ブルーノ・セナ

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ブルーノ・セナ
Bruno senna 2009.jpg
基本情報
フルネーム Bruno Senna Lalli
略称表記 SEN
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
出身地 同・サンパウロ
生年月日 1983年10月15日(30歳)
F1での経歴
活動時期 2010-2012
過去の所属チーム '10 HRT
'11 ロータス・ルノー
'12 ウィリアムズ
出走回数 46
通算獲得ポイント 33
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 1
F1デビュー戦 2010年バーレーンGP
最終戦 2012年ブラジルGP
タイトル 0
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ブルーノ・セナ・ラッリBruno Senna Lalli, 1983年10月15日 - )はブラジルサンパウロ市出身のF1ドライバーである。

かつてのF1ワールドチャンピオン、アイルトン・セナの姉であるビビアーニ・セナの長男であり、アイルトンの甥にあたる。

経歴[編集]

偉大なレーサーであった叔父の影響は大きく、ブルーノ自身はF1ドライバーを目指すことを幼少の頃より決めていた。

しかし、1994年5月1日サンマリノグランプリでアイルトンが突然この世を去り、さらに追い討ちをかけるかのように翌年にはブルーノの父親のフラビオ・ラッリがバイク事故で他界してしまい、母親のビビアーニ・セナ・ラッリはブルーノにモータースポーツ活動を禁止した。

アイルトンの死後10年経って、アイルトンのかつての友であるゲルハルト・ベルガーらが家族の説得に動いたことで、ブルーノはレース活動を許され、2004年9月にイギリスブランズハッチで行われたレースからフォーミュラ・BMWの最終2イベント(各イベント2レースずつ開催)に出場し、最終イベントでは2レースともフロントローにつけた。また、マカオグランプリに際しては、併催のフォーミュラ・ルノーに参戦し、それまで同シリーズの車体の運転経験がなかったにも関わらず、いきなり2位表彰台を獲得し、この計5レースを戦ったのみで、ジュニア・フォーミュラを早々に終えた。

F3、GP2[編集]

2005年[編集]

イギリスF3に移り、キミ・ライコネンが共同出資者として名を連ねるライコネン・ロバートソン・レーシング(Raikkonen Robertson Racing)に所属した。終盤になって調子を上げ、シルバーストンで開催された第16レースで3位表彰台に立つと、ニュルブルクリンクで開催された第18レースでポールポジションを記録するとともに2位表彰台を得るなど、最後の7レースでポールポジション1回、表彰台3回を記録し、結果、ランキング10位でシーズンを終えた。その後、マカオグランプリにも出場したが、リタイアに終わった。

2006年[編集]

2006年F1オーストラリアGPのサポートレースでF3車を駆るブルーノ

2006年も引き続き同チームからイギリスF3に参戦した。

イギリスF3の開幕前に、F1の開幕戦バーレーンGPのサポートレースのひとつとして開催されたワンメイクレースや、F1の第3戦オーストラリアGPのサポートレースのひとつとして開催されたF3レースに出場しており、オーストラリアのF3レースでは、2レース目から4レース目までを連勝で制して4戦中3勝という結果を残し、これが自身のレースキャリアにおける初優勝となった。

2007年[編集]

2007年はアーデン・インターナショナルからGP2に参戦し、スペインのレース2で優勝を記録した。

2008年[編集]

アーデン・インターナショナルを放出されたため、前年のチャンピオンチームであるiSportに移籍しモナコGPイギリスGPで2勝を上げたがジョルジオ・パンターノに9ポイント届かずシリーズ2位となった。

F1[編集]

2009年[編集]

2008年のシーズンオフにはF1のホンダチームのテストに参加し、叔父とも縁の深いホンダからF1デビューするのではないかとみられた。しかし、ホンダがF1撤退を表明し、後継チームとして発足したブラウンGPルーベンス・バリチェロの継続起用を選択したため[1]、セナのF1デビューは先送りとなった。

その後、メルセデス・ベンツからドイツツーリングカー選手権 (DTM) へのオファーを受けたが、F1でのチャンスを優先するために断り[2]ル・マン24時間レース及びル・マン・シリーズに参戦していた。

デビューレースにてヒスパニアのマシンF110を駆るブルーノ・セナ。写真はバーレーンGP

2010年[編集]

カンポス・グランプリ(後にヒスパニア・レーシング ⇒ HRTに名称変更)からF1に参戦することが決まった。チームメイトはGP2時代の2008年にチームメイトだったカルン・チャンドック

シーズン開幕前にテストを行うことが出来ず、開幕戦バーレーンGPにはぶっつけ本番で出走した。開幕2戦はマシントラブルでリタイアに終わるが、第3戦マレーシアGPで16位に入り自身初の完走を果たした。第7戦トルコGPでは、初めて予選でヴァージン・レーシングルーカス・ディ・グラッシの前のグリッドを獲得。決勝でもヴァージン・レーシングの2台とバトルを繰り広げるが、燃料系トラブルでリタイアに終わった。

第10戦イギリスGPではセナに代わりテストドライバーの山本左近が出走したが、次の第11戦ドイツGPからは再びレギュラードライバーに復帰、予選でロータスヘイキ・コバライネンやヴァージンのティモ・グロックと0.3秒差以内のタイムを記録し自己ベストの21位に入った。第13戦ベルギーGPの予選では不安定な天候の中で数名のドライバーがタイムを上手く出せなかったこともあり自己ベストを更新する20位に入った。

マシントラブルやクラッシュなどにより、第15戦シンガポールGPまでに出走した14レース中9レースでリタイアしたものの、7台がリタイアした第16戦日本GPでは15位、9台がリタイアした第17戦韓国GPは14位といずれも完走して自己ベストを更新する成績を残した。しかし、全体的には完走率が低かったことに加えチーム首脳陣がセナの契約更新を行わない方針にしたため、チームを離れた[3]

ロータス・ルノーGPR31を駆るブルーノ・セナ。写真はへレスにおけるテスト走行にて。

2011年[編集]

1月31日、ロータス・ルノーGPのリザーブドドライバーとして就任する事を発表された[4]ハンガリーGPでは金曜フリー走行を行った。続くベルギーGPでは、同GPとイタリアGPにてニック・ハイドフェルドに変わって出走することが決定し、後にハイドフェルドがチームを離れることに合意したため、残りも全戦で出走することが決まった。

ベルギーGPでは自身初のQ3進出となる予選7番手を獲得したものの、スタート直後にハイメ・アルグエルスアリと接触し大きく順位を落として13位で完走となった。イタリアGPでもQ3に進出し予選10番手を獲得したが、1コーナーの混乱を避けるために大きく順位を落とした。しかしその後は、強い追い上げといくつかのオーバーテイクをするなど見せ場を作り自身初入賞となる9位入賞を果たした。

しかしロータスは翌年のドライバーラインナップはキミ・ライコネンロマン・グロージャンの起用を発表しブルーノは再びレギュラードライバーの座を失った。

2012年[編集]

ウィリアムズ・FW31を駆るセナ(2012年マレーシアGP)

2012年のシート争いで残るシートはウィリアムズとかつて所属していたHRTの2つだけであったが、ルーベンス・バリチェロエイドリアン・スーティルとの争奪戦の末、かつて叔父のアイルトンが最後に所属していたウィリアムズのシートを獲得した。これに際し、ブルーノの家族(母親や祖父母)は反対せずむしろ大賛成でウィリアムズの加入を喜んだ。なお、メディアではスポンサーマネーで獲得したと報道されたが、ウィリアムズやブルーノ側はこれを否定した。契約締結に至る決め手となったのはウィリアムズ独自のテストに合格したからだとブルーノは発言している。チームの意向により、金曜日のフリー走行1回目の大半(20戦中15戦)はリザーブドライバーのバルテッリ・ボッタスにマシンを譲るという契約になった。

第2戦マレーシアGPでは、赤旗中断までにノーズ交換など2回のピットストップがあり最下位まで落ちてしまうも、その後は順位を上げこの年最高の6位入賞を果たした。第12戦ベルギーGPでは初のファステストラップを記録。クラッシュが目立つチームメイトのパストール・マルドナドと比べると速さでは劣る面が多いものの、対照的にレースでの安定感に富みポイントを重ねた。予選では1PP含め3位以上5回を記録したマルドナドと比べ最高が9位、5勝15敗と予選では差がつけられた。

シーズン終盤にはヘルメットを叔父似の黄色ではなくオレンジ色のオリジナルデザインに変更した。だが皮肉にも、母国であるブラジルGPでは1周も終えずにリタイアする憂き目にあった。

シーズン終了後、ウィリアムズは翌年のドライバーラインナップとして、マルドナドの残留とボッタスの昇格を発表した。これによりブルーノはウィリアムズを離れることになったが、翌年のF1でのシートは得られなかった。

その他[編集]

マクラーレン・MP4/8を駆るブルーノ・セナ。バイザーを開けたその眼差しは叔父アイルトンによく似ている。

アイルトン・セナは、彼らの一家の農場でしばしばブルーノと共にカートレースを楽しみ、ブルーノのドライビングの才能を高く評価していたと言われており、生前、マクラーレンチームを去る時に当時マクラーレンのチーム代表であったロン・デニス"If you think I'm fast, just wait until you see my nephew Bruno." (※:もしあなたが、私を優れたドライバーだと評価するのなら、それは私の甥のブルーノを見るまで評価するのを少し待ってください)とも語っていた[5]

ブルーノは黄色をベースに緑と紺の帯をあしらった、叔父アイルトンのそれによく似たヘルメットを用いている。また、ヘルメットから見える眼差しはアイルトンと瓜二つである。

参戦初年度である2010年でも、ブラジルの航空会社であるヴァリグ・ブラジル航空エンブラテル、スペインのサンタンデール・セントラル・イスパノ銀行スイス高級腕時計ブランドHublot(ウブロ)を個人スポンサーとして抱える他、レッドブルアイルトン・セナ財団からの支援をうけている。2011年にハイドフェルドの後任としてロータス・ルノーGPのシートに座った際にも4つのスポンサーを獲得しているが、内エンブラテルはデビューの頃よりセナをスポンサーし、ブラジルに深い縁があるOGXペトロレオなどもセナがレギュラーシートを再度獲得してからスポンサー活動を開始しており[6]、またハイドフェルドとの交代劇の背景にはセナのスポンサーやビジネス性を見込んでロータス・ルノーGP上層陣が交代することを前提に先んじてスポンサー活動を行っていたと言われる[7]

叔父が伝説のドライバーであるひいき目もあって、ブルーノが“セナ”の名を再び輝かせると信じる者も少なくない。しかし、ブルーノ本人は“セナ”だから、F1に行けたと思われたくないと、自らの実力での評価を望んでいる[8]。また、F1デビューが決定した時のインタビューで "I hope in a short time that everybody remembers me for being Bruno, myself, and not for my uncle's surname."(※:みんな僕のことを叔父の苗字じゃなく、ブルーノで早く覚えてくれるよう願っているよ。)とも語っている[9]

レース戦績[編集]

F1[編集]

チーム シャーシ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 WDC ポイント
2010年 HRT F110 BHR
Ret
AUS
Ret
MAL
16
CHN
16
ESP
Ret
MON
Ret
TUR
Ret
CAN
Ret
EUR
20
GBR GER
19
HUN
17
BEL
Ret
ITA
Ret
SIN
Ret
JPN
15
KOR
14
BRA
21
ABU
19
23位 0
2011年 ロータス・ルノー R31 AUS MAL CHN TUR ESP MON CAN EUR GBR GER HUN
TD
BEL
13
ITA
9
SIN
15
JPN
16
KOR
13
IND
12
ABU
16
BRA
17
18位 2
2012年 ウィリアムズ FW34 AUS
16
MAL
6
CHN
7
BHR
22
ESP
Ret
MON
10
CAN
17
EUR
10
GBR
9
GER
17
HUN
7
BEL
12
ITA
10
SIN
18
JPN
14
KOR
15
IND
10
ABU
8
USA
10
BRA
Ret
16位 31

WEC[編集]

所属チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
2013 アストンマーチン レーシング アストンマーチン・ヴァンテージ GTE LMGTE Pro SIL
1
SPA
2
LMN
Ret
SAO
Ret
COA
1
FUJ
5
SHA
2
BHR
Ret
8位 94

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ "ブルーノ・セナ、新ホンダF1のシート喪失に動揺". F1-Gate.com.(2009年3月4日)2013年1月15日閲覧。
  2. ^ "ブルーノ・セナ、メルセデスDTMのオファーを断る". F1-Gate.com.(2009年4月19日)2013年1月15日閲覧。
  3. ^ “ブルーノ・セナ 「F1に残るのは厳しい」”. F1 Gate.com. (2011年1月8日). http://f1-gate.com/senna/f1_10363.html 2011年1月31日閲覧。 
  4. ^ “ブルーノ・セナ、ロータス・ルノーGPのリザーブドライバーに就任”. F1 Gate.com. (2011年1月31日). http://f1-gate.com/senna/f1_10555.html 2011年1月31日閲覧。 
  5. ^ “Bruno Senna out to show he is more than just a famous name”. Telegraph. (2010年3月10日). http://www.telegraph.co.uk/sport/motorsport/formulaone/camposmeta1/7407119/Bruno-Senna-out-to-show-he-is-more-than-just-a-famous-name.html 2010年7月28日閲覧。 
  6. ^ “ロータス・ルノーGP、新たに4つのスポンサーを獲得”. F1 Gate.com. (2011年9月7日). http://f1-gate.com/renault/f1_12832.html 2011年9月11日閲覧。 
  7. ^ “ハイドフェルドに落胆するブーリエ”. ESPN F1. (2011年7月25日). http://ja.espnf1.com/renault/motorsport/story/55240.html 2011年9月11日閲覧。 
  8. ^ “Bruno Senna - more than just a famous name?”. Formula1.com. (2009年11月10日). http://www.formula1.com/news/features/2009/11/10214.html 2010年6月30日閲覧。 
  9. ^ “Senna officially unveiled by Campos”. CNN. (2009年11月12日). http://edition.cnn.com/2009/SPORT/11/11/motorsport.f1.senna.campos/index.html 2011年9月17日閲覧。