グラハム・レイホール
グラハム・レイホール(Graham Rahal, 1989年1月4日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州コロンバス生まれのレーシングドライバーである。父親は1986年のインディ500の優勝者のボビー・レイホールである。
プロフィール [編集]
2005年にチャンプカーの下部カテゴリーであるフォーミュラ・アトランティックシリーズで勝利を挙げた。また、同じく下部カテゴリーであるスター・マツダシリーズにも参戦し、シリーズランキング4位の成績を残した。
また、2005-2006年のA1グランプリのラスト3戦にレバノンチームから参戦した。レバノン代表として参加できたのは、彼がレバノン人の血筋だからであった。
2006年はフォーミュラ・アトランティックシリーズから改名されたチャンプカー・アトランティック・シリーズにフル参戦した。シリーズ12戦中5勝を挙げ、ランキング2位に入った。
2007年はチャンプカーにステップアップ、ニューマン・ハース・レーシングのセカンドドライバーとして参戦した。チームメイトはチャンプカーで最も成功したドライバーであるセバスチャン・ボーデであった。第3戦のヒューストン市街地でのレースで2位に入り、初の表彰台に立った。これは、チャンプカー史上最年少での表彰台であった。シーズンを通して勝利を挙げることはできなかったが、4回表彰台に上がり(2位1回、3位3回)、ルーキートップのランキング5位に入った。
また、この年はデイトナ24時間レースとセブリング12時間レースにも参戦した。セブリング12時間レースではGT2クラスで6位に入った。
2008年はチャンプカーとインディカー・シリーズが統合されたことに伴い、ニューマン・ハース・レーシングのドライバーとしてインディカー・シリーズに参戦することになった。しかし、開幕戦のホームステッドは、直前のテストでクラッシュしてマシンを大破させてしまい、修復が間に合わなかったために欠場した。
デビュー戦となった第2戦セント・ピーターズバーグでは予選で9番手を獲得すると、決勝ではチームの作戦が上手く決まり、デビュー戦で優勝を果たした。この優勝はマルコ・アンドレッティのもつアメリカのメジャー・オープンホイール・レースの最年少優勝記録を更新する19歳と93日での優勝であった。
この年、初めて参加したインディ500では予選では13位に入ったが、決勝では序盤でリタイアに終わり、シーズンを通した成績では、デビュー戦の優勝以外は2度の8位が最高で、シリーズランキングは17位で、これはルーキーの中では4番手の成績であった。
2009年も引き続きニューマン・ハース・レーシングからインディカー・シリーズに参戦している。
開幕戦のセント・ピーターズバーグでは最年少記録を更新する20歳と90日でポールポジションを獲得、前年の最年少優勝記録に続き、マルコ・アンドレッティのもつ記録を更新した。決勝ではオープニングラップの接触で遅れ、最下位から追い上げて7位フィニッシュとなった。また、第3戦カンザスではオーバルコースでの初ポールポジションを獲得した。
2回目の参戦となるインディ500では予選4位を獲得したが決勝はリタイアに終わった。
この年は優勝はなかったものの、オーバルコースのリッチモンドともてぎで3位でフィニッシュした。またトップ10フィニッシュを9回記録、シリーズランキングは前年の成績を大きく上回る7位であった。
2010年はチームを移籍し、サラ・フィッシャー・レーシングからインディカー・シリーズの第2戦のセントピーターズバーグと第3戦のバーバーに参戦することが発表された。その後、古巣のニューマン・ハース・レーシングから参戦する話も出ていたものの、第4戦のロングビーチもサラ・フィッシャー・レーシングから出走した。第6戦のインディ500では父親のチーム、レイホール・レターマン・レーシングから参戦し予選7位、決勝12位の成績を残した。第8戦のアイオワでは、インディ500で負傷したマイク・コンウェイに代わりドレイヤー&レインボールド・レーシングから参戦、ラップリーダーを記録し9位でフィニッシュした。第10戦のトロントからは去年所属したニューマン・ハース・レーシングに復帰することが発表され、トロント以降の8戦中6戦に同チームから参戦した。また、ニューマン・ハース・レーシングから参戦予定がなかった第15戦のケンタッキーにはサラ・フィッシャー・レーシングから参戦した。
この年は異なる4チームから全17戦中12戦に参戦し、トップ10フィニッシュを7回記録、最高位は第10戦トロントの5位だった。シリーズランキングは20位で、これは全レースに参戦していないドライバーの中ではトップの成績だった。
2011年はチップ・ガナッシ・レーシングからインディカー・シリーズに参戦することが発表された。第4戦サンパウロでは予選5番手からスタートしたものの、スピンをして一旦は大きく順位を落とした。しかし、フルコースコーションを利用してジャンプアップし最終的には2位でゴールして自身2シーズンぶりの表彰台を獲得した。次の第5戦のインディ500では29番手スタートから3位表彰台を獲得した。この年は優勝こそなかったものの3度の表彰台を記録しランキング9位でシーズンを終えた。また、この年のデイトナ24時間レースでは優勝を果たしている。