エイドリアン・スーティル
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|---|---|---|---|---|
| 基本情報 | ||||
| フルネーム | Adrian Sutil | |||
| 略称表記 | SUT | |||
| 国籍 | ||||
| 出身地 | 同・バイエルン州 | |||
| 生年月日 | 1983年1月11日(30歳) | |||
| F1での経歴 | ||||
| 車番 | 15 | |||
| 所属チーム | フォース・インディア '13- | |||
| 活動時期 | 2007-2011,2013- | |||
| 過去の所属チーム | '07 スパイカー '08-'11 フォース・インディア |
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| 出走回数 | 95 | |||
| 優勝回数 | 0 | |||
| 通算獲得ポイント | 101 | |||
| 表彰台(3位以内)回数 | 0 | |||
| ポールポジション | 0 | |||
| ファステストラップ | 1 | |||
| F1デビュー戦 | 2007年オーストラリアGP | |||
| 2013年順位 | 13位 (6ポイント) | |||
| タイトル | 0 | |||
| (記録は2013年第5戦スペインGP終了時) | ||||
エイドリアン・スーティル(Adrian Sutil、1983年1月11日 - )は、ドイツのレーシングドライバー。バイエルン州シュタルンベルク郡出身。血液型AB型、身長183cm。
姓名の日本語転写にはぶれがあり、姓はスティルやスティールとも、名はアードリアンとも表記される。
目次 |
経歴[編集]
出生からF1参戦まで[編集]
父はバイオリニスト、母はピアニストという音楽一家に生まれ、スーティル自身もピアニストになる為の英才教育を受けていたが、14歳の時に今まで知らなかったゴーカートの存在を知る。そのエンジン音の虜となり、ピアニストへの道を中断しレーサーへの道へ進むことを決める。
2000年にドイツカート選手権に参戦し総合3位など各種カート大会で経験を積んだ。
2002年にはスイスのフォーミュラ・フォードに参戦し、全12の選手権において全てのレースでポールトゥウィンを達成してチャンピオンに輝いた。2003年はドイツのフォーミュラBMWに参戦し、2回のポールポジションと4回の表彰台を獲得するも優勝には届かず、総合6位でシーズンを終えた。
2004年にはコリン・コレスのチームからユーロF3に参戦。2度のポールポジション獲得などの活躍を見せるが優勝には至らず、総合15位で初年度を終えた。最終戦ではASMに移籍し、翌2005年には同チームから参戦、チームメイトにはルイス・ハミルトンを迎えた。2勝をあげたものの15勝をあげたハミルトンに敗れ、総合2位で同シリーズを終えた。同じ2005年冬には、初開催となる2005-2006A1グランプリにドイツチームとして、ポルトガル、オーストラリア、ドバイのレースにも出場している。最高位は12位が2回、チームは総合15位に終わった。
2006年は全日本F3選手権にトムスから参戦すると、雨の富士では接触でリアウイングを失うも、4位で完走するなど驚異的な走りを見せ、18戦中5勝をあげてチャンピオンに輝いた。また、8月に行われたSUPER GTの鈴鹿1000kmレースに、同じくトムスの36号車のサードドライバーとして、脇阪寿一、アンドレ・ロッテラーと共に出走した。この年は、F1に新規参戦したMF1のサードドライバーとなり、金曜日のフリー走行にも出走している。
F1参戦後[編集]
2007年、MF1を買収したスパイカーから、ティアゴ・モンテイロに代わりF1に参戦することになった。チームメイトはクリスチャン・アルバース。第11戦ハンガリーGPからはアルバースに代わって山本左近がチームメイトになっている。マシンの競争力不足から、チームメイトと共にシーズンを通して予選では常に最後方を争うことになる。決勝ではミスも目立ち、7回のリタイアの内5回は、単独でのスピンや他車とのアクシデントによるものとなった。
そんな中、第17戦日本GPでは9位でレースを終え、後に8位のヴィタントニオ・リウッツィのペナルティにより8位に繰り上がり、F1での初入賞を果たすとともに、スパイカーに初ポイントをもたらした。
2008年はスパイカーを買収したフォース・インディアと契約。チームメイトはベテランのジャンカルロ・フィジケラ。チーム名こそ変わったものの、昨年同様マシンの競争力不足は変わらず、予選・決勝ともに苦しんだ。マシンの信頼性、自身のミス、不運によるもの、様々な要因があったが、結果的に全18戦中11回のリタイアを喫した。
第6戦モナコGPでは雨の中、非力なマシンで終盤まで4位を走行したが、後方からキミ・ライコネンに追突されリタイアに追い込まれた。しかしレース後には黄旗が振られている区間で3台をオーバーテイクしたとして警告を受けたため、完走していたとしてもペナルティを受け入賞はなかったと思われる[1]。
2009年も引き続きフォース・インディアから参戦。相変わらずマシンの競争力は不足しており苦戦を強いられているが、雨の中でのレースとなった第3戦中国GPでは終盤に6位まで浮上し雨での強さを再び見せた。しかし、残り6周となった所でクラッシュし、入賞を逃した(17位完走扱い)。
イギリスGPではフリー走行で3位につけるなど好結果が期待されていたが、予選で赤旗中断となるほどの激しいクラッシュに見舞われた。しかし、決勝には無事出走している。
ドイツGPではQ1.Q2を余裕を持って勝ち上がり、Q3で自己最高の7番グリッドにつけた。驚きなのは、予選で8.9番手で終えたフェラーリの2台より多く燃料を積んでいたということだった。決勝では1回目のピットストップまでに2位まで順位を上げ、一位のバリチェロの真後ろに着き、入賞どころか優勝の期待もあったが、ピットアウト後の1コーナーでキミ・ライコネンと接触し15位までポジションを落としそのままチェッカーを受けた。 イタリアGPでは、自己最高位となる予選2位を獲得した。更に決勝ではマシンの特性を活かして初ファステストラップを記録し、自己最高位の4位を獲得した。レースや予選で時折速さを見せるものの、他車を省みない危険なドライビングも目立つシーズンとなった。(シンガポールグランプリでスピンした直後のリカバーでハイドフェルドに衝突し、次戦の日本グランプリではシケインに並走状態で進入したコバライネンのラインを強引にふさぎ接触など)
2010年も引き続きフォース・インディアから参戦。今年度のフォースインディアのマシン、VJM03は開幕戦から戦闘力を発揮し、コンスタントにポイントを獲得していった。 しかし、終盤戦に入ってテクニカル・ディレクターが離脱したこともあってかパフォーマンスは低下していきQ3進出もままらなくなった。結果、コンストラクターズランキングでウィリアムズに6位を奪われた。
2011年も引き続きフォース・インディアから参戦。チームメイトはルーキーのポール・ディ・レスタ。最終的にディ・レスタに15ポイント差をつける42ポイントを獲得しドライバーズランキング9位につけたが、シーズン終了後にニコ・ヒュルケンベルグと入れ替わる形でシートを失った。
2012年はシートは得られず1年間浪人することになった。
2013年はニコ・ヒュルケンベルグが移籍して空いた古巣フォース・インディアのシートを、ジュール・ビアンキと競った末に獲得し[2]、F1復帰を果たした。
暴行事件[編集]
2011年、中国グランプリ後に上海のナイトクラブ「M1NT」にて友人でもあるルイス・ハミルトンの祝賀パーティに参加した際ロータス・ルノーGPを実質運営しているジェニイ・キャピタルのCEOであるエリック・ラックスに傷害を負わせたとして5月17日、ジェニイ側から刑事告訴を受けた。スーティル自身は「割れたシャンパングラスを持っていて、偶然怪我をさせてしまった」と弁解しているが、ラックスは首を24針縫う怪我を負ったとされ、さらには聴覚障害にも悩まされているとして11億円の損害賠償を請求した。スーパーライセンスの剥奪も噂されているが、FIAは現時点(スペイングランプリ前)で調査などを行っておらず、所属チームであるフォースインディアも即時解雇等の処分はせずに状況を静観する旨の声明を発表した。
しかしシーズン終了後のドライバー発表でフォースインディアはポール・ディ・レスタとニコ・ヒュルケンベルグの起用を発表、終盤戦で立て続けにポイントを重ねていたスーティルが放出されたことに関して疑問の声も上がったが、暴行事件が影響しているのではないかとの噂も多く聞かれた。
その後もウィリアムズなどの候補に名前が上がるもののシート確保には至らない状況で年が明けた2012年1月13日、ドイツの警察当局はスーティルを重傷害罪で起訴することを決定、ミュンヘンの地方裁判所に召喚されることとなった。1月30日に行われた裁判では被害者のエリック・ラックスの他、その場に居合わせたというジェローム・ダンブロシオも出廷し証言を行い、スーティル側はラックスに「本当に申し訳ないことをしてしまった、意図的に傷つけるつもりはなかった」などと釈明し直接謝罪したが、翌31日に地方裁判所はスーティルに対し執行猶予付きの懲役1年6ヶ月・罰金20万ユーロ(約2000万円)の有罪判決を下した。
エピソード[編集]
- トップチームで走ったことがないスーティルだが、好調なレースに限って不運なアクシデントに巻き込まれている。2009年中国GPは最後まで入賞圏内を走行していたが、アクシデントで完走扱い、2009年ドイツGPで入賞目前となったレースでは、キミ・ライコネンと接触している。
- 戦闘力の劣るマシンを駆りながらも、時折光る走りを見せることから才能はあると言われながらも、後にクラッシュやアクシデントに巻き込まれてリタイヤとなってしまうことが多かった。
- レインコンディションを得意とするドライバーで、2008年モナコGPや2009年中国GPでは下位から上位入賞圏内に繰り上がり才能の片鱗を見せている。フジテレビでのキャッチコピーは「レインマン」。
- 全日本F3に参戦していた経歴から、日本人のファンも多い。
- 暴行事件が起こったときに直ぐそばにいた親友だったルイス・ハミルトンは、マクラーレンでの仕事を理由に裁判に証人として出廷することを拒んだ。またスーティルには変更した電話番号も教えず、連絡も取らなかった。この様な態度にスーティルは「ルイスは臆病者だ」「そのような男とは友達ではいたくない。もっと言えば、彼は男ではない。」などとこき下ろした[3]。
F1での年度別成績[編集]
(2011年第最終戦戦終了時)
| 年 | 所属チーム | 車番 | ランキング | 獲得ポイント | 決勝最高位・回数 | 表彰台回数 | 予選最高位・回数 | FL記録回数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007年 | スパイカー | 20 | 19位 | 1 | 8位・1回 | 0回 | 19位・3回 | 0回 |
| 2008年 | フォース・インディア | 20 | 20位 | 0 | 13位・1回 | 0回 | 17位・1回 | 0回 |
| 2009年 | 20 | 17位 | 5 | 4位・1回 | 0回 | 2位・1回 | 1回 | |
| 2010年 | 14 | 11位 | 47 | 5位・2回 | 0回 | 4位・1回 | 0回 | |
| 2011年 | 14 | 9位 | 42 | 6位・2回 | 0回 | 8位・4回 | 0回 |
| 年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | WDC | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007年 | スパイカー | F8-VII | AUS 17 |
MAL Ret |
BHR 15 |
ESP 13 |
MON Ret |
CAN Ret |
USA 14 |
FRA 17 |
GBR Ret |
EUR Ret |
HUN 17 |
TUR 21 |
19位 | 1 | |||||||
| F8-VIIB | ITA 19 |
BEL 14 |
JPN 8 |
CHN Ret |
BRA Ret |
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| 2008年 | フォース・インディア | VJM01 | AUS Ret |
MAL Ret |
BHR 19 |
ESP Ret |
TUR 16 |
MON Ret |
CAN Ret |
FRA 19 |
GBR Ret |
GER 15 |
HUN Ret |
EUR Ret |
BEL 13 |
ITA 19 |
SIN Ret |
JPN Ret |
CHN Ret |
BRA 16 |
20位 | 0 | |
| 2009年 | VJM02 | AUS 9 |
MAL 17 |
CHN 17 |
BHR 16 |
ESP Ret |
MON 14 |
TUR 17 |
GBR 17 |
GER 15 |
HUN Ret |
EUR 11 |
BEL 10 |
ITA 4 |
SIN Ret |
JPN 13 |
BRA Ret |
ABU 17 |
17位 | 5 | |||
| 2010年 | VJM03 | BHR 12 |
AUS Ret |
MAL 5 |
CHN 11 |
ESP 7 |
MON 8 |
TUR 9 |
CAN 10 |
EUR 6 |
GBR 8 |
GER 17 |
HUN Ret |
BEL 5 |
ITA 16 |
SIN 9 |
JPN Ret |
KOR Ret |
ABU 12 |
BRA 13 |
11位 | 47 | |
| 2011年 | VJM04 | AUS 9 |
MAL 11 |
CHN 15 |
TUR 13 |
ESP 13 |
MON 7 |
CAN Ret |
EUR 9 |
GBR 11 |
GER 6 |
HUN 14 |
BEL 7 |
ITA Ret |
SIN 8 |
JPN 11 |
KOR 11 |
IND 9 |
ABU 8 |
BRA 6 |
9位 | 42 | |
| 2013年 | VJM06 | AUS 7 |
MAL Ret |
CHN Ret |
BHR 13 |
ESP 13 |
MON |
CAN |
GBR |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
SIN |
KOR |
JPN |
IND |
ABU |
USA |
BRA |
12位 | 6 |
脚注[編集]
- ^ F1-Live.com 2008年5月26日
- ^ “スーティルの復帰が正式決定”. ESPN F1. (2013年2月28日) 2013年3月1日閲覧。
- ^ “エイドリアン・スーティル 「ルイス・ハミルトンは臆病者。もう友達ではない」”. F1-Gate.com. (2012年2月1日) 2012年2月4日閲覧。
外部リンク[編集]
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