ルジェル・ヨシプ・ボスコヴィッチ

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Rudjer Josip Boscovich
Philosophiae naturalis theoria, 1758

ルジェル・ヨシプ・ボスコヴィッチ または ルッジエーロ・ジュゼッペ・ボスコヴィッチ(Rugjer Josip Bošković 、1711年5月18日 - 1787年2月13日)は、アドリア海沿岸の都市ドゥブロヴニク(当時はラグーサ共和国)に生まれたイエズス会司祭天文学者物理学者数学者である。イタリアイギリスフランスで活躍した。

名前はクロアチア語などで

  1. Ruđer (Roger) Bošković
  2. Ruđer Josip Bošković
  3. Ruggero Giuseppe Boscovich
  4. Roger Joseph Boscovich , bzw. Roger Boscovich
  5. Josip Ruđer Bošković
  6. Rugjer (Rudjer) Josip Bošković

などと表記される。

物質を起因を点状の均一な原子に還元する考えを1758年の『自然哲学の理論』に著し、後の原子論者に影響を与えた。

幼い頃から才能を示し1725年に教育のためにローマに送られ、グレゴリアン大学(当時は Collegium Romanum)で学び、1740年には数学の教授に任じられた。1750年から約2年間にわたり、ローマ-リミニ間の緯度差2に相当する子午線弧測量に従事した。1764年パヴィア大学の教授となり、ブレラ天文台イタリア語版英語版を設立した。1773年から1783年の間はフランス国王に招かれてパリで暮らした。ミラノで没した。大陸におけるニュートン万有引力の法則の最初の支持者の一人であり、70冊の光学天文学重力の理論、気象学幾何学の著書を著した。科学的な活動のほかに、外交的な仕事でウィーンロンドンなどヨーロッパ各地で活動した。

数学の分野では誤差絶対値の合計を最小化して回帰式係数を求める方法を初めて用いたことで知られる。

関連項目[編集]

脚注[編集]