フィル・ヒル

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フィル・ヒル
F1での経歴
国籍 アメリカ合衆国
所属チーム マセラティ, フェラーリ,
クーパー, ポルシェ,
ATS, ロータス,
イーグル
活動時期 1958 - 1964 , 1966
出走回数 47
優勝回数 3
通算獲得ポイント 98
表彰台(3位以内)回数 16
ポールポジション 6
ファステストラップ 6
F1デビュー戦 1958年フランスGP
初勝利 1960年イタリアGP
最終勝利 1961年イタリアGP
最終戦 1964年メキシコGP
タイトル 1 (1961)
  

フィル・ヒルPhilip Toll Hill Jr., 1927年4月20日 - 2008年8月28日)は、アメリカフロリダ州マイアミ出身のレーシングドライバーで、1961年のF1ワールドチャンピオンである。

目次

[編集] 経歴

生まれてすぐにマイアミからサンタモニカに引越し、9歳で初めて車を運転し12歳の時に父親からフォード・モデルTを買ってもらい私道で運転をする。

1945年第二次世界大戦には行かず南カリフォルニア大学にて経営学を専攻するが学位を得ずに当時、ロサンゼルスで最も大きい外国車の販売代理店である会社の整備士営業職として働きはじめた。

1946年、カルフォルニア・スポーツカー・クラブ(the California Sportscar Club)の最初のメンバーの一人で1948年カレル・スピードウェイでのレースで初勝利。1949年ジャガーの研修員としてイギリスへ渡り、ジャガー・XK140と共にアメリカに帰国しXK140で1950年のアメリカでのレースで勝利する。

[編集] 耐久レース

1955年に初めてル・マン・シリーズフェラーリから起用され、1958年セブリング12時間レースを初優勝し、その年の6月に行なわれたル・マン24時間レースオリビエ・ジャンドビアンと共に初優勝しました。その後、F1に参戦するが1961年1962年にル・マン24時間レースを連優勝(通算3勝)しセブリング12時間レースも1959年、1961年も優勝(通算3勝)した。

[編集] F1

1958年当時マセラティのドライバーだったルイジ・ムッソの死によって第6戦フランスGPにマセラティからF1初参戦し、すぐにスクーデリア・フェラーリに移籍。1960年第9戦イタリアGPでは、予選で自身初のポールポジションを獲得すると、決勝でも優勝。初優勝をポール・トゥー・ウィンで飾った。

1961年には2勝を挙げ、アメリカ人初のF1チャンピオンとなる。しかし、以後は成績が低迷し、フェラーリのお家騒動に巻き込まれ1964年にF1から引退した。のち1966年には1戦のみ復帰するが予選不通過に終わり、以後はF1に戻ることはなかった。

[編集] F1チャンピオンへの流れ

チャンピオンとなった1961年は完全にフェラーリの年だった。チャンピオン争いはヒルと、チームメイトのウォルフガング・フォン・トリップスに絞られていたが、第6戦ドイツGP終了時ではフォン・トリップスが4ポイントリードしていた。

しかし第7戦イタリアGPにて、PPからスタートしたフォン・トリップスは、ジム・クラークとのデットヒートの末接触し、マシンごと観客席に飛び込んでいった。飛び込んだマシンやパーツによって、14人の観客が命を落とし、自身もまた即死した。

ヒルはこのレースで優勝してランキングトップとなり、ランキング2位のフォン・トリップス死亡によって、その場でチャンピオンが決定した。だが、レース終了後に初めて僚友の死を聞かされたヒルは、表彰台で人目も気にせず号泣していたと言う。

[編集] F1以降

F1引退後、アメリカに戻りクーパーフォードシチャパル・カーズ(Chaparral Cars)のドライバーを務める。39歳で出場した1967年ブランズハッチ1000キロレースが、最後の優勝となった。

引退後はケン・ヴァウグンと共に、クラシックカーの修理会社を設立。また、テレビ解説者として時折登場した。

2008年8月28日、アメリカカリフォルニア州の病院にてパーキンソン病の合併症にて死去。81歳没。

[編集] 補足

F1ではチャンピオンに輝いたものの、当時は今程レース数が無かったとは言え通算で3勝しかしていない。これは、チャンピオンとしてはマイク・ホーソンと並ぶ少なさであった。

同時期にF1に参戦していたグラハム・ヒルとの血縁関係は無いが、同姓ということで親交はあり、グラハムの息子デイモン・ヒルは幼い頃フィル・ヒルに可愛がってもらっていたという。

ヒルのF1初優勝は、アメリカ人初のF1優勝であり、また結果的にフロント・エンジン搭載マシンによる最後の優勝ともなった。

ヒルの息子フィル・デリックは2001、2002年、及び2003年にフォーミュラ3000に出走していた。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
ジャック・ブラバム
F1ドライバーズチャンピオン
1961年
次代:
グラハム・ヒル
先代:
ロン・フロックハート
アイバー・ビューブ
ル・マン24時間歴代勝者
1958年
オリビエ・ジャンドビアン
フィル・ヒル
次代:
キャロル・シェルビー
ロイ・サルヴァドーリ
先代:
オリビエ・ジャンドビアン
ポール・フレール
ル・マン24時間歴代勝者
1961年
オリビエ・ジャンドビアン
フィル・ヒル
次代:
オリビエ・ジャンドビアン
フィル・ヒル
先代:
オリビエ・ジャンドビアン
フィル・ヒル
ル・マン24時間歴代勝者
1962年
オリビエ・ジャンドビアン
フィル・ヒル
次代:
ルドヴィコ・スカルフィオッティ
ロレンツォ・バンディーニ