アヴス

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AVUS
Bundesarchiv B 145 Bild-P016402, Berlin, Rennen auf der Avus.jpg
1937年アヴス・レンネン
所在地 ドイツの旗 ベルリン
標準時 GMT +1
主なイベント 1959年ドイツグランプリ
ETCC ('63-'88), フォーミュラ3, DTM, DRM, Interserie, グループC
map of the track
コース長 8.300 (1959 GP) km (5.157 マイル)
コーナー数 4
レコードタイム 2:04.5 (イギリスの旗 トニー・ブルックス, フェラーリ, 1959)
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アヴスAVUS, Automobil-Verkehrs- und Übungs-Straße)はドイツの首都ベルリン郊外に1921年に完成したサーキット。世界初の自動車専用道路でもある。名称はドイツ語で「自動車交通および運転習熟用道路」の頭文字を A-V-U-S を読んだものである。

[編集] 概要

現在のアヴス

ドイツ自動車産業の競争力向上を目的として民間会社(Automobil-Verkehrs- und Übungs-Straße GmbH )が1913年に建設を開始、資金難でたびたび中断しつつもようやく1921年に完成した。こうしてできあがったのは2本の平行するおよそ9kmにわたるストレートと、その両端に2つのヘアピンカーブというシンプルなサーキットであった。一部は有料道路としても開放されてベルリン・ポツダム間の自動車移動時間の短縮に寄与し、これがのちのアウトバーン建設のきっかけとなった。

ここで1926年に第一回ドイツGPが行われた(第二回以降はニュルブルクリンクで開催)。翌年には高速化のために北ヘアピンカーブにバンクが設けられた。1937年4月にはバンクを大幅に改修して幅を広げ、傾斜を43度として滑り止め煉瓦を敷き詰め、さらに表面を研ぎ上げる徹底的な改修を行ったことにより、バンク周回時にも160km/h以上を維持することが可能となったため、アヴスは名実ともに世界一速いサーキットとなった。

有名なバンクはステアリング操作を比較的容易にするクロソイド曲線の断面ではなく、43度一定曲線ゆえの操縦の困難さから、「死の壁」と恐れられた。長い2本の直線路のため、完成当時から超高速コースとして知られ、1931年の第1回アヴス・レンネン (AVUS-Rennen)ですでに優勝者の平均速度は185km/hを超えている。記録は年々上昇し、1937年の第6回アヴス・レンネンにおいては流線型ボディのメルセデス・ベンツ W25に乗ったヘルマン・ラングHermann Lang )が、平均260.7km/hという恐るべき速度で優勝した。同年のプラクティスでは、アウトウニオン・Pワーゲンに乗ったベルント・ローゼマイヤーが非公式ながら平均284.31km/hを記録している(公式予選での記録は276.39km/h)。

第二次世界大戦ののちコースは北側半分に短縮され、1959年に二度目のF1ドイツGPが開催された。前座のスポーツカーレースでは、ポルシェ・RSKに乗るジャン・ベーラが「死の壁」のバンク上部に激突して死亡した。

危険との批判から1967年にバンクは撤去されたものの、レースの開催数の低下に歯止めをかけられず、1998年をもってサーキットとしての役目を終了した。

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