アレックス・ロイド

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アレックス・スチュワート・ロイド
Alex Stewart Lloyd
インディアナポリス・モーター・スピードウェイで、2010年5月
基本情報
国籍 イギリスの旗 イギリス
生年月日 (1984-12-28) 1984年12月28日(39歳)
出身地 イングランド, マンチェスター
IZOD インディカー・シリーズでの経歴
デビュー 2008
所属 -
車番 0
過去所属 ニューマン・ハース・ラニガン・レーシング
サム・シュミット・モータースポーツ
レイホール・レターマン・レーシング
デイル・コイン・レーシング
出走回数 20
優勝回数 0
ポールポジション 0
シリーズ最高順位 4位 (2010)
過去参加シリーズ
2006-2007
2004
2002-2003
インディ・プロ・シリーズ
ユーロ・フォーミュラ3000
イギリス・フォーミュラルノー選手権
選手権タイトル
2007 インディ・プロ・シリーズ
受賞
2010
2003
インディカー・ルーキー・オブ・ザ・イヤー
マクラーレン・オートスポーツ・アウォード

アレックス・スチュワート・ロイドAlex Stewart Lloyd, 1984年12月28日 - )は、イギリスレーシングドライバー現在は[いつ?]インディカー・シリーズにパートタイム参戦する。彼は2008年のF1ワールドチャンピオン、ルイス・ハミルトンと親友であり、その付き合いはカート時代からのものである。

経歴[編集]

初期[編集]

ロイドは9歳でカートを始め、イギリス・スーパーワン選手権に参戦、ヨーロッパ選手権にも参戦した。1999年、14歳でチャンピオンを獲得し、翌2000年にはフォーミュラ・フォードのテストを行った。

2001年、フォーミュラ・フォードにステップアップしヨーロッパ選手権に参戦、スパ・フランコルシャンでは2位に入った。また、フォーミュラ・フォード・フェスティヴァルでは13位に入賞した。冬の間彼はフォーミュラ・ルノーUKウィンターシリーズを戦い、3位でシリーズを終えた。彼はフォーミュラ・ルノーを2002年に卒業。その年のランキングは9位であった。

2003年はその能力を広く認められ、マクラーレン・オートスポーツ・アウォードを獲得した。この年はフォーミュラ・ルノーUK選手権に参戦し、ルイス・ハミルトンに次ぐランキング2位を獲得した。ジェームズ・ロシターマイク・コンウェイを打ち負かし、2勝を挙げている。

世界で[編集]

ロイドは2004年に初めてマクラーレンのF1テストを行った。このテストは前年に受賞したマクラーレン・オートスポーツ・アウォードの一部であった。彼はアラン・ドッキング・レーシングと、チームメイトのウィル・パワーと共にいくつかのテストを行ったものの、資金不足のためイギリス・フォーミュラ3に計画通りフル参戦することができなかった。代わりに彼はユーロ・フォーミュラ3000の終盤7戦に参戦、1勝と3つのポールポジションを獲得し、シリーズを制した。

しかしながら、それでも資金不足はロイドの主な問題であり、2005年は限られた活動しかできず、車両開発のために要請されたイタリア・フォーミュラ3000での2戦とフォーミュラ・ルノー3.5シリーズのモナコでのイベントのみにしか参加できなかった。冬に行われた2005年から2006年のA1グランプリに参戦するため彼はA1チーム・イギリスと契約した。しかしながらレースに参加することはできなかった。チームはシリーズ側のオファーがあったとして、ベテランドライバーのロビー・カーを出走させることを決めた。

2006年に彼はAFSレーシングと年度途中で契約し、インディ・プロ・シリーズに参戦した。資金不足に対する最後の試みとして、彼の両親はマン島の自宅を売ってその資金を提供した。ロイドは最初のレース、セントピーターズバーグで予選2位となり、参加2戦目では3位に入賞した。7月にはインディアナポリス・モーター・スピードウェイで優勝を果たした。これはAFSレーシングにとって初の勝利であり、この勝利で彼はオーナーのゲーリー・ピーターソンとの友情を堅いものとした。シーズン後半に彼はインフィニオン・レースウェイで2勝目を挙げ、シリーズを7位で終えた。

2007年、ロイドはサム・シュミット・モータースポーツと契約し、序盤の5戦で連勝した。彼はチャンピオンシップをインフィニオン・レースウェイでの8勝目で、2戦を残して確定した。このシーズン彼は5連勝、8度の優勝、最多ポイントの652を記録した。彼は現在もインディアナポリス・モーター・スピードウェイのロードコースと2.5マイルのオーバルコース両方で優勝を果たした唯一の人物である。彼はまた、全てのレースをフロントローから出走するという記録も達成した。

2008年のインディ500、プラクティス

2007年の圧倒的な成績と、10月17日に行われたインディカーのテストの結果で、ロイドはチップ・ガナッシ・レーシングのドライバー養成計画に採用され契約した。2008年、財政問題のためチームは彼をフル参戦させられず、インディ500ロレックス・スポーツカー・シリーズの数戦、限られたインディカーのテスト走行に参加させた。

2008年4月10日、チップ・ガナッシ・レーシングレイホール・レターマン・レーシングはロイドを5月28日に開催される2008年のインディ500に協力してエントリーさせると発表した。ロイドはルーキーテストで最速であったが、223 mph (359 km/h)でクラッシュし病院に入った後、予選は19位で通過した。決勝の終盤、彼は大きくクラッシュしピットロードを滑り落ち、他チームのピットを交差した。

2009年のインディ500で

依然としてフル参戦するだけの資金は無く、ロイドは2009年、ガナッシと協力したサム・シュミット・モータースポーツからインディ500に参戦した。彼はHERエナジー・ドリンクのスポンサーを受け、車両のカラーリングに合わせたホットピンクのスーツをその月いっぱい着ていた。これにより、彼はロックバンド、ピンク・フロイドをもじった「ピンク・ロイド」のニックネームを得ることとなった。これに加え、妻のサマンサがレース・デイの5月24日に2番目の娘を出産予定であったことが、イギリスのメディアの注目を集めることとなった。ポール・デイの残り5分、ロイドは11位で予選を通過した。レースではブレーキランプが壊れ、ピットインしたために13位となった。6月2日に娘のベサニーが誕生した。同じ週にインディ・ライツを共に戦ったエド・カーペンターにも子どもが生まれている。

2010年、ロイドはデイル・コイン・レーシングと契約、アメリカボーイスカウト連盟のスポンサーを受け19番車をドライブした。インディ500では4位に入賞、これは彼のインディカーにおける最高位であり、デイル・コイン・レーシングにとってインディ500における最高の結果であった。彼はまたテキサスでのパフォーマンスでファイアストン・タイヤ-ific Move を獲得し、その年のルーキーでは最上位となり、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。

資金不足は続き、2011年もフル参戦はできなかった。しかしながら、インディ500にはデイル・コインから参加し、その後もセバスチャン・ボーデが走らないオーバルコースでのレースに参戦した。

記録[編集]

フォーミュラ・ルノー 3.5[編集]

(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 DC ポイント
2005 DAMS ZOL
1
ZOL
2
MON
1

19
VAL
1
VAL
2
LMS
1
LMS
2
BIL
1
BIL
2
OSC
1
OSC
2
DON
1
DON
2
EST
1
EST
2
MON
1
MON
2
40位 0

アメリカン・オープンホイール[編集]

(key) (太字はポールポジション)

インディ・ライツ[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント
2006 AFS Racing アメリカ合衆国の旗
HMS
アメリカ合衆国の旗
STP1
10
アメリカ合衆国の旗
STP2
3
アメリカ合衆国の旗
INDY
5
アメリカ合衆国の旗
WGL
17
アメリカ合衆国の旗
IMS
1
アメリカ合衆国の旗
NSH
DNS
アメリカ合衆国の旗
MIL
アメリカ合衆国の旗
KTY
16
アメリカ合衆国の旗
SNM1
2
アメリカ合衆国の旗
SNM2
1
アメリカ合衆国の旗
CHI
4
7位 294
2007 サム・シュミット・モータースポーツ アメリカ合衆国の旗
HMS
1
アメリカ合衆国の旗
STP1
1
アメリカ合衆国の旗
STP2
1
アメリカ合衆国の旗
INDY
1
アメリカ合衆国の旗
MIL
1
アメリカ合衆国の旗
IMS1
2
アメリカ合衆国の旗
IMS2
2
アメリカ合衆国の旗
IOW
1
アメリカ合衆国の旗
WGL1
3
アメリカ合衆国の旗
WGL2
1
アメリカ合衆国の旗
NSH
11
アメリカ合衆国の旗
MDO
22
アメリカ合衆国の旗
KTY
2
アメリカ合衆国の旗
SNM1
1
アメリカ合衆国の旗
SNM2
DNS
アメリカ合衆国の旗
CHI
2
1位 652

インディカー[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント
2008 レイホール・レターマン・レーシング
チップ・ガナッシ・レーシング
HMS STP MOT1 LBH1 KAN INDY
25
MIL TXS IOW RIR WGL NSH MDO EDM KTY SNM DET CHI SRF2 38位 10
2009 サム・シュミット・モータースポーツ
チップ・ガナッシ・レーシング
STP LBH KAN INDY
13
MIL TXS IOW RIR WGL TOR EDM KTY MDO SNM CHI MOT 30位 41
ニューマン・ハース・ラニガン・レーシング HMS
8
2010 デイル・コイン・レーシング SAO
18
STP
23
ALA
23
LBH
19
KAN
19
INDY
4
TXS
8
IOW
13
WGL
25
TOR
23
EDM
18
MDO
13
SNM
10
CHI
21
KTY
13
MOT
21
HMS
12
16位 266
2011 デイル・コイン・レーシング STP ALA LBH SAO INDY
19
TXS1
14
TXS2
24
MIL
22
IOW
13
TOR EDM MDO NHM
13
SNM BAL MOT KTY
26
LVS
C
27位 85
1 同日に開催された
2 ノンタイトル戦
チーム 出走数 ポールポジション 勝利数 表彰台
(勝利以外)**
トップ10
(表彰台以外)***
インディ500勝利数 チャンピオン獲得数
4 4 27 0 0 0 4 0 0

インディ500[編集]

シャシー エンジン スタート フィニッシュ チーム
2008 ダラーラ ホンダ 19 25 レイホール リタイヤ(接触)
2009 ダラーラ ホンダ 11 13 シュミット 完走
2010 ダラーラ ホンダ 26 4 コイン 完走
2011 ダラーラ ホンダ 30 19 コイン 198周

外部リンク[編集]

タイトル
先代
ジェイ・ハワード
インディ・プロ・シリーズ
チャンピオン

2007
次代
ラファエル・マトス
先代
ラファエル・マトス
インディカー・シリーズ
ルーキー・オブ・ザ・イヤー

2010
次代
ジェームズ・ヒンチクリフ
受賞
先代
ジェイミー・グリーン
マクラーレン・オートスポーツ BRDC アウォード
2003
次代
ポール・ディ・レスタ