

2004年11月にレッドブルがジャガー・レーシングを買収し、シュタイナーは新たに発足したレッドブル・レーシングに勧誘された[W 7]。これはオーナーのディートリヒ・マテシッツはオーストリア人であり、ドイツ語を話せるシュタイナーは好都合だったというのも理由のひとつだったとされる[W 7]。オペルが2005年限りでDTMから撤退することも決まっていたため、シュタイナーはその申し出を受け、2005年2月にレッドブルにテクニカルディレクターとして加入した[1][W 8][W 9][W 4]

しかし、2005年11月にレッドブルはエイドリアン・ニューウェイを獲得したため、シュタイナーはテクニカルディレクターの地位をニューウェイに譲ることになる[W 10]。そこでマテシッツはシュタイナーに新たに設立されたNASCARレッドブルチーム英語版を担当しないか提案し、それに同意したシュタイナーは米国に移住する[W 2][W 4]

シュタイナーは新チームの構築を手掛け、2006年から2008年にかけてNASCARのレッドブルチームでテクニカルディレクターを務めた[W 10][W 2][W 4]

シュタイナーは2008年4月にチームを去ったが、その後もレッドブルチームのファクトリーが置かれたノースカロライナ州ムーアズビルに留まり、2009年1月にファイバーワークス・コンポジット社(Fibreworks Composites)を創業した[2][W 4]。同社はレーシングカー用のカーボンコンポジットの設計と製造に特化した企業である[W 4]

US F1チーム[編集]

2009年半ば、創業間もないファイバーワークス・コンポジット社は翌年からのF1参戦を目指していたUS F1チーム(USF1)からいくつかの仕事を打診され、これによりシュタイナーはUSF1に関わり始めた[3]

USF1の参戦準備はケン・アンダーソン英語版ピーター・ウィンザー英語版によって進められていたが、参戦を予定していた2010年の年明けになっても準備は一向に整わなかった[3]。そこで、チームの出資者であるチャド・ハーリーYouTube創業者の一人)から相談を受けたシュタイナーは、当時、ダラーラ製の車体を擁してF1初参戦に向けた準備を順調に進捗させていたカンポス(HRT F1)を買収してはどうかと提案した[3]

これはカンポスが資金難を抱えていたためで、ハーリーの賛同を得て、シュタイナーはヨーロッパへ赴いて同チームと交渉を行った[3]。その際、旧知のバーニー・エクレストンステファノ・ドメニカリフェラーリのチーム代表)とも直接相談し、結論として、新チームを取り巻く情勢があまりにも複雑化していたため、この年の参戦は見送ったほうがよい旨をハーリーに報告した[3][注釈 1]

結果として、USF1は参戦を断念したものの、シュタイナーは「アメリカ国籍のF1チーム」というアイデアには可能性を感じ、ドメニカリからも「出資者さえいれば、フェラーリはカスタマーシャシーを供給可能」という約束を取り付けていたため[3]、このことはほどなく意味を持つことになる。

ハース[編集]

設立の経緯[編集]

ジーン・ハース(2015年)

アメリカ国籍のF1チームを設立することに可能性を感じたシュタイナーは、NASCAR時代の知り合いでスチュワート=ハース・レーシングを率いていたジョー・カスターポルトガル語版の伝手で、チームオーナーのジーン・ハース英語版と知り合った[2][3]

シュタイナー、ハース、カスターの3人は2012年初めに最初の話し合いを持ち[2]、シュタイナーは(独自シャシーによる参戦を検討していたUSF1と異なり)F1で実績のある既存のコンストラクターにシャシーの製造を依頼することで参戦してはどうかと提案する[W 11][W 12]。ハース自身も昔からF1参戦への意欲を持っており[2]、USF1への出資を検討したものの断念したという経緯があり[W 11]、数か月の検討の末、シュタイナーが提案したF1参戦計画に出資することに同意した[3]

シュタイナーはハースのために核となるスタッフのリクルートを進め[注釈 2]、同時にダラーラフェラーリとの契約を結び、シャシーとエンジンを確保した[W 12][注釈 3]。フェラーリからはエンジンとギアボックスのほか、レギュレーションで許される範囲でパーツを供給されることとなり[2]、技術的な支援も受けるということが計画された。

チーム代表[編集]

2014年4月にハースのF1参戦は国際自動車連盟(FIA)から承認され、シュナイナーはチーム代表に就任[2][W 13]2016年シーズンより、F1では1986年チーム・ハース(同名の別組織)以来、30年振りのアメリカ国籍のコンストラクターとしてデビューを飾った[W 2][W 4]

2023年末、在籍10年の節目をもって退任した[8][9]。本人によれば「オーナーのジーン・ハースから電話一本で『契約を延長しない』と告げられた」として、事実上は解任だったことを明らかにしており、退任に際して「チームメンバーにきちんと別れの挨拶ができなかった」ことが心残りだとしている[10]

解説者[編集]

2024年2月、ドイツのテレビ局・RTLが、同局のF1中継の解説者としてシュタイナーを起用することを発表した。2024年は開幕戦の他数戦で解説を務める予定。なお専属契約ではないため他局への出演も可能で、オーストラリアGPではオーストラリアのネットワーク・テンによる中継に出演する[11]

人物[編集]

「Steiner」というドイツ風の姓を持つが、これは出身地がオーストリアスイスと接する南チロルであるためで、国籍はイタリアである[W 3][W 2]。シュタイナー自身はドイツ語、イタリア語、英語を話す[W 1]。英語についてはラリーチーム時代に習得したため、言葉遣いが良くないのはそのためだとシュタイナー本人は述べている[12]

2009年に、カーボン複合材設計・製造するファイバーワークス・コンポジット社を設立し、代表取締役を務めている[13]

人間関係[編集]

ラリーやサーキットレースで様々なドライバーと働いているが、中でも最高のドライバーは誰だったかを2016年に問われ、コリン・マクレー(Mスポーツ)だと答え、他の特別だったドライバーとしてはエディ・アーバイン(ジャガー)を挙げ、シュタイナー自身が学ぶところが多かったのはカルロス・サインツ(Mスポーツ)だったと述べている[W 2]。モータースポーツにおいて特に影響を受けた人物として、マルコム・ウィルソン(Mスポーツ)、ニキ・ラウダ(ジャガー)、サインツ、ジーン・ハース英語版の4名を挙げている[14]

ステファノ・ドメニカリとは2000年頃に顔見知りとなり、2010年代にシュタイナーがハースのためにエンジンを探していた時にフェラーリに接触した時に仕事上の付き合いが始まり、その後の数年で個人的にも友人関係になっていった[15]。2023年に刊行されたシュタイナーによる初の著書には、ドメニカリが序文を寄せている[15]

フェラーリ関係者ではマッティア・ビノットとも旧知の仲で、特にハースがF1参戦を計画していた時期にビノットはフェラーリのパワーユニット(PU)部門の責任者だったことで親しくなり、2022年シーズンを扱った『栄光のグランプリ』シーズン5の第1話では、オフシーズンの休暇を共に過ごす友人として共演している。

趣味: 自動車レース観戦[編集]

仕事として自動車レースに関わっているが、余暇も、自動車レースを現地観戦しに行くのが好きだと述べている[14]

2020年限りで放出したケビン・マグヌッセンを2022年2月末に急遽チームに呼び戻すことになったが、シュタイナーは同年1月にデイトナ24時間レース英語版を(趣味として)観戦に行っており、その際にチップ・ガナッシ・レーシングから同レースに参戦したマグヌッセンとも再会していた[14][7]。シュタイナーとしてはこの時に関係を修復できたと考えており[14]、そのことがマグヌッセンの再起用につながった。

2022年2月、シュタイナーはニキータ・マゼピンを放出することを決め、その後任として「経験豊富なドライバー」が必要だと考えていたが[16]、マグヌッセンの再起用というアイデアはジーン・ハースが出したもので、上記の経緯で前月に再会していたシュタイナーもそれを妙案だと考えたという[17][注釈 4]

『Drive to Survive』[編集]

ハースがF1参戦を始めた2016年からしばらく、シュタイナーはF1のチーム代表の一人だったとはいえ、F1ファンからの注目を特に集めるような存在ではなかった。しかし、2019年にNetflixによる独占配信が始まった『Formula 1: 栄光のグランプリ』(英語: Formula 1: Drive to Survive)では、出演しているF1関係者たちの中でも「主役級」と各メディアから評されるほどに目立つ存在となり[注釈 5]、同番組が人気を得たこともあって、非常によく知られた存在となった[15]

シュタイナー本人はこの番組を視聴しておらず、視聴するつもりもないということを繰り返し述べている[12]。そうしたスタンスであるのは同番組に含むところがあるからというわけではなく、番組を視聴することで、映像の中の自分が気に食わず、自身の行動を変えてしまうことを恐れているためだと述べている[12]

著作[編集]

  • Surviving to Drive』(2023年・Bantam Press) ※頻繁に使う「fucking」という単語が全て「foking」に差し替えられている。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2010年にF1が新チームの参戦を呼び込むにあたって、コストキャップ制度(年間に使える予算の制限)などが提案されており、この時に新規参戦した3チームはそれを当てにしていたが、そうした事前の取り決めは反故にされ、いずれのチームも3年ほどで撤退に追い込まれることになった。
  2. ^ ハースチームの設立後も、シュタイナーはチームスタッフの採用の全てに関与している[4]
  3. ^ ダラーラのジャン・パオロ・ダラーラとも以前からの知り合いだったとシュタイナーは述べている[5]。ハースチームはパルマに所在するダラーラのファクトリーを開発拠点としていたが[2][6][7]、2022年にマラネッロに新たなファクトリーを設け、シュタイナーもそちらを主な職場とするようになった[7]
  4. ^ 2022年のロシアによるウクライナ侵攻のため、ロシア人ドライバーのマゼピンを解任する必要が生じた。本来なら、後任はリザーブドライバーのピエトロ・フィッティパルディが第一候補となるはずだが、経験が不足していると判断していたことから[16]、シュタイナーとハースはフィッティパルディをレギュラードライバーとして起用することを元から考えていなかったという[17]
  5. ^ この番組は、各話のテーマ毎に主役となる人物はいるが、シリーズを通した主役を設定してはいない。

出典[編集]

出版物
  1. ^ Red Bull Racing RB1 launchでのTechnical director Guenther Steiner写真”. motorsport.com (2005年2月7日). 2022年11月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g F1速報 2015年アメリカGP号、「ハースF1プロジェクトの全貌」(Dan Knutson) pp.26–29
  3. ^ a b c d e f g h Surviving to Drive(Steiner 2023)、「Off season / Monday, 20 December 2021 - Castello Steiner, Northern Italy」, pp.7–15
  4. ^ Surviving to Drive(Steiner 2023)、「Testing / Thursdayy, 24 February 2022 - Team Hotel, Barcelona, Spain」, pp.43–47
  5. ^ Surviving to Drive(Steiner 2023)、「Off season / Friday, 21 January 2022 - Steiner Ranch, North Carolina, USA」, pp.22–23
  6. ^ F1速報 2016年カナダGP号、「ダラーラとの共同戦線」(Roberto Chinchero) pp.38–39
  7. ^ a b c Surviving to Drive(Steiner 2023)、「Pre-Season / Saturday, 5 February 2022 - Maranello, Italy」, pp.27–36
  8. ^ 小松礼雄がハースF1のチーム代表に就任 ギュンター・シュタイナー解任”. f1-gate.com (2024年1月11日). 2024年1月11日閲覧。
  9. ^ シュタイナー、年末にハースのチーム代表退任を知らされ「ちゃんとお別れできなかったことに胸が痛む」”. motorsport.com (2024年1月14日). 2024年1月15日閲覧。
  10. ^ シュタイナー、年末にハースのチーム代表退任を知らされ「ちゃんとお別れできなかったことに胸が痛む」 - motorsport.com 2024年1月20日
  11. ^ ハースF1代表辞任のシュタイナー、わずか2ヵ月でF1帰還! ドイツ放送局で解説者……開幕戦からいきなり参加 - motorsport.com 2024年2月25日
  12. ^ a b c Surviving to Drive(Steiner 2023)、「Off season / Thursday, 30 December 2021 - Castello Steiner, Northern Italy」, pp.15–19
  13. ^ 創立メンバーのシュタイナーを更迭したハースF1。その損失は大きいのか?”. motorsport.com (2024年1月17日). 2024年1月19日閲覧。
  14. ^ a b c d Surviving to Drive(Steiner 2023)、「Off season / Thursday, 27 January 2022 - Steiner Ranch, North Carolina, USA」, pp.23–26
  15. ^ a b c Surviving to Drive(Steiner 2023)、「Foreword by Stefano Domenicali」, p.ix
  16. ^ a b Surviving to Drive(Steiner 2023)、「Pre-Season / Saturday, 5 March 2022 - Steiner Ranch, North Carolina, USA」, pp.50–51
  17. ^ a b Surviving to Drive(Steiner 2023)、「Pre-Season / Saturday, 6 March 2022 - Steiner Ranch, North Carolina, USA」, pp.51–53
ウェブサイト
  1. ^ a b Dieter Rencken (2019年4月10日). ““We don’t have to be here” – but Steiner expects the Haas model is here to stay” (英語). RaceFans. Collantine Media Ltd. 2022年3月6日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i Eric Silvermann (2016年10月23日). “Breakfast with Guenther Steiner” (英語). F1i.com. DIGITAL MOTORSPORT MEDIA. 2022年2月22日閲覧。
  3. ^ a b c d e The resurrection of Gunther Steiner” (英語). Grandprix.com (2005年1月7日). 2022年2月22日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r Guenther Steiner” (英語). Haas F1 Team. 2022年2月22日閲覧。
  5. ^ About us” (英語). Fibreworks Composites. 2022年2月22日閲覧。
  6. ^ Jaguar Racing names Managing Director” (英語). Motorsport.com (2001年12月1日). 2018年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月22日閲覧。
  7. ^ a b Christian Nimmervoll (2005年2月15日). “Red Bull Racing geht ohne Prognosen in die Saison 2005” (ドイツ語). Motorsport Total. Motorsport.com. 2022年2月22日閲覧。
  8. ^ The F1 axe falls at Red Bull Racing” (英語). Grandprix.com (2005年1月7日). 2022年2月22日閲覧。
  9. ^ Alex Sabine (2005年1月14日). “Steiner appointed RBR tech boss” (英語). Autosport. 2022年2月22日閲覧。
  10. ^ a b Steiner joins Red Bull's team” (英語). Autosport (2006年3月3日). 2022年2月22日閲覧。
  11. ^ a b Christian Sylt (2014年7月15日). “Haas Declined Chance To Invest In US F1 Team” (英語). Forbes. 2022年2月22日閲覧。
  12. ^ a b Luke Smith (2016年3月25日). “One of a kind” (英語). NBC Sport. 2022年2月22日閲覧。
  13. ^ F1: Haas Formula teleconference transcript” (英語). Racer (2014年4月14日). 2017年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月22日閲覧。

参考資料[編集]

書籍
  • Guenther Steiner (2023-04) (英語). Surviving to Drive. Bantam Press (書籍) / Transworld Digital (電子書籍). ASIN 1787636275. ISBN 978-1-787636279 
雑誌 / ムック

外部リンク[編集]