ジャン=ルイ・シュレッサー
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ジャン=ルイ・ポール・シュレッサー(Jean-Louis Paul Schlesser、1948年9月12日 - )は、フランス・ムルト=エ=モゼル県ナンシー出身のレーシングドライバー。
1989年・1990年にはザウバー・メルセデスを駆り、世界スポーツプロトタイプカー耐久選手権(WSPC、後のスポーツカー世界選手権(SWC))のシリーズチャンピオンを獲得するなど、1990年代前半までは主にサーキットでのレースで活躍するドライバーだった。
1992年に独自開発のバギーでダカール・ラリーへの参戦を開始。以後ラリーレイドに活動の主軸を移すようになり、1999年・2000年にはダカール・ラリーで総合優勝を果たす。2007年までダカール・ラリーへの参戦を続けてきたが、2008年のダカール・ラリー開催が中止となり2009年は開催地が南米に移された影響もあって、エントリーを見送っている。
叔父のジョー・シュレッサーもレーシングドライバー。
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エピソード [編集]
- F1でのキャリアは、1983年フランスGPにRAMからスポットで出走、予選落ちした後、1988年イタリアGPにナイジェル・マンセルの代役としてウィリアムズ・ジャッドで初めて決勝に参戦。トップを走るマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナとラスト2周のところで接触し、セナはリタイア(10位完走扱い)、自身は2LAP遅れの11位となる。このアクシデントは結果としてマクラーレン・ホンダのシーズン全勝を阻み、またエンツォ・フェラーリの死を悼むイタリア国民が見守る中での劇的なフェラーリ逆転優勝を演出することになった。
- 2001年のダカール・ラリーでは、三菱自動車のワークス・チームであるラリーアートより参戦し総合首位を走っていた増岡浩の動揺を誘う目的で、最終日直前のステージで本来のスタート順を無視して増岡より先にスタートしたほか、走行中にも増岡を執拗に妨害した。このため、結果として増岡は大きくペースダウン。これに主催者側の計時ミス等も加わったため、増岡は総合2位でゴール、初優勝を逃す結果となった。
日本での評価 [編集]
上記のような事もあってか日本人からの評価はすこぶる悪い(ただし、セナとの接触の件に関してはレーシングアクシデントだったが)。 また、叔父のジョー・シュレッサーがホンダの持ち込んだ空冷F1マシンのRA302によって死亡した事も彼が日本を嫌う理由の一つだと言われている(RA302は、革新的なコンセプトのマシンだったが、「欠陥車」と言われてもしょうがないくらい完成度が低い車でもあった)。
その他 [編集]
フランス映画『TAXi』シリーズでスタントドライバーとして制作に携わっている(『TAXi3』まで)。また、『TAXi2』では冒頭でプジョー・306MAXI(WRCF2キットカー)をドライブするシーンが見られる。
外部リンク [編集]
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