ボルツァーノ自治県

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ボルツァーノ自治県
Provincia autonoma di Bolzano
ボルツァーノの県章
ボルツァーノの県章
ボルツァーノ自治県の位置
イタリア国旗 イタリア
Flag of Trentino-South Tyrol.svg トレンティーノ=アルト・アディジェ
県都 ボルツァーノ
面積 7,399.97 [1] km²
人口
 - 総計
 - 人口密度
2011-01-01
507,657 [2]
68.6 人/km²
コムーネ 116  50音順一覧
主なコムーネ メラーノブレッサノーネライヴェスブルーニコアッピアーノ・スッラ・ストラーダ・デル・ヴィーノ
略記号 BZ
ISO 3166-2:IT IT-BZ
CAP 39100
市外局番 0471 - 0474
ISTATコード 021
県公式ウェブサイト [1]

ボルツァーノ自治県イタリア語: Provincia autonoma di Bolzano)は、イタリア共和国トレンティーノ=アルト・アディジェ特別自治州に属する。県都はボルツァーノ

歴史的にティロルと呼ばれた地域の一部で「南ティロル」とも呼ばれる。ドイツ語を母語とするドイツ系住民が人口の半分以上を占めるほか、ラディン語レト・ロマンス語群の言語)の話者もおり、3つの公用語を併用する県である。

名称[編集]

県名の正式表記は、3つの公用語で以下のようになる。

この地域は、ティロル地方の南部に位置することから南ティロル(標準ドイツ語アレマン語: Südtirol ; バイエルン語: Sidtiroul)とも呼ばれる。イタリア語では、「アディジェ川上流」を意味するアルト・アディジェAlto Adige)とも呼ばれる。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

ティロル地方
ボルツァーノ/南ティロル自治県 (地名表示はドイツ語)

トレンティーノ=アルト・アディジェ特別自治州に属する2つの県のうちの北側の県で、イタリア共和国最北端の県でもある。県都ボルツァーノは、州都トレントの北北東約51km、インスブルックの南約86km、サンモリッツの東約116km、ヴェネツィアの北北西約139kmに位置する。

県域は東西に長く、面積は約 7,400 km² とイタリアの県の中で最大である。北から東にかけてオーストリアと、西にスイスと、それぞれ境界を接する。トレント自治県も含めた広義のティロル地方の中央に位置するが、この広域地名は本県中西部のメラーノ近郊に位置するティローロ(ドイツ語名: ドルフ・ティロール)が発祥の地となっている。

隣接する県、およびそれに相当する行政区画は以下の通り。

県内の地域と主要な都市[編集]

2001年の国勢調査に基づく居住地区(Località abitata)別人口統計[3]によれば、人口5000人以上の都市・集落は以下の通り。( )内は所属コムーネ(自治体)名を示すが、都市・集落名と同一の場合は省いた。

ボルツァーノ 
メラーノ 
ブレッサノーネ 
ブルーニコ 

歴史[編集]

先史時代[編集]

水上コテージが住居として使用されていた。また、オーストリアとの国境地帯であるエッツ渓谷アイスマンが発見されている。

前近代[編集]

現在のボルツァーノ県域は、中世において神聖ローマ帝国のティロル伯領の一部であった。もともと、現在のイタリアとオーストリアにまたがる歴史的な「ティロル地方」は、ティローロ(ティロル)の伯爵が一帯を支配していたことに由来する。

伯位は、1363年ハプスブルク家ルドルフ4世の手に渡って以来、1918年までハプスブルク家の歴代当主に継承され、ティロル地方はドイツ語圏の一部として支配された。しかし、県域となる南ティロルはイタリア語圏との交錯地域であり、イタリア語を母語とする少数派住民もいた。

「未回収のイタリア」[編集]

1861年イタリア統一運動によってイタリア王国が建国される。しかし、建国当初のイタリア王国は、イタリア語を母語とする「イタリア人」が暮らす領域すべてを統治範囲とはできなかった。オーストリア・ハンガリー帝国領内には依然として多くの「イタリア人」の住む領域が残され、これらの地域はさらなる「イタリア統一」を進めようとする立場から「未回収のイタリア」と呼ばれた。イタリア王国はこれらの地域を王国に統合することを目標とする。1866年普墺戦争では賠償としてヴェネツィアを中心とするヴェネト州はオーストリアから割譲させることに成功した。

この「未回収地」には、南ティロル地方もその南に隣接するトレンティーノ地方と一体のものとして含まれていた。しかし、イタリアはフランスと敵対するようになると、ドイツやオーストリアとの友好関係を築かざるを得ず、1882年に両国と三国同盟を締結すると、未回収地問題は封印された。

第一次世界大戦においてイタリアは、当初は中立を宣言したが、1915年4月にロンドンにおいて協商国側との間でオーストリアからの「未回収地」の割譲を条件として参戦する旨の秘密協定(ロンドン条約)を締結し、5月24日に参戦した。1918年11月3日の休戦協定以降、イタリアは軍を南ティロルに駐留させ、1919年9月10日調印のサン=ジェルマン条約で正式にイタリア領となった。

イタリア王国による統治[編集]

1922年ムッソリーニ政権が誕生すると、ボルツァーノ県ではイタリア化政策が推進され、ドイツ語の使用は禁止され、人名、地名はすべてイタリア語に変えられ、教育もイタリア語で行われるようになった。さらに、イタリア南部からの移住も推奨され、徐々にイタリア語系住民の比率が高まった。1939年、ムッソリーニはアドルフ・ヒトラーから、ドイツ語系住民に、ドイツへの移住か、イタリアに留まりイタリア人との同化政策を受け容れるかの選択をさせることを提案され、同意した。住民は、故郷を捨てるか、母語を捨てるかという苦渋の選択を迫られた。

第二次世界大戦後期の1943年、イタリア王国(バドリオ政権)が連合国に降伏すると(イタリアの講和)、直ちにドイツ軍はイタリア北部を占領する。ボルツァーノ県域は、名目上イタリア社会共和国に属するとされたものの、ドイツ軍のアルペンフォーラント作戦地域 (de:Operationszone Alpenvorland(首府:ボルツァーノ/ボーツェン)が設置され、その占領統治下に置かれた。

第二次世界大戦後[編集]

1945年5月のドイツ降伏に先立ち、4月27日にドイツからの独立を宣言したオーストリアの臨時政府(連合軍軍政期 (オーストリア)参照)は、1938年独墺合邦の無効を宣言し、ティロル州もオーストリア領に復した。ボルツァーノ県の住民も南ティロル人民党を結成するなどオーストリアへの復帰を望んだが、国際情勢がそれを許さなかった。

1946年9月5日、パリにおいてイタリアのデ・ガスペリ首相兼外相とオーストリアのグルーパー外相との間で会談が行われ、同県のイタリア領有およびドイツ語系住民への自治権の付与について合意に達した。

1948年1月の法律で自治が保障されたが、パリでの合意に及ぶものではなく、ドイツ語系住民にとっては不十分な内容であった。また、中央政府が南イタリアからの移住を推進したことに対しても不満があった。このため、完全自治あるいはティロル再統一を要求する組織が作られ、1950年代半ば以降テロ活動が続き、1960年代には激しさを増した。1960年には国際連合でも議題にあげられ、国連総会決議1497号で平和的解決が求められた。

その後、1969年11月に政府はオーストリアとの合意に基づいて自治権の拡大、ドイツ語の地位引き上げ等の解決策を示し、それらの施策は徐々に実行に移された。

文化[編集]

言語・民族[編集]

3言語で3つの地名が書かれた道路標識(ヴァル・ガルデーナ)。上からラディン語、ドイツ語、イタリア語。左下のVal Badiaはイタリア語とラディン語が同形のため、Gadertal(ドイツ語)と2つの名称で表示されている
ボルツァーノ自治県の言語状況(2011年)。コムーネの多数派言語で色分けされ、その比率で濃淡が付けられている。

イタリアでは唯一、3つの公用語(イタリア語・ドイツ語・ラディン語)を併用する県である。

2006年の国立統計研究所(ISTAT)の統計によれば、6歳以上の住民の家庭内での会話における言語状況は以下の通り[4]。イタリア語(Italiano)、地方言語(Dialetto)、他の言語(Altra lingua)についてのデータで、左列が全国平均、右列がボルツァーノ自治県の数値である。

家庭内の会話における使用言語 全国
イタリア語のみ、あるいは主にイタリア語 45.5% 25.2%
地方言語のみ、あるいは主に地方言語 16.0% 1.5%
イタリア語と地方言語の双方 32.5% 4.1%
他の言語 5.1% 65.5%

上記のように、イタリア語話者は約25%と少数である。住民・言語構成の多数を占めるのはドイツ系住民ドイツ語話者で、後述の「言語集団調査」では約70%の住民がドイツ語話者との自己認識を有している。また、山間部にラディン人英語版ラディン語話者がおり、人口の約5%を占める。

ドイツ語
「ドイツ語話者」は県人口の約70%を占める。2011年の「言語集団調査」によれば、県の116コムーネのうち、103コムーネでドイツ語話者が過半数を占める[5]。住民のほぼすべてがドイツ語話者であるコムーネも多く、ドイツ語話者が人口の90%以上を占めるコムーネが77コムーネ、98%以上を占めるコムーネが26コムーネある[5]マルテッロではドイツ語話者100%(回答者全員が「ドイツ語話者」と申告した)となっている[5]
公文書や教育・メディアなどでは標準ドイツ語が用いられている。ただし、この地域で話されている「ドイツ語」は方言で、県内でも地方ごとに差異があり、東部はバイエルン人バイエルン語話者、西部はアレマン人アレマン語話者が多い。
イタリア語
イタリア語話者は県人口の約25%で、県都ボルツァーノをはじめとする南部に多い。2011年の「言語集団調査」によれば、イタリア語話者が過半数を占めるのは5コムーネで、ボルツァーノ (73.80%)、ライヴェス (71.50%)、ブロンツォーロ (62.01%)、サロルノ (61.85%) 、ヴァーデナ (61.50%) である[5]。これに次ぐのはメラーノ (49.06%) で、ドイツ語話者と拮抗している[5]
ラディン語
ラディン語レト・ロマンス語群の言語で、イタリア語とは同じロマンス諸語に含まれる。ラディン語話者はオルティゼーイをはじめとする県東南部のヴァル・ガルデーナ英語版イタリア語版およびヴァル・バディーア英語版イタリア語版に集住しており、8コムーネで過半数(いずれも80%以上)を占める[5]。2011年の「言語集団調査」によれば、ラディン語話者が最大の比率を占めるのはラ・ヴァッレ (97.66%) である[5]。8コムーネ以外では、オルティゼーイに隣接するカステルロットで15.37%を占める[5]
ラディン語話者はボルツァーノ自治県、トレント自治県ベッルーノ県にまたがる山間地域に集まっており、これらの地域は「ラディニア英語版」と呼ばれる。ラディン語話者は全体で約3万人とされており[6]ユネスコの「危機に瀕する言語」では「危険」(Definitely endangered)と評価されている[6]。ボルツァーノ県にはこのうち約2万人が暮らす[5]

言語集団調査[編集]

言語集団調査(2011年) [5]
ドイツ語
  
69.41%
イタリア語
  
26.06%
ラディン語
  
4.53%

2011年の国勢調査に際して、イタリア国立統計研究所Istituto nazionale di statistica, ISTAT)は、ボルツァーノ自治県統計研究所(Istituto provinciale di statistica, ASTAT)と協力し、住民が3つの「言語集団」(: gruppi linguistici / : Sprachgruppen)のいずれに属するかについての調査を行った[5]。これは、自治州憲章に定められた3言語(ドイツ語・イタリア語・ラディン語)の保障を実現するために状況を確認し、また公的資源・公的雇用を言語/民族比によって配分する際の参考にするためのもので、2011年10月9日時点で県内に居住するイタリア市民を対象に行われた[5]

調査に対する回答は匿名で行われ、回答用紙は密封された封筒で提出される[5]。いずれかの言語集団への「帰属表明」(Dichiarazioni di appartenenza / Sprachgruppenzugehörigkeitserklärungen)のほか、「帰属」するという自己認識をしていない住民はいずれかの言語集団への「集約表明」(Dichiarazioni di aggregazione / Sprachgruppenzuordnungserklärungen)を行うことができる[5]。「帰属」と「集約」は法的に差異がないものとされており、統計上は最終的に合算される[5]。14歳未満の子供は親権者がその「言語集団」を別種の封筒で回答するが、たとえば共同親権下にあって両親の「言語集団」が異なるというような場合には白紙で出すことも可能である[5]

調査では45万8641件の封筒が回収された[5]。国勢調査による県人口50万5067人よりも約5万人(人口の約10%)少ないが、国勢調査の対象になっている外国人が言語集団調査には含まれていないことや、調査時点で不在の住民がいること、また特定の言語集団に属すると表明することを望まない住民がいることによると考えられている[5]。白紙や無効回答、何も封入せずに提出された封筒(無回答)を除き、45万3272件が有意な回答とみなされた[5]。内訳は、いずれかの言語集団への「帰属」を表明した回答44万5647件、「集約」を表明した回答7625件である[5]。調査結果は、県単位では以下の実数と内訳が公表されており、コムーネ単位ではパーセンテージが公表される[5]

言語集団 「帰属」 「集約」 合計
回答数 比率 回答数 回答数 比率
ドイツ語 310,360 69.64% 4,244 (1.35%) 314,604 69.41%
イタリア語 115,161 25.84% 2,959 (2.51%) 118,120 26.06%
ラディン語 20,126 4.52% 422 (2.05%) 20,548 4.53%
合計 445,647 100.00% 7,625 (1.68%) 453,272 100.00%

※「帰属」と「集約」を合算した回答のうち、「集約」を表明した者の割合。

社会[編集]

政治[編集]

政治的には第二次世界大戦後、一貫して地域政党南ティロル人民党が県政を担っている。

行政区画[編集]

Comunità comprensoriale

Comunità comprensoriale[編集]

ボルツァーノ県には、県とコムーネの中間に Comunità comprensoriale という行政区画が置かれており、その数は8つである。以下は、地区のイタリア語名 / ドイツ語名、県内の位置、所属するコムーネの例と数を示している。

コムーネ[編集]

ボルツァーノ/南ティロル自治県 (地名表示はドイツ語)

トレント県には116のコムーネが属する。主要なコムーネ(人口5000人以上)は下表の通り。左端の数字はISTATコードを示す。人口は2011年1月1日現在[2]


コード 自治体名(イタリア語) 人口
021008 ボルツァーノ 104,029
021051 メラーノ 38,229
021011 ブレッサノーネ 20,689
021040 ライヴェス 17,197
021013 ブルーニコ 15,523
021004 アッピアーノ・スッラ・ストラーダ・デル・ヴィーノ 14,235
021041 ラーナ 11,230
021015 カルダーロ・スッラ・ストラーダ・デル・ヴィーノ 7,609
021072 レノン 7,600
021086 サレンティーノ 6,903
021019 カステルロット 6,464
021115 ヴィピテーノ 6,419
021093 シランドロ 5,998
021108 ヴァッレ・アウリーナ 5,884
021056 ナトゥルノ 5,554

人物[編集]

オルティゼーイ出身のカロリーナ・コストナーは、母語であるラディン語のほか、国・州の公用語であるイタリア語・ドイツ語、さらにフランス語・英語を話す。

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]