ザウバー
| エントリー名 | ザウバー |
|---|---|
| チーム国籍 | |
| チーム本拠地 | |
| チーム代表者 | ペーター・ザウバー |
| テクニカルディレクター | ジェームス・キー |
| 2012年のF1世界選手権 | |
| ドライバー | 16.小林可夢偉 17.セルジオ・ペレス |
| テストドライバー | エステバン・グティエレス |
| シャーシ | C30 |
| エンジン | フェラーリTipo056 V8 |
| タイヤ | ピレリ |
| F1世界選手権におけるチーム履歴 | |
| 参戦年度 | 1993 - 2005, 2010 - |
| 出走回数 | 274 (536台) |
| コンストラクターズ タイトル |
0 |
| ドライバーズ タイトル |
0 |
| 優勝回数 | 0 |
| 通算獲得ポイント | 319 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 8 |
| ポールポジション | 0 |
| ファステストラップ | 0 |
| F1デビュー戦 | 1993年南アフリカGP |
| ( ※ : 記録は2011年ブラジルGP終了時 ) | |
ザウバー(Sauber )は、スイスのヒンウィルに本拠地を置くレーシングチームである。モータースポーツが禁止されているスイスでは数少ないレーシングチームである。
かつてはメルセデスと縁の深いチームであったが、1997年のエンジン供給以降2005年まではフェラーリのジュニアチーム的存在であった。チームがBMWの手から離れた2010年もフェラーリエンジンを搭載している。
F1だけでなく、スイスF3用の車両も製作している。
目次 |
[編集] 歴史
1955年ル・マン24時間レースにおいて発生した大惨事の影響でスイス国内における国際モータースポーツ競技が禁止されていたため、参戦までには多くの障害があった。チームオーナーは自らがドライバーとしてレースに出場していた経験もあるペーター・ザウバーであり、彼が1970年にマシンを製作したのが始まりである。
[編集] スポーツカー・プロトタイプレース参戦
1970年にヒルクライムに参戦するべくペーター・ザウバー自らザウバー・C1を製作、ドライバーも務めた。翌1971年ザウバー・C2を製作した。1973年、ザウバーの活躍に目をつけた出資者より融資を得ることに成功しザウバー・C3を3台製作。ガイ・ボワッソンによって設計されたこの車はスイスのスポーツカー選手権で活躍することになる。
1974年、フリードリヒ・ヒュルツェラーがヒルクライムレースでザウバー・C1を駆って優勝を果たした。1975年には初のアルミニウム製シャシーを用いたザウバー・C4を製作。1976年、ハーバート・ミュラーによってプロトタイプレーシングカー「ザウバー・C5」を製作する。このザウバー・C5は歴代の車両の中で最高傑作と言われるマシンであり、同年のシリーズ「インターセリエ」で優勝。また1976年、1977年にはル・マン24時間レースにも参戦する。結果こそリタイアであったものの、クラス中トップを走行するなど健闘した。
1980年、1981年にはBMW M1の開発に携わり、ニュルブルクリンク1000Kmレースに参戦。1982年にザウバー・C6を製作する。このザウバー・C6はチーム初の風洞施設による設計車両で、この車両を用いてスポーツカーレースに参戦した。なおこの車両の設計に携わったレオ・メスとは、後にザウバーが参戦するF1にて重要な役割を担う深い関係を築くことになる。また1985年にはメルセデス・ベンツとも深い関係を構築していった。
[編集] メルセデスとの関係
同年、メルセデスエンジン搭載のグループCマシンであるザウバー・C8を製作した。奇しくも先述の1955年のル・マンの大惨事によって30年間レースから遠ざかっていたメルセデスを、同事故によってレースから遠ざかっていたスイスのモータースポーツチームが呼び戻したことになる。1986年、ザウバーは世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC、現・スポーツカー世界選手権)に参戦。第7戦のニュルブルクリンクで優勝を果たした。1987年、さらに進化したニューマシン「ザウバー・C9」を製作。1988年には遂にメルセデスが正式にモータースポーツに復帰することを発表し、チーム名を「チーム・ザウバーメルセデス」とした。これによりザウバーはワークス・チームとなり、WSPC開幕戦より優勝を果たす等11戦中5勝を挙げ、シリーズランキング2位に輝いた。
1989年、ザウバー・C9は開幕戦鈴鹿サーキットにて1-2フィニッシュを挙げ、世界三大レースの1つであるル・マン24時間レースにも優勝。同年のWSPC8戦中7勝という圧倒的な強さを見せ、同年のチャンピオンに輝いた。こうした数々の記録を打ち立てたWSPCからも1991年限りで撤退し、メルセデスとともにF1進出計画を進めていった。
またザウバーはミハエル・シューマッハ、ハインツ=ハラルド・フレンツェン、カール・ヴェンドリンガーら有能な若手ドライバーをヨッヘン・マスらベテランと組ませてWSPCに交替で参戦させ育成した。この若い3人のドライバーは「メルセデス若手育成プログラム」という将来有望な若いドライバーに英才的な教育を受けさせてF1に羽ばたく人材の育成を目的とし、実際にこの3名全てが後のF1で強烈な活躍をすることになる。彼ら、あるいはザウバーを含めて「メルセデス・ジュニアチーム」と呼ばれ、ザウバーは前述のメルセデス若手育成プログラムに大きく貢献した。
[編集] その他の関係
1979年、ザウバーは一時的にスポーツカー製作から離れていた時期に、イギリスの車体製造メーカーであるローラのF2用シャシー製作を手がけた。このシャシーはシーズンで1位、2位、4位を占めるという輝かしい成果を収めている。
[編集] F1参戦
[編集] 1990年代
[編集] 1993年 初参戦
開幕戦南アフリカGPでついにF1への初参戦を果たした。エンジンはイルモア製であったが、名称は「ザウバーエンジン」として搭載した。当時メルセデスがF1復帰を正式に表明していなかったため、ワークスカラーの銀色(シルバーアロー)ではなく黒色のマシンで登場し、リアカウルに「Concept by Mercedes-Benz」の文字があるのみであった。メルセデスワークス復活の足掛かりとして資金及び技術援助を受けていると周囲には受け止められたが、実際はワークス計画を中止したメルセデスがザウバーの参戦を補償した形であった。しかし現実には技術面から財政面に至るまで大規模な支援を受け、1993年当時の水準で全チーム中、最大のファクトリーとトップチーム並みの予算規模を持ち、新規参入にも関わらず5チームしかないグッドイヤータイヤのファクトリーチームとして指定(レース・テストを問わずタイヤの無償かつ無制限供給)されるなど、異例なほど万端な体制を整えての参戦となった。
[編集] 1994年 メルセデス、レッドブルのF1参入足懸り
メルセデスは正式にF1参戦を表明したが、形態はエンジン供給に止まり、ザウバーはプライベートチームとして活動していくことになった。この年の第4戦モナコGPで、エースドライバーのカール・ヴェンドリンガーがフリー走行中にクラッシュで瀕死の重傷を負ってしまった。この事故はドライバーの頭部が剥き出し状態であったことが重傷を負った原因とチームが独自に判断、たとえエアロダイナミクスが悪くなってもドライバーの生命を守ることを最優先事項とし、翌スペインGPから「サイドプロテクト」と呼ばれるドライバーの頭部をより安全に守れるような改造をコックピットに施した(このサイドプロテクトは1996年以降レギュレーションに採用され、F1以外も全てのフォーミュラカーのルールにおいて採用するようになった)。この事故により、この年にF1デビューを果たしていたチームメイトのハインツ=ハラルド・フレンツェンが急遽エースドライバーに昇格、セカンドドライバーには「壊し屋」との異名をもつアンドレア・デ・チェザリスを起用して残りのシーズンを戦うこととなった。しかしチームは資金力豊かなトップチームのようにコンスタントな開発ができなかったことから成績が振るわず、メルセデスがマクラーレンと翌1995年以降のエンジン独占供給契約を結んだことで長年のパートナーシップに終止符が打たれた。この年からメインスポンサーが付くことになったが最初の「ライト・ハウス」社が指定された期日までに契約金を入金しなかったので契約不履行となり契約を解除、スイスの時計メーカースウォッチ(ブランド名はティソ)がメインスポンサーとなる。また1995年からはレッドブルがチーム株式の一部を取得、同時にタイトルスポンサーとなりチーム名も「レッドブル・ザウバー」となった。
[編集] 1995年 フォードとの提携
ザウバーはベネトンに去られたフォードから1995年シーズンよりフォード・コスワース・ZETEC-Rエンジンの供給を受け、出直しを図った。しかしワークスエンジンを獲得したもののV10エンジン全盛期の時代にV8エンジンでは限界があり、このエンジンでの最高位は1995年の第12戦イタリアGPでフレンツェンが獲得した3位に止まった(この3位のリザルトは「ザウバー」としての現時点での最高位)。
[編集] 1996年 - 1999年 ペトロナス、フェラーリとの関係構築
1996年はフォード初のV10エンジンをワークス体制で供給された。しかし1996年のシーズン開幕前に、スチュワート・レーシングが翌1997年からフォード・エンジン独占使用によるF1参戦を表明した。これにより、ザウバーはまたしてもワークスエンジンを失うこととなった。
1997年からはフェラーリの1年型落ちであるエンジンを、スポンサーであるマレーシアの石油会社ペトロナスのバッジネームにて「ペトロナスエンジン」として使用することとなった。またホンダ、マクラーレン、フェラーリと渡り歩いた後藤治がエンジン担当としてフェラーリから派遣される形でチームに加入した。以降、一説にはフェラーリのエンジン開発パーツをザウバーに供給し、実戦においてパーツの耐久テスト等をしているのではないかと噂をされたこともあった。
[編集] 2000年代
[編集] 2001 - 2005年 フェラーリのジュニアチーム化
- 2001年
- この年は、プロストから移籍のニック・ハイドフェルドと、無名の新人キミ・ライコネンが起用された。ライコネンは、下位カテゴリでの経験がほとんどなかったことからスーパーライセンスが発給されず、4戦限定の仮ライセンスという形での参戦となった。当初、チームのタイトルスポンサーであるレッドブルが、配下の育成ドライバーであるエンリケ・ベルノルディを推薦したが、チーム代表のペーター・ザウバーはこれを拒否、前述のラインナップに決定した。なおこの一件によりレッドブルは2001年シーズンを以て保有するチームの株式を売却しタイトルスポンサーからも下り、同時にアロウズとスポンサー契約を締結しベルノルディを起用させている。
- 開幕戦にはハイドフェルド4位、ライコネン6位といきなりのダブル入賞、その後もハイドフェルドが第3戦ブラジルグランプリで自身初、チームとしても1998年以来となる表彰台を獲得、シーズン中に正式にスーパーライセンスが発給されたライコネンも着実に入賞を重ね、コンストラクターズランキングはF1参戦開始以来最上位の4位となり、躍進を果たした。これは、ジョーダン、BAR、ジャガー、プロスト、ベネトンといった自動車メーカー系チームを上回る大健闘であり、チームがBMWに買収される2005年までの最高成績となっている。
- 2002年
- 前年限りでマクラーレンに移籍したライコネンに代わり、前年ユーロF3000で8戦中6勝という圧倒的な成績でチャンピオンを獲得したフェリペ・マッサを起用した。前年から継続起用のハイドフェルドとともにシーズンを戦った。シーズン前半はルノーと互角の争いをするなど健闘を見せるも、マシン開発が進まずシーズン後半は苦戦を強いられ、コンストラクターズランキングは5位と前年を下回る結果となった。
- 第13戦アメリカグランプリでは、前戦イタリアグランプリでマッサに下された翌戦での10グリッド降格ペナルティを回避するため、アロウズの撤退によりフリーとなっていたフレンツェンが一時的に起用されている。
- この年起用されたマッサはフェラーリとの契約下にあったことを、後にマッサ自身が明らかにしている。ザウバー、フェラーリ両チームの間に直接的な資本関係があったわけではないが、この後、ザウバーは事実上フェラーリのジュニア・チームとしての性格が強まっていく。
- 2003年
- フレンツェンがレギュラードライバーに復帰し、チーム3年目のハイドフェルドとドイツ人2人の布陣となる。この年はBAR、トヨタ、ジャガーといった中堅チームの成長が著しく、開幕3戦で連続入賞を果たすものの、中盤戦以降はほとんどポイントが取れないレースが続いた。しかし、雨のレースとなった第15戦アメリカグランプリではピット戦略を成功させ、雨に強いブリヂストンタイヤの助けもあり、フレンツェンがチーム初となるリードラップを記録し3位表彰台を獲得、ハイドフェルドも5位入賞で大量得点に成功する。これにより、チームはランキング6位でシーズンを終えた。
- 第6戦オーストリアグランプリでは、スタートが2回やり直しになった結果、フレンツェンのクラッチが破損、レースに参加することができなかった。
- 3シーズンにわたってザウバーを支えたハイドフェルドはこの年限りでチームを去り、フレンツェンも引退を決めている。チーム代表のペーター・ザウバーは、特にハイドフェルドの放出は苦渋の決断であり、マッサをチームに復帰させたいフェラーリの意向が働いたものだと、後に示唆している。
- 2004年
- ドライバーはジョーダンから移籍のイタリア人ジャンカルロ・フィジケラが新たに加わり、前年にフェラーリのテストドライバーとして経験を積んだマッサが復帰した。
- この年はレギュレーション変更により、1つのグランプリをフリー走行から、予選、決勝まで1基のエンジンで走ることとされた。前年型エンジンでは耐久性に問題があるため、フェラーリから最新型エンジンの供給を受けることとなった。同時にフェラーリの前年型ギヤボックスの供給も受け、それらを搭載したC23はフェラーリの前年型マシンF2003-GAそっくりの外観で、「青いフェラーリ」などと揶揄された。
- チームはパワーステアリングもフェラーリと同型のものを採用する予定だったが、FIAに却下されてしまったため開幕戦をパワステなしで迎え、第2戦マレーシアグランプリではマッサがステアリングの重さに耐え切れず、レース中にコースアウトしてしまう有様だった。またフェラーリに特化したブリヂストンタイヤはザウバーにとっては硬すぎ、特に予選においてその扱いに苦慮することとなる。第3戦バーレーングランプリでようやく自前のパワステが導入され、そこでマッサがシーズン初の入賞を記録した。中盤戦以降はタイヤが硬すぎることを逆手に取り、予選で大量に燃料を積み後方スタートからピットインを減らす戦略を採用、これが当たりフィジケラが第8戦カナダグランプリで4位に入賞するなどシーズン後半までポイントを重ねることに成功する。ランキングは前年同様6位であったが、ポイントは前年を15ポイントも上回る結果となった。
- フェラーリそっくりのマシンにフェラーリ系ドライバーを採用するなど、ジュニアチームとして生きていくと見られていたザウバーであったが、この年限りでミシュランタイヤへの変更を表明するなどフェラーリとの距離が急速に開いていくこととなる。
- シーズン中に自動車用としては世界随一の性能とされる風洞設備が完成し、シーズン後半のマシンの開発に役立てられた。
- 2005年
- 前年に完成した風洞施設をフル活用し、前衛的なデザインのC24を完成させた。ところが開幕前にその風洞の欠陥が発覚、マシンの大幅改修が必要になってしまった。またタイヤをブリヂストンからミシュランに変更、フェラーリと異なるタイヤメーカーを選択したことで、フェラーリのジュニアチームからの脱却を目指した。エンジンは前年同様フェラーリ製だが、ギヤボックスは自製に戻された。
- フィジケラのルノー移籍に伴い1997年のチャンピオンであるジャック・ビルヌーブがチームに加入。しかしチームは当初フィジケラの残留を望んでいた上、ビルヌーブもウィリアムズやルノー、BARといったトップチームへの加入を望んでいた経緯もあり、ビルヌーブはマシンセッティングなどでチームと度々対立する。しかし、前年から残留のマッサが安定した走りを見せる一方、ビルヌーブは全く良いレースができなかったことから、中盤戦以降ビルヌーブもチームの方針を受け入れるようになり、第4戦サンマリノグランプリでは4位入賞を果たすなど、マッサと互角の走りを見せるようになった。
- チーム株式を手放した後も、スポンサーとしてチームに参画していたレッドブルが、この年からジャガー・レーシングを買収しレッドブル・レーシングとしてF1への参戦を開始したことでサウバーのスポンサーを完全に降りている。
- シーズン中盤にチームをBMWに売却することが発表され、チームとしてのザウバーはこの年限りで(いったん)幕を閉じることとなった。これに伴いチームは翌年型マシンの開発にシフトし、ランキングも8位に終わった。また、翌年よりBMWエンジンが供給されることになるため、エンジン開発に関与できなくなった後藤はこの年にチームを離脱している。
[編集] 2006 - 2009年 BMWワークスとして
詳細は「BMWザウバー」を参照
- 2006年
- BMWワークス初年度としてのこの年、チーム名はBMWザウバーとなり、「ザウバー」の名前が残されることとなった。このため、FIAは「ザウバー」と「BMWザウバー」は同一のチームとして扱い、チームとしての記録も引き継がれている。ペーター・ザウバーは代表を退き、コンサルタントとしてチームに残留した。後任のチーム代表は置かれず、マリオ・タイセンがBMWの「モータースポーツ部長」の肩書のまま、チームの指揮を採ることになった。なお、コンストラクター登録は「ザウバー・BMW」となっている。
- ハイドフェルドが2003年以来チームに復帰。当初は2007年からの契約であったが、ウィリアムズが契約を解除したため1年前倒ししての加入となった。2005年末に発表されたエントリーリストにビルヌーブの名前は載らなかった。これにより、セバスチャン・ブルデーなどの若手ドライバーの起用が予想されたが、ビルヌーブ自身が同意しない限り解雇することはできない契約であったことから、他のドライバーの起用を諦め、年明けになってビルヌーブの残留を発表した。
- 開幕戦はノーポイントに終わるも第2戦マレーシアグランプリではビルヌーブが7位に入り、新体制での初ポイントを記録した。第3戦オーストラリアグランプリではダブル入賞を果たすとその後はハイドフェルドを中心にコンスタントにポイントを獲得していった。しかしBMWの母国である第12戦ドイツグランプリではビルヌーブがハイドフェルドに追突するという失態を犯し、両者がリタイヤに終わってしまった。このクラッシュの後遺症によりビルヌーブは第13戦ハンガリーグランプリを欠場、代わってテストドライバーのロバート・クビサがレースを走った。ハンガリーGP史上初のウエットレースとなった決勝ではハイドフェルドが新体制として初となる3位表彰台を獲得した。デビュー戦のクビサも7位で完走するも最低重量違反で失格となってしまった。その後ビルヌーブは正式にチームを去り、結局クビサはシーズン終了までステアリングを握ることとなった。第15戦イタリアグランプリではデビュー3戦目にして3位表彰台を獲得している。
- 最終的にチームはランキング5位でシーズンを終えた。前年の成績を一気に改善しただけでなく、BMWの前年までのパートナーであったウィリアムズを上回ったという点で大成功と言えるシーズンとなった。
[編集] 2010年代
[編集] 2010年 復活
- 2010年
- BMWが2009年シーズン中に撤退を発表し、新たに策定されたコンコルド協定にサインしなかったため、一旦は2010年のエントリーから除外された。その後チームの売却先を検討の末、元オーナーでチームの創始者でもあるペーター・ザウバーに売却することを決定した。直後よりペーターはエントリー申請を行い、トヨタの撤退により参戦枠が1つ空いたこともあって、12月4日にFIAよりエントリーが認められた[1]。
- 12月17日、小林可夢偉と2010年のレギュラードライバー契約を結んだことを発表した。また1月19日にはマクラーレンテストドライバーを2003年から務める経験豊富なペドロ・デ・ラ・ロサを起用することを発表した[2]。
- 2010年3月3日、FIAが2010年のF1エントリーリストを発表。この中でチームは、チーム名「BMWザウバーF1チーム」・コンストラクター名「BMWザウバー・フェラーリ」で登録された[3]。名称変更はなされず「BMW」のブランド名が残った。これは、2009年度の「BMWザウバーチーム」としての6位という戦績の分配金を確実に受け取るための措置として行ったものであり、この名称変更をFIAに申請を行っていた。この申請がFIAに受理され、2011年より「ザウバー・F1チーム」に名称変更することが正式に認められた[4]。
- 前半戦はザウバー・C29の脆弱性は否めず、第6戦モナコGPまでに両ドライバー合わせ10回のリタイアを喫し(うち決勝不出走(DNS)1回)この間の完走率は全チーム最下位であった。フェラーリはマシンに搭載されるエンジンの信頼性に難点があったことを認め、本家フェラーリのエンジン改良を施し解決したが、ザウバーに関してはその問題が続いてしまった。これにはフェラーリのテストドライバーマルク・ジェネもあまりにも多発する為に「不可解だ」と語るほどであった[5][6]。しかし中国グランプリから加入したジェームス・キーの懸命なマシン改良によって信頼性と戦闘力を改善し、トルコGPでこのシーズン初のダブル完走を果たし、小林に関しては10位入賞を果たした。その後ヨーロッパGPで7位、イギリスGPで6位完走と健闘している。デ・ラ・ロサに関してもヨーロッパGPでペナルティがなければ10位で入賞していたことになり、イギリスGPでは予選9位を獲得するなどマシンパフォーマンスに明確な改善が見られた。ハンガリーGPでは、このシーズン初のダブル入賞を果たした。
- 2010年9月14日、シンガポールGPからシーズン末まで、2009年までBMWザウバーのレギュラードライバーであったニック・ハイドフェルドの復帰とデ・ラ・ロサの離脱を発表した[7]。
[編集] 2011年 新しい提携
- 2011年
- 2011年シーズンに向けて、小林は2010年9月に残留が確定[8]。10月4日にカルロス・スリム・ヘルがCEOを務めるメキシコの大手通信企業テルメックスがスポンサーを行うことを発表。同時に小林のチームメイトとして2010年度のGP2でシリーズ2位を獲得したメキシコ人ドライバーのセルジオ・ペレスの加入を発表した[9]。なおその他にも2010年度のGP3チャンピオンとなったメキシコ人ドライバーのエステバン・グティエレスをリザーブ兼テストドライバーとして契約したことを発表している[10]。
[編集] 戦歴
ザウバーの車体形式はすべて(他のカテゴリーで走ったシャーシも)頭文字がCとなっているが、これはペーター・ザウバーの妻であるクリスティーヌ(Christine )のイニシャルが由来である。
(key)
| 年 | 車体/エンジン/ タイヤ |
ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | pt | 順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1993 | C12 イルモア2175B V10 G |
RSA | BRA | EUR | SMR | ESP | MON | CAN | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | POR | JPN | AUS | 12 | 7th | ||||
| Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | 13 | 6 | Ret | Ret | 9 | 6 | Ret | 4 | 5 | Ret | 15 | ||||||||
| 5 | Ret | Ret | 4 | Ret | Ret | 7 | Ret | 8 | Ret | Ret | 9 | Ret | 7 | 8 | Ret | ||||||||
| 1994 | C13 メルセデス V10 G |
BRA | PAC | SMR | MON | ESP | CAN | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | POR | EUR | JPN | AUS | 12 | 8th | ||||
| 6 | Ret | 4 | DNQ | Inj | Inj | Inj | Inj | Inj | Inj | Inj | Inj | Inj | Inj | Inj | Inj | ||||||||
| Ret | 6 | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | |||||||||||||||
| Ret | 10 | ||||||||||||||||||||||
| Ret | 5 | 7 | WD/ DNQ |
Ret | Ret | 4 | 7 | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | 6 | 6 | 7 | ||||||||
| 1995 | C14 フォードZETEC-R V8 G |
BRA | ARG | SMR | ESP | MON | CAN | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | POR | EUR | PAC | JPN | AUS | 18 | 7th | |||
| Ret | Ret | Ret | 13 | 10 | Ret | ||||||||||||||||||
| 8 | Ret | Ret | 9 | 5 | 10 | 11 | 6 | 12 | Ret | Ret | |||||||||||||
| Ret | 5 | 6 | 8 | 6 | Ret | 10 | 6 | Ret | 5 | 4 | 3 | 6 | Ret | 7 | 8 | Ret | |||||||
| 1996 | C15 フォードZETEC-R V10 G |
AUS | BRA | ARG | EUR | SMR | MON | ESP | CAN | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | POR | JPN | 11 | 7th | ||||
| DNS | Ret | 9 | 7 | Ret | 3 | Ret | 7 | DSQ | 9 | Ret | Ret | Ret | 9 | 8 | 10 | ||||||||
| 8 | Ret | Ret | Ret | Ret | 4 | 4 | Ret | Ret | 8 | 8 | Ret | Ret | Ret | 7 | 6 | ||||||||
| 1997 | C16 ペトロナスSPE01A V10* G |
AUS | BRA | ARG | SMR | MON | ESP | CAN | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | AUT | LUX | JPN | EUR | 16 | 7th | |||
| Ret | 7 | 4 | Ret | Ret | 5 | 5 | 8 | Ret | Ret | 3 | 4 | Ret | 8 | 7 | 6 | 8 | |||||||
| 6 | 11 | Ret | 7 | Ret | |||||||||||||||||||
| 14 | 10 | Inj | Inj | Inj | Ret | 9 | 12 | 9 | 9 | DNS | Inj | ||||||||||||
| Ret | 9 | 9 | 14 | ||||||||||||||||||||
| 1998 | C17 ペトロナスSPE01D V10* G |
AUS | BRA | ARG | SMR | ESP | MON | CAN | FRA | GBR | AUT | GER | HUN | BEL | ITA | LUX | JPN | 10 | 6th | ||||
| Ret | 9 | 5 | 6 | 10 | 12 | Ret | 7 | Ret | Ret | 10 | 7 | 3 | 5 | 10 | 7 | ||||||||
| 6 | 11 | Ret | Ret | 7 | 7 | Ret | 8 | Ret | 8 | Ret | 10 | Ret | Ret | Ret | 10 | ||||||||
| 1999 | C18 ペトロナスSPE03A V10* B |
AUS | BRA | SMR | MON | ESP | CAN | FRA | GBR | AUT | GER | HUN | BEL | ITA | EUR | MAL | JPN | 5 | 8th | ||||
| Ret | Ret | 6 | Ret | Ret | Ret | Ret | 14 | Ret | 8 | 16 | 9 | 9 | Ret | 7 | 6 | ||||||||
| Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | 6 | Ret | 6 | 6 | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | 11 | ||||||||
| 2000 | C19 ペトロナスSPE04A V10* B |
AUS | BRA | SMR | GBR | ESP | EUR | MON | CAN | FRA | AUT | GER | HUN | BEL | ITA | USA | JPN | MAL | 6 | 8th | |||
| Ret | WD | 8 | 11 | Ret | 7 | Ret | 10 | 11 | 9 | Ret | Ret | 11 | 8 | 8 | 11 | Ret | |||||||
| DSQ | WD | 6 | 8 | 7 | Ret | 5 | Ret | 10 | 6 | 5 | 10 | 9 | 7 | Ret | 10 | 8 | |||||||
| 2001 | C20 ペトロナス01A V10* B |
AUS | MAL | BRA | SMR | ESP | AUT | MON | CAN | EUR | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | USA | JPN | 21 | 4th | |||
| 4 | Ret | 3 | 7 | 6 | 9 | Ret | Ret | Ret | 6 | 6 | Ret | 6 | Ret | 11 | 6 | 9 | |||||||
| 6 | Ret | Ret | Ret | 8 | 4 | 10 | 4 | 10 | 7 | 5 | Ret | 7 | DNS | 7 | Ret | Ret | |||||||
| 2002 | C21 ペトロナス02A V10* B |
AUS | MAL | BRA | SMR | ESP | AUT | MON | CAN | EUR | GBR | FRA | GER | HUN | BEL | ITA | USA | JPN | 11 | 5th | |||
| Ret | 5 | Ret | 10 | 4 | Ret | 8 | 12 | 7 | 6 | 7 | 6 | 9 | 10 | 10 | 9 | 7 | |||||||
| Ret | 6 | Ret | 8 | 5 | Ret | Ret | 9 | 6 | 9 | Ret | 7 | 7 | Ret | Ret | Ret | ||||||||
| 13 | |||||||||||||||||||||||
| 2003 | C22 ペトロナス03A V10* B |
AUS | MAL | BRA | SMR | ESP | AUT | MON | CAN | EUR | FRA | GBR | GER | HUN | ITA | USA | JPN | 19 | 6th | ||||
| Ret | 8 | Ret | 10 | 10 | Ret | 11 | Ret | 8 | 13 | 17 | 10 | 9 | 9 | 5 | 9 | ||||||||
| 6 | 9 | 5 | 11 | Ret | DNS | Ret | Ret | 9 | 12 | 12 | Ret | Ret | 13 | 3 | Ret | ||||||||
| 2004 | C23 ペトロナス04A V10* B |
AUS | MAL | BHR | SMR | ESP | MON | EUR | CAN | USA | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | CHN | JPN | BRA | 34 | 6th | ||
| 10 | 11 | 11 | 9 | 7 | Ret | 6 | 4 | 9 | 12 | 6 | 9 | 8 | 5 | 8 | 7 | 8 | 9 | ||||||
| Ret | 8 | 12 | 10 | 9 | 5 | 9 | Ret | Ret | 13 | 9 | 13 | Ret | 4 | 12 | 8 | 9 | 8 | ||||||
| 2005 | C24 ペトロナス05A V10* M |
AUS | MAL | BHR | SMR | ESP | MON | EUR | CAN | USA | FRA | GBR | GER | HUN | TUR | ITA | BEL | BRA | JPN | CHN | 20 | 8th | |
| 13 | Ret | 11 | 4 | Ret | 11 | 13 | 9 | DNS | 8 | 14 | 15 | Ret | 11 | 11 | 6 | 12 | 12 | 10 | |||||
| 10 | 10 | 7 | 10 | 11 | 9 | 14 | 4 | DNS | Ret | 10 | 8 | 14 | Ret | 9 | 10 | 11 | 10 | 6 | |||||
| 2010 | C29 フェラーリTipo056 V8 B |
BHR | AUT | MAL | CHN | ESP | MON | TUR | CAN | EUR | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | SIN | JPN | KOR | BRA | ABU | 44 | 8th | |
| Ret | Ret | Ret | Ret | 12 | Ret | 10 | Ret | 7 | 6 | 11 | 9 | 8 | Ret | Ret | 7 | 8 | 10 | 14 | |||||
| Ret | 12 | DNS | Ret | Ret | Ret | 11 | Ret | 12 | Ret | 14 | 7 | 12 | 14 | ||||||||||
| Ret | 8 | 9 | 17 | 11 | |||||||||||||||||||
| 2011 | C30 フェラーリTipo056 V8 P |
AUS | MAL | CHN | TUR | ESP | MON | CAN | EUR | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | SIN | JPN | KOR | IND | ABU | BRA | 44 | 7th | |
| DSQ | 7 | 10 | 10 | 10 | 5 | 7 | 16 | Ret | 9 | 11 | 12 | Ret | 14 | 13 | 15 | Ret | 10 | 9 | |||||
| DSQ | Ret | 17 | 14 | 9 | DNS | PO | 11 | 7 | 11 | 15 | Ret | Ret | 10 | 8 | 16 | 10 | 11 | 13 | |||||
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[編集] 関連項目
- モータースポーツ
- 後藤治 - エンジン開発責任者(1997年 - 2005年)
- F1コンストラクターの一覧
[編集] 脚注
- ^ ザウバー、2010年のF1参戦権を獲得 F1-Gate.com-2009年12月4日
- ^ Pedro de la Rosa to race for BMW Sauber F1 Team(公式HPより)
- ^ FIA Formula One World Championship - Entry List (FIAによるリリース)
- ^ ザウバー、チーム名の変更を認められる - F1 Gate.com 2010年6月24日
- ^ マルク・ジェネ 「ザウバーのエンジン問題は奇妙だ」 - F1 Gate.com
- ^ この事が起因してカーナンバー22側のマシンはシーズン途中のシンガポールGPでF1レギュレーションによる規定エンジン使用範囲である8基のエンジン全てを使い果たしペナルティの対象となる9基目のエンジンを開封しなければならない程に様々な問題が発生し、非常に深刻な状況であった。
- ^ “ザウバー、ニック・ハイドフェルドの起用を正式発表”. F1 Gate.com. (2010年9月14日) 2010年9月15日閲覧。
- ^ “小林可夢偉、2011年もザウバー残留が決定”. F1 gate.com. (2010年9月7日) 2010年9月7日閲覧。
- ^ “ザウバー、テルメックスとのスポンサー契約を発表”. F1 Gate.com. (2010年10月5日) 2010年10月5日閲覧。
- ^ “ザウバー、エステバン・グティエレスとのリザーブ契約を発表”. F1 Gate.com. (2010年9月20日) 2010年10月5日閲覧。
[編集] 外部リンク
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