パストール・マルドナド
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| 基本情報 | ||||
| フルネーム | Pastor Rafael Maldonado Motta | |||
| 略称表記 | MAL | |||
| 国籍 | ||||
| 出身地 | 同・マラカイ | |||
| 生年月日 | 1985年3月9日(28歳) | |||
| F1での経歴 | ||||
| 車番 | 16 | |||
| 所属チーム | ウィリアムズ '11- | |||
| 活動時期 | 2011- | |||
| 出走回数 | 44 | |||
| 優勝回数 | 1 | |||
| 通算獲得ポイント | 46 | |||
| 表彰台(3位以内)回数 | 1 | |||
| ポールポジション | 1 | |||
| ファステストラップ | 0 | |||
| F1デビュー戦 | 2011年オーストラリアGP | |||
| 初勝利 | 2012年スペインGP | |||
| 2013年順位 | 18位(0ポイント) | |||
| (記録は2013年第5戦スペインGP終了時) | ||||
パストール・ラファエル・マルドナド・モッタ(Pastor Rafael Maldonado Motta、1985年3月9日 - )は、ベネズエラ・マラカイ出身のレーシングドライバー。2010年のGP2チャンピオン。フジテレビF1中継では「パストール・マルドナード」と表記されている(英語の発音においても、ナ(Maldonado)にアクセントが付くためマルドナードに近い発音をする)。F1ではほとんどのレースで接触事故をすることから、問題児となっている[1]。
目次 |
経歴 [編集]
初期の経歴 [編集]
ベネズエラ国内でカートレースを戦った後、1998年に国際カートレースに参戦するため渡欧した[2]。
2003年からはイタリア・フォーミュラ・ルノー選手権に参戦し、翌2004年はイタリア選手権に加えユーロカップ・フォーミュラ・ルノーにも参戦し、イタリア選手権ではチャンピオンを獲得した。この年の11月、ミサノ・サーキットで行われたF1のミナルディチームのテストに参加した。
2005年にはイタリアF3000選手権に4戦のスポット参戦をし、フォーミュラ・ルノー3.5にも7戦に出場した。しかしフォーミュラ・ルノー3.5ではレース中の危険行為により4戦の出場停止を受けている。
2006年はフォーミュラ・ルノー3.5にフル参戦を果たし、シリーズ3位となった。
GP2 [編集]
2007年からはGP2に参戦し、その年のモナコで初優勝を果たした。 2008年はシリーズ5位、2009年はシリーズ6位となったが、2010年は第3戦トルコからレース1おいて6連勝を記録し、この年のGP2チャンピオンを獲得した。
F1 [編集]
2010年のアブダビGP後に行われた若手ドライバーテストとピレリタイヤテストに、ヒスパニア・レーシングとウィリアムズから参加し、2台のF1マシンで合計4日間走行した。 2010年12月2日、ウィリアムズF1チームとのレギュラードライバー契約を発表し[3]、2011年よりF1デビューすることが決定した。
2011年 [編集]
開幕2戦はリタイアに終わり、第3戦中国GPでF1初完走を果たす。第5戦スペインGPの予選では自身初のQ3進出果たし9番グリッドを獲得。次の第6戦モナコGPでは前戦で記録した自己最高グリッドを更新する8番手からスタートすると、決勝では残り5周まで入賞圏内の6位を走行していたがルイス・ハミルトンと接触しリタイア、18位完走扱いに終わった。第12戦ベルギーGPで10位でフィニッシュし初入賞を果たした。しかし、その後は入賞には一歩届かず前述のベルギーGPの入賞1度にとどまりランキング19位、総獲得ポイントは1ポイントにとどまった。 2011年12月、来シーズンもウィリアムズに残留することが発表された[4]。
2012年 [編集]
2012年は開幕戦オーストラリアGPより予選Q3進出を果たすなど、幸先の良いスタートを切り決勝でもファイナルラップまで6位を走行していたが、ターン7でクラッシュを喫し13位完走扱いに終わった。第2戦マレーシアGPにおいても、10位を走行していた決勝レース54周目にエンジントラブルによってリタイア(19位完走扱い)と最後の最後でチェッカーを受けられないレースが続いた。
第3戦中国GPでは、予選13番手から好走し8位入賞を果たした。 第4戦バーレーンGPではタイヤのトラブルでリタイアしたものの、第5戦スペインGPでは再び予選Q3に進出し2番手のタイムを記録した。その後、ハミルトンが予選失格になったことで初のポールポジションを獲得。決勝レースではスタートでフェラーリのフェルナンド・アロンソに先行を許すものの、ピットストップでポジション奪回に成功。そのまま抑えきり自身初優勝を果たした[5]。この優勝はベネズエラ人として史上初、ウイリアムズとしても2004年のファン・パブロ・モントーヤ以来8年ぶりの快挙であった。
しかしこのスペインGPでの優勝以降は入賞圏内にすら入れない日々が続いた。そんな中第12戦ベルギーGPでは予選3番手を獲得するもののセッション中にニコ・ヒュルケンベルグの走行を妨害したとして6番手に降格、更に決勝ではジャンプスタートをしてしまいドライブスルーペナルティを受けることになった。だがペナルティを受ける前にマルシャのティモ・グロックと衝突しフロントノーズを破損、そのままリタイアとなった。これにより次戦はベルギーGPで受けるはずだったペナルティに加え更にグロックとの接触のペナルティにより10グリッド降格の処分が下された。第13戦イタリアGPでは11位で完走したものの入賞圏内の10位にはあと一歩及ばなかった。
第14戦シンガポールGPでは予選2番手を獲得。決勝でも混乱なく上位を走行していたが36周目にハイドロリックのトラブルが発生したため、リタイアを余儀なくされた。
第15戦日本GPで8位入賞。スペインでの優勝以来、10戦ぶりにポイントを獲得した。第18戦アブダビGPでは決勝で5位に入り、10ポイントを獲得した。
エピソード [編集]
- 2012年シーズン前、ウィリアムズからPDVSAへの請求書がネットに流出した。金額は2,940万ポンド(当時の日本円で約36億円)。PDVSAはマルドナドの持ち込みスポンサーの為、F1史上最高額のペイ・ドライバーなどと揶揄された。[6][7]
- 2005年に参戦したフォーミュラ・ルノー3.5(ワールドシリーズ・バイ・ルノー)のモナコGPの前座レースに於いて、イエロー・フラッグを無視した結果マーシャルにぶつかり背骨を折る重傷を負わせる大事故を起こした。モナコGPの主催者はマルドナドをモナコ市街地サーキットでのレースから永久追放するという処分を下したものの、父親が怪我をしたマーシャルの回復及びリハビリ費用を負担する事を約束したことで、F1に於いてもモナコGPに参戦可能になっている。[8]
- 2012年スペインGPで初優勝を上げた時の表彰台では、フェルナンド・アロンソとキミ・ライコネンという2人のチャンピオン経験者に担ぎ上げてもらうという珍しいパフォーマンスを行った。
- 2012年の夏休み中、初優勝後初めて母国ベネズエラに凱旋し、VIP、五輪金メダリスト、及び大勢のファンに見守られる中でスポーツ祝典のハイライトとしてウイリアムズのF1マシンで12周のデモ走行が予定されていた。しかしデモ走行を始めて2周目にスピンしてクラッシュしてしまった。これによりサスペンションを壊してしまい、たった2周でデモ走行を終えるはめになってしまった。[9][10]
F1での年度別成績 [編集]
| 年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | WDC | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2011年 | ウィリアムズ | FW33 | AUS Ret |
MAL Ret |
CHN 18 |
TUR 17 |
ESP 15 |
MON 18≠ |
CAN Ret |
EUR 18 |
GBR 14 |
GER 14 |
HUN 16 |
BEL 10 |
ITA 11 |
SIN 11 |
JPN 14 |
KOR Ret |
IND Ret |
ABU 14 |
BRA Ret |
19位 | 1 | |
| 2012年 | FW34 | AUS 13≠ |
MAL 19≠ |
CHN 8 |
BHR Ret |
ESP 1 |
MON Ret |
CAN 13 |
EUR 12 |
GBR 16 |
GER 15 |
HUN 13 |
BEL Ret |
ITA 11 |
SIN Ret |
JPN 8 |
KOR 14 |
IND 16 |
ABU 5 |
USA 9 |
BRA Ret |
15位 | 45 | |
| 2013年 | FW35 | AUS Ret |
MAL Ret |
CHN 14 |
BHR 11 |
ESP 14 |
MON |
CAN |
GBR |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
SIN |
KOR |
JPN |
IND |
ABU |
USA |
BRA |
18位 | 0 |
脚注 [編集]
- ^ “パストール・マルドナド、F1イタリアGPで10グリッド降格ペナルティ”. F1 Gate.com. (2012年9月3日) 2012年9月3日閲覧。
- ^ パストール・マルドナド Q&A:ウィリアムズでのF1デビューについて 【 F1-Gate.com 】
- ^ ウィリアムズ、パストール・マルドナドとの契約を正式発表
- ^ “ウィリアムズ、2012年のパストール・マルドナドの残留を正式発表”. F1 Gate.com. (2011年12月2日) 2011年12月17日閲覧。
- ^ “F1スペインGP 結果:パストール・マルドナドがF1初優勝!”. F1 Gate.com. (2012年5月13日) 2012年5月13日閲覧。
- ^ “パストール・マルドナド、F1史上最高額のペイ・ドライバー”. F1通信. (2012年2月16日) 2012年8月19日閲覧。
- ^ “ウィリアムズ、PDVSAとのスポンサー契約は36億円”. F1-Gate.com. (2012年2月16日) 2012年8月19日閲覧。
- ^ “パストール・マルドナド、モナコから“永久追放”されていた”. F1-Gate.com. (2012年5月24日) 2012年8月19日閲覧。
- ^ “パストール・マルドナド、ベネズエラの凱旋F1デモ走行でクラッシュ”. F1-Gate.com. (2012年8月13日) 2012年8月19日閲覧。
- ^ “マルドナド、母国凱旋F1デモ走行でクラッシュ: 動画 2”. F1通信. (2012年8月16日) 2012年8月19日閲覧。
外部リンク [編集]
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