鈴鹿サーキット

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日本の旗 鈴鹿サーキット
概要
IMG 2229 suzuka2009 .JPG
所在地 日本 三重県 鈴鹿市 稲生町
座標 北緯34度50分37.77秒
東経136度32分03.81秒
座標: 北緯34度50分37.77秒 東経136度32分03.81秒
運営会社 モビリティランド
営業期間 1962年 -
収容人数 約16万1,000人
2006年F1日本GP開催時)
主なイベント F1日本グランプリSUPER GTスーパーフォーミュラ鈴鹿8時間耐久ロードレースなど多数
コース設計者 ジョン・フーゲンホルツ(設計および工事監修)
塩崎定夫:事業主体であるKKテクニランドの責任者[1]
国際レーシングコース(4輪)
Circuit Suzuka.png
コース長 5.807km
コーナー数 18
ラップレコード 1分28秒954 (2006年)
ミハエル・シューマッハ
スクーデリア・フェラーリ (F1)
国際レーシングコース(2輪)
コース長 5.821km
ラップレコード 2分06秒401 (2012年)
秋吉耕佑
ホンダ・CBR1000RR (JSB1000)
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鈴鹿サーキット(すずかサーキット、Suzuka Circuit)は、三重県鈴鹿市にある国際レーシングコースを中心としたレジャー施設F1日本グランプリ鈴鹿8時間耐久ロードレースなどの開催で知られる。レーシングコースの他に遊園地ホテル等があり、モビリティリゾート(自動車を題材とする行楽地)を形成している。

日本初の本格的サーキット[2]として、1962年本田技研工業(ホンダ)によって建設された。現在はホンダグループでモータースポーツ関連施設を運営する会社、モビリティランドによって運営されている。

目次

開設 [編集]

1950年代末より、日本の2輪メーカーはマン島TTレースへの海外挑戦を始めたが、国内のおもなレース場は未舗装の浅間高原自動車テストコースしかなく、代替コース建設案も進展しなかった[3]。ホンダ創業者の本田宗一郎はレースの勝利とモータースポーツの普及のためには本格的なサーキットが必要であると確信し、自社で建設するよう命を下した。巨額の投資を危ぶむ声もあったが、藤沢武夫専務が自宅を抵当に入れるなどして推進に向けての意見をまとめ、社内にレース場建設委員会が発足した。複数候補地を検討した末、スーパーカブ増産工場として完成した鈴鹿製作所[4]の隣接地を買収することになった。当初は現在よりも北東寄りの平地に1周約4kmのコースを計画していたが[5]、本田の「田んぼをつぶしてはいかん、米は大事にしろ[6]」との一喝で、丘陵地帯の50万坪の松林を造成することになった。

のちにホンダランド取締役となる塩崎定夫がコースレイアウト設計グループの責任者となった。塩崎は鈴鹿製作所の生産管理を担当していたが、サーキット設計に関しては全くの素人だった[7]1960年8月に最初のコースレイアウト原案を作成したが[8]、この初期案は立体交差が3か所あるという特異なレイアウトだった[5]。その後、ヨーロッパのサーキットを視察し、ザンドフールト・サーキットの支配人を務めており、なおかつモンツァブランズ・ハッチホッケンハイムリンクニュルブルクリンクなどからなるサーキット連合体A.I.C.P.を組織運営して取りまとめていたジョン・フーゲンホルツ (John Hugenholtz) を招聘して詳細設計を依頼、施工全体にわたる助言を受けた。

河島喜好は「ヨーロッパのコース設計者(フーゲンホルツ)と(鈴鹿の)山の中を長靴をはいてマムシにおびえながら歩いた」「タイヤの片方だけが減ってしまうのを防ぐために(フーゲンホルツから)立体交差をつくって8の字にすればタイヤの両サイドが削れるようになる」と立体交差を設計提案されたことを証言している[9]。塩崎案ではパドックの裏手にヘアピンがあったが、「そんな所にコーナーがあると、騒音がうるさくて場内放送が聴き取れないだろう」というフーゲンホルツの助言を受けて廃止された[10]

1962年1月に塩崎が最終案をまとめた(原案から数えて5稿目[5])といわれているが、1962年2月28日付の本田宗一郎がフーゲンホルツに宛てた書簡にはこのあとにさらにフーゲンホルツからの改修アドバイスがあり、本田はこれを現場に指示したことが記されている。これら本田宗一郎とフーゲンホルツで取り交わされた書簡を含む資料はオランダ国立自動車博物館にすべてアーカイブされている。なお、『Racing On 総力特集 鈴鹿サーキット』に掲載された塩崎のインタビュー記事に対して、フーゲンホルツの息子であるジョン・フーゲンホルツJr.は鈴鹿の設計は父親が行ったものであると訂正を求めている[11]。これらの事情から、塩崎とフーゲンホルツのどちらをサーキット設計者とするかについては現在においても争いがある。

海外設計者を招いたのは「日本人が作ったと言うよりも、外国人が作ったと言った方が各方面に話が通りやすい」という権威付けの意味合いがあった[12][11]しかし、当時のホンダ2輪レーシングチームはヨーロッパ各地を転戦しており、ホッケンハイムやニュルブルクリンクなどA.I.C.P.加盟のサーキットにも頻繁に訪れており、フーゲンホルツとはすでに親密な関係を築き上げていたため、前記の権威付け説は信憑性に欠けるという見解もある。また鈴鹿サーキットが企画、調査設計、施工の段階では日本自動車連盟(JAF)は設立準備の段階であった。複数の自動車クラブが互いに海外と連絡を取り合っていた状態のなかで、A.I.C.P.の要職にあり、自身でもFIAレギュレーション制定に尽力していたフーゲンホルツが本田宗一郎からの信頼を得たのは当然の成り行きであった。[要出典] ちなみに鈴鹿サーキットが開業したのは1962年9月20日のことであり、JAFが正式に設立総会をもってスタートしたのは1962年10月24日と鈴鹿開業よりもあとである。またJAFが正式に法人として業務を開始したのは1963年4月1日である。[13]

ちなみにフーゲンホルツ自身はオリジナルのザントフールトのコース設計にはかかわっていない。このコースは1946年にサミー・デイビスによって設計されたものである。ただしフーゲンホルツはその後のレイアウト変更には関与している。[14] フーゲンホルツがまったくのゼロからすべてのコースレイアウトを作り上げたのは鈴鹿が初めての経験であった。このコース設計の成功により、フーゲンホルツは1960年代から1970年代にかけてスペイン・ハラマ、ベルギー・ゾルダー、ベルギー・ニベレ、ドイツ・ホッケンハイムのスタジアムセクション、アメリカ・オンタリオなどの設計を次々と手掛けることとなった。

塩崎は地形の模型上にコースの線を引く際、土木工事よりも施設建設に費用を充てるため、なるべく土砂を削らないで済むよう心がけたという[7]。1稿から5稿に推移するうちに次第に高速サーキットの様相を呈していき、最終的には「行きはテクニカルにコーナーをクリアして帰りは高速で戻る」というレイアウトになった[7]。欧州視察時にはサーキットの舗装を靴べらで削って持ち帰り、舗装工事を受注した日本鋪道KK(現NIPPO)にサンプルとして提供した。その際、さらに施工会社が容易に特殊なサーキット舗装の構造を理解できるように、フーゲンホルツは各地サーキットの走行路の路面の舗装を茶筒状にくりぬいた供試体(サンプルコーン)を調査団に提供した。当時のA.I.C.P.加盟サーキットの舗装路面の転圧、幾層もの舗装の積み重ねかたなどの最先端技術をこの供試体によって日本へと持ち帰ることができた。当時の日本ではまだ高速道路が整備されておらず[15]、塩崎は「日本では高速道路より先にサーキットが出来で、それの舗装を参考にして高速道路が作られた」と述べている[7]

1961年2月、ホンダの全額出資により運営母体となるモータースポーツランド(現モビリティランド[16])が設立され、同年6月に工事着工。1962年9月にサーキットが完成し、同年11月3日 - 4日にかけてオープニングレースとして第1回全日本選手権ロードレースが開催された[8]。付帯施設を含む総工費は15億円(現代に換算すると255億円[17])に達した。

当時はオートバイで騒音を撒き散らすカミナリ族が社会問題化していた。藤沢は「子供のころからエンジンを楽しむことこそが、未来の自動車環境の発展に寄与する[6]」という理念の持ち主で、当初からサーキットに家族連れで楽しめる自動車遊園地を併設することを考えていた。この「モータースポーツランド構想」の下、東京都多摩テック(1961年)、奈良県生駒テック(1961年)、鈴鹿サーキットのモートピア(1963年)、埼玉県朝霞テック(1964年)が順次開園した。

国際レーシングコース [編集]

コースレイアウト [編集]

メインストレート
メインストレート
2コーナー
2コーナー
S字コーナー
S字コーナー
デグナーカーブ入口(デグナー1)
デグナーカーブ入口(デグナー1)
ヘアピンカーブ
ヘアピンカーブ
スプーンカーブ
スプーンカーブ
シケイン(画像手前が2輪用、奥が4輪用)
シケイン(画像手前が2輪用、奥が4輪用)
最終コーナー
最終コーナー

コースは東西に細長く、中間部分の立体交差を挟んで右回りと左回りが入れ替わる、世界的にも珍しい8の字形のレイアウトとなっている[18]。コース全長は4輪で5.807km、2輪で5.821km。これは日本のサーキットの中でも最長である。コース幅は10~16m。コーナー数は20。最大高低差は52m[19]。世界の多くのサーキットと比べ、摩擦係数の高いアスファルト舗装である。

メインストレート
全長800m[19]。1コーナーに向けて2.8%[20]の下り勾配となっており、グランドスタンドやピットには区画ごとに段差が付けられている。下り坂のため、スタート時にブレーキを離すと車が動き出してしまい、フライングを犯しやすい。
1コーナー、2コーナー
ホームストレートから最初に差し掛かる2連続右コーナー。1コーナーはOSAMUが2012年10月21日のスーパー耐久で死亡事故を起こした場所。スピードに乗ったまま100Rの1コーナーを通過し、中間区間で減速して60Rの2コーナーを回り込む。
S字コーナー、逆バンクコーナー
左・右・左・右と矢継ぎ早に中速コーナーが連続するセクション。リズミカルかつ正確に車両操作を行わないとラップタイムに大きく影響するため、「S字を制する者が鈴鹿を制す」と言われる。雨天時には路面に川が出来る箇所があり、姿勢を乱しやすい。
最後の右カーブは路面にカント(傾斜)が付いていないため、走っているとアウト側へ傾いているように錯覚してしまうので「逆バンク」と呼ばれる。
ダンロップコーナー
大きな横Gがかかる左の高速ロングコーナー。コース中最もきつい7.8%[21]の上り勾配となっている。名称は、かつてコース上にダンロップのタイヤの形をした看板(ダンロップブリッジ[22])が架かっていた名残り。
デグナーカーブ
短い直線を挟んだ連続右コーナー。1962年11月4日に行われた開業イベント「第1回全日本選手権ロードレース」のレース中に、ここで転倒したドイツ人ライダー、エルンスト・デグナーの名が付けられた。デグナー2の出口には、西ストレートの下をくぐる立体交差がある。
110R、ヘアピン
上り坂の右110Rから急減速して、コース中で最もスピードが落ちる左ヘアピンを回り込む。ヘアピン以降はコースが左回りに変わる。
200R、250R(通称:マッチャン)
下りの緩やかな右カーブが続く区間。元ホンダ社員でRSC契約選手の松永喬(愛称:マッチャン)が1969年8月10日の12時間耐久レースで死亡事故を起こした場所。正式には出口の250Rがマッチャンコーナーとなるが、ヘアピン立ち上がりから200R、250Rをまとめて称される事が多い。2輪レースでは200Rに設置された「西シケイン」を使用する。
スプーンカーブ
コース西端の折り返しとなる左複合コーナー。名称はコーナーの形が食器のスプーンに似ていることから。60Rから200Rまで5つコーナーが含まれ、ライン取りの自由度が高い。出口は下りで、続く西ストレートに向けて上りとなる。
西ストレート
コース最長の1,200m[19]の直線。立体交差橋を渡る手前付近で、コース中の最高速を記録する。
130R
西ストレートからわずかに減速して飛び込む左の超高速コーナー。度胸試しの名物コーナーとして知られ、当初は名称の通り曲率半径が130Rのカーブであった。2003年の改修後は85Rと340Rの複合コーナーになり、以前よりもやや難易度が下がった。
シケイン
130R通過後のスピードに乗った状態から急減速する右・左のシケイン。以前カシオの広告看板があったことから、「カシオ・トライアングル」という名称が付けられていた。
ブレーキング勝負の仕掛け所であり、1989年F1日本GPにおけるセナプロストの接触など、数々のドラマが演じられた。2輪用シケインは4輪用よりも最終コーナー寄りにある。
最終コーナー
メインストレートに向けて加速する緩い右コーナー。ダンロップコーナーとは逆に、急な下り坂となっている。自転車レースに使われる場合は危険なため逆回りで使用される(かつて大きな事故が起こっている)。

レースイベントによっては、東西に分けたハーフコースで使用する場合もある。

東コース
ダンロップコーナーから最終コーナーに抜ける東ショートカットを使用した全長2.243kmのコース。レースやスポーツ走行のない時間帯にサーキットカートで1周することができる。世界ツーリングカー選手権(WTCC)等で使用される。
なお過去には、ダンロップコーナーの先で右に曲がり130Rとシケインの中間地点に出る「東スペシャルコース」(全長2.746km)がフォーミュラ・ニッポンで使用されたことがある[23]
西コース
シケイン手前からダンロップコーナー立ち上がりへ抜ける西ショートカットを使用した全長3.475km(2輪:3.483km)のコース。西ストレート(バックストレッチ)途中にあるピットを使用する。
南コース

また、西ストレートの南側には、おもにジムカーナカートレースが開催される南コース(全長1.264km)がある。かつて駐車場だった場所に1989年に作られ、規模の大きなレースが開催される時は駐車場として使用される。

特徴 [編集]

テクニカルサーキット [編集]

土地の高低差と低速〜高速コーナーのバランスが上手く配合されており、難易度が高く走り甲斐のあるコースとして評価されている。デビッド・クルサードは「自分がグランプリドライバーであることを本当に実感できるすごいコースだ[24]」と語り、2009年のF1日本GPで優勝したセバスチャン・ベッテルは「神の手で作られたサーキットじゃないかと思う[25]」と賞賛した。ジェンソン・バトンルイス・ハミルトンら他のドライバーからも好意的な意見が寄せられている[25]。S字コーナー区間について、ベッテルは「F1マシンはこういうコーナーを攻めるために作られているんだ」と興奮気味に話す。マーク・ウェバーも「ここをいかに速く走り抜けられるかが男を決める」と語っている。

2005年に国際自動車連盟 (FIA) がF1ファンを対象に行ったアンケートでは、「好きなサーキット」の項目においてモンテカルロ市街地コース(モナコ)、スパ・フランコルシャン(ベルギー)、シルバーストン・サーキット(イギリス)、モンツァ・サーキット(イタリア)に次ぐ5番目の得票を得た[26]

安全性 [編集]

FIAはサーキットの安全基準を等級化しており、日本国内では鈴鹿と富士スピードウェイが最上級の「グレード1」に認定されている[27]。アクシデント発生時のコースマーシャルの対応、メディカルスタッフの救護体制は整備されており、F1開催サーキットの中ではモナコと並んで世界一という高い評価を得てきた[28]

しかし、開業から50年を経る間に競技車両の走行速度が上昇したため、近年はコース幅やセーフティーゾーンの狭さが課題となっている。過去の改修工事ではトラックを内側にずらしてランオフエリアを拡張したり、2輪用のシケインを追加している。また、2輪・4輪両方での安全性を考慮し、舗装したエスケープゾーンの外周に砂利(グラベル)を敷く「ハーフ&ハーフ」という方式を採用している。それでも、コースレイアウトや立地条件から、安全面のキャパシティ拡大には制限がある。

2003年のMotoGP日本グランプリで起きた加藤大治郎の死亡事故ではコースの安全性が問題となり、国際モーターサイクリズム連盟 (FIM) のグレードA認定を取り消されている。

天候の影響 [編集]

サーキット西方の鈴鹿山脈より流れこむ雲が「通り雨」を降らし、レースに影響を及ぼすことがある。コースが東西に長いため、西側と東側で天気が異なることもある。また、サーキットのある紀伊半島台風の進路になりやすく、台風接近の影響でレースが中止または順延された事例がある。

  • 1972年9月、フルコースで行われる予定だった全日本鈴鹿自動車レースは台風の影響で東コースのみで開催された。
  • 1982年8月、鈴鹿8時間耐久ロードレースは台風の為6時間に短縮されて行われた。
  • 1989年8月に開催予定だった鈴鹿1000㎞レースは悪天候のため12月に順延され行われている。
  • 2004年のF1日本グランプリでは台風22号がサーキット付近を通過する予報となっていたことからレーススケジュールを変更し、予選と決勝を同日に実施した。
  • 2010年のF1日本グランプリにおいても、集中豪雨の影響でレーススケジュール変更を余儀なくされた。
  • 2011年9月に開催予定だったフォーミュラ・ニッポン第5戦は、台風12号による豪雨の影響で中止となった。

レース・イベント [編集]

開催中のレース・イベント [編集]

主なレース・イベントとしては7月に2輪の鈴鹿8時間耐久ロードレース、8月にSUPER GTインターナショナルポッカ1000km、9月に世界ツーリングカー選手権 (WTCC) 日本ラウンド、10月にはF1日本グランプリが開催されている。

その他にスーパーフォーミュラスーパー耐久全日本ロードレース選手権フェラーリ・チャレンジ、ポルシェ・カレラカップ、ソーラーカーレース鈴鹿、CIK-FIA世界カート選手権など多くの2輪や4輪レースが開催されている。

またフェラーリ・レーシング・デイズなどの自動車メーカー主催のモータースポーツイベントが開催されている。モータースポーツ以外には2輪車安全運転全国大会、自転車シマノ鈴鹿ロードレース鈴鹿シティマラソンなども催されている。

過去に開催されたレース・イベント [編集]

富士スピードウェイが日本GP(1960年代)や富士グランチャンピオンレース(富士GC)などのスポーツカーレース路線をとっていたのに対し、鈴鹿は長距離耐久レースやフォーミュラカーレースの開催を打ち出していた。国内のF2レースでは、全日本F2選手権とは別に鈴鹿でのレースを対象とした「鈴鹿F2選手権」が制定されていた。

コースレコード [編集]

4輪では2006年F1日本GP予選でミハエル・シューマッハフェラーリ)が記録した1分28秒954。2輪では2012年の第44回 MFJグランプリ スーパーバイクレース in 鈴鹿でJSB1000クラスの秋吉耕佑(ホンダ)が記録した2分06秒401。その他のカテゴリの記録は鈴鹿サーキット公式ホームページ[1]に掲載されている。

コース改修 [編集]

鈴鹿サーキット付近の空中写真。(1987年撮影)
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

初期のコース全長は6.00415kmで、1966年にはFIA国際トラックライセンスが下りた[8]。1983年~1987年にかけて安全性確保、F1開催への基準クリアのために段階的にコースレイアウトやランオフエリアの改修が行われ、その後も継続的に改修が行われている。

開業から1990年代まで [編集]

  • 1976年 - メインストレートとピットレーンをピットウォールで分離。
  • 1983年 - コース全長:6.03335km
    • 最終コーナーにシケインを設置し、最終コーナーとメインストレートのスピードが落とされた。
  • 1984年 - コース全長:5.94315km
    • スプーンカーブをやや内側に移動し、アウト側に広いランオフエリアを確保した。
  • 1985年 - コース全長:5.91198km
    • 第1コーナーをやや手前に移し、アウト側のランオフエリアを拡大した。この際、第1コーナーから第3コーナーまでの100R、70R、60Rの3つの複合コーナーを、100Rと60Rの2つのコーナーを短い直線で繋ぐ形へ改めた。
  • 1987年 - コース全長:5.85943km
    • 1月 - F1開催に向けてピット・コントロールタワーを大改修。コントロールタワーを建て直し、走行レーンや作業エリアを拡大した。ほかにも、医務室やヘリポートを新設し、ヘアピン立ち上がりにあった西コースコントロールタワーを現在の位置へ移設した。
    • 7月 - デグナーカーブを改修し、80Rの深く旋回する1つのコーナーから、15Rと25Rの2つのコーナーを137mの直線で繋いだ形状へと変更した。また、視界確保のためデグナー内側の丘が削られた。
  • 1991年 - 全長:5.86403km
    • シケインを最終コーナー寄りに30m、ピットロード入口を130R寄りに70m移動。このレイアウトは2000年まで10年間にわたり使用されたが、初年度の1991年にゲルハルト・ベルガーがF1で記録した1分34秒700のポールポジションタイムは、最後まで破られることは無かった。

2000年代 [編集]

  • 2001年 - 全長:5.85913km
    • S字コーナーの一部をやや内側に移設し、アウト側のランオフエリアを拡大した。
  • 2002年 - 全長:5.821km
    • 逆バンクからダンロップカーブにかけての区間を内側に寄せ、ランオフエリアを拡大した。
  • 2003年 - 全長:5.807km(4輪)、5.824km→5.813km(2輪)
    • 3月 - 130Rを85Rと340Rの複合コーナーに変更。アウト側ランオフエリアを拡大し、一部アスファルト舗装にした。シケインは入口を約60m手前に移してやや緩やかな形状とし、最終コーナー側に2輪専用のダブルシケインを設置した。
    • 6月 - 加藤大治郎の死亡事故など2輪レースでシケインでの事故が相次いだため、4輪用シケインの約65m奥に2輪用シケインを新設した。
  • 2004年 - コース全長:5.821km(2輪)
    • ランオフエリアが狭い200Rへの進入速度を抑制するため、2輪専用のシケインを設置した。これ以降コースレイアウトは変更されていない。
2007~2009年の大改修 [編集]

開設から40年以上が経過し、新設サーキットに比べてコース幅やランオフエリアが狭くなった。また、施設の老朽化などもFIAから指摘され、ピットとパドックエリアの拡充やモーターホーム施設の強化、コンピュータ機器の更新などが要求された。特にコース上の安全確保は緊急の課題であり、敷地の問題から東コースの改修は手付かずとなっていたが、F1再開催に向けて2007年から改修工事が行われた。

  • 工事期間
    • 2007年11月 - 2008年5月:パドック拡張の準備工事
      • 山田池の埋立て
    • 2008年09月 - 2009年3月:東コースエリアを中心とする大規模改修
      • 旧ピットビルの取り壊しと新ピットビルの建設、観戦エリア整備、サービスロードの整備などの改修工事
    • 2009年10月 - 2010年3月:西コース観戦エリア整備
      • この工事計画は中止され、2008年~2009年の工事の中で一部工事内容を見直し前倒しされることになった
  • 主な改修計画
    • グランドスタンドの改修・増設
    • 各観戦エリアの環境・快適性向上
    • ピットビルの新築
    • チームオフィス新設
    • パドック拡張
    • ランオフエリア拡幅
    • サービスロードの設置

2010年代 [編集]

  • 2012年 - 西コース(ダンロップコーナー~シケイン)の路面再舗装[29]

遊園地、リゾート施設、交通教育センターなど [編集]

レーシングシアター

国際レーシングコースを中心に、遊園地「モートピア」、ホテル、リゾート施設として鈴鹿サーキット温泉・オートキャンプ場、スポーツ施設としてボウリング場テニスコートなどがあり、大型レジャーランドを形成している。以前はゴルフ練習場や、スノーボードゲレンデなどもあった。修学旅行の宿泊地としても歴史がある。

さらに交通マナーの向上やドライビングテクニック向上を目的として交通教育センターが設置されており、自動車やバイクの運転技術指導を行っている。二輪免許取得教習も行っていたが、2009年3月末日で入校申込を終了している。

2012年7月7日には鈴鹿サーキット開場50周年を記念して場内のGPフィールドにてフォーミュラーカーバイク運転シミュレーションで体験できる新アトラクション「レーシングシアター」がオープンした[30]

交通 [編集]

園内を貫く市道「サーキット道路」(国道23号方面を望む)

人里離れた場所にある国内の多くのサーキットと比べ交通手段は比較的恵まれており、特に近隣の各鉄道駅から徒歩20分から1時間程度である。また、鈴鹿市など自治体や地域住民もサーキットに協力的で、F1等の国際レース規模の大きなレースイベントを開催する際でも渋滞などの問題は発生するものの、長年の経験によるノウハウも持っていることから、概ね円滑に運営されている。

2009年、国・三重県・鈴鹿市並びに周辺市町、観光・経済・交通等の関係団体が官民共同で「鈴鹿F1日本グランプリ地域活性化協議会」を設立。F1開催時より白子駅からのシャトルバスが中勢バイパス建設現場をバス専用ルートとして運行し、2006年のF1開催時に比べ所要時間が半分に短縮された。

自動車
鉄道
※ビッグレース開催時は臨時列車・直通シャトルバスの運行がある。

脚注 [編集]

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  1. ^ 詳細は三重県鈴鹿建設事務所に保管されている当時の建設許可申請を参照のこと。
  2. ^ 日本初の常設サーキットは1936年多摩川河川敷に開設された多摩川スピードウェイであるが、全面舗装コースは鈴鹿サーキットが初となる。
  3. ^ マイ・ワンダフル・サーキット 第28回
  4. ^ Honda 鈴鹿製作所
  5. ^ a b c 辻野ヒロシ (2012年2月20日). “本田宗一郎の想いがここに!鈴鹿サーキット50周年”. All About. p. 2/5. 2012年4月20日閲覧。
  6. ^ a b “F1アカデミー14時限目 本田宗一郎と鈴鹿サーキット”. F1速報 第15戦日本GP号. イデア. (2009年). pp. 34-35. 
  7. ^ a b c d 大串信 「ゼロから鈴鹿サーキットを作り上げた塩崎定夫に訊く- 『まさか50年後にも褒めてもらえるなんて』」『Racing On 総力特集 鈴鹿サーキット (No.461) 』 三栄書房、2012年10月、pp.12-16。
  8. ^ a b c “鈴鹿、モータースポーツの原点”. オートスポーツ 1994年6月1日号. 三栄書房. (1994年). pp. 10-22. 
  9. ^ 本田文庫『情熱の最前線 特別座談会「モータースポーツへの情熱」』(本田技研工業株式会社人事部人材開発センター社内広報グループ製作、本田技研工業株式会社広報部発行、1994年9月30日)p.24
  10. ^ 『カーグラフィック 2012年11月号』 カーグラフィック、2012年、p.147
  11. ^ a b 『Racing On シルエットフォーミュラ (No.462) 』 p.146
  12. ^ 一説には、ヨーロッパ視察団は「誰でもいいからガイジンを日本へ連れて来い」と指示されていたとされる。オランダのホンダ代理店の紹介でフーゲンホルツに会ったところ、東洋に行った事のないフーゲンホルツは喜んで日本行きに応じたという(『Racing On 総力特集 鈴鹿サーキット (No.461) 』 p.15)。
  13. ^ 『JAF15年の歩み』『JAF20年史』
  14. ^ 『サーキット・ザントフールト開業60周年記念誌:60年にわたる情熱とスピード(特別季刊誌DE KLINK2008年夏号)』『100 JAAR AUTOSPORT, 50 JAAR CIRCUIT ZANDVOORT(ザントフールト・サーキット開業50年記念誌』
  15. ^ 鈴鹿サーキット開業から8ヵ月後の1963年7月に日本発の高速道路として、名神高速道路が部分開通した。
  16. ^ モータースポーツランド→テクニランド→ホンダランド→鈴鹿サーキットランド→モビリティランドと社名変更。
  17. ^ 大久保力『サーキット燦々』 三栄書房、2005年、105頁。
  18. ^ ツインリンクもてぎの立体交差はオーバルトラックの下をロードコースが通過する。かつてはモンツァ・サーキットも立体交差のバンクコースを使用していた。
  19. ^ a b c SUPER GT サーキット紹介”. J SPORTS. 2012年4月20日閲覧。
  20. ^ 鈴鹿サーキットパドック・グランドスタンド”. 竹中工務店. 2012年4月20日閲覧。
  21. ^ 奥川浩彦 (2011年8月11日). “次世代エネルギーカーレース「2011 Ene1-GP SUZUKA」が初開催”. Car Watch. 2012年4月20日閲覧。
  22. ^ モータースポーツヒストリー - 1985年”. DUNLOP MOTORSPORT. 住友ゴム工業. 2012年4月20日閲覧。
  23. ^ 中嶋企画レースレポート00FN-5
  24. ^ “F1日本GP解説 by デビッド・クルサード”. F1-Gate.com. (2009年9月29日). http://f1-gate.com/coulthard/f1_5030.html 2012年4月20日閲覧。 
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  26. ^ “FIA/AMD FORMULA ONE SURVEY 2005 93,000 FANS RESPOND” (英語) (プレスリリース), FIA, (2005年7月7日), http://www.fia.com/mediacentre/Press_Releases/FIA_Sport/2005/July/070705-01.html 2012年4月20日閲覧。 
  27. ^ F1を開催するためにはグレード1認定が必要とされる。
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  29. ^ “鈴鹿サーキット、西コースの再舗装工事を開始”. オートスポーツweb. (2011年12月21日). http://as-web.jp/news/info.php?c_id=4&no=38306 2012年4月20日閲覧。 
  30. ^ 鈴鹿サーキットGPフィールド|レーシングシアター

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]