グラハム・レイホール

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グラハム・レイホール
Graham Rahal
インディアナポリス・モーター・スピードウェイで、2010年5月。
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1989年1月4日(25歳)
出身地 オハイオ州コロンバス
2014年IZOD IndyCar Series
デビュー 2007
所属 Rahal Letterman Lanigan Racing
車番 15
過去所属 Newman/Haas Racing
Dreyer & Reinbold Racing
Chip Ganassi Racing
Sarah Fisher Racing
Newman/Haas/Lanigan Racing
出走回数 82
優勝回数 1
ポールポジション 2
ファステストラップ 0
シリーズ最高順位 7th(2009)
過去参加シリーズ
2007
2006
2005
Champ Car World Series
Champ Car Atlantic
Star Mazda Championship
受賞
2011 24 Hours of Daytona winner

グラハム・レイホール(Graham Rahal, 1989年1月4日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州コロンバス生まれのレーシングドライバーである。父親は1986年インディ500の優勝者のボビー・レイホールである。

プロフィール[編集]

2005年チャンプカーの下部カテゴリーであるフォーミュラ・アトランティックシリーズで勝利を挙げた。また、同じく下部カテゴリーであるスター・マツダシリーズにも参戦し、シリーズランキング4位の成績を残した。

また、2005-2006年のA1グランプリのラスト3戦にレバノンチームから参戦した。レバノン代表として参加できたのは、彼がレバノン人の血筋だからであった。

2006年はフォーミュラ・アトランティックシリーズから改名されたチャンプカー・アトランティック・シリーズにフル参戦した。シリーズ12戦中5勝を挙げ、ランキング2位に入った。

2007年チャンプカーにステップアップ、ニューマン・ハース・レーシングのセカンドドライバーとして参戦した。チームメイトはチャンプカーで最も成功したドライバーであるセバスチャン・ボーデであった。第3戦のヒューストン市街地でのレースで2位に入り、初の表彰台に立った。これは、チャンプカー史上最年少での表彰台であった。シーズンを通して勝利を挙げることはできなかったが、4回表彰台に上がり(2位1回、3位3回)、ルーキートップのランキング5位に入った。

また、この年はデイトナ24時間レースセブリング12時間レースにも参戦した。セブリング12時間レースではGT2クラスで6位に入った。

2008年はチャンプカーとインディカー・シリーズが統合されたことに伴い、ニューマン・ハース・レーシングのドライバーとしてインディカー・シリーズに参戦することになった。しかし、開幕戦のホームステッドは、直前のテストでクラッシュしてマシンを大破させてしまい、修復が間に合わなかったために欠場した。

デビュー戦となった第2戦セント・ピーターズバーグでは予選で9番手を獲得すると、決勝ではチームの作戦が上手く決まり、デビュー戦で優勝を果たした。この優勝はマルコ・アンドレッティのもつアメリカのメジャー・オープンホイール・レースの最年少優勝記録を更新する19歳と93日での優勝であった。

この年、初めて参加したインディ500では予選では13位に入ったが、決勝では序盤でリタイアに終わり、シーズンを通した成績では、デビュー戦の優勝以外は2度の8位が最高で、シリーズランキングは17位で、これはルーキーの中では4番手の成績であった。

2009年も引き続きニューマン・ハース・レーシングからインディカー・シリーズに参戦している。

開幕戦のセント・ピーターズバーグでは最年少記録を更新する20歳と90日でポールポジションを獲得、前年の最年少優勝記録に続き、マルコ・アンドレッティのもつ記録を更新した。決勝ではオープニングラップの接触で遅れ、最下位から追い上げて7位フィニッシュとなった。また、第3戦カンザスではオーバルコースでの初ポールポジションを獲得した。

2回目の参戦となるインディ500では予選4位を獲得したが決勝はリタイアに終わった。

この年は優勝はなかったものの、オーバルコースのリッチモンドともてぎで3位でフィニッシュした。またトップ10フィニッシュを9回記録、シリーズランキングは前年の成績を大きく上回る7位であった。

2010年はチームを移籍し、サラ・フィッシャー・レーシングからインディカー・シリーズの第2戦のセントピーターズバーグと第3戦のバーバーに参戦することが発表された。その後、古巣のニューマン・ハース・レーシングから参戦する話も出ていたものの、第4戦のロングビーチもサラ・フィッシャー・レーシングから出走した。第6戦のインディ500では父親のチーム、レイホール・レターマン・レーシングから参戦し予選7位、決勝12位の成績を残した。第8戦のアイオワでは、インディ500で負傷したマイク・コンウェイに代わりドレイヤー&レインボールド・レーシングから参戦、ラップリーダーを記録し9位でフィニッシュした。第10戦のトロントからは去年所属したニューマン・ハース・レーシングに復帰することが発表され、トロント以降の8戦中6戦に同チームから参戦した。また、ニューマン・ハース・レーシングから参戦予定がなかった第15戦のケンタッキーにはサラ・フィッシャー・レーシングから参戦した。

この年は異なる4チームから全17戦中12戦に参戦し、トップ10フィニッシュを7回記録、最高位は第10戦トロントの5位だった。シリーズランキングは20位で、これは全レースに参戦していないドライバーの中ではトップの成績だった。

2011年チップ・ガナッシ・レーシングからインディカー・シリーズに参戦することが発表された。第4戦サンパウロでは予選5番手からスタートしたものの、スピンをして一旦は大きく順位を落とした。しかし、フルコースコーションを利用してジャンプアップし最終的には2位でゴールして自身2シーズンぶりの表彰台を獲得した。次の第5戦のインディ500では29番手スタートから3位表彰台を獲得した。この年は優勝こそなかったものの3度の表彰台を記録しランキング9位でシーズンを終えた。また、この年のデイトナ24時間レースでは優勝を果たしている。

レース戦績[編集]

インディカー・シリーズ[編集]

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント
2008 ニューマン・ハース・ラニガン・レーシング ダラーラ ホンダ HMS
Wth
STP
1
MOT1
KAN
12
INDY
33
MIL
25
TXS
11
IOW
10
RIR
18
WGL
8
NSH
12
MDO
16
EDM
26
KTY
25
SNM
8
DET
13
CHI
19
SRF2
9
17位 288
パノス・DP01 コスワース LBH1
13
2009 ダラーラ ホンダ STP
7
LBH
12
KAN
7
INDY
31
MIL
4
TXS
22
IOW
11
RIR
3
WGL
13
TOR
20
EDM
7
KTY
5
MDO
8
SNM
21
CHI
5
MOT
3
HMS
11
7位 385
2010 サラ・フィッシャー・レーシング SAO
STP
9
ALA
17
LBH
22
KAN
KTY
20
20位 235
レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング INDY
12
TXS
ドレイヤー&レインボールド・レーシング IOW
9
WGL
ニューマン・ハース・ラニガン・レーシング TOR
5
EDM
MDO
20
SNM
9
CHI
10
MOT
8
HMS
10
2011 チップ・ガナッシ・レーシング STP
17
ALA
18
LBH
13
SAO
2
INDY
3
TXS
9
TXS
30
MIL
2
IOW
15
TOR
13
EDM
25
MDO
24
NHM
26
SNM
8
BAL
10
MOT
12
KTY
12
LVS3
C
9位 320
2012 ダラーラ・DW12 STP
12
ALA
4
LBH
24
SAO
16
INDY
13
DET
19
TXS
2
MIL
9
IOW
9
TOR
23
EDM
4
MDO
11
SNM
5
BAL
11
FON
6
10位 333
2013 レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング STP
13
ALA
21
LBH
2
SAO
22
INDY
25
DET1
9
DET2
9
TXS
21
MIL
16
IOW
5
POC
18
TOR1
20
TOR2
13
MDO
18
SNM
11
BAL
17
HOU1
7
HOU2
18
FON
15
18位 319
2014 STP
14
LBH
13
ALA
17
IMS
21
INDY
33
DET1
2
DET2
21
TXS
12
HOU1
11
HOU2
16
POC
19
IOW
7
TOR1
6
TOR2
20
MDO
5
MIL
14
SNM
20
FON
18
19位 345

関連項目[編集]

外部リンク[編集]