メルセデス・ベンツ・C11
| カテゴリー | グループC プロトタイプ | ||||||||
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| コンストラクター | メルセデス・ベンツ ザウバー・モータースポーツ |
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| デザイナー | レオ・レス ペーター・ザウバー |
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| 先代 | ザウバー・C9 | ||||||||
| 後継 | メルセデスベンツ・C291 | ||||||||
| 主要諸元 | |||||||||
| シャシー | カーボン-ケブラー モノコック | ||||||||
| サスペンション(前) | double wishbones, push-rod operated coil springs over shock absorbers, torsion bar stabilizer | ||||||||
| サスペンション(後) | double wishbones, push-rod operated coil springs over shock absorbers, torsion bar stabilizer | ||||||||
| 全長 | 189 in (480.1 cm) | ||||||||
| 全幅 | 78.7 in (199.9 cm) | ||||||||
| 全高 | 40.6 in (103.1 cm) | ||||||||
| トレッド | 63.8 in (162.1 cm) | ||||||||
| ホイールベース | 109.1 in (277.1 cm) | ||||||||
| エンジン | Mercedes-Benz M119 4,973 cc (303.5 cu in) HL 90º 5.0L Turbo V8 Twin KKK Turbos Mid, longitudinally mounted | ||||||||
| トランスミッション | 5速 Sequential Manual | ||||||||
| 重量 | 904.9 kg (1,995.0 lb) | ||||||||
| 燃料 | ボッシュ Motronic MP 1.8 Fuel Injection | ||||||||
| タイヤ | グッドイヤー | ||||||||
| 主要成績 | |||||||||
| チーム | |||||||||
| ドライバー | |||||||||
| コンストラクターズ タイトル |
1 | ||||||||
| ドライバーズタイトル | 1 | ||||||||
| 初戦 | 1990 Trofeo Caracciolo, Monza | ||||||||
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メルセデスベンツ・C11は1990年世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)用にザウバーが製作したグループCカーである。
目次 |
概要 [編集]
前年度のザウバー・C9の発展型で、C9同様メルセデス製5L V8 ツインターボM119を搭載する。モノコックはこのC11からカーボンモノコックを採用した。タイヤは前年までのミシュランからグッドイヤーに変更した。なおマシン名はこのC11から「ザウバー」が外れ「メルセデスベンツ」となった。
最終セッティングは「レースで勝てるクルマに」というオーダーとともにポルシェに委託された[1]。
戦績 [編集]
デビュー戦は1990年世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)開幕戦鈴鹿だったが、予選でクラッシュし決勝は欠場、決勝にはC9で参戦となった。実質デビューの第2戦モンツァでは1-2フィニッシュを遂げ、以降参加した8戦中7勝とシリーズを圧倒し2年連続チャンピオンを獲得する。しかしシリーズから外れたル・マン24時間レースには参加しなかった。
翌1991年のスポーツカー世界選手権(SWC)のシーズン序盤、メルセデス陣営では熟成不足のカテゴリー1のC291とともに、カテゴリー2のC11も100kgのハンデを背負い参戦させた。優勝こそなかったものの確実に上位入賞し、第3戦シルバーストーン終了時にはドライバー(ジャン=ルイ・シュレッサー、ヨッヘン・マス)、チームの両タイトルでランキングトップに立っていた。
この年シリーズに復帰したル・マンでは1号車、31号車、32号車の計3台のC11を参戦させ、1号車は予選最速タイムをマークし(上位10番グリッドまではカテゴリー1車両となる規則だったため11番グリッドからのスタート)、決勝でも序盤からレースをリードするもオーバーヒートでリタイアし、優勝はマツダ・787Bにさらわれた。31号車はトランスミッションのトラブルによる遅れを挽回し5位入賞。32号車は深夜に他車の落とした破片に乗り上げてマシンを損傷、リタイアした。このル・マンがC11の最後のレースとなった。なおこのレースで31号車に乗るミハエル・シューマッハがファステストラップをマークしている。
ジュニア・チーム [編集]
メルセデスは1990年のWSPCに、1989年のドイツF3で活躍したカール・ヴェンドリンガー、ハインツ=ハラルド・フレンツェン、ミハエル・シューマッハの3人の若手ドライバーを起用した。1991年から始まるSWCがF1的なスプリントレースとなることをにらんでの起用である。[2]
3人のドライバーはLearners(仮免ドライバーの意)の頭文字をとってLチームと呼ばれ[3]、「教育係」のヨッヘン・マスとともにWSPCに出場、ヴェンドリンガー、シューマッハが1990年中に優勝を飾るなどした。1991年には国際F3000に専念するためフレンツェンがチームを離れたが、ウェンドリンガー、シューマッハはメルセデスに残り1991年のSWCに出場、最終戦オートポリスでヴェンドリンガー・シューマッハ組がこの年メルセデスにとって唯一の優勝を飾った。メルセデスはそのオートポリスをもってSWCから撤退することになるが、ヴェンドリンガー、シューマッハは1991年シーズン途中にF1に進出し、フレンツェンも1994年になってF1にステップアップし若手ドライバーの育成面からみて大きな成果を残した。
脚注 [編集]
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