ドゥブロヴニク

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ドゥブロヴニク旧市街
クロアチア

旧市街地
旧市街地
(英名) Old City of Dubrovnik
(仏名) Vieille ville de Dubrovnik
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(i),(iii),(iv)
登録年 1979年
拡張年 1994年 
備考 1991年から1998年まで危機遺産 
公式サイト ユネスコ本部(英語)
地図
ドゥブロヴニクの位置
世界遺産テンプレートを使用しています
  
船着場
赤瓦が特徴的な旧市街

ドゥブロヴニクDubrovnik, イタリア語 Ragusa, ラテン語 Ragusium)は、クロアチアアドリア海沿岸に位置する都市ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の郡都。「アドリア海の真珠」とうたわれる美しい町並みを誇り、1979年世界遺産に登録された。

ボスニア・ヘルツェゴビナの唯一の海港であるネウムが回廊状態で分断しているため、クロアチア本土とは陸続きではない(→飛び地)。

目次

[編集] 歴史

町の起源は古くローマ帝国時代、あるいはそれ以前に溯るとされている。町のイタリア語名ラグーサは、当時のラテン語名ラグシウムに由来する。11世紀頃からヴェネツィア共和国の影響下で発展し、1358年ヴェネツィアのコントロールを脱してラグーサ共和国として自立するようになった。そもそもこの町は後背地であるボスニアやセルビアで産出される鉱石の積出港として栄えていたが、15世紀オスマン帝国がバルカン半島の内部へと進出してくるとその宗主権を認め、ヴェネツィアがオスマン帝国と度々戦争状態に入りその都度停滞したのとは裏腹に、かつてヴェネツィアが独占的に果たしていた東西交易の中での役割をより確かなものとしていった。

ラグーサ共和国の時代、この町では、イタリア系とスラブ系の住民が一貫して共存し、共に繁栄を支えていた。もともとイタリア系住民が住んでいた島の部分とスラブ系住民の住む対岸の集落の間にある海峡を埋め立てることによって、両者の一体化はさらに進んだ。政治の場面においてはイタリア語が主に使用される一方で、クロアチア語による文学が盛んであった。15世紀16世紀に最盛期を迎えたこの都市国家は、しかしアドリア海交易の不振と1667年の大地震により、緩やかに衰退の道をたどる。

その後、共和国は1805年にナポレオンにより解体され、1815年以降、オーストリア帝国領ダルマチアの一部となる。さらに第一次世界大戦の結果二重帝国が解体されると、セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国を経て1929年に成立したユーゴスラビア領となった。ローマ帝国の時代以来、ダルマチアに長く影響力をもったイタリア系住民は、多数派であるクロアチア系住民と同化していく流れにあったが、ユーゴスラビアの独立と第二次世界大戦を経て、そのプレゼンスは消滅した。

1991年のクロアチア独立とともにクロアチア領となったが。この時起こった内戦ではユーゴスラビア連邦軍の攻撃を受け、かなりの被害が出たが、その後復興し、一時名を連ねた世界遺産危機遺産リストからも1998年に除外された。

その後、観光地としてホテルやレストラン、街並みの整備が進められ、今日では、対岸のイタリアなど世界各地からの旅行者で賑わっている。

[編集] 地理

アドリア海に面するクロアチアのダルマチア地方に位置する。

[編集] 姉妹都市

[編集] 世界遺産

  • ドゥブロヴニク旧市街
    • ピレ門
    • プラツァ通り(ピレ門から続く石畳のメインストリート)
    • ドミニカ修道院(宗教博物館)
    • フランエヴァッキ修道院
    • スポンザ宮殿
    • ルザ広場
    • 司教宮殿(歴史博物館)
    • 聖イヴァン砦(海洋博物館)
    • 聖ヴラホ(ブラシオス)教会
    • 大聖堂
    • 城壁(旧市街を囲んでいる。通行でき、カフェや展望台も有る。内戦で甚大な被害を受けた。)

[編集] 登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

  • (i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの。
  • (iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの。
  • (iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または景観の顕著な例。

[編集] 関連事項

宮崎駿アニメ映画「紅の豚」の町並みのモデルのひとつになったことでも知られている。

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ