ロマン・グロージャン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ロマン・グロージャン
Romain Grosjean Bahrain.jpg
基本情報
フルネーム Romain Grosjean
略称表記 GRO
国籍 フランスの旗 フランス
スイスの旗 スイス
出身地 スイスジュネーヴ
生年月日 1986年4月17日(28歳)
F1での経歴
車番 8
所属チーム ロータス '12-
活動時期 2009, 2012-
過去の所属チーム '09 ルノー
出走回数 59
優勝回数 0
通算獲得ポイント 236
表彰台(3位以内)回数 9
ポールポジション 0
ファステストラップ 1
初戦 2009年ヨーロッパGP
2014年順位 14位 (8ポイント)
タイトル 0
(記録は2014年第14戦シンガポールGP終了時)
テンプレートを表示

ロマン・グロージャンRomain Grosjean1986年4月17日 - )は、スイスジュネーヴ生まれのレーシングドライバーフランスとスイスの二重国籍[1][2]を所有しているがモータースポーツにおいてはフランス国籍であることを明言している[3]。日本のマスメディアにおいては、ロメイン・グロージャンと表記する場合もある(英語の発音ではフランス人のアラン・プロスト (Alain) のようにロマンやロメンに近い)。

経歴[編集]

フォーミュラ・ルノー[編集]

2003年はスイス・フォーミュラ・ルノー1.6選手権に出場し全10戦に勝利し、全戦でファステストラップを獲得してチャンピオンとなり[2]、翌2004年にはフランス・フォーミュラ・ルノーユーロカップ・フォーミュラ・ルノーに移った[2]

2005年もフランス・フォーミュラ・ルノーとユーロカップ・フォーミュラ・ルノーに出場し、フランス・フォーミュラ・ルノーにおいてチャンピオンを獲得し[2]、ルノーの育成プログラムとなるルノー・ドライバー・デベロップメントに加わることとなった[4]

F3[編集]

2005年にSignature-Plusチームでロイック・デュバルの代役としてマカオGPF3デビューを果たし9位だった[2]。 2006年はユーロF3に参戦したが、ランキング13位に終わった。イギリスF3にも出場し、フランスのポーで行われたレースでは2レースともポールポジションでスタートし両レースに優勝し、ファステストラップを獲得した[2]マスターズF3は5位。マカオGPは5位。

2007年はASM Formule 3に移籍しユーロF3に引き続き参戦しシリーズチャンピオンになった[2]。この年のマスターズF3においてポールポジションを獲得したが14位に終わった[5]。マカオグランプリは8位。

GP2[編集]

F1デビュー以前のGP2[編集]

2008年はこの年から始まったGP2アジアシリーズARTグランプリから出場しGP2アジアシリーズの初代チャンピオンになった。引き続きARTグランプリからGP2メインシリーズに出場[6]し4位だった。

2009年はGP2メインシリーズに元カンポス・グランプリだったバルワ・アダックスで参戦していた[7]がシーズン途中でルノーF1に移った。

F1デビュー後のGP2[編集]

ルノーF1のシートを失った翌年の2010年、第6戦ホッケンハイムにDAMSからジェローム・ダンブロシオに代わって出走した。また、第7戦ブタペストで負傷したホーピン・タンに代わり、第8戦スパ・フランコルシャンから再びDAMSで出走している。

2011年のGP2アジアシリーズではDAMSから参戦。バーレーンでのレースが中止になるなどでわずか2戦のシリーズになったが、2戦ともポールポジションを獲得し1勝するなどの活躍を見せ2度目のチャンピオンになった。引き続きGP2メインシリーズにもDAMSから参戦、第8戦スパ・フランコルシャンの第1レースで最終戦を待たずにシリーズチャンピオンを獲得した。

F1における経歴[編集]

2009年[編集]

2008年にネルソン・ピケJr.がレースドライバーとなった為にグロージャンがルノーF1のテストドライバーとして起用され[8]、6月7日と8日にシルバーストーンで行われたワールド・シリーズ・バイ・ルノーにおいて前年度のマシンとなるルノー・R27でデモンストレーションを行った。2009年もルノーF1のテストドライバーを務め、シーズン途中でネルソン・ピケJr.と代わりレースドライバーとなるのではないかとの噂も立っていた中、8月18日にネルソン・ピケJr.に代わってヨーロッパGPからの出走が発表された[9]

デビュー戦のヨーロッパGPでは、予選14位と目標にしていたQ2進出を達成した。レースでは1周目で他車と接触し15位に沈んだが、ベストラップでは9位・1'39.428とチームメイトのフェルナンド・アロンソ(10位・1'39.494)よりも上回った。 そのまま最終戦アブダビまで参戦したが、ルノーF1は2010年のドライバーにロバート・クビサヴィタリー・ペトロフを起用したため、F1のシートを失うこととなった。

2010年 - 2011年[編集]

2010年はどのF1チームにも所属しなかったが、翌シーズンのF1に供給されるピレリタイヤのテストドライバーに、ニック・ハイドフェルドの後任として就任した[10]

2011年はロータス・ルノーGPのテストドライバーに就任し、最終2戦のアブダビGPとブラジルGPでは金曜フリー走行1回目に出走した。

2012年[編集]

前年度のGP2においてチャンピオンを獲得した功績から、前年にテストドライバーを務めていたロータス・ルノーGPからレギュラードライバーとして再びF1に返り咲いた事が発表された[11]。チームメイトは2007年F1ワールドチャンピオンである、キミ・ライコネン。 初戦のオーストラリアGPではレッドブルメルセデスを抑え予選で3番手グリッドを獲得したもののリタイヤ。続くマレーシアGPでも早々にリタイアを喫し、2グランプリの決勝で僅か5周しか走行できなかった。だが第3戦中国GPでは6位でF1初入賞を果たして流れを掴み、第4戦バーレーンGPではチームメイトのライコネンと共に力走し、3位表彰台を獲得した。さらに第5戦スペインGPでは優勝争いにこそ絡めなかったものの、安定した好走を見せ4位に入り、自身初のファステストラップを記録した。しかしその後のレースもスタート時にクラッシュを引き起こすなど問題行動を重ね、ついには第12戦ベルギーGPではスタート直後に起きた多重クラッシュの原因を作ったとして、1レースの出場停止と5万ユーロの罰金が科せられた[12]2012年日本グランプリでも1周目にウェバーへ追突しペナルティを受けた[13]

2013年[編集]

前年に引き続きライコネンとのタッグでロータスF1チームから参戦した。前年に数多くの批判を受けた他者との接触は明らかに減ったものの、新仕様のピレリタイヤを使いこなすことに苦労しライコネンに比べて成績は見劣りした。しかしピレリタイヤの仕様が前年のものに戻った後半戦は競争力を発揮し、予選・決勝で度々ライコネンを上回った。
前年1周目に接触事故を起こした2013年日本グランプリでは、抜群のスタートでフロントローのレッドブル2台をかわしトップへ。2回目のピットストップ後にベッテルに先行されるまで、安定した走りでリーダーの座を守り続けた。
シーズン後半に手のつけようの無い競争力を発揮したレッドブルに対する1番のチャレンジャーと呼ばれ、自身の評価を高めるシーズンとなった。来シーズンも同チームから参戦することが発表されている。

その他の経歴[編集]

GT1
2010年はマテック・コンペティションのフォード・GTを駆って、FIA GT1世界選手権に参戦することになり、4月17日の開幕戦アブダビで、バースデイウインとなる初優勝を飾った(パートナーはトーマス・ムテシュ)。第3戦チェコでもトーマス・ムテシュとのコンビで優勝した。
Auto GP
2010年の第3戦スパ・フランコルシャンよりDAMSからAuto GPに参戦。デビュー戦では予選でポールポジションを獲得すると、第1レースで優勝。続く第4戦マニクールでもポールポジションからスタートし第1レースを優勝、2戦連続でポール・トゥ・ウィンを決めた。第5戦ナバラの第2レースでも優勝し、最終戦となった第6戦モンツァの第1レースでは今季3度目となるポール・トゥ・ウィンで優勝した。この結果、グロージャンはシリーズ6戦中4戦の出場ながらシリーズチャンピオンに輝いた。

評価[編集]

F1参戦以降、2009年ヨーロッパGPルカ・バドエルイタリアGPでフロントウィング損傷、ベルギーGPジェンソン・バトン2012年オーストラリアGPで2周目にパストール・マルドナドマレーシアGPミハエル・シューマッハスペインGPセルジオ・ペレスモナコGPでは再びシューマッハ、イギリスGPポール・ディ・レスタドイツGPではコースアウトし自滅、上記のベルギーGP・日本GPも合わせればキャリア20戦中11戦でスタート1周目に接触・自滅事故を引き起こしている[12][13][14]。他のドライバーやチーム関係者からは「問題児」「オープニングラップの狂人」「サーキットの通り魔」と称された[12][13]

2013年もモナコGPでダニエル・リチャルドに追突する事故を起こしたが、その後は問題を起こすこともなく、落ち着いたレース運びをみせて結果を残した。グロージャンのことを「オープニングラップの狂人」と呼んだウェバーも「今年彼はすごくいい仕事をしている」と評価した[15]。担当エンジニアの小松礼雄も「今年のグロージャンは大きく成長した」「今の彼は本当にミスをしない」と語った[16]

F1での年度別成績[編集]

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 WDC ポイント
2009年 ルノー R29 AUS MAL CHN BHR ESP MON TUR GBR GER HUN EUR
15
BEL
Ret
ITA
15
SIN
Ret
JPN
16
BRA
13
ABU
18
23位 0
2011年 ロータス・ルノー R31 AUS MAL CHN TUR ESP MON CAN EUR GBR GER HUN
BEL
ITA
SIN
JPN
KOR
IND
ABU
TD
BRA
TD
- -
2012年 ロータス E20 AUS
Ret
MAL
Ret
CHN
6
BHR
3
ESP
4
MON
Ret
CAN
2
EUR
Ret
GBR
6
GER
18
HUN
3
BEL
Ret
ITA
EX
SIN
7
JPN
19
KOR
7
IND
9
ABU
Ret
USA
7
BRA
Ret
8位 96
2013年 E21 AUS
10
MAL
6
CHN
9
BHR
3
ESP
Ret
MON
Ret
CAN
13
GBR
19†
GER
3
HUN
6
BEL
8
ITA
8
SIN
Ret
KOR
3
JPN
3
IND
3
ABU
4
USA
2
BRA
Ret
7位 132
2014年 E22 AUS
Ret
MAL
11
BHR
12
CHN
Ret
ESP
8
MON
8
CAN
Ret
AUT
14
GBR
12
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
Ret
ITA
16
SIN
13
JPN
-
RUS
-
USA
-
BRA
-
ABU
-
14位 8

脚注[編集]

[ヘルプ]

外部リンク[編集]