エディンバラ城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
エディンバラ旧市街にそびえ立つエディンバラ城

エディンバラ城Edinburgh Castle )は、スコットランドエディンバラにある城。キャッスル・ロックという岩山の上に建つ古代からの要塞で、エディンバラのシンボルである。スコットランドでは、グラスゴーのケルヴィングローヴ・アート・ギャラリー・アンド・ミュージアムに次いで多くの観光客が訪れている。人間の定住は紀元前9世紀前後からといわれている。城内で最も古い12世紀初期の建築物であるセント・マーガレット教会堂を除くと、城の建築物のいくつかは16世紀以前のものである。

多くの城がそうであるように、エディンバラの要塞は軍事活動の中心地だった。エディンバラ城はいまだにセレモニー用として駐留部隊のいる数少ない城である。かつてはロイヤル・スコッツ連隊やロイヤル・スコッツ・ドラグーン・ガーズ連隊の本部があった。1915年に陸軍がレッドフォード兵舎へ移ったとはいえ、城と陸軍のつながりは深い。朝6時から9時まで城の城門に歩哨が立ち、スコットランド王の宝冠の警護に当たっている。

現在、城の管理と運営のほとんどを行うのはスコットランド政府の外局であるヒストリック・スコットランドである。

みどころ[編集]

デイヴィッズ・タワー[編集]

デイヴィッズ・タワーは、1376年にデイヴィッド2世により建設が委任された。当時の主流の建築であり、城の主要な入り口であったが、のち塔が宿泊する客人や貴族のため拡張され、原型の入り口はゲスト・ハウスに塗り込められた。

カトリックを信仰した女王メアリー1世は1567年にプロテスタントジェームズ・ヘップバーンと結婚し、これに反対する貴族たちの大規模な反乱を引き起こした。反乱軍側に投降したメアリーはロッホ・リーヴン城へ監禁された。メアリーに忠誠を尽くす一部の貴族の助けを借り、彼女は城から逃亡しイングランドへ亡命した。エディンバラ城守護だったウィリアム・カークカルディーは一年余り城に立てこもった。幼王ジェームズ6世(のちのイングランド王ジェームズ1世)の摂政モートン伯ジェームズ・ダグラスは、エリザベス1世より支援を受け、砲撃と銃撃でデイヴィッズ・タワーを崩壊させた。城の陥落後、ウィリアム・カークルディーは絞首刑にされ、ハーフ・ムーン・バッテリーを含む多くが再建された。

ハーフ・ムーン・バッテリー[編集]

ハーフ・ムーン・バッテリーは、古いデイヴィッズ・タワーの後に建設された砲台である。この壮大な防衛の設備は今日も城の東側を占める。かつてディヴィッズ・タワーの客室であった部分は、冬の間だけ軍事用ハトの小屋にされたりしていた。

クラウン・スクエア[編集]

クラウン・スクエアは城の頂上の砦である。スクエアの北側に国立戦争記念館、東側にロイヤル・パレス、南側にグレート・ホール、西側にクイーン・アン棟がある。

キングズ・ロッジング[編集]

15世紀から、かつて王族の居室のあった部分である。メアリー1世が嫡子ジェームズ6世を生んだ産室、またはメアリー・ルームも含む。

グレート・ホール[編集]

グレート・ホールは1511年、ジェームズ4世の命令で建てられた。スコットランド議会のミーティング会場として使われた。現在時折儀礼的行事に用いられる。

クラウン・ルーム[編集]

スコットランド王家の宝冠や宝石類が展示されている。宝冠は1540年に作られ、スコットランド産の金、94個の真珠、10個のダイアモンド、33個の貴石と半貴石でできている。スコットランド王が代々戴冠してきた運命の石と呼ばれる『スクーンの石』も展示されている。この石は長くウェストミンスター寺院で保管され、イングランド、イギリスの代々の王が戴冠に用いてきたが、1996年にスコットランドへ返還された。

セント・マーガレット教会堂[編集]

セント・マーガレット教会堂は、エディンバラ、また城内の中で最も古い建物である。12世紀に建設が始められた。デイヴィッド1世が、1093年にエディンバラ城で亡くなった母マーガレットに捧げ、王家の私用礼拝堂として建てた。

ロバート1世は、バノックバーンの戦いに敗れイングランド軍に捕らえられるのを避けるため、配下の司令官初代マリ伯に命じて城を破壊させた。しかし彼は行いを悔い教会堂の改修を依頼した。最大25人程度しか入らない教会堂だが、結婚式や洗礼式といった宗教行事に多く私用されている。

モンス・メグ[編集]

モンス・メグ

15世紀、北側にむけ6トンもの巨大な大砲が設置されていた。150キロの砲丸が使われ、メアリー1世とフランス王太子フランソワ(のちのフランソワ2世)との結婚を祝い1558年に打ち上げられた。

ミリタリー・タトゥー[編集]

ミリタリー・タトゥー

8月に行われるスコットランド駐留部隊のパレードで、バグパイプとドラムを演奏し行進する。外国からパフォーマーを招待することもあり、2006年にはウガンダの孤児たちのコーラス隊が参加した。パレードのクライマックスは、バグパイプによる『ピルブロッホ』の独演である。

ワン・オクロック・ガン[編集]

ワン・オクロック・ガン

ワン・オクロック・ガンとは、日曜を除く毎日ほぼ13時きっかりに、エディンバラ城に設置されたガン、大砲で行われる空砲である。1時ちょっと前に、兵士が登場し儀式めいたやりかたで空砲を1発打つ。その時刻になると観光客が見物に集まる。元々は、フォース湾を航行する船乗りたちに正確な時刻を教えるためであったという。昔は、時計の時刻を正確に合わせておかなければ遭難しかねなかった[1][2]。なぜ定時を教えるためだというのに、きっかり12時ではなく、(常識的に言えば半端な)1時に行うのか? と言うと、12時だと空砲を12回打たねばならず、打つたびに(火薬を使い)砲身を12回も掃除しなければならないが、1時ならば1発で済むから倹約できる、合理的だ、とスコットランド人は考えたからだという[1]。この銃砲は、2マイル離れたリース・ハーバーに停泊する船にもたやすく聞こえる。この音で市民や観光客が自分の時計の時刻あわせをする。

かつては口径18ポンドの前装式大砲を使用してきたが、1953年には当時のイギリス軍主力野戦砲であった25ポンド野砲に更新され、現在は新たにイギリス軍の主力野戦砲となったL118 105mm榴弾砲がその役目を担っている。

脚注[編集]

  1. ^ a b 世界ふれあい街歩き「エディンバラ 旧市街から新市街へ」2014年1月16日(木) 午後0:00~1:00 放送。エディンバラ城のガイドをしているおじさんの語った話。
  2. ^ 注: 昔の航海術では六分儀などを用いており、時計の時刻があっていなければ自船の位置を正しく算出できず、遭難する可能性が高くなった。