鈴鹿サーキット

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座標: 北緯34度50分37.77秒 東経136度32分03.81秒 / 北緯34.843825度 東経136.5343917度 / 34.843825; 136.5343917

日本の旗 鈴鹿サーキット
概要
所在地 日本 三重県 鈴鹿市 稲生町
運営会社 モビリティランド
営業期間 1962年 -
収容人数 約16万1,000人
2006年F1日本GP開催時)
主なイベント F1日本グランプリSUPER GTフォーミュラ・ニッポン鈴鹿8時間耐久ロードレースなど多数
コース設計者 ジョン・フーゲンホルツ塩崎定夫
国際レーシングコース(4輪)
Circuit Suzuka.png
コース長 5.807km
コーナー数 17
ラップレコード 1分28秒954 (2006年)
ミハエル・シューマッハ
スクーデリア・フェラーリ (F1)
国際レーシングコース(2輪)
コース長 5.821km
ラップレコード 2分06秒488 (2009年)
秋吉耕佑
ホンダ・CBR1000RR (JSB1000)
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鈴鹿サーキット(すずかサーキット、Suzuka Circuit)は、三重県鈴鹿市にある国際レーシングコースを中心としたレジャー施設F1日本グランプリ鈴鹿8時間耐久ロードレースなどの開催で知られる。レーシングコースの他に遊園地ホテル等があり、モビリティリゾートを形成している。

日本初の本格的サーキット[1]として、1962年本田技研工業(ホンダ)によって建設された。現在はホンダグループでモータースポーツ関連施設を運営する会社、モビリティランドによって運営されている。

目次

[編集] 開設

1950年代末より、日本の2輪メーカーはマン島TTレースへの海外挑戦を始めたが、国内のおもなレース場は未舗装の浅間高原自動車テストコースしかなく、代替コース建設案も進展しなかった[2]。ホンダ創業者の本田宗一郎はレースの勝利とモータースポーツの普及のためには本格的なサーキットが必要であると確信し、自社で建設するよう命を下した。巨額の投資を危ぶむ声もあったが、藤沢武夫専務が自宅を抵当に入れるなどして推進に向けての意見をまとめ、社内にレース場建設委員会が発足した。複数候補地を検討した末、スーパーカブ増産工場として完成した鈴鹿製作所[3]の隣接地を買収することになったが、本田の「田んぼをつぶしてはいかん、米は大事にしろ[4]」との一喝で、丘陵地帯の雑木林を造成することになった。

コースレイアウト設計グループの責任者は社員の塩崎定夫(のちのホンダランド取締役)。1960年8月に最初のコースレイアウト原案を作成した[5]。この初期案は立体交差が3か所あるという特異なレイアウトだった。その後、ヨーロッパのレース現場を視察し、ザンドフールト・サーキットハラマ・サーキットの設計者として知られるジョン・フーゲンホルツの監修を受け、1962年1月に塩崎が最終案をまとめた(原案から数えて5稿目[4])。塩崎は欧州視察時にサーキットの舗装を靴べらで削って持ち帰り、舗装工事を受注した日本鋪道(現NIPPO)にサンプルとして提供した。

1961年2月、ホンダの全額出資により運営母体となるモータースポーツランド(現モビリティランド[6])が設立され、同年6月に工事着工。1962年9月にサーキットが完成し、同年11月3日 - 4日にかけてオープニングレースとして第1回全日本選手権ロードレースが開催された[5]。付帯施設を含む総工費は15億円(現代に換算すると255億円[7])に達した。

当時はオートバイで騒音を撒き散らすカミナリ族が社会問題化していた。藤沢は「子供のころからエンジンを楽しむことこそが、未来の自動車環境の発展に寄与する[4]」という理念の持ち主で、当初からサーキットに家族連れで楽しめる自動車遊園地を併設することを考えていた。この「モータースポーツランド構想」の下、東京都多摩テック(1961年)、奈良県生駒テック(1961年)、鈴鹿サーキットのモートピア(1963年)、埼玉県朝霞テック(1964年)が順次開園した。

[編集] 国際レーシングコース

鈴鹿サーキットのホームストレート上
鈴鹿サーキットのグランドスタンド
2コーナー観客席からの眺望

[編集] コースレイアウト

コース全長は4輪で5.807km、2輪で5.821km。これは日本のサーキットの中でも最長である。コース幅は10~16m。最大高低差は52m。世界の多くのサーキットと比べ、摩擦係数の高いアスファルト舗装である。また、追い抜きのできる長さのストレートや低速コーナーから高速コーナーまで多種類のコーナーがあるため、テクニカルコースとして高く評価されており、ミハエル・シューマッハは「鈴鹿はスパと並んで好きなサーキットだ」と語っているほか、以前は大の日本GP嫌いであったマーク・ウェバーすら「世界一、男を決めるサーキット」と評するなど、スパ・フランコルシャンと並んで世界でもトップクラスの評価を誇っている。[8]また立体交差による8の字状のサーキットは世界的にも珍しい[9]

メインストレートから右回りに1コーナー2コーナーS字コーナー逆バンク(傾斜角が緩いため外へ傾斜しているように錯覚する)、ダンロップコーナーデグナーカーブ[10]ののち立体交差を潜って左回りに変わる。ヘアピンカーブ、(二輪コースのみ)西シケイン200R(通称マッチャン[11])、スプーンカーブバックストレッチ、立体交差橋を渡って130Rを抜けると再び右回りとなり、シケイン(以前はカシオトライアングルと呼ばれていた)、最終コーナーを経て再びメインストレートに戻る。中でも2コーナーを抜けてからのS字セクションは「S字を制する者が鈴鹿を制す」とまで言われるほど、ここをいかに早く抜けるかが、タイムひいてはレースの明暗を左右する重要なポイントになっており、セバスチャン・ベッテルは「F1マシンはこういうコーナーを攻めるために作られているんだ」と興奮気味に話す。先のマーク・ウェバーも「ここをいかに速く走り抜けられるかが男を決める」と語っている。自転車のレースに使われる場合はゴールが下り坂になって危険なため(かつて大きな事故が起こっている)逆回りで使用される。

  • 東コース
    • 国際レーシングコースのダンロップコーナーから最終コーナーに抜ける東ショートカットを使用した全長2.243kmのコース。レースやスポーツ走行のない時間帯にサーキットカートで1周することができる。
  • 西コース
    • 国際レーシングコースのシケイン手前からダンロップコーナー立ち上がりへ抜ける西ショートカットを使用した全長3.475km(2輪:3.483km)のコース。西ストレート(バックストレッチ)途中にあるピットを使用する。
  • 南コース
    • 主にジムカーナカートレースが開催される全長1.264kmのコース。かつて駐車場だった場所に1989年に作られた。規模の大きなレースが開催される時は駐車場として使用される。

[編集] 現在開催されているレース・イベント

主なレースイベントとしては7月に鈴鹿8時間耐久ロードレース、8月にインターナショナルSUZUKA GTサマースペシャルSUPER GT)、10月にはF1日本グランプリが開催されている。2011年からWTCC世界ツーリングカー選手権が開催される。

その他にフォーミュラ・ニッポンスーパー耐久全日本ロードレース選手権ソーラーカーレース鈴鹿、CIK-FIA世界カート選手権など多くの2輪や4輪レースが開催されている。

モータースポーツ以外には2輪車安全運転全国大会、シマノ鈴鹿ロードレース自転車)、鈴鹿シティマラソン等も催されている。

[編集] 過去に開催されていたレース・イベント

ロードレース世界選手権(旧:WGP、現:MotoGP日本グランプリが1963~1965年、1987~1998年、2000~2003年に開催された。1996年と1997年にはNASCARサンダースペシャルが開催されたこともある。また、かつてあった国際モトクロスコース(現在のオートキャンプ場)でモトクロス世界選手権日本グランプリが1991年~1995年に開催された。

[編集] コース改修

初期のコース全長は6.00415kmで、1966年にはFIA国際トラックライセンスが下りた[5]。1983年〜1987年にかけて安全性確保、F1開催への基準クリアのために段階的にコースレイアウトやランオフエリアの改修が行われ、その後も継続的に改修が行われている。

[編集] 開業からF1初開催に向けての改修

1983年には最終コーナーにシケインが設けられ、最終コーナーと第1コーナーのスピードが落とされた。これによりコース長が初めて変更され、コース全長は6.00415kmから6.03335kmに延びた。

1984年にはスプーンカーブが改修され、それまでよりもやや内側にコースが移された。これによりコーナーのアウト側に広いランオフエリアが確保された。この修正でコース全長は5.94315kmになった。

1985年には第1コーナーがやや手前に移され、アウト側のランオフエリアが拡大した。この際、第1コーナーから第3コーナーまでの100R、70R、60Rの3つの複合コーナーが、100Rと60Rの2つのコーナーを短い直線で繋ぐ形へと改められた。この改修で、コース全長は5.91198kmになった。

1987年1月、F1開催に向けてピット・コントロールタワーを大改修。コントロールタワーを建て直し、走行レーンや作業エリアが拡大された。このほかにも、医務室やヘリポートの新設や、ヘアピン立ち上がりにあった西コースコントロールタワーが現在の位置への移設がおこなわれた。

1987年7月、デグナーカーブが改修され、80Rの深く旋回する1つのコーナーから、15Rと25Rの2つのコーナーを137mの直線で繋いだ形状へと変更が加えられた。また、視界確保のためデグナー内側の丘が削られた。この改修でコース全長は5.85943kmとなった。

1991年7月にはシケインが最終コーナー寄りに移動された。この改修でコース全長は5.86403kmになった。このレイアウトは2000年まで10年間にわたり使用されたが、初年度の1991年にゲルハルト・ベルガーがF1で記録した1分34秒700のラップタイムは、最後まで破られることは無かった。

[編集] 2000年からの2005年にかけての改修

2001年3月にはS字コーナーの一部がやや内側に移され、同セクションのランオフエリアが拡大した。この変更でコース全長は5.85913kmになった。

2002年2月にはダンロップカーブが内側に寄せられる改修を受け、同カーブのランオフエリアが拡大した。この改修でコース全長は5.821kmへと変更された。

2003年3月、130R~シケインにかけて改修された。130Rは85Rと340Rの複合コーナーとなりアウト側ランオフエリアを拡大し一部アスファルト舗装にした。またシケインは入口が約60m手前になりやや緩やかな形状になり、最終コーナー側に2輪専用でダブルシケインが設置された。全長は4輪で5.807km、2輪が5.824kmとなった。

2003年6月、加藤大治郎の死亡事故など2輪レースでシケインでの事故が相次いだため、4輪用シケインの約65m奥に2輪用シケインを新設した。コース全長は4輪コースに変更はないが、2輪は5.813kmとなった。

2004年3月、ランオフエリアが狭い200Rへの進入速度を抑制するため、二輪専用のシケインが設置された。コース全長は2輪コースは5.821kmになり、これ以降コースレイアウトは変更されていない。

[編集] 2009年にかけての改修

開設から40年以上が経過し、最近開設されたサーキットに比べてコース幅やランオフエリアが狭く、施設の老朽化などもFIAから指摘され、ピットとパドックエリアの拡充やモーターホーム施設の強化、コンピュータ機器の更新などが要求された。特にコース上の安全確保は緊急の課題であり、敷地の問題から東コースの改修は手付かずとなっていたが、F1再開催に向けて2007年から改修工事が行われた。

工事期間
  • 2007年11月 - 2008年5月:パドック拡張の準備工事
    • 山田池の埋立て
  • 2008年09月 - 2009年3月:東コースエリアを中心とする大規模改修
    • 旧ピットビルの取り壊しと新ピットビルの建設、観戦エリア整備、サービスロードの整備などの改修工事
  • 2009年10月 - 2010年3月:西コース観戦エリア整備
    • この工事計画は中止され、2008年~2009年の工事の中で一部工事内容を見直し前倒しされることになった
主な改修計画
  • グランドスタンドの改修・増設
  • 各観戦エリアの環境・快適性向上
  • ピットビルの新築
  • チームオフィス新設
  • パドック拡張
  • ランオフエリア拡幅
  • サービスロードの設置

[編集] コースレコード

[編集] 4輪

カテゴリー 記録 ドライバー メーカー・車種 樹立日
F1 1分28秒954 ミハエル・シューマッハ フェラーリ・248F1 2006年10月7日
フォーミュラ・ニッポン 1分38秒917 小暮卓史 スウィフト・017.n/ホンダ 2010年4月17日
F3 1分52秒778 嵯峨宏紀 ダラーラ・F308/トヨタ 2009年4月4日
GT500 1分49秒842 伊藤大輔 ホンダ・NSX 2007年3月17日
GT300 2分02秒254 影山正美 日産・フェアレディZ 2007年3月17日
WTCC 54秒116※ ロバート・ダールグレン ボルボC30ドライブ 2011年10月23日

※東コースを使用する。

[編集] 2輪

カテゴリー 記録 ドライバー メーカー・車種 樹立日
JSB1000 2分06秒488 秋吉耕佑 ホンダ・CBR1000RR 2009年4月18日
J-GP2 2分13秒122 小西良輝 ホンダ・CBR600RR 2010年4月17日
J-GP3 2分18秒957 中上貴晶 ホンダ・RS125R 2006年11月5日
ST600 2分14秒170 安田毅史 ホンダ・CBR600RR 2006年11月4日
GP-MONO 2分23秒888 中木亮輔 ヤマハ・MPRアームストロングWR250F 2007年10月20日
GP250 2分11秒691 高橋巧 ホンダ・RBB250 2007年10月20日

[編集] 天候による影響

鈴鹿山脈よりなだれ込んで来る雲の影響による「通り雨」によりレースの開始に影響を及ぼすことがあるほか、サーキットのある紀伊半島は台風による影響を受けやすいことから、過去にレーススケジュールと台風が重なり中止または順延された事例がある。また、コースレイアウトが東西に長いため、西側と東側で天気が異なることもある。

レースの催行に大きな影響があった代表的な事例としては、2004年10月に開催された『F1日本グランプリ』において、台風22号が当初サーキット付近を通過する予報となっていたことからレーススケジュールを変更し予選と決勝を同日に実施した。また、2010年10月に開催された『F1日本グランプリ』においても、集中豪雨の影響でレーススケジュール変更を余儀なくされた。このほか、2011年9月に開催予定だった『フォーミュラ・ニッポン第5戦』は、台風12号による豪雨の影響により中止となった。

[編集] 遊園地、リゾート施設、交通教育センターなど

国際レーシングコースを中心に、遊園地モートピア」、ホテル、リゾート施設としてクアガーデン・オートキャンプ場、スポーツ施設としてボウリング場テニスコートなどがあり、一大リゾート施設を形成する。以前はゴルフ練習場や、スノーボードゲレンデなどもあった。

さらに交通マナーの向上やドライビングテクニック向上を目的として交通教育センターが設置されており、自動車やバイクの運転技術指導を行っている。二輪免許取得教習も行っていたが、2009年3月末日で入校申込を終了している。

[編集] 交通

園内を貫く市道「サーキット道路」(国道23号方面を望む)

人里離れた場所にある国内の多くのサーキットと比べ交通手段は比較的恵まれており、特に近隣の各鉄道駅から徒歩20分から1時間程度である。また、鈴鹿市など自治体や地域住民もサーキットに協力的で、F1等の国際レース規模の大きなレースイベントを開催する際でも渋滞などの問題は発生するものの、長年の経験によるノウハウも持っていることから、概ね円滑に運営されている。

2009年、国・三重県・鈴鹿市並びに周辺市町、観光・経済・交通等の関係団体が官民共同で「鈴鹿F1日本グランプリ地域活性化協議会」を設立。F1開催時より白子駅からのシャトルバスが中勢バイパス建設現場をバス専用ルートとして運行し、2006年のF1開催時に比べ所要時間が半分に短縮された。

自動車
鉄道

※ビッグレース開催時は臨時列車・直通シャトルバスの運行がある。

[編集] 脚注

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  1. ^ 日本初の常設サーキットは1936年多摩川河川敷に開設された多摩川スピードウェイであるが、全面舗装コースは鈴鹿サーキットが初となる。
  2. ^ マイ・ワンダフル・サーキット 第28回
  3. ^ Honda 鈴鹿製作所
  4. ^ a b c “F1アカデミー14時限目 本田宗一郎と鈴鹿サーキット”. F1速報 第15戦日本GP号. イデア. (2009年). pp. pp.34-35. 
  5. ^ a b c “鈴鹿、モータースポーツの原点”. オートスポーツ 1994年6月1日号. 三栄書房. (1994年). pp. pp.10-22. 
  6. ^ モータースポーツランド→テクにランド→ホンダランド→鈴鹿サーキットランド→モビリティランドと社名変更。
  7. ^ 大久保力『サーキット燦々』 三栄書房、2005年、105頁。
  8. ^ Schumacher reflects on career with Ferrari
  9. ^ 歴代F1開催サーキットで唯一の8の字状サーキットであり、立体交差があったのは他にモンツァ・サーキットだけである
  10. ^ 1962年11月4日に行われた当サーキットのオープニングレースである「第1回全日本選手権ロードレース」のレース中に、ここで転倒したドイツ人ライダー・エルンスト・デグナーの名がついた。
  11. ^ 元ホンダ社員でRSC契約選手の松永喬(愛称:マッチャン)が1969年8月10日の12時間耐久レースで死亡事故を起こした場所。正式には出口の250Rがマッチャンコーナーとなるが、ヘアピン立ち上がりから200R、250Rをまとめて称される事が多い。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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