ボビー・レイホール
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| 基本情報 | ||||
| フルネーム | ロバート・ウッドワード・レイホール | |||
| 国籍 | ||||
| 出身地 | オハイオ州メディナ | |||
| 生年月日 | 1953年1月10日(60歳) | |||
| F1での経歴 | ||||
| 所属チーム | ウルフ | |||
| 活動時期 | 1978 | |||
| 出走回数 | 2 | |||
| 優勝回数 | 0 | |||
| 通算獲得ポイント | 0 | |||
| 表彰台(3位以内)回数 | 0 | |||
| ポールポジション | 0 | |||
| ファステストラップ | 0 | |||
| 初戦 | 1978年アメリカ東GP | |||
| 初勝利 | - | |||
| 最終勝利 | - | |||
| 最終戦 | 1978年カナダGP | |||
| タイトル | 0 | |||
ボビー・レイホール(Bobby Rahal, 1953年1月10日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州メディナ生まれの元レーシングドライバーで、現在レーシングチームのオーナー。2004年に国際モータースポーツ殿堂入りを果たした。
目次 |
[編集] プロフィール
[編集] ドライバー
ドライバーとしては、3度のCARTチャンピオンとなり、1981年のデイトナ24時間レース、1986年のインディ500、1987年のセブリング12時間レースなどのメジャーレースで勝利を挙げ、チャンプカーでは24レースで勝利を挙げた。レイホールは1998年に競技生活を引退した。チャンプカー史上において最年少レースデビュー、生涯獲得賞金第2位、ラップリーダー数第3位、勝利数第4位、ポールポジション数第5位の記録を持つ。
レイホールはアメリカ大陸でレース活動を開始したが、1978年にはウルフ・レーシングからF3に参戦した。同年の北米大陸で開催されたF1の2レースに、同じくウルフ・レーシングから参戦した。翌1979年にはアメリカに戻り、北米でのレース活動を再開した。
レイホールは1982年にCARTデビューを果たした。 このシーズンはシリーズ第4戦(インディ500を含めると5レース目)で初優勝を果たし、2勝を含め232ポイントを集め、277ポイントでチャンピオンになったリック・メアーズに次ぐランキング2位を獲得するとともに、ルーキ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
1986年にはインディ500で初優勝[1]、同年にCARTで初のチャンピオンを獲得すると、翌1987年もチャンピオンを防衛した。
1992年、レイホールはカール・ホーガンと共同でレイホール=ホーガン・レーシングを興した。レイホールはオーナー・ドライバーとしてシリーズに参戦すると、3度目のチャンピオンを獲得することに成功した。
[編集] チームオーナー
詳細は「レイホール・レターマン・レーシング」を参照
レイホールはレイホール=ホーガン・レーシングを運営していたが、カール・ホーガンが去るとチーム名はチーム・レイホールに変更され、2004年5月にデイヴィッド・レターマンの出資を受けると、レイホール・レターマン・レーシングに変更された。
レイホールのチームは、バディ・ライスのドライブにより2004年のインディ500を制した。また、2005年には女性ドライバーのダニカ・パトリックと契約した。パトリックはインディ500で女性として初のラップリーダーを記録した
レイホール・レターマン・レーシングは、2012年よりインディカー・シリーズにフル参戦している。
[編集] ジャガー・レーシング
2001年には、F1のジャガー・レーシングチーム代表に就任。しかし、なかなか思うような成績を収められないでいた為、かつてともにCARTで戦ったことのある、マクラーレンのテクニカル・ディレクター、エイドリアン・ニューウェイの引抜を画策。一度はサインを交わしたものの、マクラーレンの総帥、ロン・デニスの説得で結局ニューウェイは翻意してしまう。このことによりフォード首脳陣の信頼を失ったレイホールはあえなく失脚してしまった。
[編集] 脚注
- ^ レイホールはこのレースを2時間55分43秒480で完走、史上初めて2時間台で完走した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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