ニコ・ヒュルケンベルグ
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|---|---|---|---|---|
| 基本情報 | ||||
| フルネーム | Nicolas Hülkenberg | |||
| 略称表記 | HUL | |||
| 国籍 | ||||
| 出身地 | 同・ノルトライン=ヴェストファーレン州クレーフェ郡エメリッヒ | |||
| 生年月日 | 1987年8月19日(25歳) | |||
| F1での経歴 | ||||
| 車番 | 11 | |||
| 所属チーム | ザウバー '13- | |||
| 活動時期 | 2010, 2012- | |||
| 過去の所属チーム | '10 ウィリアムズ '12 フォースインディア |
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| 出走回数 | 43 | |||
| 通算獲得ポイント | 90 | |||
| 表彰台(3位以内)回数 | 0 | |||
| ポールポジション | 1 | |||
| ファステストラップ | 1 | |||
| F1デビュー戦 | 2010年バーレーンGP | |||
| 2013年順位 | 14位 (5ポイント) | |||
| (記録は2013年第5戦スペインGP終了時) | ||||
ニコラス・ヒュルケンベルグ(Nicolas "Nico" Hülkenberg、1987年8月19日 - )は、ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州クレーフェ郡エメリッヒ出身のF1ドライバー。ニコ・ヒュルケンバーグとも表記されることもある。フジテレビF1中継でのニックネームは「皇帝チルドレン」。
目次 |
経歴 [編集]
カート [編集]
1997年、10歳でカートレースデビューし2002年にドイツ・ジュニア・カート選手権に出場し翌2003年、チャンピオンを獲得。2004年も参戦していた[1]。
フォーミュラ・BMW [編集]
2005年にドイツ・フォーミュラ・BMWのジョセフ・カウフマン・レーシング(Josef Kaufmann Racing)から参戦しシリーズ・チャンピオンを獲得。しかし、このチャンピオンはセバスチャン・ブエミがブレーキテストをしたとしてシーズン終了後に裁定によりペナルティを受けた為、獲得したチャンピオンであった[1]。
フォーミュラ3(ドイツF3とユーロF3) [編集]
2006年、ドイツF3にジョセフ・カウフマン・レーシング(Josef Kaufmann Racing)から参戦して5位(1勝)で終えて、2007年からユーロF3にASM・フォーミュラ3(ASM Formule 3 ※現在のART Grand Prix)から参戦し第3戦ノリスリンクではグリッド18番目から優勝し、第6戦ザントフォールトでは雨のレース、第7戦ニュルブルクリンクで優勝しシーズン3位に終えた[2]。また同年のマスターズF3で優勝をしている[3]。
2008年もユーロ・F3のARTグランプリ(ART Grand Prix)から参戦しチャンピオンに輝いた。
A1グランプリ [編集]
2006-2007A1グランプリにA1チーム・ドイツからクリスチャン・ベトリスと共に参戦し、ヒュルケンベルグは20レース中9勝をあげドイツチームに128ポイントを獲得し2位との差35ポイントをつけドイツチームに優勝をもたらした[1]。
ヒュルケンベルグはミハエル・シューマッハなどのマネージャであるウィリー・ウェーバーのマネージメントをこのころから受けることになった。これは2006年末にA1のドイツチームを運営していたウェーバーが初戦のドライバーとしてオファーしたのが切っ掛けだった。
GP2 [編集]
2009年はARTグランプリからGP2の本シリーズから出場する予定だったが急遽、アジアシリーズに第3戦目、第4戦目の2戦4レースのみ出場し2回のポールポジション、1回の優勝をした。
GP2本シリーズでも活躍を見せ、母国レースとなったニュルブルクリンクではネルソン・ピケJr.以来GP2史上2人目となるフルポイントレース(第1レースでポールポジション、ファステストラップ、優勝を独占し、リバースグリッドでのスタートとなる第2レースでも優勝とファステストラップを獲得。GP2では20ポイント獲得できる)を達成した。そして第9戦モンツァでGP2チャンピオンを獲得した。最終戦を残してのチャンピオン獲得はGP2史上初めてとなる。
フォーミュラ1 [編集]
ウィリアムズ [編集]
マネージャーのウィリー・ウェーバーはF1でのテストドライブを行うためにルノーF1のフラビオ・ブリアトーレに接触していたが、2007年12月4日にヘレスでウィリアムズからテストする機会を得て[4]、2007年12月13日にウィリアムズのテストドライバーとなることが発表された[5]。これにより、2008年及び2009年はF3やGP2と平行してウィリアムズのテストドライバーを務めた。
2010年より同チームのレギュラードライバーに昇格し、ルーベンス・バリチェロをチームメイトに参戦することが発表された[6]。第3戦マレーシアGPでは10位入賞を果たし、F1で初ポイントを獲得した。その後はしばらく入賞がなかったが、第10戦イギリスGPで10位入賞を果たすと、第12戦ハンガリーGPでは自己ベストの6位でフィニッシュした。さらに、第18戦ブラジルGPにて自身初のポールポジションを獲得した。尚、所属するウィリアムズにとっては2005年ヨーロッパGP以来5年ぶり、ルーキードライバーのPP獲得は2007年のルイス・ハミルトン以来3年振りの快挙である。レースではトップチームのドライバーを抑えることは出来ず、トップ4チームの後ろで8位に入賞するに留まった。
8月下旬ごろから、2010年シーズンいっぱいでウィリアムズから放出されるのではないか、という報道がなされるようになった[7][8][9]。ウィリアムズは2010年末で複数の主要スポンサーの撤退が重なり2011年シーズンの資金が不足していた[10]。その為、最終的には持ち込み資金が豊富なパストール・マルドナドにシートを奪われる形になり、2010年限りでウィリアムズを離脱することを11月15日に発表した[11]。
フォース・インディア [編集]
2011年シーズンに所属するチームとして、フォース・インディアやフェラーリなどが噂になった[12][13]。また、ウェバーがヴァージンから接触があったことを明らかにした[14]。最終的に、フォース・インディアにリザーブドライバーとして加入し[15]、シーズンを通して金曜フリー走行1回目に出走した(ベルギーGPはフリー走行2回目に出走。モナコ、シンガポール、韓国、インド、アブダビの各GPでは出走無し)。 またこの年はF3時代からマネージャーだったウィリー・ウェーバーとの契約を終了し、今後は自身でマネジメントを行うことになった[16]。
2012年シーズンはエイドリアン・スーティルがチームから離脱し、レギュラードライバーに昇格した[17] 。 開幕戦オーストラリアGPでQ3に進出し、速さが健在であることをアピールするもののシーズン序盤はややパフォーマンスが伸び悩む。母国であるドイツGPでは予選4番手につける活躍をみせると、次第に頭角を現しベルギーGPでは4位に入り自己最高位で完走。後半戦には安定して上位に進出するようになる。最終戦ブラジルGPでは、2年前にポールポジションを獲得した思い出の舞台で好走。難しい路面コンディションに翻弄されるドライバー達の中で、ドライタイヤで走り続けることを選択すると、ジェンソン・バトンと共に争いながら3位以下のドライバーを一時は40秒近くも引き離す。SC導入によりリードを失ってしまうものの、レース再開後も高いレーススキルを発揮しトップを快走した。しかしレース終盤に濡れた路面に足元を掬われルイス・ハミルトンと接触、リタイアに追い込んでしまい、ドライブスルーペナルティを受けたことで優勝争いから脱落。最終的に5位でチェッカーを受けた。だがこの結果もあって、ランキングはディ・レスタを上回る11位を記録した。
2013年シーズンにはフェラーリへの移籍話なども挙がっていたが、最終的にザウバーからの参戦が発表された。
経歴表 [編集]
| 年 | カテゴリ | チーム名 | レース数 | ポール | 勝利数 | ポイント | 総合順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005年 | フォーミュラ・BMW・ADAC | ジョセフ・カウフマン・レーシング | 20 | 8 | 9 | 287 | 1位 |
| 2006年 | ドイツ・F3 | ジョセフ・カウフマン・レーシング | 18 | 3 | 1 | 78 | 5位 |
| 2006-07年 | A1グランプリ | ドイツ・チーム | 20 | 3 | 9 | 126 | 1位 |
| 2007年 | ユーロ・F3 | ASM・フォーミュラ3 | 20 | 2 | 4 | 72 | 3位 |
| 2007年 | マスターズF3 | ASM・フォーミュラ3 | 1 | 0 | 1 | N/A | 1位 |
| 2008年 | ユーロ・F3 | ARTグランプリ | 20 | 6 | 7 | 85 | 1位 |
| 2008-09年 | GP2アジアシリーズ | ARTグランプリ | 4 | 2 | 1 | 27 | 6位 |
| 2009年 | GP2 | ARTグランプリ | 20 | 3 | 5 | 100 | 1位 |
| 2010年 | フォーミュラ1 | ウィリアムズF1 | 19 | 1 | 0 | 22 | 14位 |
F1での年度別成績 [編集]
| 年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | WDC | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2010年 | ウィリアムズ | FW32 | BHR 14 |
AUS Ret |
MAL 10 |
CHN 15 |
ESP 16 |
MON Ret |
TUR 17 |
CAN 13 |
EUR Ret |
GBR 10 |
GER 13 |
HUN 6 |
BEL 14 |
ITA 7 |
SIN 10 |
JPN ret |
KOR 10 |
BRA 8 |
ABU 16 |
14位 | 22 | |
| 2011年 | フォース・インディア | VJM04 | AUS TD |
MAL TD |
CHN TD |
TUR TD |
ESP TD |
MON | CAN TD |
EUR TD |
GBR TD |
GER TD |
HUN TD |
BEL TD |
ITA TD |
SIN |
JPN TD |
KOR |
IND |
ABU |
BRA TD |
- | - | |
| 2012年 | VJM05 | AUS Ret |
MAL 9 |
CHN 15 |
BHR 12 |
ESP 10 |
MON 8 |
CAN 12 |
EUR 5 |
GBR 12 |
GER 9 |
HUN 11 |
BEL 4 |
ITA 21 |
SIN 14 |
JPN 7 |
KOR 6 |
IND 8 |
ABU Ret |
USA 8 |
BRA 5 |
11位 | 63 | |
| 2013年 | ザウバー | C32 | AUS DNS |
MAL 8 |
CHN 10 |
BHR 12 |
ESP 15 |
MON |
CAN |
GBR |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
SIN |
KOR |
JPN |
IND |
ABU |
USA |
BRA |
14位 | 5 |
脚注 [編集]
- ^ a b c “Meet the rookies: Nico Hülkenberg”. F1Fanatic.co.uk (2007年). 2007年8月16日閲覧。
- ^ “F3 Euro Zandvoort 2: Hülkenberg wins in wet”. MaximumMotorsport.co.uk (2007年). 2007年8月16日閲覧。
- ^ “Hülkenberg wins F3 Masters as Grosjean stalls”. MaximumMotorsport.co.uk (2007年). 2007年8月16日閲覧。
- ^ Hulkenberg to test for Williams at Jerez(autosport.com 2007年12月3日記事)
- ^ Williams sign Hulkenberg as test driver(autosport.com 2007年12月13日記事)
- ^ Williams set for 2010 with Barrichello and Hulkenberg(Motorsport.com 2009年11月2日記事)
- ^ “ニコ・ヒュルケンベルグ、ウィリアムズとの2011年の交渉はまだ”. F1-Gate.com. (2010年8月27日) 2011年1月27日閲覧。
- ^ “ニコ・ヒュルケンベルグ、シート喪失の危機”. F1-Gate.com. (2010年10月8日) 2011年1月27日閲覧。
- ^ “ウィリアムズ、ニコ・ヒュルケンベルグの放出を検討”. F1-Gate.com. (2010年10月19日) 2011年1月27日閲覧。
- ^ ウィリアムズ、上場でスポンサー減少か - ESPN F1・2011年2月10日
- ^ “ニコ・ヒュルケンベルグ、ウィリアムズ離脱を発表”. F1-Gate.com. (2010年11月15日) 2011年1月27日閲覧。
- ^ “ニコ・ヒュルケンベルグ、フェリペ・マッサに代わってフェラーリ加入?”. F1-Gate.com. (2010年11月17日) 2011年1月27日閲覧。
- ^ “ニコ・ヒュルケンベルグ、フォース・インディアでF1残留を目指す”. F1-Gate.com. (2010年11月16日) 2011年1月27日閲覧。
- ^ “ニコ・ヒュルケンベルグ、ヴァージンからのオファーを蹴る”. F1-Gate.com. (2010年11月19日) 2011年1月27日閲覧。
- ^ “ニコ・ヒュルケンベルグ、フォース・インディアとリザーブドライバー契約”. F1-Gate.com. (2011年1月27日) 2011年1月27日閲覧。
- ^ . F1-Gate.com. (2010年5月14日). http://f1-gate.com/hulkenberg/f1_11706.html =ニコ・ヒュルケンベルグ、ウィリー・ウェバーと決別 2011年12月30日閲覧。
- ^ “フォース・インディア、2012年はヒュルケンベルグとディ・レスタ”. F1-Gate.com. (2011年12月15日) 2011年12月30日閲覧。
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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