ヤーバッハ祭壇画

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『ヤーバッハ祭壇画』
ドイツ語: Jabach-Altar
英語: Jabach Altarpiece
作者アルブレヒト・デューラー
製作年1503-1504年ごろ
所蔵ヴァルラフ・リヒャルツ美術館 (ケルン)、シュテーデル美術館 (フランクフルト)

ヤーバッハ祭壇画』(ヤーバッハさいだんが、: Jabach-Altar: Jabach Altarpiece)は、ドイツルネサンス期の巨匠アルブレヒト・デューラーが1503–1504年ごろに制作した菩提樹板上の油彩画で、元来、三連祭壇画であった。作品名は、17世紀末からの所有者であったエバーハルト・ヤーバッハにちなむものである。18世紀末には一家の家族礼拝堂に掛けられていたが、その後、解体され、様々な場所に分散した[1]。現在残っている右翼外面パネル (96×54 cm) はケルンヴァルラフ・リヒャルツ美術館[2]、左翼外面パネル (96×51 cm) はフランクフルトシュテーデル美術館に所蔵されている[3]。また、現在、ミュンヘンアルテ・ピナコテークにある金地の背景を持つ『使徒たち』[4]も、元の祭壇画と関連付けられており、左右の内面パネルであったと見られている[1]

歴史[編集]

祭壇画はおそらく、フリードリヒ3世 (ザクセン選帝侯) によりヴィッテンベルクにあった彼の城の礼拝堂のために委嘱された。1503年にペストが収束した折のことであったと思われる[1]

祭壇画の再構成については、議論がなされている。ウフィツィ美術館にある『東方三博士の礼拝』が中央パネルであったと見なす美術史家もいたが、現在、その説は否定されている。また、中央パネルの位置には一群の彫像があったとする美術史家もいた[5]。左翼パネル内面に聖母マリアの父ヨアキムと夫聖ヨセフが描かれていることから、失われた中央パネルの主題は「聖アンナ聖母子」だったのではないかとする説もある[1]

概要[編集]

『聖ヨセフと聖ヨアキム』 96×54 cm アルテ・ピナコテーク (ミュンヘン)
『聖シメオンと聖ラザロ』 97×55 cm アルテ・ピナコテーク (ミュンヘン)

左右両翼外面の2点は、いったん閉じられると1つの像を形成する[1]。事実、2点は共通の背景を持ち、ヨブの妻の服は右側のパネルにも連続して描かれているのである[5]

左側のパネルは、ヨブを描いている。彼は、サタンにより最も過酷な災難に遭っても神への忠誠を保てるか試された後、絶望した表情で腰かけている。こうした災難により、散乱した彼の服が右側のパネルに描かれ、彼の財産は左側のパネルの端で火事により燃えている。さらに、彼の皮膚は腫物に覆われているが、これは、疫病の収束のための奉納品として発注された作品にはふさわしいものであった。ルネサンス期の服装をしているヨブの妻が彼の頭上に汚水をかけていて、後景では小さな悪魔が逃げ去っている[5]。 

右側のパネルは2人の音楽師を描いている。太鼓を持っている右側の人物は、おそらくデューラーの自画像である。2人が描かれている意味は解明されていない。ヨブをさらに嘲弄するために登場しているか、音楽により彼を慰めようとするために登場しているのであろう[5]。後者の説を取れば、聖書偽典『ヨブ記』に記されている「妻と楽師に慰められるヨブ」が主題であると思われる[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『カンヴァス世界の大画家 7 デューラー』、中央公論社、1983年刊行、85-86頁 ISBN 4-12-401897-5
  2. ^ ヴァルラフ・リヒャルツ美術館の本作のサイト (英語) [1] 2023年1月24日閲覧
  3. ^ シュテーデル美術館の本作のサイト (英語) [2] 2023年1月24日閲覧
  4. ^ アルテ・ピナコテークの本作のサイト (英語)[3] [4] 2023年1月24日閲覧
  5. ^ a b c d Costantino Porcu, ed (2004). Dürer. Milan: Rizzoli 

出典[編集]

  • Costantino Porcu, ed (2004). Dürer. Milan: Rizzoli 

外部リンク[編集]