ニュルブルクリンク
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ニュルブルクリンク(独: Nürburgring)はドイツ北西部ノルトライン=ヴェストファーレン州・ケルンより南に約60km離れたラインラント=プファルツ州アイフェル地方のニュルブルクにあるサーキットである。現在は全長20.832kmの北コース(Nordschleife、ノルドシュライフェ)と、1984年に新設された5.1kmのGPコース(GP-Strecke)がある。 2012年7月19日にニュルブルクリンクは破産を宣告した。
目次 |
概説 [編集]
豊かな森の中にある古城ニュルブルク城を囲むように建設されたクラシックコース。山間部の高低差を利用した変化に富むコースレイアウトに加えて、にわか雨や濃霧など天候の変化という要素もあり、世界有数のドライバーズサーキットとして知られる。
古くからF1ドイツグランプリや、耐久レースのニュルブルクリンク24時間レースの開催地であったが、現在F1は新設のGPコースで開催されている。1995年から1997年にかけては2輪のロードレース世界選手権(WGP)も開催された。
モータースポーツの他にも、マラソン大会、自転車レース、ロックイベントのロックアムリングなどが行われている。コース脇には0.3平方kmの敷地に設備の整ったキャンプ場がありイベント時には多くのキャンプ客でにぎわう。
ここで開催された1964年のF1西ドイツGPでホンダが日本車として初めてF1に出走した。
歴史 [編集]
1927-1937 [編集]
1900年代ドイツでは自動車開発が盛んになっていたが、研究開発やレースのための常設コースは存在しなかった。1904年に国際レースであるゴードン・ベネット・カップがバート・ホンブルクで行われ大成功を収めるなど、モータースポーツ人気が高まったが、公道でのレースによるドライバーや観客の安全性の問題が浮き彫りとなり、独立したサーキットの必要性が叫ばれることとなった。人口が少なく、起伏に富む山岳地帯であるアイフェル地方にサーキットを建設する案が浮上するものの、モータースポーツ人気は急速に低下し、その後第一次世界大戦が勃発することになり、計画は白紙となった。
1920年代はじめ、ADACアイフェル・レンネン(アイフェル・レース)がアイフェル地方で公道を使用して行われていたが、レースを行うには危険で適切な場所ではなかった。アイフェル地方議会の議員であったDr Otto Creutzが、ADACの支持を得て専用のサーキットの建設を提案、アイフェル地方の失業者対策や、自動車会社にテストコースとして提供すること、観光客を呼び込むことも盛り込まれていた。当時ケルン市長だったコンラート・アデナウアーの賛同も得て政府の支援も取り付け1925年より建設が開始された。サーキットデザインはGustav Eichlerの主導により行われた。当時の重要なレースの一つであったタルガ・フローリオのコースを参考にしている。
1927年にオープン。コース全長が28.265kmで、コーナー数が174あり、コース幅は平均8mから9mであった。このGesamtstrecke(全コース)以外に、22.8kmの北コース(独:Nordschleife、ノルドシュライフェ )、全長7.7kmの南コース(独:Südschleife、ズュドシュライフェ)、全長2.281kmのZielschleife(別名Betonschleife)という3つのレイアウトで使用された。Start und Ziel(スタート/フィニッシュエリア)は共通となっており、Zielschleifeは主にウォームアップ走行などで使用されていた。
オープンより直ぐにアイフェル・レンネンやドイツグランプリ、世界選手権自転車競技大会を開催。夕方や週末には一方通行の有料道路として一般開放された。
1931年のドイツグランプリより北コースのみを使用して開催するようになった。全長28kmのフルコースを使用した大きなレースは1939年が最後となっており、フルコースの最速タイムはルイ・シロンのブガッティによるものであった。短くより安全な南コースはマイナーイベントや二輪レースで使用された。 当初の名称はNürburg-Ringだったが、1933年にナチスがドイツのモータースポーツ全体に資金援助を行なって改修され、このときに名前からハイフンが取られNürburgringとなった。
1947-1967 [編集]
第二次世界大戦後、爆撃による損壊を修復し、1950年代になってレースが再開されるようになり、1951年ドイツグランプリがF1世界選手権に組み込まれ、再び北コースが開催地となった。1954年のヨーロッパグランプリでは観客数が推定40万人を超えたとされる。
1953年、ADAC1000km耐久レースが初開催。1960年のドイツグランプリは南コースを使いF2クラスで行われチャンピオンシップにはカウントされなかった。1961年8月に行われたドイツグランプリでは、プラクティスでフィル・ヒルがフェラーリ・156F1で北コースで初めて9分の壁を破る8分55秒2を記録。南コースではロードレースドイツグランプリが開催されることもあったが、主開催地はソリチュードやホッケンハイムリンクだった。
1970年にはニュルブルクリンク24時間レースが始まった。
1960年代後半にもなると、他のサーキットと同じく高速化するF1マシンでのレースの危険度が増加し、安全性に対する批判も増えていった。1967年、ピットレーンへの進入速度を抑制するため、ホーエンラインシケインがスタート/フィニッシュラインストレートの前に追加され、25m全長が伸びた。
1970年ザントフォールト・サーキットでのピアス・カレッジの死亡事故を受け、GPDAは前年にスパに対して行ったように、安全性向上のための改修が行なわなければドイツグランプリをボイコットすることを決定。改修は短期間では不可能であったため、ドイツグランプリは既に改修が行われていたホッケンハイムへと舞台を移すことになった。
1971-1983 [編集]
コースは改修が行われ北コースはアームコバリアなど安全設備の設置、路面の再舗装によりバンプやジャンプセクションの除去などが行われた。コースレイアウトも調整がされレースラインがより直線的となり、公式なコーナー数も減少した。これらの改修が功を奏して1971年から再びF1の開催を実現した。
1972年、コース幅の狭いHatzenbach(ハッツェンバッハ)とBreidscheid(ブライトシャイト)の橋を掛替え。1973年、入り口が危険でバンピーであったカレンハルドコーナーの速度を落とすため手前のメッツゲスフェルトコーナーに左回りのコーナーが追加された。メインストレートのジャンプスポットの除去や、木や茂みの伐採によりセーフティエリアを拡大し安全性を向上させた。
1971年のF1復活後、F1ドライバーや国際自動車スポーツ連盟からの安全性への要求は年々高まっていった。しかしながら北コースは22kmにも及ぶ長大なコースであり、山の麓にある関係で安全エリアを設けるスペースを作ることが困難なこともあり、改修費用が膨大となってしまい、さらなる要求に答えることは不可能となっていった。コースが長いため救急車両の到着に時間がかかる問題や、成長するテレビ市場に合わないサーキットである点も露呈した。
1976年、F1ドライバーのボイコットが再び起こり、投票によりレースは行われる事になったが、ニキ・ラウダがレース中にクラッシュしマシンが炎上する大事故が起こった。この事故が決定的となり1976年がニュルブルクリンクでのF1最後の開催であると認識された。1977年よりF1はホッケンハイムに開催場所を移した。
ロードレース世界選手権は1960年代にソリチュードに変わりニュルブルクリンクで再び行われることとなった。当初は南コースが使われていたが、整備不良の問題から、1970年より北コースで開催されるようになった。
1981年より旧ピットエリア周辺でGPコースの新設工事が開始された。これにより北コースはバイパスされ20.832kmに短縮、小さなピットレーンも追加された。このレイアウトは1983年のみ1000km耐久レースなどで使用された。
北コースも1982-1983年に改修が行われ、アレムベルグやブリュンヒェンコーナーのランオフエリアが拡大、点在していたパンプやジャンプスポットが再舗装された。レーシングラインマーカーがコース全域にわたりペイントされた。
南コースは1970-1971年と整備が行われず、安全対策が北コースに比べ大きく遅れていることなどから、数年後に放棄される決断がなされた。現在南コースはコース後半部分の森林区間の一部などを残し大半が壊されるなどしてなくなっている。
1984 GPコース [編集]
1984年、ドイツGPの開催権を取り戻すべくGPコース(GP-Strecke)と呼ばれる当時の最高水準の安全性を備えたサーキットがフィニッシュコース(Zielschleife)部分を置き換えるような形で建設された。
5月12日のオープニングイベントではエキシビジョンレースが行われ、著名なドライバーが多数参加した。レース車両はメルセデス190E 2.3-16でジャック・ブラバム、フィル・ヒル、デニス・ハルム、ジェームス・ハント、ジャック・ラフィット、ニキ・ラウダ、カルロス・ロイテマン、ケケ・ロズベルグ、ジョディー・シェクター、マンフレッド・シュルツ、アラン・プロスト、アイルトン・セナ、ジョン・ワトソンが参加、セナがラウダ、ロイテマンを抑え優勝した。
このGPコースにより1984年のヨーロッパGPと1985年とドイツGPが開催されたが2年間のみしか使用されなかった。
1985年から1987年にかけてビードルシケインが改修され、大幅にスピードが抑えられた。別に2輪用のルートも設置。F1離脱後のGPコースでの主なレースとしては1000km耐久やDTM、二輪、カミオン(トラック)レースやビンテージカーレースなどがあげられる。1986年にADACトラックグランプリ、ロック・アム・リングが初開催。
F1復活 [編集]
ミハエル・シューマッハの活躍により1995年から2006年までヨーロッパGP(1997年と1998年はルクセンブルクGP)としてF1グランプリが再び開催されることとなった。F1開催復活と共にサーキット施設の改修も頻繁に行われるようになった。カストロールSの5000席のVIPエリア付きメルセデスグランドスタンドやメディカルセンターが新設。
1998年にはビルシュタイングランドスタンドも建て替えられ、初めて大型スクリーンも設置された。ニュルブルクリンクへの新しいアクセス道路も整備された。1999年から2001年にかけてピットビルディングやコントロールタワー、レースコントロール施設を建て替え、最新のメディアセンターも設置された。
2002年、GPコースが大幅改修。オーバーテイクチャンスを増やすため、スタート/フィニッシュストレート後のカストロールSを廃し、タイトな右コーナー(非公式愛称ハウグフック)に変更。それに続きインフィールドセクション(メルセデスアリーナ)を追加、それに伴いパドック横にあったカートコースは廃止された。GPコースの全長は4.556kmから5.148kmに長くなった。2003年、北コースはアスファルトが再舗装、GPコースはNGKシケインなどのデザインを少変更。
2007年からドイツ国内のF1グランプリをホッケンハイムリンクと隔年で交互開催することとなったため、2008年はF1グランプリが開催されなかった[1]。2007年のヨーロッパGPを前にして8コーナー、9コーナーのAudi S(又はShell S)がミハエル・シューマッハSに改名された。
2009年のドイツグランプリに合わせて「ニュルブルクリング2009」という開発プロジェクトがスタート。ホテル、イベントホール、アミューズメント施設、ショッピングモールなどが建設。グランドスタンドも600人収容VIPラウンジ付きの5000席のものに建て替えられた。2009年のドイツグランプリには一部は完成が間に合わず、ジェットコースターring°racerは発射装置の不具合により2011年にオープンが延期された。
破産 [編集]
2009年、遊園地の建設などを含めた大規模な改修によって、3億ユーロ(約300億円)の借り入れを行っていた。これによって経営が悪化した。EU(欧州連合)に対して、緊急の資金援助を求めたがこれを却下されたために2012年7月に破産するに至った。ニュルブルクリンクサーキットのオーナーは株式の90%を保有するドイツのラインラント・プファルツ州である。
F1GPが開催された年 [編集]
- 1950年代 1951年-1954年・1956年-1958年
- 1960年代 1961年-1969年
- 1970年代 1971年-1976年(1976年までは北コースにて開催)
- 1980年代 1984年(この年からGPコースにて開催・ヨーロッパGPとして開催)・1985年
- 1990年代 1995年-1999年(1995年、1996年、1999年はヨーロッパGPとして開催・1997年、1998年はルクセンブルクGPとして開催)
- 2000年代 2000年-2007年・2009年(2000年-2007年はヨーロッパGPとして開催)
- 2010年代 2011年
北コース(ノルドシュライフェ) [編集]
北コースの愛称は「グリーン・ヘル(緑の地獄、あるいは単にヘルとも)」で、1960年代後半ジャッキー・スチュワートにより名付けられた。特徴として、
- コース全体で約300mの高低差がある。
- 超高速から超低速まで多種多様なコーナーがある。
- コーナーの数が172もある。
- コーナーの多くがブラインドコーナーとなっている。
- バンクが付いているすり鉢状のヘアピンがある。
- ウイングによるダウンフォースがない車両だとジャンプする箇所がある。
- コース全体の平均スピードが高い。
- 路面が波打ち、ほこりっぽく滑る。
- コース幅が狭い。
- エスケープゾーンが狭い(黄色旗での減速が十分でない車両のルーフをガードレールの外にいるマーシャルが棒で叩いて警告を行えるほど狭い)
などの過酷な条件が揃っており、世界最長、そして世界有数の超難関コースとして知られ、車両の総合的な性能がタイムに反映されやすいことからスポーツカー等の高性能乗用車の開発を行うテストコースとして利用されている。日本の自動車メーカーでもトヨタ、日産、ホンダ、マツダ、スバル、三菱、スズキ(キザシのみ)が利用しており、著名な自動車メーカーのほとんどはここでテスト走行を行っている。
唯一ここでテストできないのは「250km/h~300km/hからのハードブレーキングのみ」とも言われる。
ドライバーにも体力面、精神面、双方に多大な負担がかかる。長い上に様々なバリエーションのコーナーを伴ったコースであるため、まずコースを覚えること自体が難しく、そのうえ幅員の狭い荒れた路面を高速で長時間車を走らせなければならない。技術だけでなく、経験や集中力さらには勇気と体力も必要とされ、ドライバーは極限状態にさらされる。
このような過酷な特性を持つ上、コースの長さからマーシャルなどのコース周辺に必要な要員確保の都合などもあり、車の性能が上がるにしたがって、レースなどの極限の速さを競うイベントでは使われなくなっていった。
しかしこのことで今でもこのコースに憧れるドライバーは多数存在しており、セバスチャン・ベッテルは「ニュルブルクリンクの北コースは別格、だってもう走れないからね」と取材に応えている。
現在でもニュルブルクリンク24時間レース等で北コースも使用されている。24時間レースでは、北、GPコースをつなげて使用され、スタート・ゴール、ピットはGPコースが使用される。ただし2002年に新設されたインフィールドセクション(メルセデスアリーナ)部分は最初の数年は使われたが、現在はショートカットされパドックなどに使用される。他にカミオン(トラック)レースも行われている。
なお北コースにおける近代F1マシンの走行は長らく行われていなかったが、2007年4月28日に開催されたイベントのデモンストレーションにおいて、ニック・ハイドフェルドの運転するBMWザウバー「F1.06」が、31年ぶりに北コースを走行した。過酷な北コースの路面を近代F1マシンで走行するのは非常に危険性が伴うため、車高を最大に上げ、タイヤもバースト回避のため非常にハードなものを使用することでマシンを適応させ、コースを3周した。デモンストレーションのための安全重視の走行で、ギア比もショートレシオに設定していたこともあって、ファステスト・ラップは8分34秒、トップスピードは275km/hにとどまっている。
有名なコーナー [編集]
- Caracciola Karussell(カラツィオラ・カルーセル)
- 単にカルーセル或いはカルッセルと呼ばれることが多い。北コースでも低速なコーナーの一つで、内側がコンクリートにて舗装された斜面(バンク)になっている。元々は排水溝であったが、ルドルフ・カラツィオラが初めてコーナリングに利用したとされ、多くのドライバーが真似するようになり、その後に再舗装された際に公式に斜面付きのコーナーとなった。コーナー入口は見通しが悪く(いわゆるブラインド)なっており、(ファン・マヌエル・ファンジオの「一番高い木を目標にしろ」のアドバイスが有名。このコーナーは斜面があるためイン側を通ってもある程度の速度を保って曲がる事が出来るが、その反面他のコーナーに比べても地面が水平ではなくきつめの凸凹(いわゆるバンピー)となっており、車はいたる所を擦ってしまうため慎重さも求められる。
- とはいえそれでもヘアピンカーブであるため車速は遅く、様々なアングルで写真が撮れるため人気のあるロケーションの一つである。
- 2006年よりカラツィオラの名前が公式に付け加えられた。
- Bergwerk(ベルクヴェルク)
- 重大事故の多さで最も悪名高いコーナー、長い直線の後の右コーナーでカレル・ゴディン・ド・ボーフォールやこの一つ前の左高速ではニキ・ラウダの事故が起こった。
- Flugplatz(フルークプラッツ)
- かつて近くに飛行場があったことから名付けられている。ニュルブルクリンクにかつて数多く存在したジャンプスポットの中でも有名なものの一つ。クリス・アーウィンやマンフレッド・ヴィンケルホックの事故が起こった。ここでハンドル操作を誤ると、下手をすればコースを飛び出してしまい森の奥へ吸い込まれてしまうため発見が遅れることも多い(Fuchsrohreも同様の現象が起こる)。
- Wippermann(ヴィッパーマン)~Brunnchenn(ブルンヒェン)~Pflantzgarten(プランツガルテン)
- ブラインドコーナーが連続する超高速S字セクション。ニュルを走るテストドライバー達が「ここが一番面白い」と口を揃える。尤も、前後左右上下とあらゆる方向からのGに襲われるため、強靭なボディ、足回りあってこその「楽しい」である。
市販車での北コースの主な記録 [編集]
改修後の全長20.832km(一部の記録は20.600km)での記録
| タイム | 車両 | ドライバー | 日付 |
|---|---|---|---|
| 6分47秒50 | パガーニ・ゾンダ R | Marc Basseng | 2010年6月29日 |
| 6分48秒 | ラディカル・SR8LM | Michael Vergers | 2009年8月20日 |
| 6分55秒 | ラディカル・SR8 | Michael Vergers | 2005年9月28日 |
| 6分58秒16 | フェラーリ・599XX | ラファエレ・デ・シモーネ | 2010年4月21日 |
| 7分11秒 | マクラーレンF1 GTR | ||
| 7分11秒57 | 2009年式 グンペルト・アポロスポーツ | Florian Gruber | 2009年8月13日 |
| 7分12秒13 | 2010年式 ダッジ・バイパーSRT-10 ACR | ドミニク・ファーンバッハー | 2011年9月14日 |
| 7分14秒64 | レクサス・LFA Nürburgring Package | 飯田章 | 2011年8月31日 |
| 7分18秒 | ポルシェ・911GT2RS | 2010年5月 | |
| 7分19秒18 | 2013年式 日産・GT-R[2] | 2012年5月12日 | |
| 7分19秒63 | 2012年式 シボレー・コルベット C6 ZR1 | 2011年6月 | |
| 7分22秒01 | 2009年式 ダッジ・バイパーSRT-10 ACR | トム・コロネル | 2008年8月18日 |
| 7分22秒68 | 2012年式 シボレー・コルベット C6 Z06 | Jim Mero | 2011年6月 |
| 7分24秒03 | マセラティ・MC12 | Marc Basseng | 2008年8月 |
| 7分24秒07 | パガーニ・ゾンダ F Clubsport | Marc Basseng | 2008年8月 |
| 7分24秒22 | 2011年式 日産・GT-R | 鈴木利男 | 2010年10月1日 |
| 7分25秒03 | フェラーリ・エンツォフェラーリ | Marc Basseng | 2008年8月 |
| 7分26秒04 | 2009年式 シボレー・コルベット C6 ZR1 | Jim Mero | 2008年6月27日 |
| 7分26秒70 | 2009年式 日産・GT-R | 鈴木利男 | 2009年4月23日 |
| 7分27秒82 | パガーニ・ゾンダ F Clubsport | Marc Basseng | 2007年9月 |
| 7分28秒 | ポルシェ・カレラGT | ヴァルター・ロール | 2004年7月2日 |
| 7分32秒02 | ポルシェ911GT2 | ヴァルター・ロール | 2007年 |
| 7分33秒06 | ケーニグセグ CCX | Marc Basseng | 2008年8月 |
| 7分40秒 | ブガッティ・ヴェイロン16.4 | ||
| 7分40秒 | メルセデス・ベンツ SLRマクラーレン | Klaus Ludwig | |
| 7分40秒 | ランボルギーニ・ムルシエラゴ LP640 | Giorgio Sanna | |
| 7分40秒 | ポルシェ・911GT3 | ヴァルター・ロール | 2009年4月 |
| 7分40秒06 | フォードGT | Markus Draper | |
| 7分50秒 | BMW・M3 CSL | Horst von Saurma | |
| 7分54秒 | NISMOスカイラインR34 GT-R Z-Tune | 田中哲也 | |
| 7分55秒00 | スバル・インプレッサWRX STI 4Door(GVB) | トミ・マキネン | 2010年4月16日 |
| 7分56秒 | ホンダ・NSX-R (NA2) | 黒澤元治 | |
| 8分07秒97 | ルノー・メガーヌR.S.トロフィ(FF市販車レコード) | Laurent Hurgon | 2011年6月17日 |
モータースポーツでの主なコースレコード [編集]
- F1:6分58秒6 - 1975年のドイツGP予選にてフェラーリ312Tを駆るニキ・ラウダが記録(改修前の北コース L=22.835km)
- グループC:6分11秒13 - 1983年の1000km耐久レース予選にてステファン・ベロフがポルシェ・956で記録(GPコース建設中の暫定コース L=20.832kmで開催された。)
一般開放 [編集]
北コースはテストや訓練、レースイベント時に閉鎖されるものの、80年近く一方通行の有料道路として一般開放されている。1927年開設当時よりTouristenfahrten(観光ツアー)と呼ばれ、いわゆる違法な車でなければどんな車やバイク、モーターホームやトレーラー、ツアーバスなどでも走行可能である。ドライビングスクールやプロドライバーによる同乗体験も行われている。
一般開放は主に日曜日であったが、土曜や平日午後にも解放されることが多かった。冬の数カ月は補修や天候により閉鎖されることがある。
一般開放時はドイツの道路法が適用される。速度制限は騒音低減などにより一部の箇所で存在する以外はなく、パッシングは禁止、警察がヘリコプターで監視しており、危険な走行をしている車両を取り締まっている。
2011年現在、北コース1周で車、バイクとも24€だが、4週チケットは89€、15週チケットが310€、25週チケットで470€とお得になっている。年間パスは1350€。GPコースの20分間チケットは38€。電子マネー「ring°card」が発行されており、チケットの代わりとしてコース入場で使用でき、その他ニュルブルクリンク内のレストラン、ショップなど各施設で使用できる。
約200mの入場ゲートが設置される徐行のピットレーンエリアがGPコースをバイパスして通っているため一般利用者は20.8kmを完全に周回できるわけではない。混雑時にはメインストレートにもゲートが設けられる。北コースで起きた事故に関しては自動車保険が適用されない。
2008年のニュルブルクリンク24時間レースで3位の実績と、 20,000ラップ以上の走行経験で「ニュルブルクリンクの女王」とも呼ばれるサビーネ・シュミッツは、BMW・M5に客を同乗させて北コースを走行する有料サービス“Ring Taxi”を自身の経営する会社で行っている。また彼女はディーゼル仕様のジャガー・Sタイプで9分12秒を、無改造のフォード・トランジット(スリップストリーム有り)で10分8秒を記録したこともある。
またコースのアスファルト上に、テストを行ったメーカーやドライバーなどがチョークで書いた、自動車会社のエンブレムなどの落書きがいたる所に見られる。
GPコース [編集]
ホームストレートは大きく下っており、ブレーキングエリアで右に曲がりながら1コーナーのカストロールSを迎える。1コーナーは右→左と切り返すS字カーブであったが、2002年の大改修により鋭角なヘアピンに変更され、低速インフィールドエリアであるメルセデスアリーナが追加された。アリーナの2・3コーナーを右に回りこみ、4コーナーを左に切り返して直線へと加速する。
5コーナーのフォードカーブから、オーバーテイクポイントでもある西端のダンロップヘアピンまでは、左にカーブしながら延々と下る。ダンロップヘアピン通過後は一転して急激な上り勾配となり、スピードに乗せて左・右のシューマッハーSを通過する。
90度ターンからビットコーナーを抜けてバックストレッチへ。高低差が激しいバックストレッチの途中には超高速右コーナーのボーゲンコーナーがある。ボーゲンを抜けるとフルブレーキでNGKシケインへ。シケインへの侵入は格好のオーバーテイクポイントとなる。最終コーナーのコカ・コーラカーブを大きく旋回すると、ホームストレートに戻り1周となる。なお、シケインと最終コーナー周辺には北コースへの連絡通路が垣間見える。
南コース [編集]
かつて存在した南コースは北コースと同じスタートフィニッシュラインを通り、1コーナーを過ぎると急な下り坂で道路橋をくぐって、森林の中を丘から下っていく。mullenbachという地元の村の名前の付いた90度右コーナーを越えると森林の中を通り丘を上って北コース共有のバックストレートにつながって、最後は南コース用のタイトな右コーナーを通りメインストレートに戻る。コースはほとんどエスケープゾーンが見られない。
南コースのラップレコードは1970年のカナディアン-アメリカン・チャレンジカップでのHelmut Kellenersによる2:38.6となっている。
2005年より南コース跡地を使ってビンテージカーイベントが行われている。
テレビゲームにおけるニュルブルクリンク [編集]
20km以上にも及ぶ長大さのため、かつては北コースをゲームに収録することは極めて困難であったが、近年家庭用テレビゲーム機の性能向上に伴い、収録されることが増えてきた。その先駆となったのは2003年に発売されたマイクロソフトのXbox用ソフト「プロジェクト・ゴッサム・レーシング2」であり、TVゲームで初めて北コースが収録された。続く2004年にはソニー・コンピュータエンタテインメントからプレイステーション2用ソフト「グランツーリスモ4」が発売された。
その後も「フォルツァ・モータースポーツ」シリーズ(マイクロソフト、XboxおよびXbox 360用)、「エンスージア プロフェッショナル レーシング」(コナミ、PS2用)、「3」以降の「プロジェクト・ゴッサム・レーシング」シリーズ(マイクロソフト、Xbox 360用)、「ニード・フォー・スピード シフト」(エレクトロニック・アーツ、PS3・Xbox 360・PC用)など、続々と北コースを収録するゲームが登場、そのリアリティを競っている。また、2009年にはPSP用ソフト「グランツーリスモ」にて、携帯ゲーム機では初の収録がされた。
なお現在F1が行われているGPコースに関しては、1995年の開催以降プレイステーション用ソフト「Formula1」(ソニー・コンピュータエンタテインメント、1996年発売、収録データは1995年のもの)を始め、大半のF1ゲームに収録されている。
2010年のPS3用ソフト「グランツーリスモ5」では、北コース、GP(2種類)、連結した耐久レース用(2種類)の合計5種類のレイアウトが収録されており、一部のレイアウトでは、天候/時間変化なども収録されている。
座標: 北緯50度20分05.32秒 東経6度56分45.33秒 / 北緯50.3348111度 東経6.9459250度
アミューズメント施設 [編集]
2009年の大改修によって豊富なアミューズメント施設が作られた。
- ring°werk
- 2009年にできた屋内アミューズメント施設。ジェットコースター「ring°racer」や4Dシネマ「ring°kino」を初めとしてモータースポーツに関連した様々なアトラクションが楽しめる。
- ring°boulevard
- 自動車メーカーやサプライヤーのブースやショップが立ち並ぶ。TVスタジオなども存在。kletter°challengeと呼ばれるアスレチック施設もある。
- ring°arena
- 4500席を誇るイベントホール。コンサートやミュージカルなど様々な用途に使用される。
- ring°kartbahn
- 全長400mの屋内カート場。
- Eifeldorf
- レストランやバー、ホテルが入る複合施設。ディスコなどナイトイベントが年間300回以上開かれている。
- RING CASINO
- 2009年オープンのLindnerホテル内に作られたカジノ
脚注 [編集]
- ^ 2007年時点でF1での「ドイツGP」の名称の独占使用権をホッケンハイムリンクのレースをプロモートするドイツ自動車クラブ(AvD)が所有しているため、AvDとライバル関係にある全ドイツ自動車クラブ(ADAC)の制御下にあるニュルブルクリンクにF1での「ドイツGP」の名称使用権がない。そのため2007年はヨーロッパGPとして開催された。ただし2008年からは7年契約でスペイン・バレンシア市街地コースにおいてヨーロッパGPが開催されることが予定されているため、2009年以降の名称がどのようになるのか注目されていたが、2008年10月7日の世界モータースポーツ評議会(WMSC)においてドイツGPとして2009年F1世界選手権カレンダーに記載された。その後、モーターレース管理団体であるドイツ・モータースポーツ連盟(DMSB)の下でドイツF1委員会が設立され、AvDとDMSBがその管理下に置かれることで、2009年はドイツGPとして開催された。
- ^ NISSAN GT-R 2013 日産公式動画
関連項目 [編集]
- 本サーキットを由来とする名称
- 日産・スカイラインGT-R - R34特別仕様車に「VスペックⅡニュル」「Mスペックニュル」の名称
- トヨタ・カルディナ - 3代目GT-FOURの上級仕様「Nエディション」の名称
- レクサス・LFA - 特別仕様車に「ニュルブルクリンク・パッケージ」の名称
- BLITZ - マフラー商品名「ニュルスペック」