ロマン・グロージャン

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ロマン・グロージャン
Romain Grosjean Bahrain.jpg
基本情報
フルネーム Romain Grosjean
略称表記 GRO
国籍 フランスの旗 フランス
スイスの旗 スイス
出身地 スイスジュネーヴ
生年月日 1986年4月17日(27歳)
F1での経歴
車番 8
所属チーム ロータス '12-
活動時期 2009, 2012 -
過去の所属チーム '09 ルノー
出走回数 31
優勝回数 0
通算獲得ポイント 122
表彰台(3位以内)回数 4
ポールポジション 0
ファステストラップ 1
F1デビュー戦 2009年ヨーロッパGP
2013年順位 7位 (26ポイント)
タイトル 0
(記録は2013年第5戦スペインGP終了時)
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ロマン・グロージャンRomain Grosjean1986年4月17日 - )は、スイスジュネーヴ生まれのレーシングドライバーフランスとスイスの二重国籍[1][2]を所有しているがモータースポーツにおいてはフランス国籍であることを明言している[3]。日本のマスメディアにおいては、ロメイン・グロージャンと表記する場合もある(英語の発音ではフランス人のアラン・プロスト(Alain)のようにロマンやロメンに近い)。

2012年シーズンに複数のレースでオープニングラップの多重クラッシュの引き金となった事から、他のドライバーやチーム関係者から「問題児」「オープニングラップの狂人」「サーキットの通り魔」と称されている[4][5]

目次

経歴 [編集]

フォーミュラ・ルノー [編集]

2003年はスイス・フォーミュラ・ルノー1.6選手権に出場し全10戦に勝利し、全戦でファステストラップを獲得してチャンピオンとなり[2]、翌2004年にはフランス・フォーミュラ・ルノーユーロカップ・フォーミュラ・ルノーに移った[2]

2005年もフランス・フォーミュラ・ルノーとユーロカップ・フォーミュラ・ルノーに出場し、フランス・フォーミュラ・ルノーにおいてチャンピオンを獲得し[2]、ルノーの育成プログラムとなるルノー・ドライバー・デベロップメントに加わることとなった[6]

F3 [編集]

2005年にSignature-Plusチームでロイック・デュバルの代役としてマカオGPF3デビューを果たし9位だった[2]。 2006年はユーロF3に参戦したが、ランキング13位に終わった。イギリスF3にも出場し、フランスのポーで行われたレースでは2レースともポールポジションでスタートし両レースに優勝し、ファステストラップを獲得した[2]マスターズF3は5位。マカオGPは5位。

2007年はASM Formule 3に移籍しユーロF3に引き続き参戦しシリーズチャンピオンになった[2]。この年のマスターズF3においてポールポジションを獲得したが14位に終わった[7]。マカオグランプリは8位。

GP2 [編集]

F1デビュー以前のGP2 [編集]

2008年はこの年から始まったGP2アジアシリーズARTグランプリから出場しGP2アジアシリーズの初代チャンピオンになった。引き続きARTグランプリからGP2メインシリーズに出場[8]し4位だった。

2009年はGP2メインシリーズに元カンポス・グランプリだったバルワ・アダックスで参戦していた[9]がシーズン途中でルノーF1に移った。

F1デビュー後のGP2 [編集]

ルノーF1のシートを失った翌年の2010年、第6戦ホッケンハイムにDAMSからジェローム・ダンブロシオに代わって出走した。また、第7戦ブタペストで負傷したホーピン・タンに代わり、第8戦スパ・フランコルシャンから再びDAMSで出走している。

2011年のGP2アジアシリーズではDAMSから参戦。バーレーンでのレースが中止になるなどでわずか2戦のシリーズになったが、2戦ともポールポジションを獲得し1勝するなどの活躍を見せ2度目のチャンピオンになった。引き続きGP2メインシリーズにもDAMSから参戦、第8戦スパ・フランコルシャンの第1レースで最終戦を待たずにシリーズチャンピオンを獲得した。

F1における経歴 [編集]

2009年 [編集]

2008年にネルソン・ピケJr.がレースドライバーとなった為にグロージャンがルノーF1のテストドライバーとして起用され[10]、6月7日と8日にシルバーストーンで行われたワールド・シリーズ・バイ・ルノーにおいて前年度のマシンとなるルノー・R27でデモンストレーションを行った。2009年もルノーF1のテストドライバーを務め、シーズン途中でネルソン・ピケJr.と代わりレースドライバーとなるのではないかとの噂も立っていた中、8月18日にネルソン・ピケJr.に代わってヨーロッパGPからの出走が発表された[11]

デビュー戦のヨーロッパGPでは、予選14位と目標にしていたQ2進出を達成した。レースでは1周目で他車と接触し15位に沈んだが、ベストラップでは9位・1'39.428とチームメイトのフェルナンド・アロンソ(10位・1'39.494)よりも上回った。 そのまま最終戦アブダビまで参戦したが、ルノーF1は2010年のドライバーにロバート・クビサヴィタリー・ペトロフを起用したため、F1のシートを失うこととなった。

2010年 - 2011年 [編集]

2010年はどのF1チームにも所属しなかったが、翌シーズンのF1に供給されるピレリタイヤのテストドライバーに、ニック・ハイドフェルドの後任として就任した[12]

2011年はロータス・ルノーGPのテストドライバーに就任し、最終2戦のアブダビGPとブラジルGPでは金曜フリー走行1回目に出走した。

2012年 [編集]

前年度のGP2においてチャンピオンを獲得した功績から、前年にテストドライバーを務めていたロータス・ルノーGPからレギュラードライバーとして再びF1に返り咲いた事が発表された[13]。チームメイトは2007年F1ワールドチャンピオンである、キミ・ライコネン。 初戦のオーストラリアGPではレッドブルメルセデスを抑え予選で3番手グリッドを獲得したもののリタイヤ。続くマレーシアGPでも早々にリタイアを喫し、2グランプリの決勝で僅か5周しか走行できなかった。だが第3戦中国GPでは6位でF1初入賞を果たして流れを掴み、第4戦バーレーンGPではチームメイトのライコネンと共に力走し、3位表彰台を獲得した。さらに第5戦スペインGPでは優勝争いにこそ絡めなかったものの、安定した好走を見せ4位に入り、自身初のファステストラップを記録した。しかしその後のレースもスタート時にクラッシュを引き起こすなど問題行動を重ね、ついには第12戦ベルギーGPではスタート直後に起きた多重クラッシュの原因を作ったとして、1レースの出場停止と5万ユーロの罰金が科せられた[4]2012年日本グランプリでも1周目にウェバーへ追突しペナルティを受けた[5]

F1参戦以降、2009年ヨーロッパGPルカ・バドエルイタリアGPでフロントウィング損傷、ベルギーGPジェンソン・バトン2012年オーストラリアGPで2周目にパストール・マルドナドマレーシアGPミハエル・シューマッハスペインGPセルジオ・ペレスモナコGPでは再びシューマッハ、イギリスGPポール・ディ・レスタドイツGPではコースアウトし自滅、上記のベルギーGP・日本GPも合わせればキャリア20戦中11戦でスタート1周目に接触・自滅事故を引き起こしている[4][5][14]

その他の経歴 [編集]

GT1

2010年はマテック・コンペティションのフォード・GTを駆って、FIA GT1世界選手権に参戦することになり、4月17日の開幕戦アブダビで、バースデイウインとなる初優勝を飾った(パートナーはトーマス・ムテシュ)。第3戦チェコでもトーマス・ムテシュとのコンビで優勝した。

Auto GP

2010年の第3戦スパ・フランコルシャンよりDAMSからAuto GPに参戦。デビュー戦では予選でポールポジションを獲得すると、第1レースで優勝。続く第4戦マニクールでもポールポジションからスタートし第1レースを優勝、2戦連続でポール・トゥ・ウィンを決めた。第5戦ナバラの第2レースでも優勝し、最終戦となった第6戦モンツァの第1レースでは今季3度目となるポール・トゥ・ウィンで優勝した。この結果、グロージャンはシリーズ6戦中4戦の出場ながらシリーズチャンピオンに輝いた。

F1での年度別成績 [編集]

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 WDC ポイント
2009年 ルノー R29 AUS MAL CHN BHR ESP MON TUR GBR GER HUN EUR
15
BEL
Ret
ITA
15
SIN
Ret
JPN
16
BRA
13
ABU
18
23位 0
2011年 ロータス・ルノー R31 AUS MAL CHN TUR ESP MON CAN EUR GBR GER HUN
BEL
ITA
SIN
JPN
KOR
IND
ABU
TD
BRA
TD
- -
2012年 ロータス E20 AUS
Ret
MAL
Ret
CHN
6
BHR
3
ESP
4
MON
Ret
CAN
2
EUR
Ret
GBR
6
GER
18
HUN
3
BEL
Ret
ITA
EX
SIN
7
JPN
19
KOR
7
IND
9
ABU
Ret
USA
7
BRA
Ret
8位 96
2013年 E21 AUS
10
MAL
6
CHN
9
BHR
3
ESP
Ret
MON
CAN
GBR
GER
HUN
BEL
ITA
SIN
KOR
JPN
IND
ABU
USA
BRA
7位 26

脚注 [編集]

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外部リンク [編集]