ニュルンベルク
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| 紋章 | 地図 |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 連邦州: | バイエルン州 |
| 行政管区: | ミッテルフランケン行政管区 |
| 郡: | 郡独立市 |
| 緯度経度: | 北緯 49度 27分 東経 11度 05分 |
| 標高: | 海抜 302 m |
| 面積: | 186.38 km² |
| 人口: | 499,904人 (2006年7月現在) |
| 人口密度: | 2,682 人/km² |
| 郵便番号: | 90001–90491(旧: 8500) |
| 市外局番: | 0911, 09122, 09129 |
| ナンバープレート: | N |
| 自治体コード: | 09 5 64 000 |
| 市の構成: | 7 市区 |
| 市庁舎の住所: | Rathausplatz 2 90317 Nürnberg |
| 公式ウェブサイト: | www.nuernberg.de |
| E-Mail: | buergerinfo@stadt.nuernberg.de |
| 行政 | |
| 上級市長: | ウルリヒ・マリー(Ulrich Maly)(SPD) |
ニュルンベルク(Nürnberg)はドイツ、バイエルン州の都市である。同州北部フランケン地方の中心的都市。人口はミュンヘンに次いで州内第2の約50万人(2004年)。中世からの伝統ある都市であり、リヒャルト・ワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の舞台としても知られる。現在も旧市街は中世の城壁で囲まれている。
目次 |
[編集] 歴史
交通の要衝であるニュルンベルクは、11世紀に神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世が建設した城塞に始まり、1219年にフリードリヒ2世から特許状を得て帝国都市となった。皇帝の居城「カイザーブルク城」が置かれ、16世紀中頃まで神聖ローマ帝国の重要都市とされた。有名なカール4世の金印勅書は1356年にこの街で発布された。勅書では即位後第1回目の帝国議会をニュルンベルクで開催することと定められ、1543年まで続いた。
皇帝不在時の代官ニュルンベルク城伯として長らくホーエンツォレルン家が支配したが、15世紀に城伯はアンスバッハとクルムバッハに移って辺境伯となり、ニュルンベルク市は名実ともに帝国自由都市として高度自治を獲得した。1525年、市当局は宗教改革を受け入れ、以後次第に皇帝と疎遠になってしまう。1663年以降帝国議会開催もレーゲンスブルクに移り、「皇帝の街」としての意義は失われることとなる。
中世以来、ニュルンベルクはアウグスブルクとともにイタリアと北ヨーロッパを結ぶ2大貿易都市であった。商業都市の例に漏れずユダヤ人も多く居住していたが、1298年、内乱時にドイツの騎士 Rindfleisch は ”天から、聖体に対する冒涜の容疑でユダヤ人を絶滅させる使命を受けた” と宣言し、彼の指揮のもと群衆は約10万人のユダヤ人を殺戮した。フランケン、バイエルン、オーストリアの、Röttingen (4月20日)、ヴュルツブルク(7月24日)、ニュルンベルク(8月1日)を含む146の場所で行われ、ニュルンベルクでは698人が殺戮された。
マイスタージンガーのハンス・ザックスや、画家アルブレヒト・デューラーの居住した街でもある。デューラーの『四人の聖人』(いわゆる『使徒たち』:アルテ・ピナコテーク所蔵)はこの街の教会のためにこの街で描かれた。バロック期の音楽家ヨハン・パッヘルベルはこの街の出身で、晩年にこの街のゼーバルドゥス教会にオルガン奏者として戻り、そこで没している。
ドイツ最初の鉄道は、1835年12月7日、ニュルンベルクと隣町フュルトの間に開業した。
ナチ党大会が、1933年から1938年にかけて行われた場所であり、その模様はレニ・リーフェンシュタールにより映画化された。1935年の党大会では、ユダヤ人から市民権を剥奪する法(「ドイツ人の血と尊厳の保護のための法律」)が定められ、一般的にはニュルンベルク法と呼ばれている。このようにニュルンベルクは、ナチス・ドイツを象徴する都市となった。戦後にナチの政治責任を問うニュルンベルク裁判が行われた。第二次世界大戦の戦災によって街の大部分を消失したが、戦後復興され、城壁に囲まれた旧市街は中世の面影を残す美しい町並が復元されている。
[編集] 交通
旧市街の外にドイツ鉄道の駅があり、ミュンヘン、ヴュルツブルク、フランクフルト・アム・マインなどとの間にICE・インターシティ(IC)が運行される。
近郊都市とはニュルンベルク地下鉄で結ばれている。ニュルンベルク空港を通じて、空路でも周辺諸国と結ばれている。このほか、ライン・マイン・ドナウ運河により水運も可能である。近隣の都市としては、約80キロ南にインゴルシュタット、90キロ北西にヴュルツブルク、90キロ南東にレーゲンスブルクが位置する。
[編集] 文化
ルター派プロテスタント地域に属する。クリスマスマーケットが開催される町として有名である。
中世以来職人の街として知られ、鉛筆を発明したシュテートラー(Städtler)〔ステッドラー社の元祖〕や、クラリネットの発明で知られる18世紀の木管楽器の名匠デンナー親子などが活躍した。また、20世紀初頭には、200社の玩具会社があったことから、おもちゃの町としても有名で、おもちゃの見本市も開かれている。観光エリアである旧市街には、鉄道模型のほか、ドールハウスなど多彩なコレクションを誇る玩具博物館もある。
ドイツで最初の鉄道が開業した都市でもあり、「鉄道発祥の地」としても有名で、ニュルンベルク中央駅の西方に交通博物館(DB Museum)が置かれている。また、博物館本館から少し離れた場所に扇形機関庫があり、そこにドイツ最初の蒸気機関車アードラー号のレプリカなど歴史的な車両が多数保存されていたが、2005年10月17日深夜に火災が発生し、扇形機関庫と、貴重な保存車両多数が焼失した。
名物料理に、独特の短いソーセージ「ニュルンベルガーブラートブルスト」があり、市内に老舗の専門店が数店ある。また、ナツメグなどのスパイスが加えられた焼き菓子「レープクーヘン」も有名。
[編集] 祭り
9月にはアルトシュタットフェスト(Altstadtfest:旧市街祭り)が開催されパレードやコンサートあるいは運河でのDas Fischerstechen(漁師の船上綱引き)などの伝統行事が行われ街が賑わう。
[編集] スポーツ
- ブンデスリーガ所属のプロサッカークラブである1.FCニュルンベルクの本拠地。イージークレディット・スタディオン(e@syCredit-Stadion)を本拠地とする。
- バスケットボール・ブンデスリーガ(ドイツプロバスケットボールリーグの1部)に所属するセルバイテル・バスケッツ・ニュルンブルグの本拠地。
- 2006年ドイツ FIFAワールドカップの開催都市の一つであり、フランケン・シュタディオン(イージークレディット・スタディオン)にて試合が行われる。日本対クロアチア戦も2006年6月18日にここで行われた。
[編集] 姉妹都市
国際的なニュルンベルクは以下の都市と姉妹都市である:
ニース(フランス共和国)- 1954年
クラクフ(ポーランド共和国)- 1979年
スコピエ(マケドニア共和国)- 1982年
グラスゴー(イギリス連邦)- 1985年
サン・カルロス(ニカラグア共和国)- 1985年
テューリンゲン州ゲーラ (旧ドイツ民主共和国)- 1988年、改名 1997年
プラハ(チェコ共和国)- 1990年
ハリコフ(ウクライナ)- 1990年
ヘデラ(イスラエル国)- 1995年
深圳(中華人民共和国)- 1997年
アンタリア(トルコ共和国)- 1997年
カヴァラ(ギリシャ共和国)- 1998年
アトランタ(アメリカ合衆国)- 1998年
ヴェネツィア(イタリア共和国)- 1999年
[編集] 参考文献
- 若月伸一『写真紀行 ドイツ古城街道物語』(グラフィック社、1997年) ISBN 4766110072
- 芝 健介『ヒトラーのニュルンベルク 第三帝国の光と闇』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー、2000年) ISBN 4642054901
[編集] 外部リンク
- バイエルン州の郡独立市
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オーバーバイエルン行政管区: ミュンヘン | インゴルシュタット | ローゼンハイム ニーダーバイエルン行政管区: ランツフート | パッサウ | シュトラウビンク オーバープファルツ行政管区: アムベルク | レーゲンスブルク | ヴァイデン・イン・デア・オーバープファルツ オーバーフランケン行政管区: バンベルク | バイロイト | コーブルク | ホーフ ミッテルフランケン行政管区: アンスバッハ | エアランゲン | フュルト | ニュルンベルク | シュヴァーバッハ ウンターフランケン行政管区: アシャッフェンブルク | シュヴァインフルト | ヴュルツブルク シュヴァーベン行政管区: アウクスブルク | カウフボイレン | ケンプテン | メミンゲン
- ミッテルフランケン(行政管区、郡市連合)の郡および郡独立市
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郡独立市: アンスバッハ | エアランゲン | フュルト | ニュルンベルク | シュヴァーバッハ 郡: アンスバッハ郡 | エアランゲン=ヘーヒシュタット郡 | フュルト郡 | ノイシュタット・アン・デア・アイシュ=バート・ヴィンツハイム郡 | ニュルンベルガー・ラント郡 | ロート郡 | ヴァイセンブルク=グンツェンハウゼン郡

