フェリペ・マッサ
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| F1での経歴 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 車番 | 3 |
| 所属チーム | フェラーリ |
| 活動時期 | 2002 , 2004 - |
| 過去の所属チーム | '02、'04~'05ザウバー |
| 出走回数 | 112 |
| 優勝回数 | 11 |
| 通算獲得ポイント | 306 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 27 |
| ポールポジション | 15 |
| ファステストラップ | 12 |
| F1デビュー戦 | 2002年オーストラリアGP |
| 初勝利 | 2006年トルコGP |
| 2009年順位 | 6位(16ポイント) |
| (記録は2009年第8戦終了時) | |
フェリペ・マッサ(Felipe Massa, 1981年4月25日 - )は、ブラジル・サンパウロ出身のレーシングドライバー。
目次 |
[編集] 初期の経歴
祖父はイタリアのフォッジャ県チェリニョーラからの移民で、イタリア移民としては比較的最近の世代の家系に生まれた。
8歳でカートレーシングを始め、国内外の選手権で9年間活動した。
1998年にカートからジュニアフォーミュラにステップアップし、フォーミュラ・シボレーのブラジル選手権に参戦。初年度にランキング5位を獲得し、翌年には10戦中3勝を挙げ選手権タイトルを獲得した。
2000年にはヨーロッパへ渡り、フォーミュラ・ルノーのイタリア選手権とユーロカップに参戦し、両選手権ともにタイトルを獲得した。
2001年にはF3へステップアップする機会を得たが、イタリアを中心に開催されているユーロF3000(現・ユーロ3000選手権)への参戦を選び、参戦初年度にもかかわらず8戦中6勝を挙げるという圧倒的成績でタイトルを獲得した。
この活躍に注目したザウバーからF1テストの機会を与えられ、テストの結果ザウバーとの契約を勝ち取り、翌年からF1参戦を果たす。
[編集] F1での経歴
[編集] ザウバー時代
[編集] 2002年・2003年
2002年、20歳312日という若さでF1デビューを飾った。デビュー2戦目の第2戦マレーシアGPで6位入賞を獲得するも、この頃にはミスも多く、第15戦イタリアGPでは、ジャガーのペドロ・デ・ラ・ロサとの接触の責任を問われ、翌戦での10グリッド降格ペナルティを受けた。続く第16戦アメリカGPでは、前戦でのペナルティを避けるため、チーム側の措置としてハインツ=ハラルド・フレンツェンに1戦のみシートを譲った。結局この年は入賞3回にとどまり、ランキング13位に終わった。
2003年は、フレンツェンがザウバーに移籍したことによりシートを喪失し、フェラーリでテストドライバーを務めた。
[編集] 2004年
2004年、フェラーリからの推薦によりザウバーからF1復帰を果たす。この年はチームメイトのジャンカルロ・フィジケラにレースペースで遅れをとることが多かったが、第14戦ベルギーGPでは、自身決勝最高位の4位でフィニッシュ。
第16戦中国GPと最終戦ブラジルGPでも、予選で自身最高位の4番グリッドを獲得するなどの活躍を見せた。最終的にシーズンで12ポイントを挙げたが、22ポイントを獲得したフィジケラと比べると、見劣りする結果となった。
[編集] 2005年
2005年、チームメイトは1997年のワールドチャンピオンジャック・ヴィルヌーヴ。この年は概ね安定感のある走りを披露し、多くのレースでヴィルヌーヴを上回るパフォーマンスを見せたものの、最終的に前年より獲得ポイントを下げた。
2006年に向けてフェラーリとレースドライバー契約を結び、ミハエル・シューマッハのチームメイトとなることが決まる。
[編集] フェラーリ時代
[編集] 2006年
2006年、フェラーリに移籍。開幕戦バーレーンGPでは予選で2位を獲得した。第2戦マレーシアGPでは21番グリッドからのスタートだったにも関わらず安定した走りを見せて5位入賞。14番手スタートから6位を獲得したシューマッハを上回った。
第5戦ヨーロッパGPでは3位でゴールし、初の表彰台を獲得した。第14戦トルコGPにて参戦4年目にして初ポールポジションを獲得。決勝レースでも安定した走りを披露し、初優勝をポールトゥウィンで飾った。第17戦日本GPでは、2度目のポールポジションを獲得したものの、レースでは2位に終わった。続く最終戦ブラジルGPでは、2戦連続のポールポジション獲得から、自身2度目の優勝を母国で果たし、チームメイトのシューマッハの引退レースに花を添えた。また、この勝利は1993年のアイルトン・セナ以来、13年ぶりのブラジル人による母国優勝でもあった。そのウィニングランではコースマーシャルから渡されたブラジル国旗を掲げて走る姿を披露した。
[編集] 2007年
2007年、引退したシューマッハに代わってキミ・ライコネンをチームメイトに迎える。第3戦バーレーンGP、第4戦スペインGPと連勝し、チャンピオン争いに加わる。この2つのグランプリでは、2戦連続ハットトリックを記録している[1]。しかし、その後は第12戦トルコGPまで優勝から遠ざかり、第6戦カナダGPでは、ピットレーン出口の赤信号を見落とすミスを犯し失格処分になるなどノーポイントのレースも影響して、チャンピオン争いから脱落しライコネンのサポートにまわった。
この年は、6回のポールポジション、3回の優勝を含む10回の表彰台、6回のファステストラップを記録し、中盤までタイトル争いに絡むなど、大きな成長を見せた。最終戦を前に2010年末までのフェラーリとの契約延長を発表している。最終戦ブラジルGPでは、ポールポジションからスタートし、50周目まで守った首位のポジションをライコネンに明け渡し、2年連続の母国優勝を諦める形でチームメイトのドライバーズタイトル獲得を見事にサポートした。
[編集] 2008年
2008年、この年は大いに活躍することとなるが、好調なマシンとは裏腹に良いスタートが切れなかった。開幕戦オーストラリアGPでは、オープニングラップ第1コーナーでスピンを喫し、最終的にエンジントラブルでリタイア。第2戦マレーシアGPではポールポジションを獲得するものの、決勝レースでは開幕戦に続いてスピンを喫し、2戦連続のリタイアとなった。第3戦バーレーンGPでシーズン最初の優勝をあげると、その後は順調にポイントを獲得していく。
そして2006年、2007年と連覇している第5戦トルコGPではポールトゥウィンで完勝し、3年連続ポールトゥウィンを達成した。第8戦フランスGPでは、首位ライコネンがトラブルで失速したレースをものにしシーズン3勝目を上げたが、続く第9戦イギリスGPでは、雨に苦戦し13位に沈んだ。何度もスピンする姿がテレビ中継でも捉えられた。第11戦ハンガリーGPでは、予選3番手から抜群のスタートで1コーナーまでに首位を奪取。その後も徐々に差を広げ2番手走行中のルイス・ハミルトンがパンクで後退してからは、20秒以上の大差をつけて首位を独走する。シーズン4勝目を目前にした残り3周、突然のエンジンブローによりマシンを降りた(記録上は17位完走)。
第12戦ヨーロッパGPではポールポジションを獲得。決勝でも見事なスタートを決め首位を堅持すると、そのまま独走態勢に入りシーズン4勝目をあげた。ファステストラップも記録しており、自身100戦目のレースをハットトリックという完勝劇で飾った。リタイアに終わったライコネンをランキングで抜いて2位に浮上した。また、2度目のピットアウトの際エイドリアン・スーティルと接触寸前になり、レース後の審議で罰金のペナルティを科されたが、順位の変更はなかった。マッサの言い分は「ラップリーダーの人間に進路を譲るものだ。」としている。第13戦ベルギーGPでは2位でレースを終えたが、首位でチェッカーを受けたハミルトンが「シケインのショートカットによるアドバンテージを利用しての追い越し」によりペナルティを受け、その結果マッサが優勝に繰上げとなり、2連勝でシーズン5勝目をあげた。
第15戦シンガポールGPではポールポジションを獲得。決勝レースでも首位を快走していたが、セーフティカー導入直後のピットストップで状況が変わる。フェラーリがロリポップの代わりに用いていたシグナルが、ピットクルーのミスにより給油中にグリーンに替わり、それに反応したマッサは給油ホースを引きちぎって発車。ピットレーン脇にマシンを止め、慌ててクルーが駆け寄りホースを引き抜く事態となった。これにより一気に最後尾に転落した上、ピットアウトの際に再びスーティルに接触寸前になるほど強引に飛び出したことを咎められ、ドライブスルーペナルティを受けた。その後はコースアウトやハーフスピンを喫するなど安定感を欠き、結果的に13位ノーポイントに終わった。タイトル争いでは、首位ハミルトンとのポイント差を7に広げられてしまった。
ワールドチャンピオン獲得の可能性が残った母国での最終戦ブラジルGPをハットトリックで完全優勝。同シーズン最多となる6勝目をマークした。ハミルトンは5位以内に入ればチャンピオン獲得という状況下で、終盤降り出した雨の影響でセバスチャン・ベッテルに先行されたハミルトンは6位に落ち、チェッカーを受けた時点ではマッサがチャンピオンを獲得する条件は揃っていた。しかし強まる雨の中ドライタイヤで走行を続けていたティモ・グロックが失速すると、既にウェットタイヤを装着していたハミルトンは最終ラップの最終コーナー手前でこれをオーバーテイクし、5位でゴールした。これによりマッサは、僅か1ポイント差でタイトルを逃した。
[編集] 2009年
更なる飛躍が期待された2009年だったが、大幅なレギュレーション変更に合わせて開発されたF60に昨年ほどの速さはなく、開幕から4戦をノーポイントで終えた。
[編集] エピソード
- フォーミュラ・シボレーに参戦していた1999年、ベネトンチームに料理を届けることを条件に、マネージャーにブラジルGPのパドックパスをもらった。その時マッサが「またF1で会うかもね。」と声をかけたベネトンのシェフ「フェリーチェ・グエリーニ」は、2008年現在フェラーリで料理を担当している[2]。
- 参戦以来、ザウバー在籍時も含め、全てのレースをフェラーリエンジンで出走している。
- 2007年11月29日ブラジル・サンパウロにてラファエラ・バッシと結婚。
- サンパウロ出身でありながら、少年時代のヒーローはネルソン・ピケだった。もともとはアイルトン・セナを敬愛していたが、サインをねだった際に断られたことが原因でセナを嫌うようになってしまったという[3]。しかし1994年サンマリノGPでセナが事故死したときは「ただ訳も分からず泣き叫んだ」とマッサ本人が語っている[要出典]。
- 2006年最終戦ブラジルGPのウィニングランではコースマーシャルからブラジル国旗を受け取って走ったが、当時のF1の規則では、トラブルなどの止むを得ないものを除いてウィニングラン中に車を止めることは禁止されていたため、レース後に審議対象となったが、結果として不問に付された。
- 特に左回りのサーキットで速さ・強さを見せており、初のポールポジションを獲得した2006年トルコGP以降、左回りのレースでは7連続ポールポジションを獲得しており(06,07,08年トルコ、06,07,08年ブラジル、08年シンガポール)、ライコネンに首位を譲った2007年ブラジルGPとピットクルーのミスにより給油ホースを引きちぎって発車した2008年シンガポールGPを除く5戦全てをポールトゥウィンで優勝している。
- 2008年12月22日、ユニセフ募金のためのオークションを、マッサが中心となって開催された。マッサの努力で、同僚や他のブラジル人スポーツ選手やメディア関係者などから提供された、ヘルメット、レーシングスーツ、レースシューズ、腕時計、サッカージャージ、マッサの運転に同乗できる権利、など25点が出品され、総額16万4,000ドルで落札された[4]。
[編集] F1での年度別成績
(2009年第8戦終了時)
| 年 | 所属チーム | 車番 | ランキング | 獲得ポイント | 決勝最高位・回数 | 表彰台回数 | 予選最高位・回数 | ファステストラップ記録回数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2002年 | ザウバー | 8 | 13位 | 4 | 5位・1回 | 0回 | 7位・1回 | 0回 |
| 2004年 | ザウバー | 12 | 12位 | 12 | 4位・1回 | 0回 | 4位・2回 | 0回 |
| 2005年 | 12 | 13位 | 11 | 4位・1回 | 0回 | 7位・1回 | 0回 | |
| 2006年 | フェラーリ | 6 | 3位 | 80 | 1位・2回 | 7回 | 1位・3回 | 2回 |
| 2007年 | 5 | 4位 | 94 | 1位・3回 | 10回 | 1位・6回 | 6回 | |
| 2008年 | 2 | 2位 | 97 | 1位・6回 | 10回 | 1位・6回 | 3回 | |
| 2009年 | 3 | 6位 | 16 | 4位・2回 | 0回 | 4位・1回 | 1回 |
| 年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | WDC | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2002 | ザウバー | C21 | AUS Ret |
MAL 6 |
BRA Ret |
SMR 8 |
ESP 5 |
AUT Ret |
MON Ret |
CAN 9 |
EUR 6 |
GBR 9 |
FRA Ret |
GER 7 |
HUN 7 |
BEL Ret |
ITA Ret |
USA |
JPN Ret |
13位 | 4 | ||
| 2004 | ザウバー | C23 | AUS Ret |
MAL 8 |
BHR 12 |
SMR 10 |
ESP 9 |
MON 5 |
EUR 9 |
CAN Ret |
USA Ret |
FRA 13 |
GBR 9 |
GER 13 |
HUN Ret |
BEL 4 |
ITA 12 |
CHN 8 |
JPN 9 |
BRA 8 |
12位 | 12 | |
| 2005 | C24 | AUS 10 |
MAL 10 |
BHR 7 |
SMR 10 |
ESP 11 |
MON 9 |
EUR 14 |
CAN 4 |
USA DNS |
FRA Ret |
GBR 10 |
GER 8 |
HUN 14 |
TUR Ret |
ITA 9 |
BEL 10 |
BRA 11 |
JPN 10 |
CHN 6 |
13位 | 11 | |
| 2006 | フェラーリ | 248F1 | BHR 9 |
MAL 5 |
AUS Ret |
SMR 4 |
EUR 3 |
ESP 4 |
MON 9 |
GBR 5 |
CAN 6 |
USA 2 |
FRA 3 |
GER 2 |
HUN 7 |
TUR 1 |
ITA 9 |
CHN Ret |
JPN 2 |
BRA 1 |
3位 | 80 | |
| 2007 | F2007 | AUS 6 |
MAL 5 |
BHR 1 |
ESP 1 |
MON 3 |
CAN DSQ |
USA 3 |
FRA 2 |
GBR 5 |
EUR 2 |
HUN 13 |
TUR 1 |
ITA Ret |
BEL 2 |
JPN 6 |
CHN 3 |
BRA 2 |
4位 | 94 | |||
| 2008 | F2008 | AUS Ret |
MAL Ret |
BHR 1 |
ESP 2 |
TUR 1 |
MON 3 |
CAN 5 |
FRA 1 |
GBR 13 |
GER 3 |
HUN 17 |
EUR 1 |
BEL 1 |
ITA 6 |
SIN 13 |
JPN 7 |
CHN 2 |
BRA 1 |
2位 | 97 | ||
| 2009 | F60 | AUS Ret |
MAL 9 |
CHN Ret |
BHR 14 |
ESP 6 |
MON 4 |
TUR 6 |
GBR 4 |
GER - |
HUN - |
EUR - |
BEL - |
ITA - |
SIN - |
JPN - |
BRA - |
ABU - |
6位 | 16 |
[編集] 脚注
- ^ 2戦連続ハットトリックはアスカリの4戦連続に次いでマンセル、ハッキネン、シューマッハに並び、歴代2位タイの記録
- ^ Autosport.com 2008年10月28日
- ^ revistaepoca.globo.com 2008年6月27日
- ^ F1-Live.com 2008年12月24日
[編集] 外部リンク
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|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| マクラーレン | フェラーリ | BMWザウバー | ルノー | トヨタ | |||||||
| 1 | 3 | 5 | 7 | 9 | |||||||
| 2 | 4 | 6 | 8 | 10 | |||||||
| トロ・ロッソ | レッドブル | ウィリアムズ | フォース・インディア | ブラウン | |||||||
| 11 | 14 | 16 | 20 | 22 | |||||||
| 12 | 15 | 17 | 21 | 23 | |||||||

