ジュール・ビアンキ

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ジュール・ビアンキ
Jules Bianchi 2012-1.JPG
基本情報
フルネーム Jules Lucien André Bianchi
略称表記 BIA
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 同・ニース
生年月日 1989年8月3日(25歳)
F1での経歴
車番 17
活動時期 2013-2014
過去の所属チーム '13-'14 マルシャ
出走回数 34
優勝回数 0
通算獲得ポイント 2
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 2013年オーストラリアGP
最終戦 2014年日本GP
タイトル 0
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ジュール・ルシアン・アンドレ・ビアンキJules Lucien André Bianchi,1989年8月3日 - )は、フランスニース出身のレーシングドライバー

経歴[編集]

初期の経歴[編集]

レーシング・カート[編集]

祖父は3度のGTチャンピオンであるマウロ・ビアンキ、伯祖父(マウロの兄)は1968年のル・マン24時間レースに優勝したルシアン・ビアンキというレース一家の出身。

3歳で初めてレーシングカートに乗り、5歳からカートレースを始め、2005年はフォーミュラAでアジア・パシフィックチャンピオン、2006年はフランスチャンピオンとなる。

フォーミュラ・ルノー[編集]

2007年より4輪に転向。フランス・フォーミュラ・ルノー2.0とユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0に参戦し、フランス・フォーミュラ・ルノー2.0では初年度にチャンピオンを獲得する。

ARTグランプリのダラーラF308を駆るビアンキ。(2009年ホッケンハイム)

フォーミュラ3[編集]

2007年の終盤よりフォーミュラ3・ユーロシリーズARTグランプリから参戦する。このころ就いたマネージャーはARTグランプリのボスであるニコラス・トッドジャン・トッドの息子)だった。

2008年もARTグランプリよりフォーミュラ3・ユーロシリーズに参戦。選手権3位で終えた。また、マスターズF3にも参戦し優勝した。

2009年もARTグランプリよりフォーミュラ3・ユーロシリーズに参戦。バルテリ・ボータスエステバン・グティエレスエイドリアン・ターベイとチャンピオン争いを演じ、この年最多の9勝を上げて見事チャンピオンに輝いた。フォーミュラ・ルノー3.5にモナコラウンドのみ参戦したがリタイアとなった。

GP2時代、ロータスARTより参戦するビアンキ。(2011年モンツァ)

GP2[編集]

2010年はARTグランプリよりGP2に参戦。しかし、F1と併催されたハンガリーGPのレース1のオープニングラップでDAMSホーピン・タンとクラッシュ[1]。脊髄を損傷し、レース2の欠場を余儀なくされた[1]。しかし、次のベルギーGPでは無事復帰した。最終的には優勝はなかったものの選手権を3位で終えた。

2011年も名称は変わったLotus ARTからGP2に参戦。1勝を上げるも前年と同様に選手権は3位となった。

フォーミュラ・ルノー3.5[編集]

2012年はF1とバッティングしないフォーミュラ・ルノー・3.5に参戦[2]ロビン・フラインスと最終ラウンドまでチャンピオンを争ったが、選手権2位に終わった。

F1[編集]

 
(上)ヘレステストにて。フォース・インディアVJM06を駆るビアンキ。
(下)マレーシアGPにてマルシャMR02を駆るビアンキ。(写真は共に2013年)

2009年末に発足したフェラーリ・ドライバー・アカデミーの最初の所属ドライバーとなった[3]。2011年はフェラーリのテストドライバーとして契約した[4]

2012年はフォース・インディアとリザーブドライバーとして契約し[5]、フリー走行1回目に9回出走した。

2013年[編集]

2013年はニコ・ヒュルケンベルグが移籍して空いたフォース・インディアのシートを、エイドリアン・スーティルと競ったがシートは獲得できなかった。しかし、マルシャと契約していたルイス・ラジアにスポンサーからの支払いが期限内に振り込まれないトラブルが発生したため、代わってシートを得ることが出来た[6]。チームメイトは同じくルーキードライバーのマックス・チルトン

開幕戦オーストラリアGPでは、予選・決勝ともにライバルチームの1つであるケータハム勢に完勝し、ルーキー勢3番手となる15位完走。このレースでビアンキは、全体の11番手のラップタイムを刻む。このタイムは終盤のベストラップとはいえセバスチャン・ベッテルらと相違ないタイムであり、チーム・マシンのパフォーマンスを考えるとかなりの好タイムであった。第2戦マレーシアGPにて獲得した13位をケータハム勢が記録する事が出来なかった為、チームのコンストラクターズランキング10位獲得に貢献する。

バーレーンGPにてマルシャ・MR03を駆るビアンキ。(2014年)

2014年[編集]

2013年10月、シーズン終了を待たずに2014年もマルシャF1チームに残留する事が発表された[7]第6戦モナコGPにて、ギアボックス交換を伴い21番グリッドからのスタートとなったが、粘り強い走りを見せ8位完走する。5秒ストップペナルティをセーフティカーが入っている最中に行ったとしてレース終了後実際のタイムにさらに5秒加算されたため、9位のロマン・グロージャンと順位が入れ替わり、9位初入賞という形となった。

事故、そして昏睡[編集]

第15戦日本GPにおいて、折からの台風18号に伴う雨により、44周目にダンロップ・コーナーを旋回中にハイドロプレーニング現象が発生。コントロールを失いアウト側にコースアウト。同じ場所で先にコースアウトし、クラッシュしていたエイドリアン・スーティルのマシンを撤去していたホイールローダークレーン車)に後方から追突した。ビアンキは意識を失い、救急車で四日市市三重県立総合医療センターへ搬送され、緊急手術が行われた[8]。手術は成功し、ビアンキは人工昏睡状態におかれ同病院で治療が継続されたが、自発呼吸の回復とバイタルサインの安定しており母国への移送ができると判断したため、11月19日フランスニースニース大学付属病院に転院した[9]

レース戦績[編集]

シリーズ チーム Car No. レース 勝利 PP FL ポイント 総合順位
2007 フランス・フォーミュラ・ルノー2.0 SGフォーミュラ 6 13 5 5 10 172 1位
ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0 43 8 0 1 1 9 22位
2008 フォーミュラ3・ユーロシリーズ ARTグランプリ 24 20 2 2 2 47 3位
マカオGP  ? 1 0 0 0 N/A 9位
マスターズF3  ? 1 1 0 0 N/A 1位
2009 フォーミュラ3・ユーロシリーズ ARTグランプリ 1 20 9 6 7 114 1位
イギリス・フォーミュラ3 91 4 2 0 3 0 NC†
マカオGP 3 1 0 0 0 N/A 10位
フォーミュラ・ルノー3.5 SGフォーミュラ 26 1 0 0 0 0 NC
2009–10 GP2アジアシリーズ ARTグランプリ 7 6 0 1 0 8 12位
2010 GP2 ARTグランプリ 1 18 0 3 1 52 3位
2011 GP2 ロータス・ART 5 18 1 1 0 53 3位
GP2アジアシリーズ 5 4 1 0 1 18 2位
2012 フォーミュラ・ルノー3.5 テック 1 レーシング 1 17 3 5 7 185 2位

GP2[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 総合順位 ポイント
2010年 ARTグランプリ ESP
FEA

Ret
ESP
SPR

12
MON
FEA

4
MON
SPR

3
TUR
FEA

Ret
TUR
SPR

13
EUR
FEA

2
EUR
SPR

Ret
GBR
FEA

2
GBR
SPR

5
GER
FEA

5
GER
SPR

4
HUN
FEA

Ret
HUN
SPR

DNS
BEL
FEA

14
BEL
SPR

Ret
ITA
FEA

2
ITA
SPR

4
ABU
FEA

18
ABU
SPR

8
3位 53
2011年 ロータス・ART TUR
FEA

3
TUR
SPR

7
ESP
FEA

7
ESP
SPR

Ret
MON
FEA

Ret
MON
SPR

19
EUR
FEA

Ret
EUR
SPR

7
GBR
FEA

1
GBR
SPR

5
GER
FEA

4
GER
SPR

2
HUN
FEA

7
HUN
SPR

6
BEL
FEA

2
BEL
SPR

2
ITA
FEA

8
ITA
SPR

3
3位 53

F1[編集]

所属チーム  シャシー  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 WDC ポイント
2012年 フォース・インディア VJM05 AUS MAL CHN
TD
BHR ESP
TD
MON CAN EUR
TD
GBR
TD
GER
TD
HUN
TD
BEL ITA
TD
SIN JPN KOR
TD
IND ABU
TD
USA BRA - -
2013年 マルシャ MR02 AUS
15
MAL
13
CHN
15
BHR
19
ESP
18
MON
Ret
CAN
17
GBR
16
GER
Ret
HUN
16
BEL
18
ITA
19
SIN
18
KOR
16
JPN
Ret
IND
18
ABU
20
USA
18
BRA
17
19位 0
2014年 MR03 AUS
NC
MAL
Ret
BHR
16
CHN
17
ESP
18
MON
9
CAN
Ret
AUT
15
GBR
14
GER
15
HUN
15
BEL
18
ITA
18
SIN
16
JPN
20
RUS USA BRA ABU 17位 2

エピソード[編集]

  • 2013年ドイツGPはエンジントラブルでリタイアし車から離れたがマーシャルも車から離れてしまい、車を止めた場所が上り坂だったため車が独りでに動き出し、ゆっくりとバックでコースを横切った。車のギアがニュートラルになっていた為に動き出してしまったが、ルール上車から離れる際にはこのようにすることが求められているため、ビアンキに非はない。幸い他車との事故にはならなかったが、この件が原因でセーフティーカーが入りレースに影響が出た。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b “ジュール・ビアンキ、GP2でのクラッシュで負傷”. F1-Gate.com. (2010年8月1日). http://f1-gate.com/ferrari/f1_8650.html 2010年12月14日閲覧。 
  2. ^ “ジュール・ビアンキ、テック1からフォーミュラ・ルノー3.5に参戦”. F1-Gate.com. (2012年2月9日). http://f1-gate.com/bianchi/f1_14270.html 2013年3月2日閲覧。 
  3. ^ “フェラーリ、若手育成プログラム“フェラーリ・ドライバー・アカデミー”設立”. F1-Gate.com. (2009年12月19日). http://f1-gate.com/ferrari/f1_5899.html 2013年3月2日閲覧。 
  4. ^ “フェラーリ、ジュール・ビアンキを2011年のテストドライバーに起用”. F1-Gate.com. (2010年11月11日). http://f1-gate.com/ferrari/f1_9939.html 2013年3月2日閲覧。 
  5. ^ “ジュール・ビアンキ、フォース・インディアのリザーブドライバーに就任”. F1-Gate.com. (2013年1月28日). http://f1-gate.com/bianchi/f1_14121.html 2013年3月2日閲覧。 
  6. ^ “マルシャ、ルイス・ラジアに代えてジュール・ビアンキの起用を発表”. F1-Gate.com. (2013年3月2日). http://f1-gate.com/marussia/f1_18397.html 2013年3月2日閲覧。 
  7. ^ “マルシャ、来季のビアンキ残留を発表”. ESPN F1. (2013年10月3日). http://ja.espnf1.com/marussia/motorsport/story/127537.html 2013年10月3日閲覧。 
  8. ^ ジュール・ビアンキの家族が声明発表:すべてのサポートに感謝している、Marussia F1 Team 2014年10月08日02:06
  9. ^ ESPN-ビアンキ、ニースの病院に到着 2014年11月20日

外部リンク[編集]