アルブレヒト・デューラー

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自画像
自画像
メランコリア(銅版画)
メランコリア(銅版画)
A Young Hare, 1502, Watercolor
A Young Hare, 1502, Watercolor
犀(木版画)
犀(木版画)

アルブレヒト・デューラーAlbrecht Dürer, 1471年5月21日 - 1528年4月6日)は、ドイツルネサンス期の画家。数学者。同名の父・アルブレヒトは、ハンガリーからニュルンベルクに移住してきた金銀細工師。

目次

[編集] 出生

1471年、ニュルンベルク生まれ。父・アルブレヒトはジュラ Gyula の隣村アイトーシュ Ajtós(現在アイトーシュファルヴァ Ajtósfalva、「村」の意味)の出身で、Ajtósiと名乗っていた。ハンガリーではアイトーシ・デュレル Ajtósi Dürer とも呼ばれる。

デューラーは、はじめ父のもとで金銀細工師となる修業をするが、後に画家を志し、ミヒャエル・ヴォルゲムートに師事し、ゴシック様式を学んだ。

1494年、アグネス・フライと結婚。

1494年~1495年にかけてヴェネツィアへ赴き、ルネサンス美術を研究する。

1498年木版画集「黙示録」にて成功をおさめるとともに、銅版画による作品作りにも積極的に取り組むようになる。人体の比例や遠近法の研究に取り組み、1513年には「騎士と死と悪魔」などの銅版画を発表。

1504年1507年にもヴェネツィアに滞在し、当地の巨匠、ジョヴァンニ・ベリーニと親交を結んでいる。また、1520年1521年にはネーデルラントにも滞在している。

[編集] 作品に関するエピソード

  • ヴォルゲムートの肖像
    1516年、当時すでに大画家としての名声を得ていたデューラーは、修業時代に世話になった恩師ミヒャエル・ヴォルゲムートの肖像を描いている。年老いた師匠を美化せずに描いたこの肖像画には「1516年、師ヴォルゲムートを前にしてこれを描いた。彼(ヴェルゲムート)は当時82歳で、1519年まで生きた」という趣旨の銘文がある。絵の完成から3年後の1519年、恩師の死を悼んでこの言葉を画中に書き記したものと思われる。
  • 四人の使徒
    代表作『四人の使徒』は、晩年の画家が、故郷のニュルンベルク市に寄贈したものである。当時のドイツはマルティン・ルターらによる宗教改革の時期であった。自身ルターに共鳴していたデューラーは、ニュルンベルク市が新教側に付くことを知り、この絵を市に寄贈したものである。絵の最下部には、ルター訳による聖書の引用のほか、「世の支配者たちよ。人間たちの言葉を神の御言葉と取り違えてはならぬ」という趣旨の戒めの文句が描かれている。
  • デューラーの木版画作品「犀」はリスボン港でのサイの評判を現地にいた友人から伝え聞いた情報によって描かれたもので、デューラー自身はサイを目にしていない。このサイ自体はリスボンから教皇庁へ向かう際にに出会い、の藻屑と消えてしまったが、デューラーの想像によって描かれた「犀」はオランダの動物学者ヨンストンが手がけた「動物図鑑」(1660年)に登場し、当時江戸時代日本にもその絵がたどり着いている。

[編集] 代表作

[編集] 関連

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