メルセデス・ベンツ・C11

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
メルセデスベンツ・C11
MB C11.jpg
カテゴリー グループC プロトタイプ
コンストラクター メルセデス・ベンツ
ザウバー・モータースポーツ
デザイナー レオ・レス
ペーター・ザウバー
先代 ザウバー・C9
後継 メルセデスベンツ・C291
主要諸元
シャシー カーボン-ケブラー モノコック
サスペンション(前) double wishbones, push-rod operated coil springs over shock absorbers, torsion bar stabilizer
サスペンション(後) double wishbones, push-rod operated coil springs over shock absorbers, torsion bar stabilizer
全長 189 in (480.1 cm)
全幅 78.7 in (199.9 cm)
全高 40.6 in (103.1 cm)
トレッド 63.8 in (162.1 cm)
ホイールベース 109.1 in (277.1 cm)
エンジン Mercedes-Benz M119 4,973 cc (303.5 cu in) HL 90º 5.0L Turbo V8 Twin KKK Turbos Mid, longitudinally mounted
トランスミッション 5速 Sequential Manual
重量 904.9 kg (1,995.0 lb)
燃料 ボッシュ Motronic MP 1.8 Fuel Injection
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム ドイツの旗 チーム ザウバーメルセデス
ドライバー イタリアの旗 マウロ・バルディ
フランスの旗 ジャン=ルイ・シュレッサー
ドイツの旗 ヨッヘン・マス
オーストリアの旗 カール・ヴェンドリンガー
ドイツの旗 ミハエル・シューマッハ
ドイツの旗 ハインツ=ハラルド・フレンツェン
ドイツの旗 Fritz Kreutzpointner
フランスの旗 Alain Ferté
イギリスの旗 ジョナサン・パーマー
スウェーデンの旗 Stanley Dickens
デンマークの旗 Kurt Thiim
コンストラクターズ
タイトル
1
ドライバーズタイトル 1
初戦 1990 Trofeo Caracciolo, Monza
出走
回数
優勝
回数
ポール
ポジション
ファステスト
ラップ
12 7 8 9
テンプレートを表示

メルセデスベンツ・C111990年世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)用にザウバーが製作したグループCカーである。

概要[編集]

前年度のザウバー・C9の発展型で、C9同様メルセデス製5L V8 ツインターボM119を搭載する。モノコックはこのC11からカーボンモノコックを採用した。タイヤは前年までのミシュランからグッドイヤーに変更した。なおマシン名はこのC11から「ザウバー」が外れ「メルセデスベンツ」となった。

最終セッティングは「レースで勝てるクルマに」というオーダーとともにポルシェに委託された[1]

戦績[編集]

デビュー戦は1990年世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)開幕戦鈴鹿だったが、予選でクラッシュし決勝は欠場、決勝にはC9で参戦となった。実質デビューの第2戦モンツァでは1-2フィニッシュを遂げ、以降参加した8戦中7勝とシリーズを圧倒し2年連続チャンピオンを獲得する。しかしシリーズから外れたル・マン24時間レースには参加しなかった。

1991年のスポーツカー世界選手権(SWC)のシーズン序盤、メルセデス陣営では熟成不足のカテゴリー1のC291とともに、カテゴリー2のC11も100kgのハンデを背負い参戦させた。優勝こそなかったものの確実に上位入賞し、第3戦シルバーストーン終了時にはドライバー(ジャン=ルイ・シュレッサーヨッヘン・マス)、チームの両タイトルでランキングトップに立っていた。

この年シリーズに復帰したル・マンでは1号車、31号車、32号車の計3台のC11を参戦させ、1号車は予選最速タイムをマークし(上位10番グリッドまではカテゴリー1車両となる規則だったため11番グリッドからのスタート)、決勝でも序盤からレースをリードするもオーバーヒートでリタイアし、優勝はマツダ・787Bにさらわれた。31号車はトランスミッションのトラブルによる遅れを挽回し5位入賞。32号車は深夜に他車の落とした破片に乗り上げてマシンを損傷、リタイアした。このル・マンがC11の最後のレースとなった。なおこのレースで31号車に乗るミハエル・シューマッハファステストラップをマークしている。

ジュニア・チーム[編集]

メルセデスは1990年のWSPCに、1989年のドイツF3で活躍したカール・ヴェンドリンガーハインツ=ハラルド・フレンツェン、ミハエル・シューマッハの3人の若手ドライバーを起用した。1991年から始まるSWCがF1的なスプリントレースとなることをにらんでの起用である。[2]

3人のドライバーはLearners(仮免ドライバーの意)の頭文字をとってLチームと呼ばれ[3]、「教育係」のヨッヘン・マスとともにWSPCに出場、ヴェンドリンガー、シューマッハが1990年中に優勝を飾るなどした。1991年には国際F3000に専念するためフレンツェンがチームを離れたが、ウェンドリンガー、シューマッハはメルセデスに残り1991年のSWCに出場、最終戦オートポリスでヴェンドリンガー・シューマッハ組がこの年メルセデスにとって唯一の優勝を飾った。メルセデスはそのオートポリスをもってSWCから撤退することになるが、ヴェンドリンガー、シューマッハは1991年シーズン途中にF1に進出し、フレンツェンも1994年になってF1にステップアップし若手ドライバーの育成面からみて大きな成果を残した。

脚注[編集]

  1. ^ 『ジャーマン・カーズ』、2009年11月号、ぶんか社、P.17。
  2. ^ Racing On No.083 』、武集書房 、1990年、p.78。
  3. ^ 『Racing On No.068』、武集書房、1990年、p.38。